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問う。

音楽に理性は関与するか?

感情の吐露、でしかないのでは?

質問者からの補足コメント

  • 質問文の「関与」が不適、でした。
    関与、ならば当然に理性が加わる事を承知しています。

    質問の意図は、作品に「理性」を感じるか?と云うものでした。

    質問する時は結構、言葉選びを慎重にしているつもりですが、気の利いた言葉を思いつくと、ついつい使ってしまい、後で後悔しています。
    いつもの事です。

      補足日時:2021/10/25 23:59
  • この作品はリズムが総て、と云いたいです。

    このリズムが自身の感性をどう刺激するのか、してくるのか、しているのか、をじっくりと自身の心を観察してみたのですが、いかんせん馬鹿な私は感性も馬鹿らしく、言葉になりませんでした。

    単調なリズムの繰り返しが延々と続くので、この作品がどの様に終わらせるのかに興味が湧き、最後までじっと我慢をしながら、聴きました。

    最後の方でやっと、メロディーらしき楽器音が出てきて、その後に波の音。
    ははぁ~、この波の音で“消す”気だな、と思いました。

    匿名さんは聴き飽きないと云ってますが、それは、このリズムに惹かれるのか、あるいはリズムに乗って表れる効果音に依るものなのか、また延々と続くリズムからどんな心持になるのか、それが知りたいと思いました。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/10/28 09:08
  • 皆さま、回答を有り難うございました。
    とても、勉強になりました。

    作品自体から、理性を感じ取ることが出来るか?と云う事に付いては、感じません、と云うブラジュロンヌさんの回答が、ベストだと思えるのですが、k10Traさんの、感性と理性を持ち得なければ、理解できない、と云う指摘に、考えさせるものがありました。

    有り難うございました。

      補足日時:2021/11/02 17:57

A 回答 (33件中1~10件)

感性は理性によって変化され得ます。

理性は感性によって変化され得ます。
ショパンの楽曲は、感性と理性を持ち得なければ、理解できません。
すなわち、感動できないという事です。
プッチーニの誰も寝てはならぬもそうです。
最も、美しい曲。ベートーベンの第9の第三楽章。
最も、美しいオペラ。プッチーニの誰も寝てはならぬ。
最も、揺さぶられる曲。ショパンのピアノ協奏曲第1番。
感性に磨かれた理性と、理性に磨かれた感性がなければ理解できません。
(ショパンの曲はブーニンでないと理解できないでしょう。プッチーニの誰も寝てはならぬはパバロッティ。ベートーベンの第9の指揮者はインバル。)


No.10が提示する曲を聴きました。
確かに秩序だっています。また、言い知れようのない悪意と大きな悩みを感じる。お前の文章も秩序だっている。つらい人生なのに立派だよ。
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この回答へのお礼

つらい人生なのに立派だよ、と云うのも№10へ、ですか?

お礼日時:2021/10/28 10:17

汽笛さん、こんばんは❀




なるほど
理性と音楽ですね

例えば本一冊を一回読んだ後
脳が記憶してるのは
その本の内容の2割にも
満たないとかなんとか
聞いたことがありますが、
“脳は情報より感情を記憶する”といわれているように
音楽を聴くときも感情は関係しているように思いましたので
色々考えてみました❀


私の祖父母は二人とも認知症と診断されました。
それで以前認知症について
色々調べてみたことがありますが
興味深かったのは
ある人が事故によって感情に重要な役割を果たす脳のある一部分を損傷してしまったことによる人格の変化です。
言語能力をふくむ知能指数は事故前と比べて変化はなかったのですが、
感情の起伏は事故前よりも激しくなりました。
そしてその人は最終的に「今、何を買うべきか」という日常の些細な意思決定さえできなくなりました。
この事故によってわかったのは
知能に問題がなくても感情に重要な役割を果たす組織細胞に問題があると“意思決定”ができなくなるということでした。
感情をコントロールしたりするのは理性であり、
理性の働きは感情に重要な役割を果たすのですよね。

