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臨済宗には、特定のご本尊がないのはなぜなのでしょうか。他の宗派にはきちんとしたご本尊があるのにもかかわらず。ちなみに私は沖縄県の人なので、補足なのですが、琉球王朝時代に建てられたお寺は、首里城周辺にある多くのお寺は臨済宗妙心寺派で占められています。首里城地域以外の地域は真言宗で占められています。

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A 回答 (4件)

本尊は通常は「寺院や仏壇で中心として祀られる仏」「施主の信仰によって安置される仏」という意味で使われますが、密教経典である『大日経』に「本尊の形を観縁するが故に、即ち本尊の身を以て自身となす」や、『金剛頂経』「或は観じて本尊を成じ、或は印を以て本尊を成ず」にみられる言葉です。


 さて、いわゆる宗派の中核をなす仏としての「本尊」であるならば、宗派の根本経典の教主が本尊でしょう。華厳宗なら『華厳経』の教主「盧舎那仏」。真言宗なら『大日経』『金剛頂経』の教主「大日如来」。天台宗、その派生としての日蓮宗は『法華経』の教主「久遠成道の釈迦如来」。浄土宗・真宗は「浄土三部経」の教主「阿弥陀如来」。しかし、「不立文字」「教化別伝」であり経典に依らず教えを伝えるという禅宗には、当然に宗派の根本経典がないですね(『般若心経』や『観音経』などは読誦経典であって、根本経典ではありません)。だから本来の意味での本尊がないのです。
 それに平安時代に禅が伝わったときも「禅は修行の手段であって、禅そのものには独立した“宗”としての教えがない」というのが当時の考えでした。栄西禅師が建仁寺を開山する際も、天台・真言を広めるために禅を学ぶ寺院としました(当時の栄西禅師は天台僧です)。東福寺も天台・真言・禅の兼宗寺院として開かれています。
 だから新たに禅寺を開くのであれば釈尊を祀ることが多いし、禅宗に改宗するのであれば、以前の本尊をそのまま受け継いでも構わないし、縁のある仏を祀ってもよいという考えでしょう。ただ、一般の仏壇では目安として釈尊を安置することを薦めているのでしょうね。


 なお、天台宗や真言宗の寺院でも、さまざまな仏が祀られますが、この場合は“本尊の別の姿”として祀るので、禅宗のように本尊がないからという立場とは異なります。
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この回答へのお礼

とても勉強になる回答をいただきありがとうございました。これからも勉強していきたいと思います。

お礼日時:2005/03/28 12:42

 臨済宗では「南無釈迦牟尼佛」と唱えますし,在家の仏壇のご本尊はお釈迦様であることが多いのです。


 
 昔,臨済宗のある派が末寺に「本尊はお釈迦様にするように」とお達しを出したことがあります。しかし,末寺はそれぞれ歴史的経緯があり,他宗派から転じた寺もあれば,それぞれの地域で信仰の深かった仏様を祀っている寺もあります。突然本山から「本尊をお釈迦様にしろ」と言われても「はいそうですか」と従えない事情があり,また,仏像も安いものではありませんから,おいそれと本尊を取り替えることができません。そのため,本尊をお釈迦様に替えるという事業が一向に進まず,ついに本尊を特定しないということに行き着いたという歴史があります。

 臨済宗では「本尊は必要ない」と言っているわけではありません。
 また,余談になりますが,「不立文字」「教化別伝」を誤解されないようにお願いします。これらは経典は必要ないと言っているのではなく,経典も大事だけれど,経典に書かれていないことも重要なのだということです。そして,自分自身に仏性が宿っているということに覚醒することが最も重要であるとしているのです。
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この回答へのお礼

臨済宗にはそういう歴史があったとは思いませんでした。教えてくださりありがとうございました。

お礼日時:2005/03/28 12:31

禅の公案に「丹霞焼仏」というのがありますがご存知でしょうか。


詳しくは自分で調べていただきたいのですが、禅僧にとって本尊とはたいした意味のあるものではなく、先輩の遺影といった感じのものです。
そして彼らは天台宗の「本覚思想」の影響を受けており、人間は修行の結果悟りを開くのではなく、修行そのものが悟りですから、ひたすら「只管打座」をやります。
また禅の基本は「不立文字」「教化別伝」というように、経文を読み仏像を拝んだところで仏法の心理を掴むことは出来ないといいますので、本尊など無意味なことです。
私もどう説明しても自分でも十分理解できないのですが、禅宗系は物事を概念で捉えることが多く、我々浅学な者には理解しにくい面があります。
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この回答へのお礼

