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こんばんわ!三国志が好きな大学生です!

皆さんは三国志では誰が一番強いと思いますか?やはり武力でいったら呂布、総合力でいったら関羽というのが普通でしょうか?

こんなことを聞くのはある本を読んだからなんです。その本には一番強いのは顔良だと書いてありました。

その理由として、戦いの中の様々な一騎討ちで「何回打ち合って決着がついたか?」または「何回打ち合い、決着がつかなかったか?」を集計していき、総合的に顔良が一番強いのではないかとたどり着いたのです。(詳しいことは忘れてしまったのですが)

ここで疑問に思うのが、顔良は関羽に一太刀で切られているではないか?
と思うのですが、その本ではその理由として、当時エンショウ側にいた劉備が「敵軍に関羽がいるのでもし見つけたら、私はここにいると伝えてほしい」とエンショウ軍にいっていたそうなんです。
だから、顔良は関羽を見つけてそれを伝えようとした時に切られてしまったとのことなんです。

私はこの考えはとてもおもしろいと思い、顔良が一番強いといえるのではないかとも思いました。

三国志好きの方はこの考えはどう思いますか?
顔良よりあいつのほうが強いって思っている武将がほかにいますか?

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A 回答 (6件)

はじめまして。



ご質問の内容を読ませて頂きました。
ここでご質問されている「強い」というのは、武勇についてだけ指すのでしょうか?
三国志については、主に横山光輝のマンガと書籍では吉川英治の三国志しか読んでいませんが…
仮に武勇の部門だとすると、やっぱり呂布が一番強いのではないかと考えております。

ただしもし、精神面などの総合的な部類も混ぜて「強さ」を判断するのであれば、呂布ではなく私は趙雲だと思います。以下、総合的な「強さ」についてと仮定して私の意見を書かせて頂きました。

総合的な「強さ」の判断の理由としては、呂布の末路は、捕らえられたのちにいわゆる命乞いをしたと言われています。
また、金と女におごれ、結果的に部下との信頼感を失ってしまった。
このあたりの「強さ」がしっかり表れていれば、若くして死んでしまうような事はなかったのではないかと思います。

それと比べて、私がこの場で言う「強い」と思う趙雲は、武勇ももちろんそうですが、精神面の強さも非常に優れている事があらわれていたと思います。

例えば、私の好きな場面ですが、趙範は趙雲と義兄弟の契りをしたのち
好意で兄嫁(超美人、名前は忘れてしまいました…汗)を嫁にしてくれと提案したそうです。
その軽率な言葉に腹を立て、趙範を強く退けたとの事です。
後に劉備になぜ嫁にしなかったのかと問われたら、「確かに美人は嫌いではありません。ただ、戦いに勝ったという事で美人を自分の嫁にすれば、世間は主君である劉備をなんとみなすでしょう。そのような事は避けたい。」

のような感動的なセリフがあったといわれています。
本当に真から武士だと思います。

このような、主君に対する忠誠心・たった一人で何十万の大群に突っ込んでいく勇気などが多く表現されていた趙雲は本当に「強い」武士だと思います。

ただ、歴史については人それぞれ違った考え方をお持ちになられているので、あまり強く言えませんが…^^;
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この回答へのお礼

すいません。この質問ではどっちかわかりませんよね。
私も趙雲は凄い人だと思います。武力、知性も凄いのですが、忠誠心はものすごい物を感じますよね。裏切りなどがよくあった三国志時代に彼のような部下がいたらどれだけ信頼できたでしょうかね。
他の君主からみたら劉備がうらやましくなります。

お礼日時:2005/03/20 19:41

補足


>当時袁紹側にいた劉備が「敵軍に関羽がいるのでもし見つけたら、私はここにいると伝えてほしい」と袁紹軍にいっていたそうなんです。
これは「三国志演義」嘉靖本の中に出てくるエピソードですね。同じ「演義」でも載っていない版本があるようです。

さて、史実から考えても、バトルの名将ナンバー1は呂布でしょう。
しかし、それ以外の要素も考えるとまた難しい問題ですね。
趙雲……前回の回答でも出ましたが、コンバットでの名将というカテゴリでは右に出るものはいないでしょう。裴松之の注に引く「趙雲別伝」はちょっとほめすぎですが、武力だけでなく人格面でもこれだけほめられている武将は正史を探してもほかにいないでしょう
甘寧……演義で孫権は「曹操には張遼がいるが、うちにも興覇がいるわ」と語っていますが、正史によれば、彼は孫権に「天下三分」ならぬ「天下二分の計(曹操と真正面から対決しないこと)」を進言しています。武力のみならず、時局分析にも優れている証左です。
許チョ……魏で武力と人格両面というと、張遼よりこっちではないでしょうか。曹仁とのやり取りなんかのことを考えてもね。
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この回答へのお礼

すいません。この質問ではどっちかわかりませんよね。

ちなみに私は「演技」しか呼んだことがないです。総合力でいうと趙雲という人がほとんどですね。私も総合力では趙雲か関羽かで迷ったんですけどね。

天下二分の計って甘寧が進言したんですか?私の見た本では周愉が言ってましたね。

お礼日時:2005/03/20 19:57

顔良より強い武将ならいくらでもいると思います。


当時の戦国時代において、殺されるということは、つまり弱いということです。戦場を駆け巡りどれだけ生き残っていられるか、ということが強さを示す大きな指標となると思います。
何合打ち合ったとか、いったい誰が数えてるんでしょうか? 正史三国志は「歴史書」、三国志演義は「小説」、この違いも考慮に入れないとだめですよね。周倉なんて実在してないですし。
まあ、そんなことを言い出したら、顔良を切ったのが関羽かどうかもはっきりしませんし(正史では、顔良は曹操軍の策略に陥り殺されたとあります。その時期にちょうど関羽は曹操の軍門に下っていたので、関羽が切った可能性もなくはないですが)。

まあ、演義だけで考えたとしても、顔良ではちょっと無理があると思いますよ。
あ、諸葛亮なんてどうです? 策略はもちろん、その弁舌でも周愉、王朗などを殺してますし。演義の中での最強の武将は彼だと思いますけど、どうでしょう?


