【初月無料キャンペーン中】gooドクター

司馬遼太郎が、池波正太郎の逸話を紹介しています。

<この人は少年だったころ、ドンドン焼の屋台がやってくると、買い食いしただけでなく、おもしろがっておじさんの手伝いまでした。
小麦粉を練ったり、鉄板のうえで薄延べしたり、ついには代役をつとめるほどののめりこみようだったという。
有頂天のあまり、大きくなればおじさんみたいにドンドン焼屋になるんだ、といった。
おじさんは、「よせよ」と大声を出して、
「こんな商売はいろんなことにしくじったあげくのやつがなるんだ。はなっからドンドン焼を志すやつがあるか」
と説教した。>

質問は、職業に貴賤(選択の順番)があるのでしょうね?

A 回答 (9件)

一般大衆は、ですが、職業に対し貴賤ということをそれほど感じていないと思います。


その職業をやってきた人達が、社会的に身分の低い人達だったので、卑しい職業と思うようになったのだと思います。

昔、友人がタクシーの運転手になると言い出した時、彼の父親から「雲助になるつもりか!」と激怒されたそうです。

職業でなく、低い身分の人間を卑しいと思う心でしょうね。ええ、今でもバリバリにあるでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<職業でなく、低い身分の人間を卑しいと思う>ですね。
職業の貴賤と身分(社会的な地位)のそれとが、不明確にくっついていますね。

お礼日時:2021/10/12 18:17

主観や言葉がある以上



貴賤はあるのは事実ですね

その事実をどのように捉えて、考えて生きていくのかは

自由主義の社会では
自由ですね

(  ̄▽ ̄)にっこり


貴賤があったところとて?

てな話ですよ~
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<主観や言葉がある以上

貴賤はある>のですね。

お礼日時:2021/10/10 18:04

その価値判断に客観性はないですね。

価値判断は、あくまでも、主観及び共同主観より成立するからです。個人があるいは、ある時代のある地域の人々の間で、成立する価値観ですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございまっす。
<個人があるいは、ある時代のある地域の人々の間で、成立する価値観>ですね。

お礼日時:2021/10/10 18:03

職業に貴賎があるのではなく 儲かるか儲からないか



綺麗か汚いか という違いぐらいだろう

俗に言う3Kというやつだ

私は肉体労働も工場労働も東京の店員もやった

しかし今はクッキーを作っている

ケーキ・クッキーを作るのは賎しいのだろうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
職業に貴賤なく、収入や仕事環境の違い、ということですね。
(その違いが貴賤に反映している、のだと思いますが)

お礼日時:2021/10/09 13:20

貴賤は有っても、それを「蔑視」する心は戴けません。



職業と云うものは、恩恵を与えている筈ですから。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<貴賤は有っても>ですね。

お礼日時:2021/10/09 13:21

職業に貴賎はないと言う言説は、士農工商は水平的区別であって上下ではないと言う主張をサポートするためのものであったと考えられる。



本質は身分制度の否定であって、文字通りの職業貴賎を否定したものではない。

(政治などの)卑しい職業についた者にも、(木造建築などの)尊い職業についたものと同等の基本的人権がある、と言う主張と解釈すべきであろう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<職業に貴賎はないと言う言説は、><本質は身分制度の否定であって、文字通りの職業貴賎を否定したものではない。>
たとえ政治家でも、木造建築家と同じ基本的人権を持っている、ということですね。

お礼日時:2021/10/09 09:55

選択の順番は、ある程度はあると思います。



大リーガーの選手と少年野球の監督、どちらも選べるとしたら、ほとんどの人は大リーガーに行くでしょう。
少年野球の監督は、大リーガーを引退してからでもなれるから。

ただ、少年野球の監督を選ぶ人もいないとは限りませんが。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
順番は<少年野球の監督は、大リーガーを引退してからでもなれるから。>ですね。

お礼日時:2021/10/08 18:02

これは思想ですから、あると考える


人もいるし、無いと考える人もいる。

こう答えるしかないでしょう。

ワタシはあると思います。

犯罪まがいの仕事と、世の為人の為に
なる仕事では、貴賤の別があると
思います。


士農工商というのがあります。

これは制度ではありません。
だから、2000年以降の教科書では
この言葉は出て来ません。

これは中国の思想です。

士農工商の士、というのは武士
のことではなく、科挙の試験に合格した
キャリア官僚のことです。

つまり、これは国家に対する貢献度
の順に並べたモノです。

昔の人は職業に貴賎があり
その区別は国家に対する貢献度の
違いだ、と考えていたのでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<犯罪まがいの仕事と、世の為人の為に
なる仕事では、貴賤の別がある>ですね。
<国家に対する貢献度の
違いだ>なのですね。

お礼日時:2021/10/08 17:38

少年よ大志を抱け、で、子供のとぎは大きな仕事が出来る人を目指せ。

でしょう。そのうち、だんだん世の中がわかってくると、自分の力量に合った仕事におさまると。
まぁ、男はつらいよ、の寅さんなんか、テキ屋一筋でしたけど。
池波さんなら、ドンドン焼き屋に拒否されてよかった。やたら面白い小説の書き手が一人減るところでした。そのおじさん、人の才能を見抜く目はあったのでしょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<子供のとぎは大きな仕事が出来る人を目指せ>で
次第に<自分の力量に合った仕事におさまる>のですね。
<そのおじさん、人の才能を見抜く目>あり、また人としても大きいですね。

お礼日時:2021/10/08 17:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング