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今は〇〇子といえば、女性が多く名乗る名前ですが、
古代、女性ではなく、男性が子を名乗る時代があり、
女性は子が付かず、タツ媛とかタツとか名乗る時代がありました。
その頃は男と女で名前の付け方が今と反対の時代だったとも聞きます。

長く、女性は子が付かず、後で子を足す時代があったと聞きます。
子は高貴な人が名乗るもので凡人は子を名の末尾に付けなかったと聞きます。

逆に男性がイモコとか名乗った時代があると聞きます。
遣隋使で小野妹子とかいますが、この人は女性ではなく、
実は男性だったと聴きます。小野妹子は「をののいもこ」と読みます。

では、いつごろから、〇〇子と称するのは女性というふうに
名前の付け方に変遷や区別・決まりが生まれたのでしょうか。
やはり奈良時代とか平安時代以降でしょうか。

浦島太郎という名前も実は小説上の名前で
実は浦乃島子と書いて「ウラノシマコ」と読み、実は男性だったと聞きます。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    ありがとうございます。
    お礼については今しばらくお待ちください。

    回答をおよせになりたい方は順次お書きください。

    お礼は手が空き次第、
    順次差し上げますので

    今しばらくお待ちくださいませ。

    予想外の反響ありがとうございます。

      補足日時:2021/10/05 18:12

A 回答 (3件)

wikiにそのものずばりのページがあります



子 (人名)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%90_(%E4%BA% …

> 平安時代初期、嵯峨天皇が、皇女への命名法を改めた。従来は乳母にちなんで名づけていたのを改め、佳字1字に「子」を付けた「○子」という子型の名を内親王に与えた。

> ただし、ここで言う子型の名とは、諱(実名)である。これは男性の元服に相当する裳着の時につけられる名で、幼少の頃は童名で呼ばれた。裳著の後も、当時は女性への実名敬避が強かったため、公文書を別にすれば、実際に子型の諱で呼ばれることはまずなく、さまざまな子型以外の名で呼ばれた。

> 室町時代になり貴族社会が混乱すると、女性の裳着は行われなくなり、裳着と共に実名を与えることもなくなった。実名は、叙位・任官されるような時に付けられる特別な名となった。

> これにより、女性の実名を子型とする風習は続いたものの、実名自体が希となり、ほとんどの女性は子型の名を持たなくなった。

> 1872年(明治5年)に壬申戸籍が作られると、再び女性に実名が与えられるようになった。華族(かつての公家や大名)は従来の女性名接尾辞「姫」を「子」に変えて実名とし戸籍に登録した。
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紫式部は藤原 彰子に仕えた女官だったと言われています。

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この回答へのお礼

ありがとう

彰子は女性名
ありがとうございました。

お礼日時:2021/10/06 11:34

日本は昔、通い婚でした、女が男に名前を教える事は、家に来てください


の承諾した事になります、従って、女の名前の記録がないのです、
名前が残っているのは、天皇の妃や皇女だけです。
清少納言、紫式部、和泉式部、は父親の役職名です。
調べるのは困難で、明治以降でないと解らないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/10/06 11:34

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