僕としては、武力だけで言えば呂布、総合的に見れば趙雲、張遼あたりでしょうか。

張遼は呉軍に最も恐れられた武将です。張遼が来たといえば、泣いている赤子ですら泣き止んだという逸話も残されていますし。目立ちませんが、鬼のような強さだったらしいです。

呂布については有名ですので少しだけ・・。
彼は北方の異民族の血を引いていたそうです。だから図抜けて強かったんですね。馬も弓も抜群だったそうですから、そこらへんはやはり遊牧民の血が影響しているのでしょうかね?

趙雲については言うことはないでしょう。僕も大好きです。しかしこの人長生きでしたよね。

こんな回答で参考になるかどうかわかりませんが、これもひとつの考え方だということで・・・。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

諸葛亮ですか。皆さんとはちょっと違った解答で面白いですね。強い武将がいても、彼がいれば怖くないかもしれないですね。演技では劉備が死んでからは主役でしたからね。こう考えると劉備はどれだけ武将に恵まれていたんでしょうね。

お礼日時:2005/03/20 19:48

まず最初に無粋なことを言わせて頂くことをお許しください。


お聞きなのは歴史的事実としての三国時代一の猛将なのですか?オハナシの三国志における猛将ナンバー1なのかですか?
オハナシの『三国志演義』は、史書「三国志」における裴松之の注を基に、大きく膨らまされた小説ですので、裴松之の引用が信用に足るものでなければ、そこで答えはかなり変わりますよ。
また、1対1(バトル)の猛将なのか、集団戦(コンバット)の猛将なのか、これでも答えはまったく違うと思いますよ。

さて、『演義』を基に僕の見解で言うなら、バトルでは呂布、コンバットでは趙雲ですね。
趙雲は、勝てない勝負だとしても絶対負けない、しかもそれなりの手柄を上げてしまうという力量は他の追随を許さないでしょう。しかも天寿を全うするのも才能です。
天寿で思い出しましたが、司令官としては呉の丁奉もトップクラスだという人がいました。誰の説だったかは忘れましたが。
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私も1番さんと同じように思いました。


どんな理由でも、一刀のもとに負けた顔良が一番強いっていうのはちょっと
無理があるような。。
また打ち合った数というのも、特に中国ですし、誇張が入ってるから
あんまり意味無いんじゃないかと…

顔良は早々と退場しましたけど、確かに個人能力・部隊能力の両方で
強い部類にいると思います。
袁紹の下で、北方討伐では活躍してましたしね。

わたしが思うのは、前半では、やっぱり呂布です。
演義では、劉備三兄弟と一人で打ち合っても負けないし、前半では無敵です。
個人の能力だけでなく、軍隊指揮の能力にも長けてるので、戦争の申し子って感じですね。
中・後半だと、馬超だと思いました。
個人能力も恐ろしいですが、国力差が激しいのに、曹操軍の懐までもぐりこんでますし
この二人には、戦ってもらいたかったですね。

純粋に腕っぷしという事だと、張飛もバケモノでしょう。荊州から逃げてるときしかり。
でも前の二人に対してバランスがよくないですね。

少々ズレますが、扱いが小さくて、あまり有名?ではないけど、日本の真田のような
矍昭(字がなんか違いますね)もすごい戦上手で、私は強いな~と思う一人です。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

馬超は私の好きな人物の一人なんですが、曹操軍を苦しませた武勇はすごいですよね。あのとき馬超がいなかったら、曹操に占領されていたのではないかと思います。

最後に書いてある人物は初めて見た人ですね。今度調べてみます。

お礼日時:2005/03/20 19:31

うーん、どんな理由があったにせよ、戦場での「油断」は弱さの表れだと思うんですよね。


確かに関羽が来るまでの顔良は手のつけられない強さでしたが・・・。

私が強いと思うのは月並ですが呂布ですね。
関羽、張飛をまとめて相手してましたから。

それから董卓討伐軍を苦しめた華雄もなかなかの強さでした。
関羽に斬られるまで誰も太刀打ちできなかったところなど、顔良に似てませんか?
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
やはり呂布ですかね~関羽、張飛を二人相手したのは凄いですよね。
1対1だったらどうなってたんでしょうね?

お礼日時:2005/03/20 19:26

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Q三国志の劉備軍はなぜ強かったのか?