回答を読み、気がついたことがありました。遺影という意味がわかったような感じがしました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/03/28 12:35

禅宗の場合、修行して悟ることが目的だと思います。

つまり仏様にすがるのではなく自分が仏になるので、ご本尊など必要としない、ということなんじゃないかな、と。
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Q天台宗の本尊は

天台智ぎ、妙楽、最澄は同じ本尊に同じお経を唱えていたのでしょうか

また本尊は仏像だと思うのですがどのような仏像でしょうか

よろしくお願いいたします

Aベストアンサー

「本尊」の定義とは、

ある宗派によって、本師・本仏として供養・礼拝する尊像のことであり、
一堂・一宇において供養される尊像の中心的なもの

であろうと思います。

ANo.2さまの回答は、このうちの「本仏として供養・礼拝する」対象という意味で「釈迦牟尼仏」とおっしゃったのだと思います。
たしかに広い意味では、各宗派の“本尊”は釈迦牟尼仏だとは思います。お釈迦様がいなければ、仏教はなかったわけですから、お釈迦様を尊崇しない宗派は仏教ではあり得ないとは思います。
が、“「釈迦牟尼仏」以外は本尊はいない”と言ってしまっては、各宗派が立てている教義がおかしくなってしまいます。

また、質問者さまが言われている「本尊」とは、延暦寺というお寺に祀られている本尊(実際に安置されている仏像)のことを聞いておられると思いますので、“「釈迦牟尼仏」以外は本尊はいない”などと言ってしまうと、質問の意味からはずれてしまうと思います。

東大寺は華厳宗で、『華厳経』の教主は毘盧遮那仏で、それを本尊として華厳宗という宗派を立て、高野山や東寺が本山の真言宗は、『金剛経』『大日経』を中心に、大日如来を本尊として教義を広めているのです。
東大寺や東寺その他、各宗派の本山と呼ばれるお寺でも、塔頭はたくさんあり、塔頭によって祀られている本尊は違いますが、本山の中心的なお堂(本堂なり金堂なり)には、その宗派が依りどころとしている仏さまが本尊として祀られています。

そこで、本題の天台宗ですが、ANo.1さまがおっしゃっているように、天台宗では特定の本尊を定めていません。
天台宗の中にはいろいろな教義(円教や密教、浄土など)があり、塔頭によって中心とする教義が違い、それによって本尊が決まっているようです。
ただ、その中でも、天台宗総本山比叡山延暦寺の中心といわれるお堂は「根本中堂」です。その根本中堂には最澄が手ずから彫ったといわれる「薬師瑠璃光如来」が秘仏として祀られています。
天台宗の密教では、薬師如来を重要視した、真言宗とは少し違った教義を持っているようです。

先にも言いましたように、天台宗は特定の本尊を立てていないので、あくまで、根本中堂に祀られている本尊が薬師如来であって、天台宗の本尊という位置づけではないのですが。


智[豈頁]や荊渓湛然が中国の天台山でどのような本尊に向かってどのようなお経を唱えていたかは、専門家ではないのでよく分かりませんでした。

「本尊」の定義とは、

ある宗派によって、本師・本仏として供養・礼拝する尊像のことであり、
一堂・一宇において供養される尊像の中心的なもの

であろうと思います。

ANo.2さまの回答は、このうちの「本仏として供養・礼拝する」対象という意味で「釈迦牟尼仏」とおっしゃったのだと思います。
たしかに広い意味では、各宗派の“本尊”は釈迦牟尼仏だとは思います。お釈迦様がいなければ、仏教はなかったわけですから、お釈迦様を尊崇しない宗派は仏教ではあり得ないとは思います。
が、“「釈迦牟尼仏...続きを読む

Q大日如来様とはどんなお方なのですか?

