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昭和初期、日本は大陸で中華民国(元首:蒋介石)と戦争をしていました(1937~)。しかし、アメリカとイギリスが、武器を供与する形で中華民国の蒋介石に軍事援助しました(⇒援蒋ルート)。そのため日本は、中華民国に勝てるはずの戦争で勝てませんでした。

なぜ米英は蒋介石に軍事援助したのでしょうか。ご存じの方、教えてください。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    大陸で中華民国軍と戦う日本軍は、大陸に権益を持つ欧米を刺激しないために、「我々は欧米の権益を侵かすようなことはしない」と、しばしば声明を出しました。実際、対米英戦争を始める前までは、欧米の権益を尊重していましたよ。

    それにも拘わらず、なぜ米英は蒋介石に軍事援助したのか?

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/12/08 17:52
  • >もしも、日中が軍事的にも一体化すれば、将来的には凄まじいインパクトを持つことは間違いない。

    これは、理解できます。

    日露戦争で黄色人種の日本が白色人種のロシアに勝ったとき、ドイツ皇帝のウィルヘルム二世は、「日本、恐るべし」と白人諸国に警告しました。

    彼は続けて言いました。「日本という国1つだけが大国になることが恐ろしいのではない。日本が中国(清朝)を支配して、統一されたアジアのリーダーになることが怖いのだ」と。有名な黄禍論です。

    20世紀前半の白色人種は、そのような目で日露戦争に勝った日本を見ていたようです。

    アメリカのF.ルーズベルトもイギリスのチャーチルも同じように考えていたのかもしれません。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2021/12/08 18:08

A 回答 (8件)

中国が巨大な市場であることは今と同じ。



その巨大市場を日本にすべて奪われては、経済的にも日本は米英と匹敵する力を持つことになる。

加えて、もしも、日中が軍事的にも一体化すれば、将来的には凄まじいインパクトを持つことは間違いない。
今も米国は、中国封じ込めの戦力として日本の自衛隊(特に海自)の力を当てにしているが、もしも今、日中が軍事同盟を結べば、西太平洋の覇権は日中が持つことになっても不思議はないほどのものになる。

それを考えれば、当時の日中にしても、大国中国と近代化に成功した日本が結びついたときのインパクトの凄まじさが計り知れる。
米英が蒋介石を援助するのは当然の帰結だ。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/08 17:45

No7です。



A:>なぜ米英は蒋介石に軍事援助したのでしょうか。

回答A:支那の市場を手に入れる為です。
その後に、欧州での戦争に参加するという目的も加わったと思います。


当時の世界恐慌下の世界ではブロック経済への移行が進んいました。
その為、アメリカはまだどの国のものでもない支那の市場を欲していました。
(実は、ブロック経済を最初に始めたのはアメリカです。
そして、アメリカが始めたので他の国もせざるを得なくなりました。)

以上の動機から、アメリカは日中の紛争を日本による「侵略」と決め付け、蒋介石には支援をする一方で日本に↓のような経済制裁を行いました。
アメリカ国内でも、様々な日系人への差別的政策をしています。
(他にも日系移民への差別的政策を行っています)

1938年 航空機の対日輸出に同義的禁輸を実行
1939年 通商条約の半年後の失効を通告
1940年 多くの対日輸出に統制を行う
1941年 米国人が蒋介石の政治顧問になる。
1941年7月26日 日本人の在米資産凍結。

これらにより紛争が長期化し日本人の対米感情も悪化し、大東亜戦争に発展しました。



以上の回答ですが、Aより質問者は以下の事をご存じである という前提でのものです。

A:>武器を供与する形で中華民国の蒋介石に軍事援助しました

1:アメリカは中国に援助をしていた。→国際法では中立国ではない。
2:1によりアメリカは宣戦布告もしないで日本に戦争をしかけた事になる。
3:日本とアメリカは真珠湾攻撃以前から交戦状態だった。
  日本は真珠湾を攻撃する時に宣戦布告をする必要すらなかった。

(動画)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm30717527
《1:05 「国際法の基本原則によれば、もし一国が武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出し禁止し、他の当事国に対して積み出しを、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、そのその紛争に軍事干渉することになるものであり、宣戦布告の有無にかかわらず、戦争の当事国になるものである。》

しかし、これらの事は東京裁判では無視されました。

「援蒋ルート」の回答画像8
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/08 17:44

自己紹介を拝見しました。


ごりぱな経歴でいらっしゃるようですが、私が評価するのはここでの質問と回答だけです。


やれやれ・・・また間違い探しからか。

租借地について(故意に)誤解している日本がお嫌いな方がいるようですね。

日本軍の進出は「彼ら」の支那の租界での暴行略奪や満州でのテロに対抗する為のものであり侵略ではありません。
日本の大陸での戦闘は、以下のような状況で「彼ら」の本拠地を叩く為のものでした。
私はこれを侵略と騙る者の知能と国籍を疑います。


