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0. 幾度も問い求める主題ですが どうぞよろしくお願いいたします。


1. まづ これは――哲学ですが――タトへを交じえての思索です。

2. 答えはいくつかありえたのでしょうが もっともふさわしい手段というのは 神が人間となって 人間として――ということは人びとに決してその生前には 神であることが分かられずに 人間として――去っていくこと。だったのではないか。


3. ここで神というのは それをいま単純にこの[2]項のごとく想定するというものです。 

4. この命題は まづ論理を問題にしていると言わねばなりません。けれどもその意味は――心の問題から入っていないのは 自明ですが―― 別の見方をしりぞけるものではなく 受けつけないという意味でもないということです。
 
4-1. ほかの見方による批判を歓迎するのはむろんのこと またほかの見解そのものについても 受けつけて受け留めたいと思います。――その意味で [2]は単純にそういう一つの想定だということになると思います。





5. さて 《人間として》というのは たとえばイエスの弟子たちも 最後にはペテロを初めとして全員逃げてイエスを裏切ったという事態に現われます。ただの人間どうしの関係であった。(生前には)。

あるいは はりつけになったイエスはその脇腹を槍で突くと血が出たということ。そして実際に 死を死んだということなど。

これらによって《人間として》です。

6. 《人間として》でなければ――つまり もし おいイエスよ 神の子ならそこから降りて来いとローマ兵士たちにからかわれて 神として十字架上から降りて行き奇蹟を起こしたなら あぁ それは神だから出来る われわれ人間にはお呼びではないことだと見なされて 話はおしまいになるということですが 人間としてでなければ―― 

わたしたち人間の生活上の努力が 到底 最終の目的に達して完成することなど出来っこないとわたしたちが思ってしまう。あきらめてしまう。

6-1. 重ねて述べれば キリストなる神として奇蹟を起こしたのなら 神だからそう出来るのだ われわれ人間には到底無理だと思い何ごとにつけても人びとは あきらめてしまう。



7.  しかも 《神が肉となった人間として》でなければ――つまり神の子キリストがやって来たという側面を無くしてしまい 単なる人間イエスとしてだけであったのでは―― 人に見させる光は ただの人間の能力としての理性や知性や感性の光にとどまってしまう。広い意味の芸術や科学の光あるいは思いやりの暖かさだけになってしまう。

8. 逆に言いかえると 神は 人間の《身と心》やその自然本性にそなわった能力なのではなくまたそれを発揮した成果なのではないと人びとが知る必要があった。

神は 人間がこしらえたものではなく やはり人知を超えているところの非知であり非経験の場であるということでなければならなかった。

8-1. 非知:知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ。



9. 人間の能力としての啓蒙の光は 闇を照らすことは出来るかも知れないが この闇を晴らすことは出来ない。闇を晴らす光を見たと言えるようには まだならない。

10. しかもこの《人間イエスかつ神キリストの物語》は 大いなる虚構である。闇の中から光を見させたなら 用済みである。大芝居を打った。

それによって 神をユダヤ民族だけの神ではなく普遍神として指し示した。

普遍神と人間たるわれとの関係 すなわち 信仰を わが心なる《非思考の庭》として現わした。

10-1. 《感性の原野(感じる) および 思考の緑野(考える)》を超えた庭(信じる)であると。



11. 雲をつかむような何ものかを――非知なるナゾを―― 無条件でわが心に受け容れることだという。どこまでも 雲をつかむ話だ。

12. 雷に打たれたかのように雲をつかんだ人たちは――初期には―― 《宣教という愚かな手段》を使ってつたえる中身を 福音(よいニュース)とよんだ。
 



☆ この哲学を問います。


13. 芸術・科学など哲学の具体的な展開は それとして闇の中に光を見させますが 汲めども尽きず湧き出る水のごとき推進力を得るその突破口は 無根拠なる雲をつかむ これしかないという仮説です。

13-1. 無根拠 これがいちばんつよい。

A 回答 (11件中1~10件)

