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もはや、英語を学ぶのに、学校の教科書や英語の授業なんて必要ないのでは??

数年前までは、一長一短な所もあり、正直どうなんだろう?と、多少は思うところもありましたが、現在のスマホやインターネット上で出来ること、その情報量などを考えると、へたな教科書や教え方の下手くそな先生のダラダラとした授業等を聞くよりも、よほど優れた教材がネット上に転がっているように思います。

初級・中級あたりでは学習の効率性等を考えると、辞書に関しては、やはりまだ紙の辞書は外せないかな、とも思うのですが、それ以外のスピーキングやリスニング、ライティング、英文法、また様々な語学の勉強法等も含めて、その全てがネット上で無料で公開されていたりするのですから、極端な話、もう英語の授業や教科書、先生等も必要ないのではないかとも思います。(大学は別です、、)

メリットと言えば、全ての生徒に強制的に英語の勉強をさせる事が出来る、その「強制力」くらいしか、明らかなメリットがないように思えます、、、。

(※しかし、その強制力によって勉強をさせられた人の殆が、大学卒業後でも、実際には話せなかったり、読めなかったりもするのですから、それさえも、あまり意味がないように思えます。)

その代わりに、実践を交えた「心理学」でも教えるようにすればいい、とそう思うのは私だけでしょうか、、??
自分達の心さえよく分からないような、彷徨える大人や若者、また、それらに纏わる犯罪等もとても増えてきていたりするのですから、、、。

A 回答 (6件)

学校の英語で英語が喋れるようになる人は居ませんし新聞が読めれるようにもなりません


新聞が読めて英語ができる人は独自に勉強をした人です

そんな無駄なことをする間に他の勉強をした方が良いと思いませんか?
英語はいつでも勉強できますし、必要な時には専門家にお願いをした方が効率も良いです

日本人が無駄な英語の勉強をしている間に英語圏の人はもっと他の勉強をしています、これって相当大きなハンデだと思いませんか?
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この回答へのお礼

実際に多少であれ、英語を使えるのか使えないのかという意味では、学校を卒業して社会人になった大人達の姿を見てみれば、一目瞭然ですよね。 

また、若くして十代などで、英語等の外国語を使えるようになった人達は、経歴を見ていても、その殆どが帰国子女か、趣味で独学をしていたような人達ばかりですよね、、、。

これは日本のみでなく、同じアジア諸国内での、実際の状況等を見ていても、同じことのように思います。

もちろん語学に対する向き不向きなどの個人差もありますが、それ以上に、本人のやる気や、教科書との相性、先生との相性等がありますので、個々の学習ニーズに応えていくという意味でも、学校の一律的なやり方がより多くの人達にとって、効率的で合理的なものだとは、とても思えないのですよね、、、。

お礼日時:2021/09/23 23:31

入り口は学校教育、


身に着けるのは本人自身。
現地、駅前留学を含め、
何処の切り口を使おうが自由です。
目的は、読み、書き、聞き、話す事ですから。
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教科書に書いてあるのは怪しげな英語だし、教員のレベルが低過ぎるので、英語は学校で学ぶより、自分で何か教材を買って学習する方が適切です。

英語の授業は週1時間にして、残りの時間は簿記を学習するのが妥当です。簿記こそ世界共通語なので。
ということで、参考までに、利用者が自由に編集できる、こんな無料の英単語帳もありますので、下記サイトをご覧ください。真面目なサイトです。持っておかれて損のないものです。少しでもお役に立つことができれば幸いです。
http://www.maroon.dti.ne.jp/capitalism/
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#3です。

お礼拝見しました。確かに、英語だけの話じゃなくなっているのですが、分かりやすく補足しておきます。これで最後です。

>>その基礎力を多少身に付けるという目的の為に、今時、学校での義務とする必要性はあるのでしょうか、、、。

民主主義は「みんなが判断して政治が動く」というものなので「みんなの判断がまともだよね」と言う前提がないと衆愚政治になってしまいます。
 だから「学校での義務教育」というのは「少なくとも投票する時の判断力がみんな一定水準以上になっているようにしよう」という目的があるわけです。

だから「学校での義務教育」は必要です。
ということ。

それと、今思ったんですが、
>へたな教科書や教え方の下手くそな先生のダラダラとした授業等を聞くよりも、よほど優れた教材がネット上に転がっているように思います。

と言うのはその通りで、今年から小中学校にタブレットが配られたので、教師は進捗状況だけ確認し成績の悪い子のケアだけして、後はタブレットで優れた教材をつかって英語を学ぶ、と言うのはアリだと思います。

でも、やっぱり「一定水準の教育は出来ている」ことをみんなが信じられる社会じゃないと、民主主義が成り立たないので、一律の義務教育は必要です。
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この回答へのお礼

私は一律的な義務教育が、必ずしも必要だとそうは思わないのですが、一定水準の学力が現代の社会に於いて、必要とされている、というのはよく分かります。

ただ、現実にはそのようにはなっておらず、また現状の人々の暮らしからも、そうさせることもほぼ不可能に近いと思われるため、高学歴、高収入の方達が、何がしかの歩み寄りでもして行かない限りは、社会の分断は避けられず、政治どころか、国の安定すらも困難な状況となってきているのではないかとも思います。


https://www.moneypost.jp/824122

お礼日時:2021/09/24 01:44

>その基礎力を多少身に付けるという目的の為に、今時、学校での義務とする必要性はあるのでしょうか、、、。



ありますね。今の社会は個人主権の民主主義です。これだと「最低限の知識は当然にみんなが持っている前提」じゃないと成り立たないのです。

ご存知かどうか分からないので、一応書いておきますが、階級社会だった頃は、貴族などの上流階級はたとえバカな子でもかなり強制的に高度な教育が施され、逆に農民や奴隷だとどれほど聡明でも教育を受ける機会はほとんどありませんでした。

