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戦前の日本は軍の統帥権が天皇陛下にあったことから軍部は内閣と同格の立場だったと聞きましたが、これは事実ですか?
凡ゆる省庁を優越して軍令部と参謀本部は権力を握っていたのでしょうか?

A 回答 (3件)

軍の統帥権が天皇陛下にあったのではなく、軍が勝手に統帥権というものを作り、自分たちの都合の良いように運営していったのだ。


文字を見ると、天皇が統治するかのような印象を受けるが、軍部はそれが狙いだったのだが、実態は天皇は最初からお飾りでしか無かったのだ。
そのお飾りである天皇を、現人神にまで祭り上げることによって、統帥権の絶対性を強化していったのだ。
天皇自体にどんなに強い権限を与えても全く問題にならない。天皇が何を言おうが、軍部は天皇はお飾りだと思っているので、従わないだけのことだから。
天皇の命令を軍部はあたりまえのように無視をしたが、それに対して気弱な天皇は何も言えないという状態が続いていた。
愚かで無知な民衆は、そんなことは全く知らずに、軍部のお思い通りに動かされ続けていたのだ。
統帥権は、現人神である天皇直轄という建前なので、政府の上にある特別な権能と言うことから、政府は軍部の前では何も決定的なことは言えないし、軍部の勝手な行動を阻止しようとはしたが、結局統帥権の前には何もできないままだった。
このために何も軍部の横暴を阻止することができないと言うことから、首相は頻繁に総辞職を繰り返し、首相自体も頻繁に替わると言ったことを終戦まで続けたのだ。
こうした目も当てられない惨状を打開するには、日本が戦争に負けるしか無かった。戦争に負けて軍部が解体されない限り、統帥権の絶対性の前では軍部の横暴を止めることなど誰もできなかったからだ。
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総理大臣が、陸軍大将で、他に、陸軍大臣や、海軍大臣が、それぞれ軍人で、占められて居ましたね。

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事実ですが、本来はありえないことでもありました。



軍隊というのは、本来文民統制するもの、争乱の歴史が長い西洋諸国では当然ことでした。どれくらい当然だったかというと、近代以前の軍隊は首都に入る前、首都の城壁の外で完全武装解除しないと中に入れないぐらい徹底していたのです。

だから近代憲法でも、立憲君主の国王が総帥権を握っていたとしても、文民統制つまり議会の地位のほうが高いものだったのです。

ところが日本は天皇を「たれも犯すべからざる大権の保持者」にしてしまったので、そこを軍部が突いて議会をすっ飛ばして天皇に直接報告をおこない命令を得られる、というやり方に変えてしまったのです。
 この時使われた用語が「総帥権」で議会が文民統制しようとすると「天皇の総帥権を干犯するのか!」と「総帥権干犯」を理由に、独自の動きができるようになってしまったのです。

「総帥権干犯」と言う用語が初めて出てくるのは、昭和4年のロンドン海軍軍縮条約の議論でした。この時軍部は総帥権と文民統制を分離することに成功し、その結果満州事変や日中事変さらには大東亜戦争に突入していくことになっていったわけです。
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