私は浄土真宗ですがご説教の中に大日如来様の話が出て詳しくしりたいと思いました。

もしよければ教えてください。

Aベストアンサー

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一目見た中国真言宗の最高僧が、「遅し!我、汝を待つこと久し!」と叫んだという逸話があります。

 勉学に励んだ空海は真言宗のすぐに最高位に就き、奥義や仏典などを全部日本に持って帰ったために、以後、中国では真言宗は廃れました。数年前、中国に空海像が里帰りしたような記事を見た記憶があります。


 密教では当然、大日如来は宇宙(宇宙を描く曼荼羅)の中心であり、諸仏(如来その他)も大日如来から産まれるものとされています。それ故、諸仏の王とされて王冠を被って描かれたり、彫られたりします。場合によっては装身具も身につけます。

 大本の思想は、帝釈天と戦った阿修羅系の神だそうです。ゾロアスター教のアフラ・マズダ(全生命の根源)・・・ そのものではないようですが、思想的には同系だとのこと。

 一神教は、他宗教信徒に対して「受け入れ」を求めるだけ(拒否すれば死)ですが、仏教のように平和的な宗教では、相手の言い分を認めて受け入れなければなりません。

 有名なところでは、阿修羅は帝釈天と何度となく戦った後、仏教に帰依したことになっています。これなどは、阿修羅を信じる者に、「阿修羅でさえ帰依したんだから、おまえたちも」と言うための方便だったものと思います。

 そう説得するためには、まず阿修羅の存在を認め、次に仏教の中に受け入れなければなりません。

 つまり、平和宗教というのは、いろんな宗教からの影響を受けざるを得ないのです。で、その一つが、大日如来。

 大日如来は、万物の根源であり宇宙そのものですので、かくかくしかじかの容姿であった、こう考えた、というようなことはおそらく伝わっていないものと思います。

 その代わり、というわけではないのでしょうが、金剛界や胎蔵界のそれぞれで、さまざまな仏や菩薩、明王などに変身して人々を教え導くとされています。例えば、不動明王も大日如来の変身姿の一つ(教令輪身)です。

 従って、大日如来そのものを直接知るのではなく、それぞれの仏などの教えや特徴を知って積み上げていくしかないのではないかと思います。
  

 我が家も浄土真宗ですが、浄土真宗の説教に大日如来が出るのは珍しいんじゃないでしょうか。

 というのは、浄土真宗などは仏教の中でも「顕教」と呼ばれる一派に分類されますが、もう一派を「密教」と言います。つまり、別派だからです。

 この密教は、この大日如来(理解の仕方にもよりますが、本来は大宇宙そのものであって物言わぬ仏)から、直接意向を聞いたり、加持祈祷を通じてお願いをしたりしようという仏教を言います。

 空海が中国から持ってきたのが真言宗ですが、空海が渡海した時、空海を一...続きを読む

Qお線香の本数には決まりがあるのですか。

仏前やお墓にあげるお線香の本数には、何本が好ましいというような決まりがあるのですか?

49日までは、(49日まで用の)祭壇に毎日お線香を1本だけ(起きている時間)絶やさず着けていましたが、春の彼岸ということでお寺さんが来てお経を上げてもらった時は、お坊さんがお線香を2本同時に着けていました。

お墓参りの時は、10数本~1束まとめてお線香を着けていような記憶があります。

そこで質問なのですが、49日までは1本で、それ以降は2本(又は2本以上)といった決まりがあるのですか?

また、仏前とお墓の前とでは、お線香をあげる本数に違いがあるのですか?

ご存知の方、詳しい方、少しでも知っている方、
教えてくださいますようお願いします。

Aベストアンサー

詳しく書かさせていただきます。

私の家は浄土宗なので浄土宗のお話になりますが、
お線香は『仏・法・僧』の意味を込めてそれぞれ1本ずつ、計3本です。
仏は仏様、法はその宗派、僧は、仏様をあの世へと導いてくれた菩提寺の住職へ。という意味です。
ですからお坊さんが来たときには自分から自分へ。なんてことはしないので基本的に仏・法への1本ずつ計2本ということになります。

ですから49日までの飾り棚を見ていただければわかりますように、一人の仏様用です。それに宗派によってですが、ご本尊もそこには奉られていないはずです。
ですからこの場合、仏への1本。ということになります。さて、では49日を過ぎると、仏様はあの世へ到着し、本当に仏様となって、再びこの世に生を受けるための修行をなされます。
そうなると飾り棚ではなく仏壇を使用されますが、
そこからは、仏、法、僧の3本を焚いてください。また、僧を抜かして2本でも構いません。

コレはお焼香(抹香)でも同じです。
よく、通夜式(御通夜)なんかでは3回しますが、
翌日の葬儀式(告別式)では、ホールの方に、お焼香は一回で構いません。
といわれるケースが最近ありますが、通夜では、仏・法・僧の意味で、告別式では故人との別れとのことで
仏だけの1回ということになります。