過去にも似たような質問があったかもしれませんが、質問よろしくお願いします。

小説「三国志演義」が好きで、子供の頃から何度も読み返しています。

原作の羅漢中という人物は、中国の明の時代の人物で、三国志の時代から1000年以上経っているにもかかわらず、まるで現場を見てきたかのように、人物の会話まで詳細に描いていますよね。

時代をへだてた作品なので、かなり脚色は多いだろうな、と大人になるにつれて思うようになったのですが、それでも激動の時代を描いた作品として、やはり謎な部分が多いです。

僕がよく疑問に思うのは、作品の主人公になっている、「劉備」という人物に関する謎です。

劉備は20歳を過ぎるまで貧しい農村で育ち、母一人、子一人の家庭でむしろやわらじを編みながら、細々と暮らしていた、と小説の中では描かれています。

なぜそのような人物が、突如として戦場にたち、人並み以上の功績を挙げることができたのでしょう?

おそらく、義兄弟とされている、「関羽」「張飛」の働きが大きかった(というか、ほとんどその二人が功績を挙げていたのでしょうが…)、その「関羽」や「張飛」にしても、かなり素性が知れないですよね。

戦国時代に戦上手として知られた武将というのは、曹操しかり、信長しかり、幼い頃からかなりの英才教育を受け、それでいて多くの部下を従えながら、野山を駆け巡る、といったやんちゃをしていた人物が多いようです。

あるいは、孫子(孫武)や諸葛亮のように、書物を多く読み、自然観察を楽しみ、静かな暮らしをしながら時期を待つ、といったタイプもいますが、このタイプは軍師として活躍することが多いようです。

少しわき道にそれましたが、要するに僕の言いたいことはこうです。

曹操がもっとも恐れていた、この劉備(+関羽&張飛)という人物は、かなり非凡な才能を持っていたのではないでしょうか?

そうでなければ、常にわずかな兵力で、大きな兵力を持っている相手と互角、もしくはそれ以上の戦いをしてきた、ということの説明がつきませんよね。

諸葛亮や司馬懿、曹操もすごいと思いますが、僕は最近では、この劉備という人物もまた、かなり明晰な頭脳を持っていたのでは、と思うようになっています。

人間的な魅力ばかりが注目される劉備ですが、皆さんはどう思われますか?

過去にも似たような質問があったかもしれませんが、質問よろしくお願いします。

小説「三国志演義」が好きで、子供の頃から何度も読み返しています。

原作の羅漢中という人物は、中国の明の時代の人物で、三国志の時代から1000年以上経っているにもかかわらず、まるで現場を見てきたかのように、人物の会話まで詳細に描いていますよね。

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Aベストアンサー

他の方の回答もありますが、劉備の治めた蜀を漢の正統後継国として
みなしている面がありますので強い印象を残している面が大きいと思います。

それとやはりいくつもの場面で発揮される度量の大きさが劉備にはありますよね。
国の乱れから立ち上がる義勇軍の時代や公孫さんや陶謙への援軍といい
相手がどんなに兄弟でもそれに立ち向かう勇気と
呂布に国を乗っ取られても受け入れる度量とか一番の魅力かなと思います。

そういった諸国への対応が徐々に劉備の名声と信頼を高め、
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私自身は、劉備本人に武勇や戦術的才能が多くあったとは思っていません。
しかし、徐々に高めた名声と義理堅さが人を惹きつけ、
曹操を含めた敵諸国が想像以上に強大化していく劉備に恐れを抱いたんだと思います。

Q三国志・魏に降った蜀呉の武将の最高位・真実の徐庶の姿

蜀、呉から魏に降った人物の中で、
最も高い位にまでのぼりつめたのは、誰でしょうか。
それはなんという位で、どの程度の役職でしょうか。


徐庶が好きなのです。
徐庶は魏に降ったあと、右中郎将・御史中丞までのぼったと聞きました。
この位は、なかなか高い、もしくはあまり高くないという両方の意見を聞きます。
史実の徐庶は、実は演義で描かれるほどには能力の高い人物ではなかったのかなと思ったり、
いやいや、蜀から降ったわりには、すごい位にまでのぼったじゃないかと思ったり、
曹操のために献策しないと言ったのは、本当なのかな、うそなのかなと、思ったり……

蜀呉から魏に降った他の人物のその後の位と、徐庶の位を比べることで、
徐庶の真実の姿に迫りたくて……
よろしくお願いいたします。

他に、史実の徐庶に関することなら、どんな情報でも大歓迎です。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 単純に魏に降った、だと「黄権」(車騎将軍・儀同三司)ではないでしょうか?
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%A8%A9

 車騎将軍
  蜀だと張飛が就任。上には大将軍と驃騎将軍のみ

 儀同三司
  従一品の文官が帯びる散官で、特に職掌はなかったけれども、三公(太尉・司徒・司空)に準じる扱いを受ける役職です。

 まあ、彼は「三国名臣序賛」で蜀の四名臣に挙げられるくらいですし…。
 他に諸葛亮・ホウ統(鳳雛と呼ばれ、諸葛亮と並び称される名軍師)・蒋エン(諸葛亮の後継者)
 
 呉から魏へ降った将で、特に昇進した例はちょっと思いつかないのですが、蜀から呉へ下った将(関羽が呉に討たれた時)では「潘濬」が一番ではないでしょうか?(顧雍の次に、陸遜をさしおいて丞相に推挙されていた。長生きさえしていれば確実に丞相に…。)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BD%98%E6%BF%AC

 ただ、徐庶と比較するには、ちょっと不向きかもしれません…。
 両者とも奮戦、捕縛後も自国への忠誠心を堅持していた事を、相手国の君主(曹丕・孫権)に認められ驚嘆させています。
 (特に黄権に対して、劉備は「黄権が私を裏切ったのではない。私が黄権を裏切ったのだ」とまで言っていますし)

