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時代考証を、お願いします。「忠臣蔵」には江戸に行った事がない下級武士も参加しています。リアルな会話で、おもいっきり播州弁で
「わしゃ、辛抱,出来んのんじゃい。」
「吉良のガキの首,獲らな殿が浮かばれんやろがい!」とか言わなかったのですか?

質問者からの補足コメント

  • 昨今の「忠臣蔵」は上品過ぎると思います。蔵之介は、リーダーとして敵を欺き時節到来を辛抱強く待ちましたけど、あとは簡単に言えばケンカは強いけど頭は悪い人が、ほとんどです。蔵之介,自身も必ず成功するのかは分からなかったたと思います。

      補足日時:2021/10/23 18:09

A 回答 (4件)

内輪だけでなく公の場でも話していたと思います。

そもそも明治になって標準語ができるまで現代で言う意味の「日本全国に共通の言葉」がなかったそうです。なので想像ですが大名が将軍などと話をする時には大名の方が先方に合わせていたのではと思っています。
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ちなみに討ち入りに関しては当然綿密な計画が練られていて、最悪吉良を討ち取れなかったとしても吉良が武家としての体面を失うよう考えていたそうです。

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赤穂藩士三百数十人のうち、討入りに参加したのは、四十六名であったが、江戸まで行った下級武士は離脱しており、それは町人になり生計の道があったからである。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。勿論、国本育ちの人もいますよね。公の場で言わなくても仲の良い者同士、酒を飲みながらでも言いませんか?

お礼日時:2021/10/23 17:46

まぁ言わんだろ普通の感覚なら

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この回答へのお礼

ありがとうございます。勿論、公の場で言わなくても仲の良い者同士、酒を飲みながらでも言いませんか?では、どう言ったと思いますか?

お礼日時:2021/10/23 17:48

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