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美、の象徴として「女体」が挙げられるようですが、それに対して“みだらな”と云う男心が働き?ます。

美、には純・不純というものがあるのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 頂いた回答のタイトルを「感覚と理解」として受け止めて見ました。
    受け入れられますか?
    受け入れられたら、感性と理性について、さらに説明が欲しいのですが。

    No.15の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/08 06:42
  • 回答No.15に補足を投稿して、さらに考えました。

    理的にも感的?にも、物と心に分けて考えられるのではないかと。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/08 06:59
  • 浄福と云うのは霊福と云ってもいいですか?

    異性に対して、なぜ「淫らな」と云う心持ちになるのでしょうね。

    行為中には、おそらく「淫らな」と云う心はないと思えば、想像の世界に起こる心境なのかも。

    No.13の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/08 16:07
  • 削除された回答へのご返事です。

    k10traさんは“美は安息”と云っています。
    ムカリンさんは“調和と秩序”は美であると云っています。

    『美=安息=安定=調和と秩序』

    こうした“式”を思い付きました。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/11 19:43
  • 回答№8、英語さんが「美とは、心を動かすものにつける名称です。」と云っています。

    美醜は心を動かすもの。
    心を動かすもの=感動と思えば、それは感性の領域ですね。
    その感動を“分析・解する”のが理性の役割ではないかと、思いました。

    感性が美醜と捉えたものを、理性が純・不純と解釈・判断する(場合もある)。
    このように、思いました。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/14 13:27
  • 出どころは、tanzouさんであると受け止めました。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/14 13:35
  • 生存に関する優位の高いものを肯定的に、低いものを否定的に捉える。

    これを直観的に、と云うのだから理的にと云うよりは、感覚的に捉えていると云っているように思いました。
    また、この段階では、まだ良し悪しなのでしょうが、それが純・不純となると、ここからは理性の判断になるのだろう、とも。

    感覚・感性の“良し悪し”は、生存に関する優位性=霊性の“賜物”と云えるでしょうか?

    No.17の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/14 14:34
  • 回答してくださった皆さん。
    有り難うございました。

    結論が出ました!

    自然の美しさに感動する心に「やましさ反応」は有りません。
    女性のあでやかな着物姿にも「やましさ反応」は起きません。

    でも、
    女性のきれいな裸体には“それ”が起きます。

    故に、女性の裸体美は、不純であると。
    オスを誘うための美、ですね。

    ★ 嫌い、でなないですよ。

      補足日時:2021/10/14 19:03

A 回答 (26件中1~10件)

美とは、心を動かすものにつける名称です。

ですから感覚や直観の領域です。
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この回答へのお礼

d_y_nさんに、お久しぶりと声をかけていた英語さんも、久しぶりですね。

ブラジュロンヌさんとのやり取りが興味深いです。

回答には納得。

お礼日時:2021/10/04 09:27

美=安息=安定=調和と秩序


ですか。後は美と感じたものに調和と秩序が感じられるかですね
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何だか しつこいなあと自分でも感じるのですが なお応答します。




全体として おっしゃるようなことだと理解しました。

細かいところでわたしの感覚を言葉で明らかにするという作業にかかります。

★ (№27お礼欄) ~~~~~~~~
ユーチューブで祇園の舞子の踊り、祇園小唄を今、見聞きしました。

舞子の艶、色、艶、色っぽさを感じましたが、そこには“淫らな”と云う気持ちは“確認”確認できませんでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 基本として 分かりました。理解します。

ただしわたしは ホステスとか舞子には 嫌悪感を持ちます。あるいは 大奥だとか。

そんなものは要らないと思っています。



★ 続いて、オッパイの谷間を見せるピアニストの画像を見たときには一瞬に“淫らな”気持ちが確認できました。
☆ 万が一そのひとが わたしの生命にとってうつくしいと感じたときには その感覚について行くと思いますが そのような例外の場合を除いて そういう画像は なんでそういう姿を見せようとするのかという疑問が先立ちます。

