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海音寺潮五郎が、対談で次のことを言っています。

<江戸時代は、百姓はたたみのない家に住んでいる者が多かったといいます。松浦静山が名古屋領内で見た百姓家は床も張っていない土間に藁をしいて生活しているのが多かったそうです。>

(江戸の長屋では、土間でなく床(畳か板張りか分かりませんが)の上に住んでいたようですね)

質問は、江戸時代は、百姓家は床も張っていない土間に藁をしいて生活しているのが多かった、のですか?

A 回答 (4件)

当時で言えば


畳というのは
客来た時だけに使われていたようです

普段の客ですと
通されるのはいろりのある部屋ですが
それでも家の一番中央です

畳は結婚式や
何か大切な客が来た時だけ使われ
普段は畳は普段は使わずに
隅に重ねておいてあり
一番奥の部屋になりますから
物置代わりに使ってもいたようです

しかし
畳の用意があるのは
かなり裕福な家で
農家ですと
そんな上等の客は来ませんから
板張りが多かったようです

板の代わりに
竹が並べてある農家を見たことがあります
なんだか痛そうですが
どうだったんでしょうね
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<畳というのは
客来た時だけ>ですね。
通常は<板張り>なのですね。

お礼日時:2021/09/21 14:39

百姓といってもピンキリです。


「せめてなりたやお殿様」と言われた本間家や網野善彦の研究で有名な時国家みたいな大名クラスの大富豪もいます。
そもそも江戸時代の「百姓」とは被支配身分全般を指す漠然としたもの。後に「町」に住むのを町人とし、農村に住むのを百姓と一般的に呼ぶようになりますが、職業や貧富は関係ありません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<百姓といってもピンキリです。>ね。

お礼日時:2021/09/21 18:22

江戸時代の「百姓」は、本百姓ことです。


今でいう「農業従事者」全体ではありません。

本百姓は農地の所有者つまり地主であり、年貢=税金を納め、多くは役職についています。

本百姓以外の農業従事者にも、階級があり、小百姓や小作人、さらにその下の層もいます。

ドラマや映画でてくる農家は本百姓の家です。
土地を持たない小作人は本百姓の土地の中の掘立小屋で、一粒の白米を食べることもなく働きづめで一生を終えます。
地主がいい人ならば、多少は楽に食べたり寝たりできるし、そうでなければ一生悲惨な奴隷暮らしです。

人数でいえば、当然本百姓より本百姓以外が大半です。

明治以降も似たりよったりの制度が続いています。
農地を持つ地主と小作人で日本の農業は営まれていたのです
戦後の農地解放で「農地は耕す人のもの」となりました。
地主の家の人は、戦後何十年たっても「小作に土地を盗られた」ずい分怒っていました。

日本の下層農民は、今では想像できないほど悲惨な暮らしをしていたのです。
なぜか歴史では教えませんね。
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この回答へのお礼

早速のご解答ありがとうございました。
<江戸時代の「百姓」は、本百姓ことです。>ですね。
「農業従事者」になかの下層農民なら土間藁敷はありえたのですね。

お礼日時:2021/09/21 14:36

当時、農民は、近所で食べ物を食べられない子を


納屋などに住まわせました。
今で言うと、サラーリマンを家に飼ってました。

極貧な人々は、労働力を差し出す代わりに、衣食住の提供
お互い貧困地域ではそれが普通だったのかもしれませんが
明治ごろも普通でしたが、
長く奉公してる子は板位は有ったはずです。
それは、現存する建物に板は張ってあるからです。

しかし

馬小屋に住んでたとか。
板の部屋ではないですね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
例外はあるにしても、おおかたの百姓は、土間に藁、ではなかったのですね。

お礼日時:2021/09/21 10:18

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