私の祖父は若い頃毎日ビールを飲んでいたにも関わらず、
認知症の程度が悪かったのは祖父よりも、
お酒を一切飲むことのなかった祖母の方でした。
祖母はストレスを多く抱える人であり、
感情をコントロールする理性を沢山働かせていたのは祖父よりも祖母だったような気がします。
感情を押し殺しつづけた結果、
感情が生まれなくなったのか、
あるいは理性が壊れてしまったのか、
その両方なのかはわかりませんが、
意思決定をするとき私たちは
無意識的に感情が大きく関わっているのかなと思います。

音楽を聴いたりするときも作ろうとするときも
最初は言葉にできないような感情が
生まれます。
そしてそれらの感情を言葉で伝えるにしても音楽で伝えようとするにしても
その表現をしようとするのは
理性のなせる技のような気がします。


と、ここまでダラダラと書きましたが笑、
それとはまた別に理性的な音楽に聴こえるか?という問いであるとしたら、
それは曲調、リズムなどによって左右されるかもしれないですね。
理性的な音楽に聴こえる曲もあれば、感情の吐露にしか聴こえない曲もあるような気がします。

でも私はたまにふと
理性も感情の一部ではないかと
思ったりもします。
脳科学って面白いですね。


短歌パラダイスいいですね
なかなか心に余裕のない日々ですが
久々に
ゆっくり“うた”を詠む時間を作るのも
いいなと思いました❀*:・゚
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この回答へのお礼

ムカリンさんが、理性と感性は切り離せない、と云ってますね。

もう、だいぶ前になりますが、ネットで歌合せ的なホームページを見つけて、2~3年、参加していたことがあります。
その時の参加者は5~6名で、その月のお題の歌を2首投稿し、参加者同士で批評し合うものでした。

私以外の参加者は皆、歌人と云えるレベルの人達で、駄作ばかりの私は、はずかしい思いでいっぱいでしたが、たまに良い評価を貰うと嬉しかったものです。
また、そんなところを探してみたくなりました。

お礼日時:2021/11/02 09:19

こういう曲をヘッドフォンで大音量で聴きながらアホになって踊るのが、本来のテクノの愉しみ方です。

これはロンドンのライブ。

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この回答へのお礼

ちょっと怖い、です。

お礼日時:2021/11/02 08:44

No.24の曲を聴きました。


この曲は”忍耐”です。
辛抱強い。その者は昔から、特別才能のある者から褒められ、賞賛されています。(俺が特別才能のある者と言いたいわけではありませんよ。中国での古書がそのエピソードを多く書いてあるわけです。)
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この回答へのお礼

この曲が、私にもたらしたものは“温泉効果”でした。

お礼日時:2021/11/02 08:43

神は常に個々人に注意を払っている。


人間だけではない、植物、動物に対して注意を払っている。
神がその指を動かされるときがある。そのときは決まって、苦悩を与える。
その者のためになるから。
この世と天上界の価値観は違う。善であれ。それがすべてだ。
自己中心から、別の自己中心へ。
神は善であれという思いをすべてに注ぎ込んでいる。
ただし、そのものの自由を侵さない、程度だ。
神と自己をあえて結ぶ必要など無い。神は全生物に注意を払っている。
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この回答へのお礼

神の産物がこの宇宙。
故に、親が子に注意を払うように、神は宇宙に存在するすべての物に、注意を払っている。

善であれ。
それは自我中心から、自己中心へ向かえ、と云う事。
 
この世は不平等であるがゆえに、そしてそれは自身(神)の産物、であるがゆえに、そのものの自由は侵さない。程度に拠る

ただ“敢えて”結ぶ必要はなくても、神への呼びかけは有った方が良い。

お礼日時:2021/11/02 08:23

汽笛さんに質問です。

ぼくは日常の中で、神と人を繋ぐ「祝詞」を詠唱します。この祝詞、この詞。果たして、汽笛さんの中で、どう位置付けられますか?超越的な、超越感覚の詞です。
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この回答へのお礼