 理由は兎も角、徐庶は自分の意思で劉備を見捨ててしまったので、魏では君主を見捨てた裏切り者の汚名を背負ってしまっているので…。
 (この時代は、家族の為に義を損なうのは褒められた行為では…。演義では徐庶の母は、息子が劉備を見捨てた事に怒り、自殺していますし…。)

 特に魏の曹丕は、家臣が君主を裏切る行為を毛嫌いしていますので…。
 (旗揚げの頃からの功臣の于禁が呉に捕縛され、命乞いした事に怒り、曹操の陵墓にわざわざ、その様を描かせ、戻ってきた于禁を憤死させています。)

 ただ、御史中丞という弾劾を司る役職に昇進した事は、彼の公明正大で精力的な仕事振りが魏においてさえ認められていた証拠ではないでしょうか?

 そして、そこまで昇進した割に正史にその業績が残されていない事が、魏における彼の置かれていた立場の辛さを示していると思います。

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Q項羽と呂布はどっちが強い?韓信と諸葛亮が対峙したらどっちが勝つ?

項羽、呂布、張飛、趙雲、馬超、関羽、魏延、英布
あたりでどんな風になるでしょう?
私は上に掲げた順番だとおもうんですが。項羽と劉邦時代の代表はあんまり思いつかないです。項羽一人がやたらと強すぎるからでしょうか。おめ、こいつ忘れでんぞ、てのがあれば適当に参加させてください。

あと、
(韓信、諸葛亮、ほう統)、司馬懿、范増、周瑜
あたりではどうでしょうか?やはり私はこの順番です。( )内はどうにも決定できませぬ…

しつこいんですがもう一つ
やはり司馬師、昭や炎は司馬懿を越える器だったんでしょうか?

Aベストアンサー

あはは。完全な主観で回答させてもらいます!
劉邦時代なら、ハンカイを入れてもいいのでは?
ぼくは、呂布が一番強いと思いますよぉ。
確か、呂布は関羽+張飛+劉備と戦ったこともありますよね。
そのときは最終的に逃げと思いますが、3人を相手にできる強さですからねー。
この強さはケタが違うと思います。

戦術家という観点で言うなら、断然韓信だと思います。
孔明は政治家、演出家、名文家ですね。
ほう統は実績がありません。司馬懿は守りの人だし、周瑜 は赤壁だけですよね。
范増はスケールが小さいです。
戦略家なら張良だと思いますねー。

司馬師は優秀だったと思うのですが、昭は野心が強過ぎたと思います。
炎は暴君ですよ。晋の歴史を見ると、若い頃「名君」と言われてた人が
帝位につくととたんに贅沢三昧になる傾向があります。
司馬家には放蕩の血が流れていたように思います。
司馬師の流れが途絶えたのが残念ですね。

Q三国志はどこまで本当ですか?

こんにちは。

三国志自体はおもしろいし好きなのですが、実際のところ、どこまで本当なのか気になり始めました。

(1)曹操は本人の才能もさることながら、漢の重臣の家柄出なのでその後の活躍ぶりは納得もできます。ただ、田舎で莚を編んで暮らしていた劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

(2)関羽張飛など鬼のように強い武将がいますが、いくら強くても、遠くから弓矢で集中攻撃したり、槍ぶすまで応酬したりしたら倒せるような気がします。一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

(3)孔明に関してはやや神がかり過ぎな感じはしますが、軍師の策略や戦略や計略や外交に関してはある程度信じてもいいですか?


曹操や劉備関羽張飛孔明らが存在して、三国時代というものがあったということは確実でしょうが、一体どこまで本当なのか、実際のところはどうだったのか、皆様のお考えをきかせてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

人生で浮き沈みがあり、出世した!というのは本当です。
が、物語的に色々と脚色しているようです。
日本で言うところの、秀吉と同じです。

>一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

豪傑だったのは間違いないようです。
ただ、将の下には数百の雑兵・足軽が存在します。
戦闘に勝利しても、将の名前が武勇伝として残るのみで、実際の戦闘員の名前は残りません。
日露戦争でも、乃木大将の武勇伝は伝わっていますが、数十万の名もなき日本戦死者(一般兵)の氏名は伝わっていませんよね。
(靖国など一部で、記録があるだけです)

>軍師の策略や戦略や計略や外交に関してはある程度信じてもいいですか?

孔明の場合は、地理学・天文学を用いた戦略を立てています。
ある程度信用しても大丈夫でしよう。
事実、三国志の頃の気象状況(風向きが変わった・太陽が隠れたなど)が「孔明の行動」と合致しています。

>一体どこまで本当なのか、実際のところはどうだったのか

物語としての三国志と、歴史としての三国志は異なります。
伝わっているのは、物語としての三国志ですね。
よく例としてだされるのが、忠臣蔵です。
忠臣蔵は物語(戯曲)であって、史実ではありません。
「吉良の首を取って泉岳寺まで行進した。江戸市民は歓喜を持って迎えた」事に物語・忠臣蔵ではなっていますが、そんな事実はありません。
(忠臣蔵には、実在しない人物が多く登場しています)

三国志は、史実を元にした歴史小説と考えた方が良いです。
が、三顧の礼など諺の謂れが分かって面白いですよね。

>劉備が浮き沈みを経て立身出世していく様は本当かなと思ってしまいますが、どうなんでしょうか?