また、お墓ですが、これまた49日までは一人1本ずつ。その後は特に決まりはありませんが、こういう基準を持つといいでしょう。
まず最低ラインである仏・法・僧の3本に、
そのお墓に入っていらっしゃる仏様の人数×1本ずつ
を一人一人が焚けば宜しいと思います。

ですからお墓に3人入っていらっしゃるのならば6本。5人なら8本ですね。

また、法事などでは一人3本ずつで構いません。が、法事をする対象の故人の人数が2人ならば+1本ずつ。としていけばいいでしょう。
法事のときに一人1本ずつは恥ずかしいですよ。

また、点けてしまってあまったお線香は施主か家族が全部線香受けに入れてあげてください。


ついでに言っておきますが、法事などのお墓参りには
事前に3ヶ月ほど前にお寺さんに出向き、1週間前に確認のため出向いたほうがいいです。その時、お寺ごとは2人で行くのが常識です。また、確認後はお墓へ行き、線香はいいので、お墓の掃除やお花を供えて、当日にやることがないようにしましょう。


ながながとすみません。

詳しく書かさせていただきます。

私の家は浄土宗なので浄土宗のお話になりますが、
お線香は『仏・法・僧』の意味を込めてそれぞれ1本ずつ、計3本です。
仏は仏様、法はその宗派、僧は、仏様をあの世へと導いてくれた菩提寺の住職へ。という意味です。
ですからお坊さんが来たときには自分から自分へ。なんてことはしないので基本的に仏・法への1本ずつ計2本ということになります。

ですから49日までの飾り棚を見ていただければわかりますように、一人の仏様用です。それに宗派によってですが、ご...続きを読む

Q臨済宗・日蓮宗等の宗派について

臨済宗・日蓮宗等の宗派について

学校の歴史の時間に
空海→真言宗、最澄→天台宗
等習いましたが

栄西→臨済宗、日蓮→日蓮宗(法華宗)
ですよね。

で、日蓮宗は題目「南無妙法蓮華経」です。

歴史の時間では、この表面的な事というか
日蓮は日蓮宗を開き、日蓮宗では題目「南無妙法蓮華経」が有名とかそういう事しか習わないのですが

南無妙法蓮華経ってお経ですよね?

私の家は臨済宗ですが、夏の施餓鬼や○○回忌などの時のお経では必ず
「南無妙法蓮華経」をお坊さんが唱えます。

私の家のお墓があるお寺さんでは
皆で「南無妙法蓮華経」を唱えます。

でも、南無妙法蓮華経は日蓮宗のですよね?
そういう意味ではないのでしょうか?

他の宗派は知りませんが、浄土宗とか曹洞宗の宗派のお寺のお坊さんも
葬式などで南無妙法蓮華経を唱えますか?

このお経は日蓮宗のものではないのですか?

教えてください。

Aベストアンサー

法華経は日蓮宗だけではなく、天台宗、臨済宗、曹洞宗などでも信仰されています。それらの宗派では法華経だけではなく、それ以外のいろいろなお経を信仰しています。

日蓮宗は法華経だけを信仰する方針なので、法華宗ともいわれます。

簡単にいえば。
ちがいは法華経だけなのか、他のお経もありなのかということです。

Q仏像に魂入れは必ず必要か?

仏間に位牌と三具足を置いて毎日手を合わせています。今度、ご本尊の仏像を購入しました。仏壇店では、仏像に魂入れをやってくださいとの事です。その場合、ご本尊の仏像に魂入れは必ず必要でしょうか。仏壇の購入予定はないです。

Aベストアンサー

こんばんは。

魂入れはお位牌、新規に立てたお墓などでよく行われることなのですが、新しい仏像をお迎えになったということは、やはりこれも魂入れが必要になるものと思います。

魂入れとは開眼法要または開眼供養と申します。(ただし浄土真宗では呼び方が異なります。御移徙といいます。)
もともとは造られた仏像には眼を入れなかったんです。お祀りする際に法要を行って新たに目を書き入れるところから開眼と名づけられております。眼を入れるということは、仏法上から見ると「智慧の眼」を開いて仏法の真理を悟ることとされます。