言葉=思い

赤子は泣くことで意思表示をしますが、言葉を覚えてくれば、パパ、ママと口にします。そこに“思い”があります。

単純かつ初歩の感想ですが「祝詞」は自然な行為だと思います。

ただ、こうすればこうなるという具体には、固執しません。
全体的な精神の流れ、を信じます。

★“超越”と云う言葉には“疑問”を持っているので、私は使いません。

お礼日時:2021/11/02 08:07

匿名です。

お礼を頂きましてどうもありがとうございます。(^^;)
単なる雑談スレになっておりますが、やはり歌人でいらっしゃいましたか?
大変恐縮しております。(><)/

>「岩波新書・短歌パラダイス」の存在を知っているかが、気になります。
いえ、まったく存じ上げておりません。
「短歌人」の高瀬一誌先生がお亡くなりになり、私は短歌界からはあっさりと去りました。高瀬先生の奥様から「塚本先生の「玲瓏」をおすすめいたします」との短い丁重なお手紙を頂きました。ですが、私は入会いたしませんでした。

水原先生の3つの短歌をご紹介くださいました。ありがとうございます。
個人的にはどれも素晴らしいと思います。

それで、その25年前の戦い(いわば命がけの戦い)では誰が優勝されましたでしょうか?おそらく私の知らないお方だろうと予測いたします・・・

ところで、俳句・短歌芸術論争というものもありましたね?
短歌では飯は食えないのです。では、名誉欲とかはどうか?一般的には名誉欲だけは(他の色欲などが衰えても)死ぬまで取れないと言われておりますが、神の視点から見れば(もっとも塚本先生は無神論者でありました)実に意味・価値のないものなのだと、未熟者の私にはそう思えて仕方がないのです・・・大変恐縮で申し訳なく思います・・・m(..)m

最後に春日井建先生の「未青年」より、私が衝撃を受けた歌をいくらか紹介いたします。「なるほど。本当の天才とはこういう歌を詠むのだ」と衝撃的でした。

大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪がのこすむらさき
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり
火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔をもてり
火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて跳ぶ

以上を持ちまして未熟者で、かつ、愚か者(アホです)である私の簡単な自己紹介とさせて頂きます。

どうも、ありがとうございました。
大変、感謝しております。m(..)m
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この回答へのお礼

匿名さんがアホなら私はトンマ。
歌人ではなく、生粋?の宅配マンです。

『大空の斬首ののちの静もりか没(お)ちし日輪がのこすむらさき』
これは夕景でしょうか?
日没直後の夕景が、むらさき色に静かに染まって、それは恰も「大空の斬首」の様であった、と云う事なのでしょうか?

夕景に、むらさき色を見た事はありませんが、赤紫色の夕暮れなら見た事がある様な?
難しいですね。

『童貞の・・・』
これも難しいです

『火祭の・・・』
この青年は、自分のした事に驚いたのでしょうね。
やる前は、度胸試しぐらいの軽い気持ちであったのが、死を賭した行為であった事に気付いて、顔面蒼白になったのでしょう。タマシイがふらついている様です。

『火の剣の・・・』
陸上競技場に刺す夕陽が、走り幅跳びか、それとも棒高跳びか、青年の渾身の表情を照らしたのでしょう。
その表情が一瞬、血ぬられてみえたというのだから、すごい情景ですね。

・・・と、まあ、この程度にしか読めません。
ど素人だから。
でも、それでも、言葉の面白さには惹かれます。

お礼日時:2021/11/01 17:30

匿名です。

再度のお礼を頂きました。ありがとうございます。(^^)

手拍子の打ち方については私は無知・無教養であるため、まったくわかりません。理解が及ばず、また、私が無知なためお力になれず誠に申し訳ありません・・・m(..)m

おそらく汽笛様のご指摘・仰られる通りなのでしょう。とても鋭いご指摘と思いました。日本人の拍手は連打しか存じ上げません。パチパチパチパチと。しかし、西洋の手拍子はスタンディング・オベーションなどではたしかに汽笛様のご指摘通りです。ですが、正直、私ではわかりかねます・・・(>,<)

ただ、テクノには手拍子の音はよく使用されます。主に「キックの4つ打ち」の補助的に使用されリズムを構築いたします。キックが消えている場合は手拍子の「4つ打ち」になるパタンが多いです。もちろん暴力的な曲では手拍子の連打も使用します。

ところで、短歌に興味があるようでいらっしゃいますね?そちらの方が気になりました。よく短歌のトピが立つのも不思議に思っておりました。

もう20年前の授賞式のことですが、春日井先生のお弟子さんであられた水原紫苑先生は才能にあふれ、お綺麗でしたねえ?(^^;)/
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この回答へのお礼