人生で浮き沈みがあり、出世した!というのは本当です。
が、物語的に色々と脚色しているようです。
日本で言うところの、秀吉と同じです。

>一騎打ちはともかく、乱戦状態で彼らは大活躍できていたのでしょうか?

豪傑だったのは間違いないようです。
ただ、将の下には数百の雑兵・足軽が存在します。
戦闘に勝利しても、将の名前が武勇伝として残るのみで、実際の戦闘員の名前は残りません。
日...続きを読む

Q三国志の武将を戦国武将に例えるなら?

今までにもそういう風に考えた方もおられるかなと思いまうすが、皆さんはどの三国志の武将・軍師がどの戦国武将と似ていると思いますか?

僕は個人的に
・曹操=織田信長
(どちらも武力・戦略に長けその者に実力があるならば身分の高さや引くさは関係なく登用する。が、自分が天下を取る為には反抗する者などへは手段を選ばない残酷さがある。個人的には信長は曹操の生まれ変わりではないかなと思ってしまう。)

・劉備玄徳≒豊臣秀吉
これは反感を買うかも知れませね(^^ゞ
頭の良さ・要領の良さ、そして一農民から成り上がって一国の皇帝(関白)になった部分、また晩年はどちらもおかしくなってしまった(劉備は関羽の弔い合戦に孔明の制止も振り切って行ってしまい結果死期を縮めた部分、秀吉は晩年朝鮮出兵でこれもまた失敗に終わり結果豊臣政権が傾く原因になった部分)などは似ているかなと。
劉備さんにはかなわないものの秀吉もそれなりに人徳はあったと思います。(優秀な武将も集まりましたし)

となると残るは
・孫権≒徳川家康?かなとなるのですがこれは無理があるので却下(笑)

と個人的にはまぁこんな感じです。
皆さんの「この三国志武将は戦国武将のこれに似ている」というのをあれば聞かせて下さい。

今までにもそういう風に考えた方もおられるかなと思いまうすが、皆さんはどの三国志の武将・軍師がどの戦国武将と似ていると思いますか?

僕は個人的に
・曹操=織田信長
(どちらも武力・戦略に長けその者に実力があるならば身分の高さや引くさは関係なく登用する。が、自分が天下を取る為には反抗する者などへは手段を選ばない残酷さがある。個人的には信長は曹操の生まれ変わりではないかなと思ってしまう。)

・劉備玄徳≒豊臣秀吉
これは反感を買うかも知れませね(^^ゞ
頭の良さ・要領の良さ、そし...続きを読む

Aベストアンサー

 曹操→織田信長。圧倒的な勢力というわけではないが、都に近い場所を広範囲に占拠し、ほかの武将より「天下」に近かった。
 孫権(呉)→毛利家。天下第二位の領土を誇りながら、創業者が亡くなってしまうと守りに入る。土地が豊かなので積極的に領土を広げようという野心はないけれど、相手に攻めてこられると必死で戦う。
 劉備 →斎藤道三。そこらあたりをうろうろしてるあいだにいつの間にかそこそこの領土の主になってしまう。でも後がつづかない。
 諸葛亮 →真田幸村か石田三成。落目の主家を裏切れないいい人。軍略よりも内政に秀でていた点は三成に似るか。最後やぶれかぶれになってしまうのも似ている。

Q日本人ボクサー過去最強は誰だと思いますか?

日本人ボクサー過去最強は誰だと思いますか?

ウエイトの考慮はなしで総合的に見て誰だったのかお願いします。

また、世界では誰だと思いますか?

Aベストアンサー

海外だとパウンドフォーパウンド(Pound for pound)の名称で階級を無視したベストワンボクサーの選出なんかをよくやってていますが、日本だと個人的には大場政夫選手かファイティング原田選手だと思っています。

大場政夫は5回防衛の直後自動車事故で亡くなりましたが、倒した5人のうち3人が大場の死後、世界チャンピオンになっています。これを見てもかなり実力が上だったように思います。

ファイティング原田は世界ボクシング殿堂(World Boxing Hall of Fame)と国際ボクシング名誉の殿堂博物館(International Boxing Hall of Fame)の両方に日本人の選手としてはただひとり殿堂入りを果たしています。
黄金のバンタムと呼ばれた伝説的な選手エデル・ジョフレを倒してのタイトル奪取に、2階級制覇の偉業はスゴイと思います。3階級制覇のタイトル戦ではレフリーの失態で幻となってしまったのは語りぐさです。

輪島、石松、具志堅、竹原といった往年のチャンピオンがTVの座談会で日本人ボクサーNO1は誰?と質問を受けると、みなさんそろって原田選手を挙げてました。

両人ともWBAとWBCしかなかった時代で各階級の選手層も厚かったと思います。ボクシングの人口も世界的に見てもいまもりもずっと多かったでしょうし。
こんな理由で、ふたりを推したいところです。

海外だとパウンドフォーパウンド(Pound for pound)の名称で階級を無視したベストワンボクサーの選出なんかをよくやってていますが、日本だと個人的には大場政夫選手かファイティング原田選手だと思っています。

大場政夫は5回防衛の直後自動車事故で亡くなりましたが、倒した5人のうち3人が大場の死後、世界チャンピオンになっています。これを見てもかなり実力が上だったように思います。

ファイティング原田は世界ボクシング殿堂(World Boxing Hall of Fame)と国際ボクシング名誉の殿堂博物館(Inter...続きを読む

Q三国志で「一騎当千」は本当か?

