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昭和40年頃には男性の職業は百姓、専業農家より会社勤め主流ですか?

A 回答 (6件)

長男が農業を継ぎ、次男三男は、地元では仕事がないので、やむ得ず都会に出て働く。


そんな時代だったんです。
だから、東京の人口が爆発的に増え、雨後のタケノコのように、丘陵を切り開いた団地が建っていたのです。
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農業は兼業農家と言われた会社員が増加していました。

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昭和40年て、江戸時代じゃないんだから、そんな日本人全員が農家なわけないじゃないですか。

圧倒的に会社員のほうが多かったですよ。

今よりははるかに農家は多かったのは確かです。そして農家なら、ほとんどが専業農家だったでしょう。今ほど農機具の機械化が発展していなかったから、兼業できるほどヒマはなかったはずです。

今はトラクターやコンバイン、そのほかあらゆる機器があって、農作業は遙かに重労働ではなくなっていますが、あの頃はまだそれほど機械でやっている農家は少なかったですから、田植えも稲刈りも手作業。

でも、あの頃の農家の家では殆どが兄弟や子供が多い人ばかりでしたから(戦時中に生まれた世代やその親がちょうど農家の世帯主になっていた頃)そういう親戚が手伝いに行ってました。
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https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2010/final/p …
こちらの資料によると昭和40年(1965年)の男子の職種は
第一次産業 19.7 %
第二次産業 36.8 %
第三次産業 43.4 % です。2対8で圧倒的に会社勤めが多いですね。

この資料の最終年平成22年では
第一次産業 4.5
第二次産業 32.6
第三次産業 62.9 です。
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都心は会社勤めが多かった。

田舎は百姓が多かった。次男、三男はみんな
集団で都心へ働きに行ったよ。
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家は長男が全てに入れて


そのた弟などは、家から追い出され労働者階級が一番多いハズです。

農民の黄金時代です。
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