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7月末、毎日のように連絡を取っていた母と急に連絡がつかなくなり、嫌な感じがしたので実家に戻ってみると部屋で倒れていました。すぐに病院へ搬送されましたが熱が40度以上あり、重度の熱中症や脱水で重篤な状態でした。検査で分かったことですがコロナ陽性でした。母はいつも気をつけて感染対策していたのにと、信じられずに悔やみました。発熱で倒れ、そのまま熱中症になってしまったみたいで急にこんなことになり、頭が真っ白になりました。ついこの前までとても元気で一緒によく遊び、ご飯も食べていました。60代なのでこれからも2人の孫と沢山の思い出を作って共に人生を歩むはずだったのに‥助からないとハッキリ医師から言われたにも関わらず今は奇跡的に一命を取り留めましたが意識障害で2ヶ月程経ってしまいました。誰のせいでもないですが、受け入れられないのです。絶望感がすごいです。 その直後は仕事に行くことや自分の好きなことにさえ興味が失せてしまい、生きることがしんどかったです。子供たちがまだ小さいので、母としてギリギリ立っているという感じです。30代の私ですが、これまで忙しい仕事や家事、育児を乗り越えてこられたのは母がいたからです。旦那も忙しいので、いつも母に助けて貰っていました。気持ちの面でも支えて貰っていたのでこれからは私が恩返ししたかったし、旅行だってコロナが落ち着いたら行きたかった。子供たちの成長を一緒に見届けたかった。なのに、なのに‥とグルグル考えてしまいます。MRIで脳梁という箇所が白く写っているから回復は厳しいと言われました。それでも奇跡を信じたいですが寝たままの母を見ると心が折れそうになります。コロナで面会できないため、家族の声や音楽を耳元で流して貰っています。30代でご家族が病気になったり死別されたご経験がある方どのように現実と向き合い、乗り越えてこられましたか。どうか教えてください。

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A 回答 (2件)

死にかけた親側から。


二度目の抗がん剤を、一度はもうしないで死を待ってもいいと決めてから、家族に説得されてなんとか生きて帰った者です。子どもたちには、見舞いに来なくていいと命じ、自分の人生(進路)をいちばんに考えさせました。その後コロナ禍でしたから、あのまま会えずに死ぬことも覚悟の上でした。
子には笑っていてほしいです。自分のことばかり考えて悲しまないでほしい。あなたは見つけられたのです。感謝ですよ。ひとりを覚悟したお母さんでしたでしょうに、親孝行にも見つけてあげたんですから。
子どもに安心した顔を心がけてあげてください。ちゃんとできなくてもいい。あなたが親に対する気持ちは子どもが小さいとも必ず見ています。
大丈夫です。ゆっくり毎日を頑張って、たまに思い出してくれるだけで親は充分幸せですよ。入院先でたまに泣いてますが、泣いてまた親も頑張ってます。あなたと同じです。親子だから。
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この回答へのお礼

「ひとりを覚悟したお母さんでしたでしょうに、親孝行にも見つけてあげたんですから。」と言ってくださり、涙が出ました。私は、もっと早く駆けつけてあげていたら‥とばかり考えてしまっていたのですが、逆なんだと。見つけてあげられてよかった、命を取り留めてよかったのだと改めて思いました。母にはこれから恩返しをしたいと思っていますので、どんな結果になっても後悔がないように過ごしていきたいです。
親御様の目線から回答頂けましたこと、感謝致します。ありがとうございました!

お礼日時:2021/10/06 23:30

そうですね。

まず面会といっても声だけでも届くはずですので、親子って薄っぺらいモノではなく血族と思うと良いかもしれないです。
自分は父親が他界したのが10代の頃でした。
まだ中卒で社会に出て二年目で、”末期の胃癌”だと長男の兄から聞きました。
その頃は荒れるに荒れ涙も止まらずでしたが、その年は親父の実家方面へお祝いで呼ばれたのでついて行きました。
末期の胃癌を10代の時に宣告されると本当に辛いですが、自分も看病をする事を決意し、土曜からは泊まり込みでした。(母が倒れない様に)
親父との別れが訪れた日は、朝から電話が鳴っていました。
仕事に行き、朝礼中に危険な状態になり職場に電話が入り、その時努めてた会社の社長が病院まで車で乗せてってくれました。
自分と母親そして長男兄の3人が揃ったら一度心臓が止まり、兄が「兄弟が揃うまでだけ」と蘇生を頼みました。
その後、姉や次男の兄達も揃い孫も全員揃い母親が「自宅から葬式を出す」という事で一旦片付けに戻ると30分くらいしたら電話が鳴り、「ジイちゃん危ない!」と姉の息子から電話があり、タクシーを捕まえて病院まで行き着くと走って階段を駆け上るとおふくろの姿が無いのに気付きました。
毎日付きっ切りで点滴を打っていたそうです。
みんなが揃ったら蘇生をした兄が「もう眠らせてあげよう」と言い姉は家庭もあり泊まり込み出来なかったのが悔しいらしく今もその事は変わりません。
でも、今は親父の言葉が重かったのか?50目前にして思い出せます。
”責任持てるなら好きな事やれ”
その後自分が結婚する時に兄達にはお祝いをしていない義理の叔母が心筋梗塞で突然亡くなり、亡くなってから数年後に消防署の行う一般救命Ⅰを受講し修了証もあり、次にⅢを受けてこの時熱中症対策に関する情報を得ました。
仕事を頼んだ業者の様子がおかしいので、具合を聞き熱中症だと判断すると対応策をしてその業者は大事には至りませんでした。
こんな事を言えば酷いと思われるかもしれませんが、お母さんは身を持って孫にならない様にするには?
という課題を与えたのかもしれません。
日本人の悪いところはマイナス思考だと言われています。
でも、心は通じ合う中でしょ?
解ってもらえているでしょうから、寝込まない程度で良いから辛い面会かもしれませんが、自分も肉体労働の後病院に通っていたので解りますが、薄っぺらい親子じゃないでしょ?
姉の息子はその後医師になり、自分の先輩は癌の先進医療をやっていたりします。
親の死を無駄にしてはいけません。
親父は大正生まれで戦時中は国内で戦っていたそです。
未だに親は抜けない偉大な親父です。
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この回答へのお礼

10代のときに‥大変な苦労をされたのですね。
実際のご経験を教えて頂き、ありがとうございます。
コロナで直接会えなくても、できることをして家族で母を支えていこうと思います。
回答者さまも、ご家族の方もご立派だと思いました。
貴重なお話をありがとうございました。

お礼日時:2021/10/06 23:20

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