部分的にオッパイが美的だと感じることはあり得ます。




★ ここら辺が“境い目”なのかも知れませんね。
☆ たぶん。つまり おおむね一般性のある見解ではないかと見ます。
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★ (№26お礼欄) ここまで来て思ったのは、美と云うのは観念の世界の“もの”であって、“物”そのものはただ、存在するだけだ、と云う事です。


☆ そうですね。最後に:
★ 頂いた複数の回答を通して、漠然とではありますが“答え”が、見えてきたような気がします。
☆ とおっしゃっているので よかったと思っています。

わたし自身のための整理です。

コトの起こる順序にしたがって:

① 感覚:自然純粋・価値判断から中立:見たなら見たという感覚だけ

② 感情:なおほとんど中立状態であるが 感覚に何らかの気持ちが芽生えてともなっている。

③ 情感:あらたに生じた気持ちをおもに取り出してそれを言っている。

④ 情欲:感覚+情感の情態から その対象を明らかに意志が欲するというウゴキないしハタラキが現われた

――と捉えたとするとき 美の知覚は どこでどのように生じているか。

⑤ ②の感情の内に芽生えた気持ちについて のちに美醜やよしあしを判定するようになる。と思われる。

⑥ 対象をめぐる価値の判定は ④の意志のハタラキの際に 欲する(または 欲しない)ことの内容として決まって来るらしい。

⑦ その内容としての美醜・好悪などの判定は 幼児のときから明確におこなっているとは見えない。ただし 潜在的にはすでに幼児も おこなっているかも知れない。

⓼ だから言いたいことは ①感覚や②感情の段階で もし美という認定が成されているとしたらそれは ⑤の〔理性ないし知解をとおしての〕意志による判定を何度も経験してその結果 すでに②や③の気持ちにその価値観を押し込めるようになったのだと思われるそのことである。



★ “物”そのものはただ、存在するだけだ
☆ これは ①感覚という基礎を言っていると。

★ 美と云うのは観念の世界の“もの”であって
☆ ④ないし⑥における意志による価値判定が 理性ないし知解をふくむ精神によるということ――そのような《観念の世界》の出来事であると。




★ その“物”を“物”に依っては感性が、それを美醜と受け止め、理性がそれを良し悪しと判断する。
☆ この《感性》は 広い意味のそれであって あたかも理性ないし意志が価値を判定するハタラキを(あるいは その結果を)すでに含むような状態になっていることを言うようだ。



★ 淫ら、と云う“判断”は理性に依るのだなぁ、と。
☆ そういう経験を経た結果 どうも現象として総括するに そういうふうに判断せざるを得ない場合が 多いことよ。ということらしい。



★ 理性はなぜ、性欲に“淫ら”と云う気持を起させるのでしょうね。
☆ それは ヤマシサ反応によるのでしょう。やましいことゆえに やめとけとすでに感性が言っている。それを 理性(知解)が よこしまだだとか淫らだだとかと概念認識する。

淨欲の場合には 淫らを喚起するヤマシサ反応は 起きていないと思われる。それは 生命の欲求 生命の欲するところである場合。ではないか。



☆ 覚え書きとしてつづらせてもらいました。
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この回答へのお礼

ユーチューブで祇園の舞子の踊り、祇園小唄を今、見聞きしました。

舞子の艶、色、艶、色っぽさを感じましたが、そこには“淫らな”と云う気持ちは“確認”確認できませんでした。

続いて、オッパイの谷間を見せるピアニストの画像を見たときには一瞬に“淫らな”気持ちが確認できました。

ここら辺が“境い目”なのかも知れませんね。

お礼日時:2021/10/11 21:39

★ (№22お礼欄)


女性を性欲の対象として見る時の心を、淫らなと思ってしまう事がありますが、この場合は“女性美”を見ているのではないのかも知れません。
☆ 女性美を見ている場合も見ているのではない場合もどちらもあると思いますが この一文の表現は おかしいです。

すでに初めに:
★ 女性を性欲の対象として見る時
☆ というふうに すでに明確に《性欲の対象として〔だけ〕》と言い切っているのでしたら あとはその《淫ら》さは決まって来ます。 




