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音楽は感情の表現だと思いますが、そこに理性の関与があるとは思います。

それでは、音楽で理性を表現することは、可能なのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • たくさんのご意見、ご感想を頂きました。
    有り難うございます。

    結論は、理性そのものを表現すると云う事はなくても、理性的な音楽はあり得ると云うか、多々ある、と云う様に思えてきました。

    皆さま、有り難うございました。

      補足日時:2021/11/04 16:23
  • 今は、どの回答も「正解」の様に思います。

    終了、、、。

      補足日時:2021/11/04 16:32

A 回答 (42件中21~30件)

no19で少し余計な事書いたので手当しますと、



結局、質問者さんは様々事を掘り下げて考えようとしている。自然言語で物事を明瞭に把握、思考したい、と。
それならば、まず一つ一つの言葉の意味から厳密しないと、砂を手で掬っては指先からこぼれ落ちる繰り返しみたいで前進しませんよ、と言いたかったのです。あえて具体的に細かい事は書きませんけど。

で、結局、自然言語で深く考えるのは筋が悪い。

ここは質問者と回答者が共に教え合うサイトでもあるので、私がおかしく見えたら奇譚なく感想をどうぞ。

本音で言い合ったほうがお互いの為。
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この回答へのお礼

そんなに深く考えているわけではありません。

単なる思い付きでの質問です。

☆ いろんな人の意見を聞くのは楽しい!

お礼日時:2021/11/04 08:44

音楽家ジョン・ケージ「4分33秒」を質問者さんが聴いている時にどうだっか?


その答えがこの質問を通してで質問者さんが求めている答えなのかもしれません
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この回答へのお礼

感情も理性も、刺激されますね。

お礼日時:2021/11/04 08:41

理性は「表現対象」でなく「表現サイドの力」です。

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この回答へのお礼

そのようには思います。

お礼日時:2021/11/04 08:32

開き直って連投失礼します。




「理性そのものを表現する」という行為はありえないかと。

理性とは自意識ではありませんか?
自意識そのものは表現のしようがないでしょう。
あるのは発信者側の意思と受信者側の解釈、それだけ。

こう言っていいのか分かりませんが、言葉に足を掬われてるだけで、あまり考えてないように見えます。
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この回答へのお礼

「感性そのものを表現する」と云う行為も、ありえないですよね?

お礼日時:2021/11/04 08:31

連投すみません。



やはりどうしても突っ込みたくなるのは、表現するという行為がそもそも理性の産物だから、質問が成立してないということ。

私の解釈が浅いのかもしれませんが、率直な感想です。
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この回答へのお礼

行為と作品とは、別に取り扱って検討してみても良いのでは?

お礼日時:2021/11/04 08:27

理性とは意思や解釈の話であって、表現とは根本的に別問題ではありませんか?

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この回答へのお礼

例えば、どの様な事柄が上げられますでしょうか?

お礼日時:2021/11/04 08:24

習得する側からいうと、メトロノームを使って、ある程度上達しても、中級の入り口がバッハやベートーベン、あるいはモーツァルトを弾くわけですから、理性の根っこがあるわけです。

そういうのを練習しないと、テクニックが手に入らない。主流派ドイツのクラシック音楽は、バッハから、最近のワーグナーまで、理性でグイグイ押してきます。

でも、もっと感性に語りかける曲を弾いてみたいな、というのが、いつも心の中にあります。すごーく上手な人でなければ、それはできません。理性で辿りつける領域には、限界がある。



こんなもんは、私が弾くとめちゃめちゃになりますね。大好きなんですが。感性の音楽です。
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この回答へのお礼

感性の音楽です、とおっしゃってますが、それは感度の良し悪しに思いがあるからですね。
これを感性の音楽と云うチャオさんの、感受性がステキだと思います。

私には却って理性的すぎる、と感じてしまいました。
もっとも、この曲の心理がわかると云う訳ではないのですが。

こうした高等と云いうか繊細と云うか、その心情は鈍感な私には体感できそうにはありません。
この世界に浸ることが出来ないので、どうしても分かりたい、と云う姿勢で聴いてしまう事になります。

ただ、ほんの少し不安な気分には、なりました。
チャオさんのこの曲への感想が聞きたいです。

お礼日時:2021/11/04 08:22

疑問の持ち方が逆でしょう。


そもそも人間に理性ゼロの瞬間ってあるんですか?
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この回答へのお礼

考えたことがありません。

お礼日時:2021/11/04 07:56

№13の stomachman さん。



その《「感情がないから」「音楽ではない」》と評される音楽作品は ほんとうに聴覚という刺激内容として 《理性が表現されている》と受け取ることができるんでしょうか?

聴覚内容として受け取ったその知覚を 意識して認識しようとすると 《「感情がないから」「音楽ではない」》という批評があたえられる・・・のではないですか?


そう考えると 《理性が表現されている》というのではなく この音楽は:
◆ ピアノの教本「バイエル」を人が正確に、つまり強弱もリズムの揺れも徹底的に抑制して演奏した
☆ という内容の・理性的な営為が――考えてみれば 作品の背後に――見て取れる・・・ということではないでしょうか。



音は音 聴覚は聴覚 なんぢゃないですか?

声は声(その聴覚のみ)とは言えないのは むろん 言葉をしゃべっているからでしょう。言葉は入っているなら 概念思考がともないます。でも声にかんして その音は音〔だけ〕ですよ。
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ピアノの教本「バイエル」を人が正確に、つまり強弱もリズムの揺れも徹底的に抑制して演奏した録音が販売されています。

これを(「音楽ではない」と言っちゃう人が多いだろうけれど、それは「感情がないから」という同義反復の判断であって、)コンセプチュアルアートと解釈すれば、表現しているのは強いて言えば「理性」じゃないですかね。
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この回答へのお礼

音楽の基礎。

言葉なら、いろはにほへと。あいうえお。

こういうことを云ってますか?

お礼日時:2021/11/04 07:54

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