お求めになられた仏像に眼がないわけではなく、お寺様において書くわけでもございませんが、魂入れである開眼供養をすることは、その造られた仏さまに「智慧の眼」を授けることで仏の世界に生き、ご本尊になるということになります。そしてお位牌などの祖霊は本尊となった仏さまの世界の中にお祀りされていくわけです。

詳しくは菩提寺様があるのであれば、そちらにもお尋ねになってみてください。
絶対今すぐにでも魂入れをしてほしいということは言いません。それぞれの事情もあり、すぐにはできないことも考えられるからです。ただご自身が納得されるようでしたら、魂入れである開眼供養をされるとよろしいかと思います。

以上です。

こんばんは。

魂入れはお位牌、新規に立てたお墓などでよく行われることなのですが、新しい仏像をお迎えになったということは、やはりこれも魂入れが必要になるものと思います。

魂入れとは開眼法要または開眼供養と申します。(ただし浄土真宗では呼び方が異なります。御移徙といいます。)
もともとは造られた仏像には眼を入れなかったんです。お祀りする際に法要を行って新たに目を書き入れるところから開眼と名づけられております。眼を入れるということは、仏法上から見ると「智慧の眼」を開いて仏法の真理...続きを読む

Q仏壇用の御本尊はどうお迎えすべきでしょうか

浄土真宗本願寺派(西)の者です。

先日父が亡くなり、仏壇を買い求めました。
置き場所や予算の関係から、仏壇はかなり小さめのサイズ(幅43Cmの上置き仏壇)です。
御本尊をお迎えしなければならないのですが、調べていくうちに、正式には本願寺から入手するものだと知りました。
お寺に聞きましたところ、ご本尊は絵像、脇掛けは親鸞聖人と蓮如聖人のご影像となるとのことですが、仏壇が小さいため20代のサイズを三幅飾るのはやや無理がありそうです。

そのような場合、ご本尊だけでも問題がないのか(20代特小)、あるいは無理をしてでも三幅にしたほうがいいのでしょうか。
電話という事もあり、御住職のほうとは深く話しをすることはできなかったのですが、こうしたほうがいいと特に強く勧められるということはありませんでした。

また、仏具店等で売っている町版のものであれば小さいものがあるため、そちらを飾っても問題ないのでしょうか。
仏具店に聞いたところでは、当社でも正式な御本尊を取扱可能ですが、実際は御本尊を本山から正式に授与される方は全体の2~3%程度だとのことでした。

また、これは私の心情的なものなので、お寺の方などにはお叱りを受けそうなことなのですが、仏様を飾るのであれば絵よりも仏像(木仏)を飾るほうが、拝む際にも何となく有難味がある(拝む気持ちが増す)ように思っていたのですが、浄土真宗の場合は実際には逆だとのことですね(文字>絵>仏像)。
ただし、これも仏壇屋の話しでは半数くらいは私と似たような感覚で仏像をお求めになられるとのことでした(と言っても対応的に、利益の出るほうを勧めているというわけではありませんでした)
この仏像に関しても、木仏検査でお墨付きがでるような立派なものではありません。

まとめますと、
1.本願寺公認の正式な本尊のみ
2.本願寺公認の三幅 (置けなくもないが、仏壇内のスペース的にやや無理がありそう)
3.木仏のみ
4.木仏+町版の小さな脇掛け
5.町版の三幅揃い
で、どれにすれば良いのか迷っています(費用の問題もあります)。

私としては本願寺公認の三幅があるということを知る前は4がいいかなと勝手に考えていたのですが、有識者の方にどうすべきかの御意見をお聞かせいただけたらと思います。
よろしくお願いします。

浄土真宗本願寺派(西)の者です。

先日父が亡くなり、仏壇を買い求めました。
置き場所や予算の関係から、仏壇はかなり小さめのサイズ(幅43Cmの上置き仏壇)です。
御本尊をお迎えしなければならないのですが、調べていくうちに、正式には本願寺から入手するものだと知りました。
お寺に聞きましたところ、ご本尊は絵像、脇掛けは親鸞聖人と蓮如聖人のご影像となるとのことですが、仏壇が小さいため20代のサイズを三幅飾るのはやや無理がありそうです。