暗闇を 一人さまよう 迷い道 悟り開いて 抜けるトンネル



暗闇を 早く抜けてと 母祈る

奇跡とは 種の分からぬ 手品かな
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この回答へのお礼

★ 暗闇を 一人さまよう 迷い道 悟り開いて 抜けるトンネル
☆ 悟りとは? となると思います。




★ 奇跡とは 種の分からぬ 手品かな
☆ 歴史物語としての表現の問題だとおもいますよ。

お礼日時:2021/12/14 12:49

バンヤン→ミルトン。

訂正
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バンヤンの失楽園。

悪魔が主人公でしたか?神の対局にある悪魔。この者の「苦しみの本質」は、「神とは違って、己が不完全な存在である」ということです。これって「人間」のことですね。我々って、この作品を鏡にすると、悪魔なんですよ。「人間とは悪魔である」。こんな命題が失楽園にあるんでしょう。人間そもそも「闇の存在」だよね。いかにそこから脱却できるか?よく考えて生きるがいい。そんな言葉が失楽園のコンセプトとして語られているのではないでしょうか?神道とは逆の人間観です。
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この回答へのお礼

★ 失楽園。
☆ これは 完全にわすれています。全部を読んだかも さだかではないです。ざんねんながら。

★ 悪魔が主人公でしたか? 神の対局にある悪魔。
☆ いや でも 神の許可を得なければ 悪魔はその悪魔的行為を成し得ないですよ。ヨブ記の冒頭に たしかありました。

★ この者の「苦しみの本質」は、「神とは違って、己が不完全な存在である」ということです。これって「人間」のことですね。
☆ 人間の落ち入ることのある状態ではないかと。



アウグスティヌスに従うならば 悪魔とは 《第二の死に到った状態》です。

ひとは ヤマシサ反応に逆らっておこなう《負の善 つまり 悪》によって 心が(その自然本性としての善が)そこなわれます。

この心の傷は 或る種の死です。意志が・その自由が 自由度において マイナスの状態になってしまう。

ただし この心の損傷としての死は 再生し得ます。われがわれに立ち還ることによって。

ところが 中にはヤマシサ反応にしろ良心の呵責にしろ それらに逆らい切る場合が起こります。

このときには 負の自由としての言わば第一の死が もはや死なない。再生し得ない状態になる。

すなわち 第二の死。悪の状態である心の損傷たる第一の死 これが死ななくなる。ずっと 死。心はリヴァーシブルでもないのに 完全に裏返ってしまった状態。

これが 悪魔です。第二の死は 第一の死に落ち入っている人間を片っ端から 自分の陣地へと引き込もうとする。言わば死の制作者。

この悪魔に従う家来は 悪鬼とよぶ。





★ 神道
☆ は ここで――悪魔および手下の悪鬼を出したところで―― 魂振りを開始します。魂鎮めのために。と理解します。

キリスト者は そうですね 第一の死あるいは第二の死に到った人びとに相い対したときには 基本として どうしてそう成ったか。その経過の過程をしっかりと振り返り認識し尽くすように うながします。

あとは 本人にまかせます。つまりは 神にゆだねます。

お礼日時:2021/12/09 18:43

人は神を絶対的な相対的な位置においてしまうけど



そこを疑ってみるのは、どうでしょうか?

bragelloneさんに暴論を投げ掛けてみましたよ!
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この回答へのお礼

★ 人は神を絶対的な相対的な位置においてしまう
☆ まづ:
★ 絶対的な相対的な位置
☆ これを明らかにしなくてはなりません。


① 神は 絶対性である。

② 相対性の世界にある人とは 絶対のへだたりがある。

③ その上で 神は――絶対のチカラを有するとみるからには―― 相対世界なる人に何らかのハタラキカケをおこなうと見ることが出来る。

④ つまりは 神の霊性を人に送りこれを――ただの感性と理性とから成る存在であるだけではなく 霊性(生命性)をそこに加え――生命体とすることが出来る。霊長類とも言う。