満州事変ですが、支那から仕掛けてきたものです。




支那大陸については、国民党と共産党が日本以外の租界でも暴れまわっていました。

【漢口事件】(1927年)
漢口で日本の租界が襲われ、暴民による掠奪が行なわれた。
日本政府は漢口の日本人居留民2000人以上を上海に退避させた。

【南京事件】(1927年)
支那の北伐軍に浸透していた共産党員が南京で行った虐殺事件。
日本・イギリス・アメリカの領事館や学校、企業、外人住宅を襲って、虐殺、暴行、掠奪を行ないました。女子供を含む数百名の一般市民も略奪に参加していました。

この暴動に対して英米両国は日本に「一緒に反撃しよう」と呼びかけました。
しかし日本政府は支那を刺激する事を避け、日本の軍艦は避難しようとする日本居留民を見捨てて揚子江を下って帰還しました。
居留民保護の為に共同出兵をしようというイギリスの提案にも応じませんでした。

日本が攻撃しない事を知った支那兵は日本領事館に押しかけ、暴行と掠奪を行ないました。
領事夫人は27人に輪姦され、30数名の日本人婦人は少女に至るまで陵辱されました。
日本領事館員も日本の軍人は、武装していなかったために抵抗できませんでした。

南京事件の結果、揚子江流域の日本人は財産を放棄して内地に引き揚げざるを得なくなりました。

【間島暴動】(1930年)
ソ連から支援を受けていた満州と朝鮮人の反日・共産主義諸団体が間島地方で暴徒が交通機関や発電所などを破壊し、日本の領事館や親日朝鮮人の家が襲われた事件。
この後も日本の施設や親日朝鮮人に対する攻撃が続いた為に、現地朝鮮人から日本の武力行使を要望する請願が出されました。
ところが、日本の対応は消極的だった為に彼らは増長し、大陸での反日・侮日は激化していきました。

【日本人僧侶殺害事件】(1932)
上海で日本人法華宗僧侶2名、信徒3名が300名の支那人に襲われ、2名が死亡し3名が重傷を負った事件。これがきっかけで第一次上海事変が勃発しました。

【親日社長暗殺事件】(1935年)
日本と満州に友好的な「国権報」と「振報」の社長が暗殺された事件。
調査の結果、国民党の関与と、犯人が国民政府によって上海のフランス租界に匿われたことがわかりました。


これらに対する日本の穏便策により、彼らは増長してしまい↓の事件が起こります。

【通州事件】(1937年)
冀東政府の保安隊千数百人が、日本守備隊と日本人居留民(韓国合後の朝鮮人も含む)を襲撃して虐殺した事件。
当時の通州は日本軍主力が出動した為100人くらいしか残っていませんでした。

「通州事件の目撃者による口述書の一部引用」

守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。
某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。
旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部にほうきを押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪えなかった。
東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家6名数珠つなぎにして引き回した形跡歴然たる死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。
夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、
鼻に牛のごとく針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこのちり箱の中やら塀の陰から出てきた。

この事件に日本の世論は沸騰し、支那への感情は取り返しの付かないほど悪化しました。



【大山大尉虐殺事件】(1937年)
上海で車で視察中の大山勇夫海軍中尉が支那の保安隊に包囲され、機関銃で撃たれ殺された事件。大山中尉は機関銃弾を浴びて殺された上に、頭を青竜刀で割られていました。


【長沙焚城】(1938年)
日本軍からの攻略を受けた都市は焼き払うよう命令されていた支那軍による暴行略奪事件。
支那軍の放火によって大火災が巻き起こり、二十万人以上の死者が出ました。
放火後支那軍はお決まりの略奪を開始しています。


【黄河決壊事件】(1937年)
国民党が日本軍の進軍を止める為に黄河と鄭州の堤防が破壊し、それによる洪水で水死者百万人、被害者六百万人、水没した耕地は一千七百アールの被害を出した事件。

国民党は「日本の空爆で黄河が決壊した」との偽情報を報じた為に、各国の世論も日本を非難しました。
その後、真相が外国人記者に見破られ、国民党の自作自演が明らかにされています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/08 17:44

現在の中国の勢力拡大を見ればわかると思う。


それと同じこと。
新勢力が台頭するということは旧勢力が何らかの損害を受けるということ。
既得権益者からすれば、これほど許せないことはない。

中国は当時各国が莫大な資金を投下していた。
上海の租借地が有名だが、租借地は中国各地にたくさんあった。
日本も、満鉄という生命線がある。
その中国が日本のものになるとは、すなわちそれ以外の各国の資本投下が水泡に帰すということである。
それを見逃すことは、どの国もできない。

