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世界史において宗教で必要だと思う知識について教えてほしいです。
例えばプロテスタントやカルヴァン派などです。
カルヴァン派がカトリックを嫌ってる事くらいは知ってるのですが、ユグノーなど名前がさまざまあり混合してしまいます。
できれば世界史の必要な宗教知識についてくまなく教えていただきたいです。
本当にお願いします。

教えて!goo グレード

A 回答 (3件)

くまなくというか、おおざっぱに流れを解説します。

足りなければ補足します。

まず、西洋から地中海世界(トルコやシリアなどを含む)の宗教は
 ローマやギリシャ、エジプトなどの多神教と1万年前ぐらいからあるユダヤ人の一神教の対立、に始まります。

ローマはキリスト教布教以前は多神教で、その中のユダヤ人だけが一神教だたったので、数々のトラブルがあり、それが結局キリストの磔にも影響し、キリスト教徒はキリスト教徒が磔になった時点でユダヤ教と袂を分かちます。

そしてローマの影響が強い地域はキリストの死後300年をかけてキリスト教化するのですが、場所によって伝えられた内容が違い、325年の第1ニカイア公会議でカソリック協会が誕生し、同時にいくつかの宗派に分裂していきます。

次の転機は11世紀にローマが東西に分裂したことで、西ローマには現在でもバチカンにカソリック教会が存在しますが、11世紀当時東ローマの首都コンスタンチノープル(現イスタンブール)に東方教会が生まれます。東方教会は現在は正教会とよばれ、ギリシャ・トルコから東欧のキリル文字(ロシア文字)の範囲とほぼ重なります(キリル文字はギリシャ文字を発展させ、ロシア語などで聖書を記すことを目的としたものです)

16世紀になるとカソリック教会に反発して宗教革命がおきます。これはカソリック教会が「神に礼拝するにはカソリック教会を通す必要がある」として免罪符など金儲けに走っていたからで、カソリックの中心から遠いドイツなどで「もっと自由に信仰したい」という考え方ができたのです。
 だから宗教改革派を「抵抗者(プロテスタント)」と呼ぶのは、カソリック教会の権威や権力に抵抗したからです。

で世界史と関連するなら、重要な点は
・カソリック教会の影響範囲はほぼ古代ローマの領域で、ドイツのライン川から東とドナウ川から北のゲルマン人領域は最後までローマの配下にならず、これが後のカソリックとプロテスタントの争いの原点であるといえます。
・イギリスについては少し事情が異なり、イギリス王室は元々カソリック教会の権威の保護を受けていました。しかし離婚問題で揉め「離婚を認めないなら、カソリックと分離して英国国教会を作る」と宣言したので、カソリックと対立=プロテスタントに分類されています。

でもイギリスの大部分はドイツなどと違ってカソリック式でしたが、カルヴァンなどの影響を受けてイギリス国内でもプロテスタントが生まれ、これを清教徒と呼んだわけです。

清教徒の一部はアメリカに渡って独立運動の基礎(信仰の自由)になり、一部はイギリス国内で市民革命の基礎になりました。

最低でもこれらを知っていれば、欧米の歴史と宗教のかかわりが見えてくると思います。

次にイスラム教
イスラム教は西暦610年にムハンマドがメッカで始めたことは分かっています。メッカはローマ領域とは少し離れていましたが、ローマの東方侵攻に対抗するため、この地域の人々はキリスト教には警戒をしていました。そこに現れたのが、魅力的なイスラム教だったわけです。

イスラム教は東方教会の勢力と対抗するようになり、地中海の南側、エジプトやモロッコ、そしてジブラルタル海峡を渡ってスペインまで勢力を伸ばします。スペインに到達したのが8世紀です。

このころ、東方教会とそれを擁護する東ローマ皇帝はエルサレムを奪還しようとするイスラム教徒たちと戦っていて、西ローマに援軍を要請しました。

この要請にこたえて派遣されたのが十字軍なのですが、西ローマつまり現代の西ヨーロッパの人たちからすれば「スペインにもイスラム教が来ちゃったよ。やばいやばい」という認識があったわけです。