⑤ 霊我と呼ばれるアートマンや ブッダの智慧やチカラとしてのブッダター(仏性)が 感性+理性なる存在の上にやどるといった説明に同じい。

⑥ すなわち 見方によれば 絶対性なる神を 人なる相対存在の内にあたかも神の霊性を 分有せしめるかのごとく やどらせた。

⑦ その霊性についてそれをあたかも《相対的な位置においた》というふうに 表現してみるという見方のことだ。




★ そこを疑ってみるのは、どうでしょうか?
☆ この理論については それが仮説(アブダクション)であり〔同じことですが〕想定であるということを別にすれば うたがう余地はないと思います。


絶対性と相対性とを区別し 絶対性の側から相対世界へのハタラキカケが有り得ると想定した。

――これだけのことですから 仮説であるとみとめるかぎり疑う余地はないでしょうね。

お礼日時:2021/12/06 17:47

ネットが不便になりましたね。


メールの設定すらできず、見つからず、時間だけが過ぎてしまいました。
あおりばかりで中身が無いですね。

黒いと光を吸収してしまうのですね。
黒体放射の場合は光じゃねえ電磁波を出すのでしょうか。
間違えてるでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


いい加減なことは言えないので しらべてみてくださいな。

お礼日時:2021/12/05 04:35

神に成りたがるのも人であって



人は人であるべきだと、人を続けるのも人である

どちらにしても人ってな定義を外れないから

人は何処までいっても人なんだけど

ふと立ち止まって、ワシっ人なのか?
( ̄~ ̄;)神ではないけど、人なのか?

そもそもの人ってな根拠じたいも
知識や認識の枠を外れないから
( ̄~ ̄;)
てなことで、知識や認識の枠の外に出るためにも
キリストは張り付けにされて、処刑されて、槍で確認されたんだけど
本当に、知識や認識の枠の外にでれたのか?
( ̄~ ̄;)ワシにはわからないですね

ワシ自身が、知識や認識の枠の外に出る事ができて

なおかつ枠の外に出た記憶と経験を持ちつつ、知識や認識の枠の中に帰ってきても

その体験を知識や認識の枠内でしか説明できないから
( ̄~ ̄;)実現不可能ですもんね

仮説として
知識や認識から解放されて
人の定義を出来る事ができたら
明確な人間の定義が取りまとめられるから!
人間の定義が出来たら
神の定義もしやすくなるのかなぁ~
なんてなことは思いますよ

知識や認識で人間をいくら定義したとしても
新しいタイプの人間って
時代や環境に寄って産み出されてきてて
その都度、定義問題の壁にはぶち当たりますもんね

無限の可能性って言葉はあるけど
人って、無限の数に近いほど
色んな個性の人が、生まれては死んでいますもんね

現在で74億人とか言われてるけど
人類と認識される時代からかぞえはりと!( ̄~ ̄;)想像もつかないですもんね
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この回答へのお礼

★ 神に成りたがるのも人であって
☆ 《成りたがる》までですね。成り得ません。

★ 人は何処までいっても人なんだけど
☆ です。

★ そもそもの人ってな根拠じたいも
☆ はっきりしとります。神は 絶対性。ひとは 相対性。そこには 絶対のへだたりがあります。



★ 知識や認識の枠の外に出る
☆ とは別です。外に出られるか分かりませんが 出たとしてもそれは 人知と人力での話です。雲をつかむ話ではありません。


★ キリストは張り付けにされて・・・本当に、知識や認識の枠の外にでれたのか?
☆ 認識を超えているということです。


★ 知識や認識の枠の外
☆ 経験世界の内と外 あるいはその境界だとかの話は 雲をつかむ話ではありません。《思考の緑野》の範囲内です。


★ その都度、定義問題の壁にはぶち当たりますもんね
☆ 定義問題は 思考の緑野の範囲です。


★ 無限
☆ 可能無限は 有限・相対の世界におさまります。真無限が 絶対性です。そうでなければ 雲はつかめません。

お礼日時:2021/12/04 16:26

闇の中に居た人が、光が見えたと言えるようになるには



( ̄~ ̄;)

1、その人は、光をあらかじめ知っていたのか?