当時アメリカはモンロー主義を取ってはいた。
しかしその強大な力ゆえ各国の陳情を受ける立場にあった。
イギリス、フランス、オランダ、オーストラリア、ソ連、中国、・・・
孤立主義を取ってはいたしアメリカの政策はアメリカの一存で決まるといえ、それらの声を無視して本当に孤立してしまうことは得策ではない。
国際連盟から脱退した日本のようになってしまう。

そういうなんだかんだの思惑が絡まり、援蒋ルートの成立となった。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/08 17:44

米国が第二次世界大戦(対ドイツ戦)に参戦したかったからです。


もともと、蒋介石と日本は反共の立場で、対立関係はありませんでした。
蒋介石は日本留学経験もあり、次男蒋緯国(養子)は日中ハーフ。
1936年12月12日西安事件(蔣介石拉致し国共合作)が起き180度方針転換。共産党と共に対日戦争を仕掛けることとなります。
この裏には、共産主義者が多数を占めるルーズベルト政権から蒋介石への軍事資金支援の密約がありました。ルーズベルトの目的は一つ、中国との対立関係を作り、日独伊三国同盟の日本を大戦に引き摺り込む事です。
そして、ルーズベルトは蒋介石を使い戦争を画策し、この戦争へ首を突っ込む事で、第二次世界大戦へ参戦する事を目論みます。その後、様々な経緯を経て日中戦争は泥沼化し、日本はその元凶である米国と対峙することとなります。結果的に、それは真珠湾戦争へと繋がります。
【参考資料:誰が第二次世界大戦を起こしたのか 渡辺惣樹(著)】
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/08 17:45

日本という極東のちっぽけな国が、欧米の大国のまねをして植民地を作り続けると言うことが、当時、人種差別があたりまえの時代には欧米の理解を得られなかった。


さらに、日本軍は恐ろしいほどに傲慢だったし、中国人を蔑視し、彼らを殺すことを何とも思っていなかった。
このはるか前、日清戦争の時には日本軍が旅順で大虐殺を行っているし、その後南京でも虐殺強姦をしまくっている。昨日放送されたNHKスペシャルでも日本軍の兵士が書いた日記に虐殺強姦と言うことが書かれていた。そしてシンガポールでは大虐殺を行っていて、戦後その責任者が処刑されている。
このほかにもマレーの死の行進は映画にもなったし、とにかく日本軍というのは悪辣としか言いようがない。
特に、日本軍の高級将校は、自国の兵隊に対してさえ残酷きわまりないことを、あたりまえのようにした。
同じ日本人として、このようなことは言いたくはないが、実際に日本軍は恐ろしいほどに傲慢だったし、人の命を何とも思わない最悪の軍隊だった。
日本軍の高級将校というのは、口を開けば死ぬことばかり。敵のことかと思っていたら、自国の兵士のことだと知って呆然とした、と言うことを言う元兵士の話もあった。とにかく、日本軍の将官というのは、敵味方関係なく人が死ぬことが異様なまでに好きなのだ。自国の兵士に対してすら何か問題が発生する度に死んで責任を、と言う。
敵に捕まるなんて最悪なので、その前に死ねだ。
必死で戦って、弾薬がつきて捕虜になることがなぜ悪なのかと思うが、東条英機という阿呆が、生きて虜囚の辱めを受けず、等と言い出したものだから、捕虜になったものは罪人として扱われたのだ。
このように死ななければならない理由がわからないようなほんの些細なことですら、すぐに死という言葉が出てくる。
日本が太平洋戦争に負けたことで、この最悪の軍隊が自滅し無くなったことは、日本人にとっても幸運なことだったのだ。
特に、昭和になってからの日本軍は、天皇の軍隊と言うことを錦の御旗に掲げて、自国民を奴隷のように使役し、人々を意のままに扱うと言うことをしていた。もし、あんなろくでもないものが今も残っていたらと思うとぞっとするし、最悪だ。
こんな最悪の軍隊が勝ち続けることなど、日本以外の国の誰も望むはずが無い。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/08 17:45

日本が中国を支配してしまったら


欧米に対抗出来る、非常に強力な
勢力になるからです。

白人による世界制覇を目指していた
米英にとっては、これはマズい訳です。

当時は、人種差別など当たり前の
時代だったのです。

米国の黒人会報運動が盛んになった
のは、戦後の1950年代からであり、
1964年の東京オリンピックの時は
黒人には選挙権がありませんでした。


○ フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、
「有色人種への差別が格別に強かった」と、
ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した
英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。

キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから
打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、
さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、
それによって立派な文明をこの地に生み出していく。

ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/08 17:45

1.当時の中国は、アメリカのルーズベルト大統領が主張した四人の警察官構想の一角だった。


2.宋美齢がアメリカで抗日戦への援助を訴え続けた。
3.ビルマ(現在のミャンマー)がイギリスの植民地だった。
4.第一次世界大戦以来、米英は密接な協調関係だった。
5.アメリカのルーズベルト大統領が、がちがちの親中反日主義者だった。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/12/08 17:45

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