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ドナルド・キーンが、ある対談で次のように話しています。
なお、彼というのは、オランダ商館長のヅーフです。

「彼はいちばん長くいたオランダ人ですが、つくづく日本とオランダの貿易を考えて、ほんとは日本は外国から何も買う必要がない、日本人は自分の国で作るものだけで十分幸福な生活ができると彼は思っていました。>

現在は。日本は貿易立国として生きてゆかねばなりませんね。

質問は、江戸時代、鎖国が可能だったという理由は、この自分の国で作るものだけ十分、だったという要因があったのでしょうか?

A 回答 (9件)

江戸時代に先立つ織豊期・戦国期・室町期に列島外との貿易取引の内容、輸入品は、美術工芸・陶磁器・茶器・生糸・絹織物・金・鉄砲・硝石・生薬・砂糖・カステラ・煙草・香辛料・ガラス製品・薬種・蘇木・鮫皮・錫・鉛など、さまざまなものが輸入されていたそうです。


薩摩芋、馬鈴薯、南瓜、トウモロコシなどは16世紀に日本に入ってきて、日本の食糧事情・飢饉の被害を軽くしてくれた作物ですが、日本でも栽培出来たので、江戸時代に食料そのものとしては入って来なくても大丈夫だったようです。 
金属材料として錫や鉛、染料の蘇木、嗜好品、薬、工芸品、珍奇な品々は、江戸時代にも引き続き輸入していたようです。
明治以降の輸入をみても、江戸時代に、貿易が少ししか出来なくても、なんとかなったのはわかる気がします。
しかし、飢饉は頻繁に、江戸時代でも明治以降にも起きています。
貿易が可能だとしても、対価で輸出・販売出来るものをじゃんじゃん作れなければ、どうにもならないでしょう。

もしも、江戸時代に先立つ織豊期・戦国期・室町期に、貿易が生活や経済活動で重要なものになっていたら、鎖国などは出来なかったでしょう。 貿易は高尚なことや武器調達などにとっては重要であっても、列島内の全体の経済活動からすればさほどのウエートにはなっていなかったので、鎖国も出来たのでしょう。 どうしても必要なものは、引き続き貿易を続けていたのです。
https://www.at-nagasaki.jp/dejima/dejima/about/

鎖国しても、鎖国しなくても、飢饉が続いても、豊作が続いても、そこで生きていける人が生きていき、生きていけなくなる人が死んでいったというだけのことのように思います。
この下のデータがどの程度確かなのかわかりませんが、江戸時代の人口では東北地方と関東地方、近畿地方の3地方で人口が減少しているそうです。他の地域では人口が増加しているのに、、、、  都市には近隣から人口が移動してきて、都市がおおきくなるはずなのに、関東と近畿で人口が増えないで人口が減るのは、都市にでてきても食えなくなって、そうそうに死んでしまうということなのでしょうか。
http://www.ihmlab.net/wp/?p=4427
貿易していたら、人口を維持できたろうということにはならないような気がします。
「鎖国が可能だったという理由は、この自分の」の回答画像9
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<貿易が可能だとしても、対価で輸出・販売出来るものをじゃんじゃん作れなければ、どうにもならないでしょう。>
当時の貿易は、少量高価なものしか扱えず、それは日本からはない、また海外からもない、ということですね。

お礼日時:2021/10/06 09:20

大中華帝国様を真似ただけじゃないの?

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この回答へのお礼

御尤も

お礼日時:2021/10/06 09:14

大豆は、東アジアが原産地とされ日本では縄文時代の遺跡から発見されています。

鯨肉は神武天皇に献上された記録があるくらい古くから利用されています。たらこは少なくとも江戸時代前期には利用されていたことがわかっています。桃は中国原産、栗は日本と朝鮮半島原産、柿は東アジア原産と言われています。桃栗三年柿八年と言われるだけのことはあり、日本の食文化は世界トップクラスの豊かさなのです。ドナルド・キーンは日本の食文化をどう見たであろうか。
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この回答へのお礼

原産?

