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1. ブラフマニズムは 梵我一如なる説を打ち出した。

 梵:ブラフマン(神性・霊性)
 我:アートマン(霊我)

ブラフマンなる宇宙の主宰神が その霊性(または 生命)において われなる人間の――自然本性を超えたどこか《非思考の庭》に――アートマン(霊我)としてやどるというその一如。





2. ゴータマ・ブッダは この神職者たちが現実にあっては人間の不平等なる世界観――差別的な身分制――によって統治するのをきらった。

3. そこで批判を加え 《無梵無我一如》なる説をとなえた。アートマンなどは 人間差別の現実を見るなら ないではないか あると説くのはおかしいと。

 無梵:シューニャター(空);ゼロ
 無我:アン‐アートマン(無我)

☆ すなわち 無神論である。この無梵無我一如を体得した実存を ブッダ(目が覚めた)と呼んだ。




4. ゴータマの後世において ブッダなる状態を あらたにブッダター(仏性)とよんだ。

5. ところが このブッダター〔または タターガタ・ガルバ(如来蔵)〕は 理論的にも実質的にも アートマンと同じであった。霊性ないし生命において 差はない。

5-1. 霊性ないし絶対性は ここに絶対性 A があり あそこに別の絶対性 B があると言うこと あり得ません。あれば 相対性になる。

5-2. ブラフマン神(主宰神)を トリム―ルティ(三神一体)としてほかにヴィシュヌ(維持神)とシヴァ(破壊神)とに分けたかたちで一体だとしてもそれは 《三つのかたち(位相?)》というごとく互いに一体であり それぞれの個は 三分の一になるのではなく 互いにひとしくそれぞれが全体とひとしいのだ。


5-3. インドでは ブラフマニズムないしヒンドゥイズムの伝統があるからには・つまり アートマンなる基礎があるからには 同じものとしてのブッダター論は やがて要らないとなった。


6. そしてつまりは 後世のブディストらは アミタ―バ・ブッダ(阿弥陀仏)あるいはマハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来)とよぶ神なる有神論に立った。

6-1. このとき その神を南無妙法蓮華経と呼んでもその名称表現にかんするかぎり 問題はない。



7. ブッダなる人ないしその人格の状態についてはいざ知らず ブッダターなる霊性(生命)にかんしては 神にかかわること請け合いである。

8. 神は 有る無しを超えた普遍神であり 《有る神》派のブッダター説つまり有神論と 《無い神》派のアン‐アートマン(無我ないし無霊我)説つまり無神論とは 信仰として同じ内容である。



☆ ご見解をどうぞ。

A 回答 (2件)

運命の有無ですか?なきにしもあらず、と思います。

運命はまず、生まれる両親によりますね。
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この回答へのお礼

そうですね。

運命は ない。あるなら われ〔われ〕の知らないところで起きている。そうするに任せるほかない。

とは考えます。


★ なきにしもあらず、と思います。
☆ とした場合 だとするとけっきょく さまざまであり 人それぞれであると言ったことになります。



★ 運命はまず、生まれる両親によりますね。
☆ と見たとしても けっきょくは そう捉える人もいれば そうではない人もいる。といったきわめて曖昧な議論になるのではないですか?




☆ この質問は: 神は ブディズムにも 共通の存在(非存在)であるという命題を問うています。

お礼日時:2021/09/20 06:00

地獄があるかないかって話ですか?自業自得を言いたいがために、ブッダは中道を極めたのだと思いますよ。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 地獄があるかないかって話ですか?
☆ たぶん 違うと思います。あなたの見解にあっては どういった趣旨になりますか そういう話だとした場合?

地獄界は ただの心理的な状態を言うと理解しますので・そして 仏界に言わば含まれるといった一つの側面をも捉えますので あまり問題として挙がって来ないとは思いますが。



★ 自業自得を言いたいがために、ブッダは中道を極めたのだと思いますよ。
☆ つまり 地獄界に落ち入るのは 自分がウソをつきデッカイウソをつき自分で落ち入ったに過ぎないというなら それはそうでしょうね。

そのことを言うために・そう:
★ 言いたいがために、ブッダは中道を極めた
☆ ということですか? どうなりますか。

《中道》を行くと 地獄には落ちないってことですか? それは そうでしょうね。その状態はそれぞれ別でしょうから。


でも 二河白道といった考え方があるように ウソをつかないようにするためには なかなかむつかしいところがあるのではないでしょうか?


つまり 《中道を究めよ》と言ったからといって その中道をつねにあゆみ行けるか・寄り道や道草をしないか・つい世間のシガラミに巻き込まれないか。という問題は のこっていて つねに迫って来ていますよね?


つまり 言いたいのは ゴータマ氏は ただ口先で《この上なくとうとい智慧のさとりを得た》と宣言しただけだったのではないですか? 

だから 末法になれば 化けの皮が剥がれると自分で言い置いたのでは?




この質問は 次の命題を問うています。:
〇 ブッダター(仏性)は アートマン(霊我)と同じであり ブラフマンなる神の霊性を言う

お礼日時:2021/09/20 04:04

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