これにより、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒がエルサレムを巡って泥沼の戦争に入っていくわけですが、結局21世紀の今も解決していません。つまり1000年以上ずっとエルサレムの帰属問題は続いているわけで、日本人の私たちから見れば「全部同じ神の別の宗派」というわけの分からない状態であるといえます。

なお、十字軍遠征は当時非常に進んでいたイスラム科学をヨーロッパに持ち帰る効果を生み、その結果ルネッサンスとそれに続く産業革命をヨーロッパにもたらします。

さて、アジアのほうはインドが巨大な壁となってイスラム教の進出を阻んでいました。しかし、イスラム商人が東南アジアにも表れはじめ、現地でもイスラム教に改宗するものもでてきました。イスラム教に改宗すると中東に貿易に行ってもイスラム教徒として保護され安全だったからです。

今インドネシアやマレーシアなどにイスラム教が多いのは、このようなことが発端になっています。

さて、インドは紀元前からしばらくの間仏教の勢力範囲で、マリウス朝など仏教を主体とした王朝が栄えていました。仏教の開祖である釈迦は遅くとも紀元前5世紀の人物とされ、キリスト教布教よりも早い段階からインドやチベットなどには仏教が浸透し、その影響は5世紀ぐらいには中国や日本にも到達していたわけです。

しかし、インド仏教はイスラム勢力の流入、特にムガール帝国の成立によって仏教は衰退していきます。
 しかし仏教は中央アジアに残り、チベットやタイ・カンボジアなどに残り続けました。

またインドの南部はイスラム勢力から独立を保ち、仏教が地元信仰と融合してヒンドゥー教に発展しました。イギリス植民地政策の間にイスラム勢力は劣勢になり、インド独立はヒンドゥー教の人々の影響力が大きかったといえます。
 なので、インド独立後、イスラム教の人々はヒンドゥー教と対立し、インドの東西に別のイスラム国を作りました。西がパキスタン、左がバングラデッシュです。パキスタンとインドが核兵器をもってまで対立するのは宗教戦争だからです。

東アジアは結局、一神教の3教ともインドやタイで信奉される上座部仏教とも違う宗教観を持つことになります。

上座部仏教というのは「釈迦の教えの通り僧侶は解脱を目指すもの。一般人は僧侶を敬い、釈迦の教えを可能な限り実践する」というものです。

中国に来た仏教はインドから中国のどこかで大乗仏教に変わります。大乗仏教というのは「お釈迦様が民衆を救ってくれる」というものです。日本は高野山で独自の発展を遂げますが、原型は中国にあります。

また中国は始皇帝の以前から先祖信仰が中心で、これを儒者が担っていました。しかし始皇帝は儒者を弾圧し、自分で信仰を行うように変えて行きます。
これらの要素が、四書五経という形で日本を含めた東アジアの宗教になっていて、世界史の中でも特殊な位置にいるわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!すごく分かりやすいです

お礼日時:2021/09/17 13:44

???? 世界史において宗教で必要だと思う知識



だれがどのような視点で 「世界史において宗教で必要だと思う」のでしょう。
シーク、ブードゥー、シャーマニズム、亀卜、卜辞、
https://www2.rikkyo.ac.jp/web/maya/research/maya …
https://celtnofue.com/column/history/zakkuri/col …
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83 …
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世界史、社会を理解することが目的ならば
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

お礼日時:2021/09/17 13:44

率直に言って「これは必要」「これは必要でない」なんて言う線引きはできません。

「ここまで覚えれば試験はバッチリ」なんてものはないわけですから、あえて言うなら「教科書に出て来た事全部」と言う事になってしまいます。
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この回答へのお礼

ですよね。ありがとうございます

お礼日時:2021/09/17 13:44

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