2、その人が光だと公言したときに、回りに居た人達は光ってものを知っていたのか?

3、光を見た人の認識してる光と、光を見た話を聞いてる人達の光の認識が同じものなのか?

とりあえず!命題だけ拝見してから
3つほど疑問点を投げてみましたよ


1の場合だと
光を見たと話す人が
光を知ってるのに、何故に闇の中身を置くのか( ̄~ ̄;)怪しいですね

2の場合だと
光を見た話を聞く人達は、光を知ってたとするなら、何故に光を灯す努力をしなかったのか?
注釈・・・ほんとに火を灯すってな意味ではなく!良心に沿って生きてるなら、光がなんたるかを認識できるはずであって
闇から出てきた人の言葉を鵜呑みにするのが、個人的にら良心だとは思えないんですね

3の場合だと
光が共通認識されたとするなら
光のない世界に、あえて光って認識を持ち込む必要性があったのか?

命題にある
言えるようになるには

1、言う必要性がある状況下である
2、光を見たと言い出す人を待ち望んでる状況下である
3、光を見たと言っても怒られない状況下である

1の必要性をかんがえると
かなり迫害されてる状況下を想像してしまい
なにかの問題を解決させるための、救世主的な必要性があげられてて
下手をすると問題点の摩り替えとかもあり得ますね
飢饉や天災がきたら元号を変えて対処したような感じかなぁ~
( ̄~ ̄;)
2の場合だと英雄の登場を待ちわびてる感じで!個人的には英雄なんて現れないから、ひとり・ひとりが英雄になるべきなんだと思っとります
3の状況下だと、かなり深刻ですね


質問文全文を読んだ回答は
今から読んでみますね

(  ̄▽ ̄)にっこり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 1、その人は、光をあらかじめ知っていたのか?
☆ あぁ。ここは それほど厳密な条件をつけていないんです。

闇の中にいたと言っても たのしい時を過ごした経験はあるでしょう。でも その今あたかも八方ふさがりの中にいる どうしたらよいか。・・・こんな感じでいいと思うんですが。

つまり 光の経験もあるっていう意味です。


★ 2、その人が光だと公言したときに、回りに居た人達は光ってものを知っていたのか?
☆ 趣旨説明が 舌足らずでしたね。ここは 軽く捉えてくださいね。(  ̄▽ ̄)


★ 3、光を見た人の認識してる光と、光を見た話を聞いてる人達の光の認識が同じものなのか?
☆ ですから あたらしいページが開かれたと思ったし それは 元々のわれはわれなりという自己同一性の回復であったというかたち。そんな程度でいいと思うんですが。




★ 1の場合だと
・・・光を知ってるのに、何故に闇の中〔に〕身を置くのか( ̄~ ̄;)怪しいですね
☆ 経験世界では なにごとも相対的なことがらですから 闇と光も 程度問題だと捉えてみてください。

ただし 雲をつかむような非知なるナゾの話になると たとえば何度も闇の中に落ち込んだとした場合 ただちにその雲をつかんで 光の世界に出る。そしてまた 同じ経験をする。といった話になるはずです。ここに とんでもなさが あります。


★ 2の場合だと・・・何故に光を灯す努力をしなかったのか?
☆ つまり 心の燈心に火がともされるというのは 人間が自分の能力と努力で成し得たのではないと来ています。それが 雲をつかむ話です。


(最澄が 一隅を照らすと言ったとか。でも すくいを求める人が 照らされるのではなく その人自身が 自己の内で心の燈心のともされるのを 或る日或る時ふと 経験する・・・といったお話です)。