そのような場合、ご本尊だけでも問題がないのか(20代特小)、...続きを読む

Aベストアンサー

おはようございます。

私は浄土真宗(東系)の住職をさせていただく者です。
質問者様はお西ということですが、東と西ではさほど大差はありませんので回答させていただきます。

やはり正式な物は御本山から御下付いただいたご本尊です。
何故、「正式な」ということを申し上げるかというと、御本山からの下付ということは、御本山からお許しを頂いた御本山のご本尊の分身を頂くという事なのです。
お仏壇屋さんの作られた本尊では本山のお許しを頂いた分身という意味合いがありません。
ですので「正式な」という表現を使うのです。

脇掛けはお西は絵像ですね。
お仏壇の場合はやはり正式な物は御本尊も御木像ではなく絵像です。
御木像は寺院のみ許される本尊なのです。
これにはシステムがあります。
御本山は阿弥陀如来の御木像・宗祖親鸞聖人も御木像です。
末寺は阿弥陀如来は御木像・宗祖親鸞聖人は絵像です。
門徒のお仏壇はすべて絵像になります。
これは、御本山の本堂の分身が末寺の本堂であり、末寺の本堂の分身が門徒のお仏壇になるのです。
門徒は阿弥陀如来の御木像をお参りするために末寺の本堂に行きます。
末寺の住職及び門徒は宗祖の御木像をお参りするために御本山に行くのです。
このシステムを崩すことの無いように正式な御下付されるご本尊は絵像となるのです。

三幅のお飾りが難しいようであればご本尊のみということになるかと思います。
御本尊のみでも御本山からの御下付はしていただけます。

このことを踏まえた上でお考えになられては如何でしょうか。

お仏壇は、亡くなられた方が入る場所ではありません。
極楽とこの世をつなぐ出入り口です。
先の人を敬い偲ぶことは大切なことですが、先の人がこの世を卒業されて後、お生まれになられた先(極楽浄土)を拠り所としてお参りする場所です。
質問者様が心からお参りする気持ちになれるようにしていただければと願います。

おはようございます。

私は浄土真宗(東系)の住職をさせていただく者です。
質問者様はお西ということですが、東と西ではさほど大差はありませんので回答させていただきます。

やはり正式な物は御本山から御下付いただいたご本尊です。
何故、「正式な」ということを申し上げるかというと、御本山からの下付ということは、御本山からお許しを頂いた御本山のご本尊の分身を頂くという事なのです。
お仏壇屋さんの作られた本尊では本山のお許しを頂いた分身という意味合いがありません。
ですので「正式な」とい...続きを読む

Q日蓮宗と創価学会の関係

先日初めて日蓮宗の葬儀に参列しました。
日蓮宗にあまり馴染みがなかったので、「教えて!goo」で日蓮宗を
検索したところ、「創価学会」とつながりがあることがわかりました。
具体的にどういう関係なのか教えてください。

あと、日蓮宗って仏教ですよね(違っていたらごめんなさい)
なぜ、仏壇の中に仏様がいらっしゃらないのでしょうか?

Aベストアンサー

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
宗教団体ではありませんでした。それが、道徳教育には宗教が必要だという考えもあって
日蓮正宗へ参加します。でもって袂を分かつんですが、日蓮正宗方の言い分は
邪流に走ったから破門なんですが、創価学会方の思いは「散々、貢がせておいて
いらなくなったらポイっかい」というものです。
なので、創価学会は寺院も坊さんもおらず、葬式も友人葬として学会員で行います。
日蓮正宗が学会を池田教といえば創価学会は正宗を日顕宗と呼んだりしています。
悪く言えば、しいたげられても尽くしてきたのに、必要がなくなったら
あっさりとフラれたときの逆恨みとでもいいましょうか、
聖教新聞なんかを見るとあからさまな攻撃記事がありますね。
共通点と言えば、双方とも何か言えば必ず反論してくるところです。

仏壇に仏像がない理由ですが
現在の仏像というのは仏教を広めるために他の宗教の神様が仏に帰依したという
考えのもとできあがったもので、本来、釈迦が説いたものには偶像という概念が
ありませんでした。日蓮大聖人もまた釈迦が説いた仏法への回帰を目指していたため
正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q創価学会って実際、なんですか?(長文です)

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私とはもうつき合えない、と言います。人に聞いてみても、創価学会に対して良い感情を持つ人はいないようです。

私自身、学会には色々矛盾を感じています。
でも、彼にそこを聞いても、世間の間違った思い込みだと言われます。

私は仏教には関心があるのですが、創価学会も仏教なんですよね?
それなのに、私には学会員が何を信仰して、何を目的としているのか
さっぱりわかりません。
学会員に聞いても、よくわかっていないようなのですが…
しかも仏教の教えについて批判さえしています。

それでは、創価学会とは一体なんなのでしょう?

