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宗教には啓示宗教とそれ以外があります

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啓示宗教とは明確な人格神 つまり唯一絶対の神が下した宗教のことを言います
それ以外とは、仏教のような人間の哲学にすぎない宗教や多神教のような明確な人格性を持たない自然を擬人化したような宗教のことを言います

そして宗教の分類上当たり前ですが

キリスト教は上になり仏教は下になります

神がいた場合当然キリスト教は絶対の啓示であり、仏教は所詮人生哲学にすぎないからです
いなかった場合も、啓示宗教とは主張していないため、仏教は分類形式上下の宗教になります

嫌信じられないんだけど宗教をかじっておいてこの程度のぐぐればすぐでてくる有名な分類もしらないひといるんだね

ちょっと勘弁してほしいかんじ

疑問に思ったらぐぐるぐらいしてくれ

そして質問はこれを前提にして

この宗教分類をどう思いますか?

繰り返し言いますがこれは私の主張でもなく 独自研究でもありません
一般的な宗教学的な分類です(証拠を示したように)

質問者からの補足コメント

  • いやマジで絶対のものは唯一だから絶対という日本語の意味もわからないのか?

    勘弁してくれ

    客観的概念上、定義上、キリスト教の神より仏が下なんだよ!!

    だから仏教は啓示宗教より下なの!

    わかった?

      補足日時:2021/11/12 20:45
  • 勘弁してくれよとしかいいようがないな

    絶対のものは唯一だからぜったいだなんて概念、だれにもわかるとおもうんだけどね

    仏は複数存在で相対的な存在だから明らかに概念上神におとるんだよ?

    これ以上どう説明しろっていうんだ

      補足日時:2021/11/12 20:48
  • 宗教を多少ともかじってるんだったら

    絶対のものは唯一だから絶対という概念ぐらい覚えとけ

    つまり客観的な概念的定義として仏はどう頑張っても神にはかなわないんだよ!!

      補足日時:2021/11/12 20:50

A 回答 (8件)

宗教の分類はともかくキリスト教のような啓示宗教が上だとの根拠はなにでしょう。



すくなくても啓示宗教が上だということが「一般的な宗教学的な分類」でないでしょう。
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この回答へのお礼

根拠は何度も書きました
また上で書いたので参照してください

それでもわからないなら他人に私の文章を読んでもらって説明してもらってください

これ以上ないくらい優しくかみ砕いてせつめいしています

お礼日時:2021/11/12 20:32

貴方には当たり前なだけです。


勘違いしている人に分類されてますが、知りませんでした。
宗教をかじる気もしません。
宗教信じてしまうと、何を言っても無駄と思っています。

>仏教は所詮人生哲学にすぎないからです
宗教と哲学を一緒にしないでください。
別のものです。

どうやらキリスト教を信じてるようですが、
他宗教を、○○にすぎないとか、軽く見ないことです。
無駄だったかも・・・。
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この回答へのお礼

違いますなぜ当たり前なのかは何度も説明しました
ちゃんとよんでください

仏教の仏は人間にもなれる相対的であいまいな存在です
しかしキリスト教の神は人間を完全に超越した絶対の存在です

故に宗教分類上キリスト教が上になります

これ以上何を説明しろというのですか?

お礼日時:2021/11/12 20:31

No1です。


>根拠は何度も書きました
>また上で書いたので参照してください

貴方がそうおもっていらっしゃるだけで、「宗教の分類上キリスト教が上で仏教が下」という説明にはなっていませんよ。
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この回答へのお礼

いやこれ以上かみ砕いて説明することができない

信仰とか抜きにして


仏教の定義では仏はだれにでもなれる存在
つまり相対的な存在

論理的に言って絶対のものは唯一だから絶対なの
いくつもにたようなものがあったら絶対とはいわないの

それがわからないなら辞書でも引き直すか日本語を勉強しなおしてくれ

それに対してキリスト教えの神は唯一絶対なの

つまり客観的な宗教定義、言葉の意味としてキリスト教の神の方が上なの

つまり客観的宗教定義分類においてキリスト教は仏教の上なの

わかったね?

これ以上はかみ砕いて説明できない

お礼日時:2021/11/12 20:44

宗教とは信じる者は救われるだけで良い、他の付け足しは要らない。

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宗教学と宗教を信じることは違いますよね。


犯罪学と犯罪を正当化することは違います。
犯罪を類型化したりして、傾向や、社会の動向との関連性などを調べたりするんですよね。
 同じように、宗教がどのように生まれ、どういう時代の要請にかなって変遷してきたかなどを研究することと、宗教が正しいとか、信じるべきものだということにはなりませんよね。
 ご質問者様はその辺をどう考えていますか。
 逆に質問させて下さい。
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啓示宗教とそれ以外、ということから入った場合、


神を持ち出した啓示宗教の方が上、という感覚でしょうか。

仏教の場合は神の存在可能性は
空の部分に保留しているのだと思います。

そして人間にできることは
われ思うゆえにわれあり
という認識の主体の実存から入ること。

そこに神を持ち出さなければならない程度が
その社会環境の中での
表層の全方向からの人間性否定の激しさによって決まる
ということなだけで、
つまりは
啓示宗教かどうかで上下が決まるという話ではない
のではないかと思います。
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そりゃね。



キリストやイスラムの神は
全知全能の創造神です。

これに対し、仏てのは、人間が
修行して、悟りを得てなるものです。
所詮は人間です。

だから、キリストの神の方が
仏陀よりも偉い、というのは理の当然です。
キリストの神は、天地創造までやって
のけるんですから。




この宗教分類をどう思いますか?
 ↑
神は人間の創造物ですから、どのように
でも観念出来ます。

上だ下だ、なんて無意味だと思います。

それよりも、自然発生的か人工的な
宗教か、という方が意味があるのでは。

キリスト教や仏教のような人工的宗教は
創唱宗教という分類になっています。

これに対し、日本の神道は、自然発生的に
産まれた宗教です。
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啓示によって始まった宗教とそれ以外の宗教とに分類するのは妥当ですが「どちらが上でどちらが下」と言うのは不適切でしょう。

啓示宗教とそれ以外の宗教は言わば役割分担が違うわけですから「職業に貴賤なし」と言うのは宗教にも当てはまるはずです。
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