タイトルのとおりなんですが、一騎当千(一騎で千人もの敵を相手にできるほで強いこと)って本当
なのでしょうか?
と、言うのも最近「三国志」にハマリまして色んな本を読んでいます。その中で関羽や張飛、趙雲の
強さには目を見張るものがあります。
一騎で10万の敵陣を突破したとか、一騎で1000人の敵兵を倒したとか・・・・。

話的にはとても面白くて私も彼らのファンになってしまったのですが、でもこれって本当なんでしょうか?
現実に戦場で戦闘を行い、一騎で1000人の相手を打ち破る事など可能なのでしょうか?

私が想像するに、いくら強い武将がいたとしても弓矢で攻撃すればよけきれるものではないと思います。
物語の中では彼らはいとも簡単に弓矢をはじいていますが、四方から高速で飛んでくる弓矢をはらうのは
単純に考えれば至難の業だと思います。また、1000人もの相手と戦うとその疲労も相当のものだと
思います。

剣道や長刀(なぎなた)の試合を見ていて感じるのですが、例えばあれが真剣だと仮定した場合、
自分が攻撃を受けずに相手だけを倒すのは、ほぼ不可能のような気がします。まして、戦場で相手が
1000人、周りからは弓矢が飛んでくるとなると「一騎当千」という言葉は本当なのか、それとも話を
面白くするために後世の人たちが彼らの武勇伝を大きくしてしまったのか、それとも実は本当に1人で
1000人に値するほど強かったのか、と言う事が気になってしまいました。

この辺について詳しくご存知の方、もしくはご自分の持論や推論をお持ちの方がおれれましたら
色んな意見をお聞かせいただければと思います。

タイトルのとおりなんですが、一騎当千(一騎で千人もの敵を相手にできるほで強いこと)って本当
なのでしょうか?
と、言うのも最近「三国志」にハマリまして色んな本を読んでいます。その中で関羽や張飛、趙雲の
強さには目を見張るものがあります。
一騎で10万の敵陣を突破したとか、一騎で1000人の敵兵を倒したとか・・・・。

話的にはとても面白くて私も彼らのファンになってしまったのですが、でもこれって本当なんでしょうか?
現実に戦場で戦闘を行い、一騎で1000人の相手を打ち破る事...続きを読む

Aベストアンサー

まず、一人が1000人を倒す場合。飛び道具は現実的ではありません。
刀の場合ですが、日本刀ならせいぜい10人も切れば、
刀身に脂が回ったり、骨や甲冑で刃こぼれがするなどして、
使い物にならなくなるといいます。ですから、戦国時代の武将は、
換えの刀を何本も持ち歩いたそうですが、1000人を切るほどの
刀を持ち歩けるとも思えませんね。普通は毎日戦いの終わった後、
自分でせっせと研いで、次の日に備えたはずです。
ただ、中国の刀は青銅器とか鋳鉄で、
切るというよりは殴るといったほうが適当な代物かもしれませんけど、
この場合はねばさに欠ける(折れやすい)ので、
1000人を殴り殺すというのも至難の業でしょう。

逆に1000人が一人を倒す場合。飛び道具でないと面倒ですね。とはいえ、
鉄砲弓矢の場合、有効な力を持つ距離がそんなに長いわけではありませんし、
狙いがそれてしまえば、甲冑を付けていればあまりたいしたことはないでしょう。
仮に1000人が一人の回りをぐるりと囲んでいっせいに撃ったとして、
その円の半径は100mは超えるでしょう。近代の兵器でもない限り、
このぐらいの距離になってしまうと殺傷能力は期待できません。
密集したとしても、同士討ちの危険もあるので、
同時に攻撃できるのはすぐそばにいる10~20人くらいがいいところではないですかね。
この程度なら槍でもできます。島津豊久が関が原の退却戦で、
同時に十数本の槍に突き上げられて討たれたなどという逸話もあります。

それにしても、騎乗で防具を付けて武器を振り回すというのは
相当なテクニックを要する重労働ですから、
そんなに長い時間戦えるものではありません。
日本の戦国時代の合戦でも、
半日も続いたようなケースは少ないのではないでしょうか。

というわけで、

> 話を面白くするために後世の人たちが彼らの武勇伝を大きくしてしまったのか、

ってところが正解なのかな、と思います。
1対1だって戦って勝つのはたいへんなのですから、
冷静に考えれば1対10ならすごいことだと思うのですが、
そこはそれ、素人相手に面白く語るのが講釈師というものです。
1対10ならそこらの村の力自慢や法螺吹きの守備範囲に見えそうですからね。

なお、1000人を倒すのではなく、1000人の軍を突破するのなら、
それほど難しい話ではありません。上に書いた理由で、
1000人が一度に一人に当たることはまずできないのですから。
それでも備えているところに突っ込んでいけば難しいでしょうけど、
不意をうって、対応する暇を与えずに行けるのなら可能性はあります。

まず、一人が1000人を倒す場合。飛び道具は現実的ではありません。
刀の場合ですが、日本刀ならせいぜい10人も切れば、
刀身に脂が回ったり、骨や甲冑で刃こぼれがするなどして、
使い物にならなくなるといいます。ですから、戦国時代の武将は、
換えの刀を何本も持ち歩いたそうですが、1000人を切るほどの
刀を持ち歩けるとも思えませんね。普通は毎日戦いの終わった後、
自分でせっせと研いで、次の日に備えたはずです。
ただ、中国の刀は青銅器とか鋳鉄で、
切るというよりは殴るといったほうが適当な...続きを読む

Q現役のアメリカ合衆国の空母は何隻?