そして、どうして非学会員のほとんどが学会を毛嫌いするのでしょう?

学会の方、非学会の方、両方の意見が聞きたいです…

婚約した途端、彼に家族全員創価学会だと告げられました。

隠されていた事がかなりショックでしたし、私は創価学会についてよく知りません。
でも、結婚するなら入信するよう、彼の家族は言っています。

私がショックで、彼が脱会してくれなければ、結婚をやめるというと、しょうがないね、と言われました。
彼は熱心な学会員ではないらしいのに、です。

私の家族は浄土真宗(一応)ですが、彼が創価学会ということについても何も反対していません。

ただ、友人知人が、もし私が入会するなら、私と...続きを読む

Aベストアンサー

困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いください。

創価学会は日蓮正宗各寺の信徒団体(各寺檀家の、寺をまたいだ横のつながり)だったものが、異様に大きく膨れたものです。本来の教義についてはNo.5様のおっしゃるとおり、オウムのような悪い考えではありません。どちらかというと、むしろ世界の平和を求めている宗教です(と、彼らは言っています)。
歴史的にはそもそも「日蓮」自体が排他的だったそうですし、「日蓮正宗(大石寺)」は「日蓮宗(身延山)」と袂を分かち日蓮の教えを正しく受け継いだはずですが、本来、日蓮正宗寺院の檀家であった創価学会は本山(大石寺)のご僧侶とも袂を分かち、もう10年位前に破門になっています(学会の仕切る葬儀には僧侶がいません)。
つまり、本来の日蓮正宗からも離れ、特定の個人崇拝になって、ますます排他的・独善的になっているということです。

私は仕事上のお付き合いでしたので、部外者の目で内部のことを見聞きする機会がとても多くありました。守秘義務がありますので、ここでその一つひとつを例示するわけには参りませんが、特定の個人とその周辺を中心にした組織の仕組みには、私個人としては首肯できないものがありました。No1様のおっしゃる「巨悪」が真実かどうかは存じませんが、さもありなんと思うところがあるのは確かです。

逆に、日常生活レベルではいいこともあります。
毎日朝晩、正座して背筋を伸ばして腹から声を出してお題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、冬場に風邪を引きにくくなる程度のご利益はあるのではないでしょうか。まぁこれは冗談です。
学会では地域の会員達の集まり(各地の「会館」で行われるものと、もう少し狭い範囲の「地域の世話役」の自宅で行われるものとがあります)が頻繁に行われます。
組織も年齢、性別や職業(学生・主婦含む)で複合的になっていますので、複数の会合に出席することもあるようです。
昨今隣近所のお付き合いも減り、また、2世代3世代が一緒に暮らす大家族ではなくなりましたので、年寄りの知恵の伝承もなされず、例えば子育てをするヤングミセスにも苦労が多いと聞きますが、学会の地域での会合に出ることにより、フラストレーションが解消される、例えば子育ての先輩の知恵が伝承される、困った時に助け合える、何よりも同じ価値観を持つ仲間がいるなど、町内会やご近所付き合い的な効果により、彼らはとても明るい生活を送っています。

学会員は、それぞれ「仕事」と「家庭」の他に、地域社会でも熱中できる対象を持っているわけですから、それはそれで幸せなんだろうな、ちょっとうらやましい人生かもしれないな、などとふと思うことがあります。

これを、「だまされている」というのは簡単です。でも、これが宗教なのです。
創価学会に限らず宗教は皆そうなのですが、信じない人から見れば全く理解できません。価値の尺度が異なるので、私たちの判断基準と合わないのです。
インチの物差し(学会)とセンチメートルの物差し(一般)ではゼロ以外に一致する個所はありません。
偶然2本の定規の線がそろう所もあります。そこが一般社会との窓口です。
ですが、ゼロからの長さは同じでもインチとセンチですから、お互いに相手の尺度で測らなければ、やっぱり何だかよくわからないのです。
お香典を全部持っていってしまうのも、インチの世界に入って見れば、地元組織として一種の互助会的に対応していると言い換えることも出来ます。