私は匿名さんが「岩波新書・短歌パラダイス」の存在を知っているかが、気になります。

この新書に載っている水原紫苑氏の作品が三つあるので、ここに写してみます。

『パラシュートひらきし刹那わが顔のステンドグラス荒天に見ゆ』
『雲は音符のたしかさに炎(も)え青年よきみはいかなる古代のコーダ』
『テノールが海に沈みしゆふぐれを金文字の本となりて歩めり』

短歌パラダイスは、副題に“歌合二十四番勝負”とあります。
お題は、初めのが「パラシュート」次は「恋」三つ目は「沈」です。

今からですと、25年も前に熱海で行われた、とある歌合せの記録を元にして、翌年の春に出版されたものです。20人の歌人の戦いです。

お礼日時:2021/10/29 00:25

匿名です。


お礼を頂きありがとうございます。(^^)

>西洋のリズム感と日本人のリズム感に付いて、ご意見・ご感想が聞きたいです。

簡潔に回答いたします。個人的な感想です。

西洋のリズム感と日本人のリズム感というより人種でリズム感が異なります。白人、黄色人種はリズムの最高峰である「グルーブ」が出せません。ただ、なぜか、黒人のみは出せる。一番わかりやすい例を挙げればアース・ウィンド・ファイアー(?)などはそうではないかなと。テクノでも黒人のテクノはどれほど単純でシンプルなリズム感、ベースラインであっても、なぜかグルーブ感があるものです。
あと、日本人のリズム感の個人的感想としては民謡(かなあ?)と祭りにあると思います。汽笛様のご指摘通り太鼓が原点ではないかと。もちろん踊ることを目的とした太鼓の叩き方ですよね。

あくまで個人的な感想に過ぎません。あしからず。
たぶん間違っていると思います。(--;)
専門家ではないのでわかりません。すみません・・・m(..)m
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この回答へのお礼

日本人の音楽は、音の冒頭で手拍子を打ちますが、西洋では一呼吸おいての手拍子ですね。

アース・ウィンド・ファイアーも、一呼吸おいてのリズムになっていると思います。

リズム、と云う事への解釈に違いがあるのかも?
私が間違っているのかも知れません。

お礼日時:2021/10/28 21:48

№19回答者です。


お礼のコメントありがとうございます。
「一部」という表現を勘違いされているようですので、補足します。

「一部」とは、音を言葉と認識する回路です。

回答の「歌詞付」という表現で当然理解していただけたと思っていたのですが、質問と回答は言葉オンパレードにもかかわらず、この表現では理解できない人もいることがわかりました。

私は日本語しか理解できませんが、音を言葉として認識する部分が前頭葉にあり、この部分は理性の中心でもあります。

何かに集中すると音が邪魔になる人々がいて、そういう人たちは静かにしろと言って怒りまくりますが、私に言わせればこういう連中は極限状態の中では生き残れない人々です。
本来は何かに集中すると音が遮断されてしまうのが原始的でまともな人々です。こういう人たちの特徴は、「危ない!」などの怒ったような言葉には何故か反応するようになっているようです。これは、脳内に入ってきた音を言葉と認識した時に反応していることから、若干タイミングがずれていることがわかります。
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この回答へのお礼

物事に集中する、と云う事に付いては、集中しやすい人と、しにくい人がいると云う事ですね。

集中しやすい人は、周囲の状況に影響されない、と云う事だと思います。
言い換えれば、周囲の状況には無頓着である、と云えるかも知れません。
身に危険が迫っても気付かない、かも。

集中しにくい人は、集中できないのではなく、条件がそろえば集中できるはずです。
ただ、「没頭」するという意味での深浅は、あるかも知れません。
そう思うと、極限状態の中で生き残れないのは、没頭しやすい人ではないでしょうか。

また、没頭しやすい人が「危ない!」などの怒ったような言葉に、なぜ反応出来るのでしょう?

もし、反応出来るとしても、それは言葉として理解しての反応なのではなく、怒ったような音声、と云う感覚によるものではないでしょうか。

お礼日時:2021/10/28 21:24
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