★ そう思うと、女性の美は“性”から離れて存在するのかな?なんて、今は考えて見ています。
☆ この一結論は うなづけます。初めの前提が決まっていないなら そうなりますよね。


性欲の対象としてだけではなく 女性美を捉えつつ 対象として《も》見ている場合というのは ミダラと非ミダラとが共存していましょうか どうなんでしょうか。
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この回答へのお礼

ここまで来て思ったのは、美と云うのは観念の世界の“もの”であって、“物”そのものはただ、存在するだけだ、と云う事です。

その“物”を“物”に依っては感性が、それを美醜と受け止め、理性がそれを良し悪しと判断する。

淫ら、と云う“判断”は理性に依るのだなぁ、と。

理性はなぜ、性欲に“淫ら”と云う気持を起させるのでしょうね。

頂いた複数の回答を通して、漠然とではありますが“答え”が、見えてきたような気がします。

お礼日時:2021/10/11 19:25

長いです。





★ (№19お礼欄) ~~~~~~
性欲=淫ら。

人間には、この“式”があるのでは?
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ありません。私見では。

外界ないし一定の対象から〔視覚・聴覚・触覚等の〕刺激を受けた《感覚》は その感覚じたいです。よね。

安室奈美恵氏を見た感覚は 最初の最初の刺激としては それに美しいなら美しいといった規定を与える以前のものである。

もし いやそうではなく 一目惚れという言葉があるごとく すでにすばらしく美しいとか いや場合によっては醜いとかと 認識する部分があったとしても おそらくまだその感覚じたいだけの問題です。

部分的にすでに得ている認識を――感覚を超えて・感覚以外のところで――想像裡において編集加工しようとか その認識ゆえにあれそれの行動を起こそうとかは まだ考えていません。決めていません。





いやいや そうではない。ぶらじゅくんは 見落としている。

と 反論があるとしたら それは 得た視覚の像をめぐってなお何らかの加工がほどこされるときです。しかも 必ずしも認識や思考という段階に到っているわけではない。

それは 情欲が――映像を得たあとに――起きるときです。

これは まだ思考をほどこしたものではない。しかも最初の視覚映像だけという事態でもない。



思考ではなく 気持ちが生じて来ている。感情・情感そしてそれをめぐる欲望。

〔細かくとらえるなら おそらくこの情感は 幼児のときの最初から起きたとも思われない。

よろしいといった感覚があるとしたなら 《近くへ寄って行きたい》というふうに何らかの向きをともなったヴェクトルとしてのように社会的に(人間関係的に)生じている。

そのような経験を経て 情感をその向きに沿って(あるいは 逆らう場合もあるだろう)誘導しようとする欲望(すなわち意志行為である)を伴なったときに 情欲は 現われる〕。





感覚:自然純粋

感情:感覚が気持ちとしてやはり自然に一定の方向を向いているときの情態


感性の原野:これは 感覚をめぐる事態を全体として総合的に捉えた概念


情感:感情が向いている方向を 気持ちとして抜き出して捉えている

情欲:感情ないし情感をすでにそのおもむく方向に沿って(または逆らって)欲するところへと導こうとする意志のはたらき始め

〔経験の積み重ねを経て 情欲が一定の型式を持つようになる〕

性欲:異性を感覚ないし感情の対象としているときの情欲を言う。(ほぼイコールであるが)。




《性欲=淫ら。という“式”が人間にはある》か?

もしそうだとしたら これもやはり そういった経験をいくつか積み重ねて どうも総じて言えば 《現象として》 そういう傾向があるのではないか。と学習した結果を言っているものと思われます。


でも 《ミダラ》と規定するということは――純不純あるいは善と悪といった場合と同じように―― 《ミダラではない》情態を想定しているのではないだろうか。

それとも あらゆる場合に《性欲=ミダラ》と――人間にかぎっては――定義せざるを得ないか。


情欲ではなく・まして淫欲ではなく 淨欲といった現実はないか。

たとえ淨欲などはないとしても 淫欲が雪のように降り積もって蓄積されるということは ないようだ。

指向性・傾向ないし要するにクセとして 振る舞い方が身に付着するかも知れないが 淫欲がその人に雪だるまのごとく溜まって人格を覆い尽くしてしまうわけではない。――と思うのですが。
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この回答へのお礼

心の仕組み・作用を、細かく分析されてますが、難しいですね。
これほどまで“分析”されなくても良いのではないでしょうか。
もっと単純にした方が“答え”が得られやすいのでは?