本日迄の報道では、アメリカは空母「キティホ-ク」をアラビア海に、「セオドア・ルーズベルト」を地中海に派遣したそうです。現在アラビア海に展開している「カール・ヴィンソン」「エンタープライズ」を合わせると、何と4隻もの空母を今回のテロ報復に関連して展開することになります。又「ジョ-ジ・ワシントン」がニュ-ヨ-ク沖で警備に当っているそうです。

さて、その話はさておき、ふと気になったのがアメリカは現在何隻現役空母を保有しているかと言うことです。
私の手持ちの資料(笑)では、
「ニミッツ」「ドワイド・D・アイゼンハワ-」「カール・ヴィンソン」「セオドア・ルーズベルト」「エイブラハム・リンカーン」「ジョ-ジ・ワシントン」「ジョン・C・ステニム」(ニミッツ級7隻)。
「エンタープライズ」(エンタープライズ級1隻)。
「キティ-ホーク」「コンステレ-ション」「アメリカ」「ジョン・F・ケネディ」(キティホ-ク級4隻、※ジョン・F・ケネディはジョン・F・ケネディ級とも)
の合計12隻なのですが、現在では「増減」ありますか?
何処かで7隻と聞いたあやふやな記憶も有り、一寸気になっています。

U.S.NAVYのホームページの「AIR CARRIERS」で確か確認できると思ったのですが、今回の件が絡んでいるのか、私のインターネット環境が悪いのかで見ることができません。
宜しくご回答の程お願い申し上げます。

本日迄の報道では、アメリカは空母「キティホ-ク」をアラビア海に、「セオドア・ルーズベルト」を地中海に派遣したそうです。現在アラビア海に展開している「カール・ヴィンソン」「エンタープライズ」を合わせると、何と4隻もの空母を今回のテロ報復に関連して展開することになります。又「ジョ-ジ・ワシントン」がニュ-ヨ-ク沖で警備に当っているそうです。

さて、その話はさておき、ふと気になったのがアメリカは現在何隻現役空母を保有しているかと言うことです。
私の手持ちの資料(笑)では、
「ニ...続きを読む

Aベストアンサー

beavas さん、こんばんは~☆

> 現役のアメリカ合衆国の空母は何隻?

現役となると、下記の「11隻」なのでは。。。

【ニミッツ級 計8隻】

#「ニミッツ」 Nimitz CVN-68
ニミッツ級の1番艦として、75年5月に就役。満載排水量91,487トン

#「ドワイライトD.アイゼンハワー」 Dwight D.Eisenhower CVN-69
ニミッツ級の2番艦として、77年10月に就役。満載排水量91,487トン

#「カール・ビンソン」 Carl Vinson CVN-70
ニミッツ級の3番艦として、82年3月に就役。満載排水量91,487トン

#「セオドア・ルーズヴェルト」 Theodore Roosevelt CVN-71
ニミッツ級の4番艦として、86年10月に就役。満載排水量96,386トン

#「エイブラハム・リンカーン」 Abraham Lincoln CVN-72
ニミッツ級の5番艦として、89年11月に就役。
軍艦で初めて10万トンを突破。満載排水量102,000トン

#「ジョージ・ワシントン」 George Washington CVN-73
ニミッツ級の6番艦として、92年7月に就役。満載排水量102,000トン

#「ジョンC・ステニス」 John C.Stennis CVN-74
ニミッツ級の7番艦として、95年12月に就役。満載排水量102,000トン

#「ハリーS・トルーマン」Harry S.Truman CVN-75  
  ニミッツ級の8番艦として、98年7月に就役。


【エンタープライズ級 計1隻】

#「エンタープライズ」 Enterprise CVN-65
世界初の原子力空母として、61年11月に就役。
「空母無用論」による予算の関係で同型艦は無し。満載排水量93,970トン


【キティーホーク級 計2隻】

#「キティ・ホーク」 kitty hawk CV-63
キティーホーク級の1番艦として、61年4月に就役。
現役空母としては一番古い。満載排水量81,123トン

#「コンステレーション」 Constellation CV-64
キティーホーク級の2番艦として、61年10月に就役。

「 追 記 」

# キティーホーク級の3番艦の「アメリカ」
 America CV-66は、1996/08/09 退役。

#キティーホーク級の4番艦の「ジョンF.ケネディ」
 John F.Kennedy CV-67は、現在、「練習空母」として運用なのでは。


ではでは☆~☆~☆

beavas さん、こんばんは~☆

> 現役のアメリカ合衆国の空母は何隻?