お礼日時:2021/10/06 09:14

食料などは、自給出来ていたからでしょう。


鎖国と言っても、キリスト教の宣教師を排除しただけで有って、
長崎港はオランダの取引、朝鮮や清国とも往来していたので、
鎖国には当たらないと思いますが。
そろそろ、表現を変えなきゃいけないのですが、適当な言葉が
思い浮かびませんね。
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現在は遊休地などを、耕作地にもどせば、一億三千万人の食料は賄え、
更に、輸出も可能だそうです。
鉄も溶かして再利用すれば、100年間は国内使用分は賄えるとの
試算が出ています。
メタンブレードが利用出来れば、石油の輸入は不要になります。
アラブの王国の機嫌を取らなくて済みます。
貿易をしなければ、円高で利益をピン撥ねされずに済みます。
東南アジアの人を日本人と同じ待遇で迎え入れる事が出来ます。
人的交流以外は貿易をせず、重武装で中立国になる、働き者の
日本人に相応しい姿と思いませんか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2021/10/18 17:23

当時の航海技術では、ヨーロッパとの大量の貿易は不可能でした。


オランダに求めていたものは、知識のみ。
貿易する品がないため、オランダ以外の国が手を引き、自然に鎖国モードになったようです。

物の過不足はなかったと、彼は感じたのでしょう。
食料など、国内で上手く流通させたら、江戸時代に何度かあった飢饉のときでも、充分に対応できたはず。実際は、それが上手く機能せず、餓死者で全滅した村もあったそうで。。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<貿易する品がないため、オランダ以外の国が手を引き、自然に鎖国モードに>ですね。
オランダも東南アジアが主力なのに、出島を存続させていたのは不思議ですね。

お礼日時:2021/10/05 13:17

今でも食糧に関して、経産省の官僚によれば、日本は戦後、日本人を育ててきた食糧カロリーは、有事であっても、国内だけで充分に賄えるそうです。

食糧輸入はほぼ当時と同じく外交上輸入ということになります、国民の生命、人生の安全保障のために、日本は結構準備してますね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
当時も<国内だけで充分に賄え>たのですね。

お礼日時:2021/10/05 13:12

>質問は、江戸時代、鎖国が可能だったという理由は、この自分の国で作るものだけ十分、だったという要因があったのでしょうか?



一部を除けばその通りです。

日本は島国なので、元々「国内需要」だけでやってきました。外国から何かを仕入れて生活を営むということはしなかったわけです。
 だから「今まで通りの生活をする」なら鎖国をしても何も問題なかったのです。だから庶民には鎖国政策を実行しました。

しかし鉄砲伝来で分かるように、西洋文明は新技術を生み出す力が加速していました。なので日本としても完全に鎖国するのではなく、西洋の様子や文明・技術は取り入れたかったので、出島を作りました。

ただ、西洋技術を国内に取り入れ、庶民の暮らしを豊かにすることはほとんどしませんでした。それは「技術が進むと貨幣経済が進み、農民が農業をしなくなり農本主義が壊れるから」と幕府の指導者が考えていたからです。

なので、結局幕末まで日本は鎖国を続けました。日本国内では近代的な貨幣経済がすでに出来ていましたが、日本国内だけで完結できたのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
元来<日本は島国なので、元々「国内需要」だけ>で対処・完結していたのですね。
貨幣経済も<日本国内だけで完結できたのです。>ね。

お礼日時:2021/10/05 13:11

その当時の生活水準を考えれば、幕府の絶対的統制化で何とかしのげていたということでしょう。


ただ、飢饉や天災が繰り返し来ましたから、幸せだったかどうかは分かりません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<その当時の生活水準を考えれば、幕府の絶対的統制化>ですね。
<飢饉や天災>には弱いですね。

お礼日時:2021/10/05 13:08

少なくとも食うものは自給できたしね。

人口爆発が起こった明治以降は食糧の輸入国になってるし。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
とりあえず<食うものは自給できた>ですね。

お礼日時:2021/10/05 13:06

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