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平氏政権というのはどの様な政権だったのでしょうか?
平清盛が太政大臣になったのは有名ですが、他の平氏の武士達も朝廷の上位の官職を占めていたのでしょうか?
今の時代で言うと、衆議院の議席の半数以上が平氏で占められた様な状態だったのでしょうか?

A 回答 (5件)

A:>平氏政権というのはどの様な政権だったのでしょうか?



「どのような」の内容や範囲が不明なので「何」について語ればよいのかわかりません。
他人様の好意をあてにして回答を求めるなら、「主旨」は明確にして下さい。(何の努力もしない者ほど、このような丸投げをする)


回答A:天皇の外戚となった平清盛とそのファミリーによる政権。
外戚という立場により、摂政や太政大臣等の重要なポストを得る。
→利権(役職や各地の国司の任命権)をゲット。寄進も受ける。
(外戚になる過程は質問の主旨から外れるので、ここでは語りません)

権力の根拠自体は、それ以前の藤原氏の摂関政治と同様です。
(これすら知らないなら、説明する価値すらない)
理由については、当時は変則的な母系社会であり、妻の実家(→天皇の母)の影響力が無視できなかったからです。
(これも質問の主旨から外れるので省略)



B:>他の平氏の武士達も朝廷の上位の官職を占めていたのでしょうか?

回答B:全ての「平氏」が利益を得ていたわけではありません。

平氏=清盛一門ではありません。(画像参照)
源氏についても同様です。

質問の「平氏」ですが、正確には清盛の「平家」
=「平清盛を中心とした婚姻等による縁戚も含む家族共同体」です。
→これによれば他の平氏の氏族毎に「平家」がある。

実際、頼朝に従って「平家」討伐に加勢した平氏も多数います。
(頼朝の妻の実家の北条氏は平氏を自称しています)
逆の場合も同様にあります。
《「平家物語」が「平氏物語」ではないのは、あくまで滅亡したのは、平清盛の一族であって、前述の「平氏」自体が消滅したものではないからです》



「平氏であらずば人にあらず」という言葉が反感を買ったのは以下の理由によるものです。

まず「平氏」とは男系の一族の事です。
そして前述の「平家」には平氏以外も含まれます。
特に清盛の親族には「皇族」もいます。
「平氏政権というのはどの様な政権だったので」の回答画像5
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この回答へのお礼

なるほど。分かりやすい画像までいただきありがとうございます。清盛公の一族のみが、繁栄したのであって、すべての平氏が権力を握れたわけでは無いのですね。
平氏の権力の源泉が藤原氏と同様で、天皇の権威を利用しただけというのは意外でした。

お礼日時:2021/11/27 21:18

> 今の時代で言うと、衆議院の議席の半数以上が平氏で占められた様な状態だったのでしょうか?



朝廷は、議員が一人一票を行使できる投票制の仕組みではないので、衆議院の勢力イメージで考えるのは、見当違いだと思います。
首相が、大臣を任命するときに派閥を考えて任命するのに、少しは似た面があるのかもしれません。 1167年に清盛が2月から3ヶ月間だけ太政大臣になりますが、1165年に権大納言に昇任した頃から有力者の筆頭になっていたのでしょう。 でも、偉人の常で、後代に造られた物語などのイメージが多すぎて、実像はわからないです。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E6%88%B8 …

清盛の一族から公卿に昇任されたものが多かったことは確かですが、これは平氏の勢力が強かった結果であって、公卿の多くが平家一族だったので平氏の政権が強くなったのではないです。
http://route-125.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/ …

> 他の平氏の武士達も朝廷の上位の官職を占めていたのでしょうか?

朝廷の官位、官職はいろいろの事情が絡んで叙任されるようになっていたので、後代には多くの武士も官職を持っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AE%B6 …
平家政権下でも、源頼政は従三位の公卿でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E9%A0%BC …

> 平氏政権というのはどの様な政権だったのでしょうか?

政権を握れるような地位を獲得出来たのは、西国・瀬戸内海航路を制圧し、日宋貿易での膨大な利益を上げ、その利益を朝廷にもたらしたことにあるのでしょう。 律令制が名目だけで荘園制になって朝廷の財政も窮迫していたときに、平氏は多くの荘園を手にし、日宋貿易で稼いだのですから、一大事業家だったのです。 武家・武士という武力も、この経済の基盤を獲得するためのものだったのでしょう。
「平氏政権というのはどの様な政権だったので」の回答画像4
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太政大臣となり政権を握っただけでなく、一門が律令体制内で高位高官に昇ったことや家人を地頭に任じ荘園支配(全国の半ばに及ぶ知行国と500余の荘園)もあります。

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清盛の子供、甥っ子、姪っ子、また、その配偶者等、



政権のほぼ全部を平氏で占めていたようです。

源頼朝を殺さないで、温情をかけて生かしたのが、失敗の元ですね。

また、赤ん坊だった義経も殺しておけば、平家は、もっと、

長く続いたと思います。

現在の神戸港を拓いて貿易をし、お金は唸るようにありましたからね。

清盛は、自分の娘を高倉天皇の皇后にして、安徳天皇を産ませます。

まあ、この辺りまでが、平家の頂点だったのでしょうね。
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平氏でなければ、人にあらず。

というぐらい平氏が役職を独占してたようです。
今の内閣でいえば、大臣クラスは与党で独占してる状態。
ただ、実力者は清盛一人だけだったようで、清盛の死を境に、源氏の巻き返しが始まります。
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