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源頼朝は、なぜ義経や範頼といった源氏一族を自ら排除してしまったのですか?

A 回答 (9件)

親子兄弟おじ甥の間での殺し合いは、天皇の系統でも、公家でも、武人でもしばしばあることです。

 もちろん、庶民でも同じです。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71424?page=4

利権が絡みやすい、権力争い、人間関係のこじれ・疑惑・愛憎が、近親者では起きやすいのですから、まあ自然なことです。

「なぜ義経や範頼を自ら排除してしまった」という個別事情は、他の回答者が書かれていることもあるのでしょう。 義経の場合、範頼の場合でも、事情は大きく違い、一緒くたには出来ません。 共に、不満分子、反抗勢力と見なしたことが原因ではなさそうです。 近親者や古参の有力者に対してしばしば起こる鬱屈した反応なのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2021/09/18 22:04

幼稚な文章なので質問の主旨が不明ですが、↓の解釈で合っているのでしょうか。



【頼朝が権力を得る過程で同族の源氏を排除したのは何故か?】

義経や範頼については、調べればわかると思うので語りません。
これすら知らない(調べようともしない)怠け者を甘やかす気はありません。
幕府開設以降については、粛清されたのは源氏だけではありませんし。



回答:彼らが頼朝と対立した。(頼朝も対立した)

そもそも、同じ「姓」=仲良し と思う時点で間違い。

当時は平氏も源氏も全国に広まっており、それぞれの場で独立した「氏族」を形成していました。
(甲斐源氏、摂津源氏、大和源氏、河内源氏等)
頼朝は河内源氏ですが、それらも、新田や足利等に分れています。

そのような彼らは、同族でも利害が対立すれば戦う場合もありました。
(あなたは10代も前に分れた親戚を、どこまで信用して仲良くできますか?)

以上の理由から、平氏打倒という目的は一致していても「彼ら」は独自の目的で動いていました。
戦功を上げれば、他の氏族より利益や地位を得る事も可能です。
源氏の棟梁になる事も可能です。
「源頼朝は、なぜ義経や範頼といった源氏一族」の回答画像9
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異母兄弟、周囲の評判・風評に左右されがち。


最後は哀れでしたね。
衣川館の戦いで主従全滅せず、一部が頼朝殺しに
仕返しに行ったという筋の小説を読んだ記憶あり。

本当なら一矢報いた気分ですね。
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No,2の立場は、危うい立場にあるのです、なぜならば、No,1に不満を


持った分子が、No,2を担ぎ出して、No,1の地位を奪おうとするからです。
足利尊氏、織田信長、伊達政宗、等々、弟を殺した事例は数多く有ります。

源義経は後白河法皇から官位を貰って、公家の真似して有頂天になって、
後白河法皇の誘いに乗り、頼朝追討の軍を出しましたが、従う武士は、
いなくて、己の実力の無さに気付いた時は、後の祭りでした。
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自分の地位を脅かす存在は


邪魔であり、危険だからです。

ナンバーワンにとって、一番の
危険はナンバーツウです。

だから、自分の権力を守るために
色々な理由をつけて、ナンバーツウを
葬り去ろうとするのです。


毛沢東は、独裁をするために
ナンバーツウである林彪を暗殺しました。
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義経が頼朝の怒りをかった理由は、2つあります



⓵壇ノ浦の戦いでの身勝手な振る舞い
壇ノ浦の戦いの時に義経は、軍師であった梶原景時の意見を聞かずに事を進めてしまったことや、安徳天皇を自殺に追い込み、朝廷との交渉材料になりうる三種の神器を紛失してしまったこと、そして配下の武士たちを頼朝の許可を得ずに勝手に処罰し、他の武士たちの反感をかったこと等が「吾妻鏡」に書かれています。

頼朝は、自分を頂点とする武家社会を作ろうとしていたために、このように勝手な振る舞いをする義経を疎ましく感じていました。これに拍車をかけたのが2番目の理由です。

②後白河法皇から官位を授けとった
頼朝は自分の許可無く朝廷から官位を受けた武士は、関東に戻ることを禁止していました。
というのも、頼朝は当時まだ鎌倉幕府を開府していなかったので、部下に官位を与えることはできませんでした。頼朝の許可無く朝廷から官位を授かるということは、すなわち頼朝自身の地位を揺るがすことに他なりません。(頼朝は官位をくれないが朝廷は官位をくれる、それならば朝廷についた方が特ではないかと考える武士が出てくるかもしれません)
この理由から、頼朝の許可無く官位を受けることを禁止していたのです。

ところが義経はこれを破って官位を受けてしまいます。
後白河法皇が頼朝の台頭を恐れ、その対抗馬として義経を重用したとも言われています。これによって義経が朝廷の信頼を高め、周りの武士達の人気者となってしまうことは、朝廷から距離をおいて武家による政治社会を作ろうとしていた頼朝にとって大変な脅威でもありました。

範頼につては、謀反の疑いを持たれたためです
その対応もまずかった
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義経は頼朝以上に大衆人気者が出てしまった為にやむを得ずといった所でしょう。



ほっといたら、義経を担ぎ出して頼朝の地位を奪う輩が出てくるでしょうから、北条が入れ知恵したのだと思います。

金正男も弟に殺されてますし、基本的には統一後に力を持った兄弟は邪魔でしかないんだと思いますよ。
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代々、親子兄弟おじ甥の間での殺し合いが彼ら河内源氏の歴史です。


血筋がそうさせたのです。
「狡兎尽きて走狗煮らる。飛鳥尽きて良弓蔵る。」です。
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平氏を倒してしまうと自分の権力基盤を固める為には邪魔になってしまったということなのです。

それだけ源頼朝の権力基盤は弱かった。それでも鎌倉幕府を樹立したのであり、源氏一族の排除は間違いではなかったと思います。
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