一般に毛嫌いされるのは、「あなたのため」と、学会の考えを強要するように感じさせるからです。実は彼ら一般会員は善意なのですが、センチの領域に入ってこようとしないからです。
これは最初に書いた日蓮自体の排他的な歴史の流れと、第二次大戦中の弾圧への反動もありますが、昭和40年代ごろの全国的に行われた強引な折伏(これにより大きな組織になった)が、「学会は・・・」という評価を定着させてしまったことが大きいでしょう。

試しにインチの世界に入って見れば(1~2ヶ月一緒に活動して見れば)ひょっとすると何か分かるかもしれません。
ただ、No1様ご指摘のような、裏と表までは見分けられないでしょうが・・・
いやなら戻ってこられるうちに戻ってくればいいのですが、おそらくその時は彼とはお別れしなければなりません。きっと「金縛り」から逃れる時のように、思い切った動きが必要でしょうから・・・。みんな良い人たちだし、結構楽しいし、このままでいいやと思えば、あなたには新しい世界が開ける代わりに、今のお友達とは縁遠くなる可能性があります。

今の状態のままで結婚なさっても、ご両親が熱心な学会員であればいつかは入信することになるか、さもなければ価値観の相違に耐えられなくなるかのいずれかのような気がします。

困りましたね・・・
現在私は学会員ではありませんし、過去会員だったこともありません。そもそもが宗教自体に頼ろうとは思っていないので、将来も恐らく入信しようと思うことはないでしょう。
ただ、過去自分が担当していた仕事上のお付き合いから、中央のかなりの地位の方々や地方組織の然るべき方、また一般の会員の方々に至るまで、様々なお立場の方々を存じ上げておりましたので、投稿させていただきました。
仕事でしたので、かなり冷静に見つめてきたつもりです。
長くなりそうですが、お付き合いくだ...続きを読む

Q聖観音菩薩にはどんなご利益がありますか?

1年前小観音菩薩像を購入しました

ネットでどんなご利益があるのか調べましたが色々解釈が違いすぎて良くわかりませんでした

聖観音菩薩にはどんなご利益がありますか?

詳しい方教えて下さい

Aベストアンサー

こんばんは

仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。
地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。
あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。
というのが基本的な性格です。

現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。
五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます

もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あります。
ともかく仏格は垂迹が多く、宗派も多岐にわたり、また由緒や縁起に応じて変幻自在なところがありますね
正直言って「お寺によって、仏様のご利益は違う」くらいに様々です
(観音様も「千手観音」・「馬頭観音」・「慈母観音」、はては「マリア観音」なんて観音様までいらっしゃいます)
そういった現世利益的な意味合いでいえば観音様は「あらゆる衆生を救い、あらゆる願いをかなえる、」オールラウンドプレイヤーと言ってもいいかもしれません
なにしろ、マリア様に変身して隠れキリシタンまでお救いになった方です。

こんばんは

仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。
地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。
あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。
というのが基本的な性格です。

現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。
五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます

もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あ...続きを読む

Qお坊さんのことを何と呼べばいいのか教えてください。

例えば、学校の教諭、医師、保母などは一律に「先生」と呼ぶのが一般的だと思います。

お寺の住職、や奥様はなんと呼ぶのでしょうか?
宗旨宗派、または地方によっての違いがあるかもしれませんが、教えていただけますでしょうか?
一応仏教で、本願寺の場合でお願いします。

テレビドラマでは、「ご住職」などと言ってますが正解ですか?

お坊さん本人がいないときの、一般人同士会話では「お寺さん」奥様を「おくりさん」と呼んでいますが、これをそのまま本人に向かって言って良いものとは思えないのですが、いかがでしょうか?

父方の親戚の女性は、お坊さまに対し、「おそうさま」「おそさま」などと、呼んでましたが、他では聞いたことがないため、なんだか、間違っているようにも思えます。これは、いかがなんでしょうか?

Aベストアンサー

大変失礼しました。

確認してみたところ、浄土真宗では、「ご住職さん」が正式とのことです。和尚さんは、仏教一般には通用するのですが、浄土真宗は、宗教的意味もあってこれを使わないようです(師と弟子という関係を嫌うようです)。

「ごえんさん(ご院さん、の訛りだそうです)」、「ご院家さん」は、使います。奥様に関しては、坊守と言いますが、あまりこの言い方を効きませんので、他の方が坊守さんと呼んでいたらそれで良いかと思います。

混乱させて済みません。


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