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新選組は最後どうなったんですか?

A 回答 (4件)

一年半にわたる戊辰戦争の期間中、新政府軍は鳥羽伏見(京都市)→関東→東北→箱館と進軍していきました。



五稜郭陥落で戦争が終結するまで、多くの新選組のメンバーが戦死、処刑、あるいは病死という形で亡くなっていきました。 戊辰戦争終結の四日前に新選組は降伏し、解散となりました。

以下が簡単な、戊辰戦争勃発から新選組解散までの歴史です。

・1868年1月3日 : 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争勃発)。
・1868年3月 : 新選組は甲陽鎮撫隊と名前を変えて甲府城に進軍しますが、甲州勝沼の戦いで敗退。江戸にもどったところで、永倉新八と原田左之助が離隊して靖兵隊を結成。
・1868年4月 : 新選組は下総流山(現在の千葉県流山市)に布陣。しかし、すぐに新政府軍が包囲。局長の近藤勇は投降し処刑されました。副長の土方歳三は数名の隊士と旧幕府軍に合流。その他の隊士は斎藤一と共に会津へ。
・1868年5月 : 原田左之助が上野戦争での負傷がもとで死亡。療養中だった沖田総司は肺結核で病死。
・1868年8月24日 : 斎藤一ら13人は会津に残留。以後、会津藩と行動を共にしました。
・1868年10月26日 : 旧幕府軍、箱館・五稜郭に入城。
・1869年5月11日 : 土方歳三が狙撃され戦死。
・1869年5月14日 : 相馬主計が新選組局長に就任し、降伏。
・1869年5月18日 : 旧幕府軍降伏(戊辰戦争終結)。
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大政奉還によって幕府がなくなり「お役御免(クビ)」という立場になった。


「戊辰戦争」以降は「甲陽鎮部隊(こうようちんぶたい)」と改名。元新撰組局長「近藤勇」は江戸で新政府軍と戦っていましたが、板橋宿で捕縛後のちに斬首。そして副長「土方歳三」が函館戦争で戦士。また戦後処理を任されて最後の局長「相馬主計(そうまかずえ)」でしたが、「伊藤甲子太郎」の暗殺嫌疑をかけられ、伊豆新島に流罪となり、後割腹自殺を遂げる。
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戦闘と撤退を繰り返しながら北上、どんどん仲間は討ち取られていって、最後は北海道の函館で降伏です



新選組で生き残った人についても調べると面白いですよ
https://rekisi-omosiroi.com/sinsengumi-saigo/

ちなみに、漫画ゴールデンカムイでは、重要キャラとして、永倉新八と、死んだはずの土方歳三が登場しており、新選組の「架空の未来」も書かれています
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西郷さんがこんな国はダメやと内乱


将軍チームも武装軍団を作ろと新選組、兵力300以上かな
で、え~ん負けちまうよ~と多くが逃げた。
そして、主力もそこそこ妨害した程度で逃げまくった
ま~あれだ、死刑やね。首を切られおわった。
将軍復活なんて眠ったい時代が終わり
日本の夜明けがきてたのだ
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