女性を性欲の対象として見る時の心を、淫らなと思ってしまう事がありますが、この場合は“女性美”を見ているのではないのかも知れません。

そう思うと、女性の美は“性”から離れて存在するのかな?なんて、今は考えて見ています。

お礼日時:2021/10/11 10:05

刺激はあくまで感覚器から脳の所定の部位に届いた情報の事です。


情報が届いただけでは感覚は生じません。感覚は届いた刺激(情報)を脳が処理する事で生み出されるのです。何らかの原因で脳機能障害が発生している場合にはそれによって脳処理が出来ず結果感覚が生じない場合があります
因みに何故感覚が生じるのか?未だ解明されていません。それが「クオリア問題」です。
感覚を言語化するのは言語思考する存在にはおいてはそうすることで理解するようにしているからです。逆に言語化出来ない感覚については理解出来ないという状態になります
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この回答へのお礼

k10traさんは“美は安息”と云っています。
ムカリンさんは“調和と秩序”は美であると云ってます。

『調和と秩序=安定=安息=美』

こうした『式』を立てました。

お礼日時:2021/10/11 09:40

思考は脳処置の一つでその目的は「答え」を出すです。

感覚について言えば感覚それ自体が答えです
感覚器からきた情報(刺激)を思考(脳処理)して答え(感覚)をだすという事です。
例えば「熱い」
感覚器からきた情報(刺激)を感性で思考(脳処理)して「熱いという感覚」と言う答えを出す。
   ↓
「熱いという感覚」を理性で言語化して「熱いと自覚」する。
となります。
一般的に感性は思考しない・理性は思考する的に思われがちですがそれは間違いです
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この回答へのお礼

この説明では納得できません。

刺激は刺激。
刺激、それ自体が答え。

感覚に言葉は不要、では?

お礼日時:2021/10/09 01:35

★ (№13への補足コメント) 浄福と云うのは霊福と云ってもいいですか?


☆ そういう意味になります。(用語として聞いたことはありませんが)。


★ 異性に対して、なぜ「淫らな」と云う心持ちになるのでしょうね。
☆ なりますか?

たぶん・あるいは確かに そういう心持ちにならなくても 実質的にそういう欲望が起きているかも知れませんが。

問題は そういった《「淫らな」と云う心持ちにな》ったとしても 当然の如く 淨福は――あるいは ふつうの幸福であってもは――その心持ちや欲望を ひとまづはおのれの内にきちんとおさめているということではないでしょうか。



★ 行為中には、おそらく「淫らな」と云う心はないと思えば、想像の世界に起こる心境なのかも。
☆ これは 人によってであり場合によってであると思いますが どうなんですかね。
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この回答へのお礼

性欲=淫ら。

人間には、この“式”があるのでは?

お礼日時:2021/10/08 23:31

脳が量子もつれ的に働いているので感性と理性はもつれ関係にあります


感性が働いたその瞬間理性が働く
理性が働いたその瞬間に感性が働く
という具合にです
感性と理性が上記のように連携によって生まれるのが心です
感性においても理性同様「思考→判断」していますが瞬時にそれを行い必要がある事からそれを瞬時に行います
理性は確実性が求めれれることから感性で判断された答えを瞬時に理解し状況を確認しその後の対応を思考し判断します
確実性が重視されているため理性では瞬時な思考判断はしません
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この回答へのお礼

感覚と云う能力に、思考→判断と云う働きが有るのでしょうか?

大いに疑問です。

お礼日時:2021/10/08 23:29

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