これは「上流階級が社会の方向性に責任を持つ(その代り下級階級を搾取していい)」というものだったからです。

日本の江戸時代は多少違いがありますが、近代的な学校制度が整えられたのは「民主主義にするなら、個人主権が必要で、個人主権を行使するなら、最低限の教育レベルにみんなが達していないと困る」とされたからです。

なので、英語に限らず授業と言う形を止めるにしても「小学校卒業レベルテスト」とか「中学卒業レベルテスト」なんて形で一定水準を保つ必要はあるわけです。
 でもこれ、ただでさえ塾に行ける子行けない子などの格差が問題になっているのに、こんなことをしたら確実に格差が広がりますよね。

私はそちらのほうが問題だと思います。

>時間が限られているというならば、なおさら、より学ばせた方がよいと思えるようなものは、沢山ありますよね、、??

ありますが、それを誰がいつ決めるのか?と言う点も問題になります。小学生から決めますか?中学生で決めますか?

たとえばドイツは中学卒業時に、職人向け専門コースにするか、大学にも行ける普通科コースにするかを選ぶことになっています。でも今の時代、中卒で「俺はソーセージ職人になる!」なんて言う人はむしろ少なく、ほとんどが普通化コースにいくそうです。

日本も同じですよね。高校になれば、大学受験を見据えて文系や理系の選択があるし、それほど多くは無いですが、商業科や農業科・工業科という専門職コースに行く人たちもいますが、少なくとも義務教育の時点で「私の人生にはこれが必要だ!」と決められる人はほとんどいない、と言っていいと思います。

>麻薬を使用することや、工業機械の使い方を学ばせることなどをも含めて、全てがそうですよね、、??

これも同じで、小中学校で「~を学ぶ意義」なんて自分で見つけることはできないです。

>英語である必要性もとくにありませんし、ネット等を活用すれば、自分の興味の持てる言語を、同じ時間、同じ場所にて自由に学ばせることも出来ますしね、、、。

しかし、これは逆に日本と言う国において、英語以外の選択肢ってほとんどないですよね。中国語は可能性があるとしても未知数だし、英語以外のヨーロッパ言語はマイナーです。

結局、義務教育で一律押し付けなら「英語がもっとも確実だ」という事になると思います。

 もちろん他の言語を選びたいなら、そういう学校がそれなりにあるし、独学もできます。でも、上記に書いたように「私には英語よりも○○語のほうが重要だ」と決められる小中学生なんていないです。
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この回答へのお礼

すみません。

仰っていることがよく分かりませんでした、、、。

おそらくは論点がお互いにズレているせいかとも思うのですが、一つ一つ微修正をしていくのもとても疲れるため、今回は止めておきたいと思います。

ただ、どんな質問にしても、どんな回答であったとしても、結局はそれを見た人がまたそこから個々に何かを思い、考え学ぶキッカケになると思いますので、そういった意味では、色々とお伝えくださいまして、有難うございました、、、。


(*^_^*)。

お礼日時:2021/09/24 00:44

小中学校のカリキュラムはすべて「この先、必要に応じて何かを学ぶための基礎訓練」です。



たとえば漢検を受けるのに、漢和辞典を引けないと勉強できませんが、小学校で、部首検索・音訓検索・画数検索などを覚えることで漢検1級の勉強ができる基礎を学ぶわけです。

英語に関しては「外国語を覚えるためのメソッド」の勉強もしています。だから英語じゃなくてもいいのですが、国際的に英語の需要が高いので、ほぼ英語一択になるのですが、たとえば私立の暁星中学はフランス語を第一外国語にしていて、それでもいいわけです。

なので、英語じゃなくてもいいですが、中学の外国語教育が無くなることはあり得ないです。

>大学卒業後でも、実際には話せなかったり、読めなかったりもするのですから

そもそも世界中探しても「中高の外国語教育で話せるようになる教育をしている国はない」です。

たとえばアメリカでは6割の中学・9割の高校で外国語教育を行います。一番多いのはアメリカで最も外国語話者が多いスペイン語、次がフランス語です。
どちらも日英の語学教育に比べれば、習得時間は1/4程度なので、3年程度で話せるようにならないとおかしい、ということになります。なにせ使う文字も同じだし、単語も似ているものがあるわけです。

でも、アメリカ人がスペイン語やフランス語が話せるバイリンガルだ、なんて聞いたことがありませんよね。つまり「学校の外国語教育はそもそも話せるようになることが目的ではない」のです。

もちろん、途上国のように英語を学ぶ切実な理由がある国もあります。そういう国は必ず「自国語では理系の言葉を表現できない」とか「英語を使えると給料が何倍にもなる」という理由があるのです。

日本は日本語で理系の言葉を表現して日本語で研究ができるし、英語が出来てもそれほど給料が上がるわけではありません。

そういう経済的な理由も「日本人が英語を話せない」理由なのです。
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この回答へのお礼

「~を学ぶことはこれこれだから意義がある、、」とそういうのでしたら、それは極端な話、麻薬を使用することや、工業機械の使い方を学ばせることなどをも含めて、全てがそうですよね、、??

もちろん、仰っていることは昔から散々言われてきていることですし、当方もよく知っているのですが、その基礎力を多少身に付けるという目的の為に、今時、学校での義務とする必要性はあるのでしょうか、、、。

時間が限られているというならば、なおさら、より学ばせた方がよいと思えるようなものは、沢山ありますよね、、??

回答者様が仰っているように、英語である必要性もとくにありませんし、ネット等を活用すれば、自分の興味の持てる言語を、同じ時間、同じ場所にて自由に学ばせることも出来ますしね、、、。

お礼日時:2021/09/23 23:56

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