★ 良心
☆ のハタラキでしょうが 人間が自己のチカラではたらかすという側面は ないんです。

★ 迫害
☆ からの――人間の手による――解放の話ではないんです。

★ 英雄
☆ の出現とは――なぜならそれは 人知や人力の問題ですから―― ちがいます。

もちろん:
★ ひとり・ひとりが英雄になるべきなんだと思っとります
☆ を否定すべくもありません。それはそれで 経験事象としてあり得ます。

お礼日時:2021/12/04 16:16

6と7 愛を普及するために非力な人々を登場させ


うち一人が圧倒的利他的奇蹟を行なって謳われれば
読み手の共感と憧れをかきたてて効果的です。

8と13 ベルクソンに近いです。
非経験の場を純粋持続、無根拠をイマージュとすると
そこから活力や創造力を得られます。
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精神の未熟→精神の成熟=啓蒙(カント)これって、物事への盲目無知→物事への明察を指しており、知識、技術を身につけて物事に明るくなり、精神の野蛮から精神の啓蒙に向かうことが「闇から光へ」繋がる、とカントなどの啓蒙主義者は言うのですね。

ところが、第二次大戦、ホロコーストを経験した我々人類は、我々の精神を耕した、従来の文学、哲学、音楽、といった芸術教養、文化が、実は、二つの大戦とホロコーストを生んだのではないのか?と問題提起したのが、フランクフルト学派の社会学者ホルクハイマーと哲学者アドルノです。かつて光であった芸術、文化、教養が、大戦とホロコーストを生み出すだけだったのではないのか?。光は、闇の源泉だったのではないか?従来の教養、文化は、闇の源泉だったのではないか?人類の「闇から光へ」「教養文化から野蛮」への反啓蒙を彼らは分析し続けましたね。フランクフルト学派には、「人類の闇から光の歴史」を告発した功績があります。恥ずかしながら。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 精神の未熟→精神の成熟=啓蒙(カント)これって、物事への盲目無知→物事への明察を指しており、知識、技術を身につけて物事に明るくなり、精神の野蛮から精神の啓蒙に向かうことが「闇から光へ」繋がる、とカントなどの啓蒙主義者は言うのですね。
☆ エンライトンメントとよぶからには そうでしょうね。


★ ところが、第二次大戦、ホロコーストを経験した我々人類は、我々の精神を耕した、従来の文学、哲学、音楽、といった芸術教養、文化が、実は、二つの大戦とホロコーストを生んだのではないのか?と問題提起したのが、フランクフルト学派の社会学者ホルクハイマーと哲学者アドルノです。
☆ アドルノは ひょんなことで音楽関係の本かと思って読んだことがあります。



★ かつて光であった芸術、文化、教養が、大戦とホロコーストを生み出すだけだったのではないのか?。
☆ 闇を照らす光 すなわち人間の知性と感性と努力とから生まれた光ではあった。


★ 光は、闇の源泉だったのではないか? 従来の教養、文化は、闇の源泉だったのではないか?
☆ あぁ。そこまで言っていたのですか。フランクフルト学派は。

まぁ 人知のおよぶ範囲と人知を超えたところとの区別ではないかとは思いますが。

★ 人類の「闇から光へ」「教養文化から野蛮」への反啓蒙を彼らは分析し続けましたね。
☆ そうでしたか。J.-J.ルウソみたいですね。

★ フランクフルト学派には、「人類の闇から光の歴史」を告発した功績があります。恥ずかしながら。
☆ そうなんですね。そう言えば パッサージュ論などのW.ベンヤミンを――めづらしく――読んだことを思い出しました。

だからこの学派について何か言えるというものでもないですが。

ヰキぺを見ていたら F.ボルケナウの名もありました。ずいぶん分厚い本を読んだ記憶があります。

M.ウェーバー以後で 虫の食ったように少しづつ読んではいるようですが。

お礼日時:2021/12/04 10:27

凄い勘違いを してるみたいですね・・



キリストは人間ですよ・・
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


そういう説も承知しています。

お礼日時:2021/12/04 09:21

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