現役となると、下記の「11隻」なのでは。。。

【ニミッツ級 計8隻】

#「ニミッツ」 Nimitz CVN-68
ニミッツ級の1番艦として、75年5月に就役。満載排水量91,487トン

#「ドワイライトD.アイゼンハワー」 Dwight D.Eisenhower CVN-69
ニミッツ級の2番艦として、77年10月に就役。満載排水量91,487トン

#「カール・ビンソン」 Carl Vinson CVN-70
ニミッツ級の3番艦として、82年3月に就役...続きを読む

Q三国志について

三国志のことで質問なのですが、魏、呉、蜀が戦って最後に勝ち残ったのはどの軍か教えてください。
あと、三国志で好き(おすすめ)の人物がいたら教えてください。

Aベストアンサー

おはようございます。

国についてもう少し補足を。


#5さんの言われる魏の皇帝曹奐から禅譲を受けて
司馬炎が晋を建国しました。

最終的には、三国どれでもなく、この晋が統一を果たすわけです。

魏は建国した曹一族のものですから
司馬が帝位についた晋とは別のものなので
魏が最後まで残ったとはいえないと思います。


魏の皇帝曹奐は司馬炎の親、司馬昭によって帝位につかされたわけですが、その息子に結局は奪われてしまい、
なんともただのマリオネットでしかなかったわけです・・・

元をたどると、魏の曹不は220年に献帝から禅譲で帝位についたわけですから、まあ、自業自得と言いますか、因果応報といいますか・・・

皮肉なモンです。


ちなみに、曹操は馬に襲われる(食われる?)夢を見て、
自分が、西涼の馬一族にやられてしまうと思い、
馬騰親子を殺害します。
しかし、後年魏を滅ぼしたのは、別の馬、
司馬一族だったわけです・・・

これはあとからつけた話だとは思いますが、
なかなか面白いですね。



つまり、三国の中で最後まで残ったのは呉ということになります。

ですので、#1さんの回答が1番妥当かと。




好きな武将ですが、

#5#6さんにけちをつけるわけではないのですが、
趙雲は演義で語られる人物像と、正史ではかなりの差異があります。

演義においてはその活躍ぶりは目を見張るものがありますが、正史においては長坂坡のこと以外にほとんど記述されていません。

趙雲の活躍ぶりは正史に注をつけた裴松之の引く「趙雲別伝」という出典の明らかでないものからきています。

演義によれば五虎将軍の一人ともなっていますが、
正史にそういったものはなく、劉備が漢中王となったときに、5人それぞれに、前、後、左、右将軍を与えており、
(関羽、黄忠、馬超、張飛)趙雲はそれよりもはるか格下の翔(←へんが立です)軍将軍に任命されており、他の4人とは全く扱いが違っています。

また正史において一軍の指揮をほとんどとったことがないことから、軍略のある将軍と言うより、一芸に秀でた武人だったと思われています。

日本では颯爽とした若武者と言う感じですが、
地元中国では、趙雲は黄忠と並んでの老将というイメージが強いです。
成都などに祀られている趙雲像は白髪の老人姿で、
演義では第1次北伐のとき70歳となっています。


と、夢をぶち壊すようなことばかり言ってしまいましたが・・・



( -。-)スゥーーー・・・


(o>ロ<)oおれも趙雲が好きだああああああー!


「子龍は一身これ胆なり!」


かっこいい!!!




一番すきなのは、孔明が赤壁前に呉の文官を論破するシーン。

だいっすっき!!!

惚れる!!

おはようございます。

国についてもう少し補足を。


#5さんの言われる魏の皇帝曹奐から禅譲を受けて
司馬炎が晋を建国しました。

最終的には、三国どれでもなく、この晋が統一を果たすわけです。

魏は建国した曹一族のものですから
司馬が帝位についた晋とは別のものなので
魏が最後まで残ったとはいえないと思います。


魏の皇帝曹奐は司馬炎の親、司馬昭によって帝位につかされたわけですが、その息子に結局は奪われてしまい、
なんともただのマリオネットでしかなかったわけです・・・
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Qメーテルの正体って何だったのでしょうか?

最近、BSフジで「銀河鉄道999」の放送があり、最終回まで観たのですが、結局のところメーテルの正体がはっきりとは分かりませんでした。

最近、同じような質問があげられていて、そこでは、メーテルは機械化人間、とありましたが、最終回までの放送中で、メーテルの身体を調べて、生身の人間と判断されるエピソードが何回かあり、機械化人間ではないと思っていました。っていうか、あの、お美しい絶世の美女が、メカニックなロボットだった、なんて、考えたくもないですが・・・。

まあ、神秘に満ちたヒロインというということで、こういうことは余計な詮索をしない方がいいとも思うのですが、
メーテルが裸になって自分の身体を見せ付けて、それを目の当たりにした相手は、とにかくビビリまくる、といったストーリーも何本もあって、あれは一体、何を見てああいうリアクションを起こしたんだろう、とか、いろいろと気になっていました。

ところで、原作の最終回はどうだったのでしょうか?
やはりメーテルの正体は曖昧なままったのでしょうか?

Aベストアンサー

何とも原作での最終回ではかなり前のことで何ともいえませんが確か何かシールドをかけていたといっていたと思いますですから彼女は鉄朗のお母さんの体を借りていたとなっていましたね

 中身は機械であるらしいことをそれとなく書いていたと思います。

 さらに彼女は本当の自分の姿が凍りの中に閉じこめてあるとなっていましたが

 彼女自身はたしか実体をいくつも持っていたと書いてあったと思います。

 そのエピソードは鉄郎のような子供を連れてくるためにその相手の一番好みのタイプになっていたとそれとなく書いていましたよ メーテルはいくつも顔を持っている 時間の中の旅人=不老不死=体を何回も乗り換えているってことですかね


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