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諏訪の神は国譲りこの方、諏訪地域を出ることがないと言われるがその真相はどうなのだろうか?今日はそんな話で盛り上がった。その一つはアルプスの木材は太平洋に出ることがあったか否か、という話題だ。

もちろん近現代のダム開発により、河川は分断され
そんなイメージを持つ者もいなくなっただろうが
天竜川の水は地下水に浸透するもの以外は河川を下るのだから
木材を諏訪から天竜川を下って全国に届けるという事があってもおかしくない

wikiにも「慶長11年(1607年)、角倉了以が東大寺大仏殿改築に用いる木材の運搬のため、天竜川を浚渫し、信濃国平出(長野県辰野町)から遠江国掛塚(静岡県磐田市)まで通船させて以来、江戸の建築用木材が流域の山林で伐採され、天竜川を使った木材流送(筏流し)により届けられた。」
と記載されているので、茅野あたりの木材が諏訪湖を経由して天竜川を下り、太平洋に出て、出雲や鹿島に運ばれることは十分あると思うのだがどうだろう、
何か、資料があればそれに越したことはないが、
直観や感触でも結構です
皆様が思う事があれば
是非コメントをお願いいたします
<m(__)m>

質問者からの補足コメント

教えて!goo グレード

A 回答 (4件)

木材流送ですが、川の大きさの割に、かなり大きい木材でも送れます。


徳島県木頭村(現那珂町)の例。
http://kitomura.jp/tusin_box/0806_86/nagasi86.html
※支流の場合、川をせき止めて人工洪水を起こして運べばよい。
 人工洪水をナシにしても、上記くらいの木材なら運べる、ということ。


天竜川の場合も、江戸城改修のために遠山から長さ17間(31m)の木を切りだしたとあります。
https://www.cbr.mlit.go.jp/tenjyo/jimusyo/public …

「通船」を気にしているみたいですが、直上資料によると平出より上流は地元民反対が強くて整備できなかった、とあります。
木材流送なら、別に通船できなくても問題なく、融雪出水や梅雨の増水使えば、諏訪湖から巨木流すのに技術的な問題があるとは思えないのですが....
※諏訪湖の流域面積は500km2 遠山川は340km2
  ただし、諏訪湖下流の人口洪水は不可能。

問題があるとすれば、諏訪湖流域の巨木は諏訪大社の予約済となっていてそう簡単には切り出せない、という可能性では?
他地区(平出の下流+横川川)に巨木があればそっちから切り出すと思うが。

あと、質問で本当に聞きたいのは次のうちどら?

1.天竜川の木材が木材流送されていたか?  問題なく、はい。
2.平出より上流の木材も流送されておたか  資料見つからないが、技術的な問題は見当たらないので、高い確率で はい。
3.2.で、巨木も入っていたか?       わからない。
----------おまけ。 ここまで考えていないと思うのでおまけ扱い。
4.御柱の中古品は?            無駄にしたとは思えないので、たぶん、はい。出雲大社には使わず、別用途と思うが。
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この回答へのお礼

ありがとう

この度は深い出典を添えたご解説ありがとうございます

「天竜川の水運」をざっと読ませていただきました
「飯田万年記」や「上郷岡田文書」
など管流しの記録もあるのですね。確かに長い用材を、しかも山道を馬で運ぶのは大変ですものね((+_+))!
「長大な木材ばかりでなく莫大な数量の樽木をことごとく天竜川に入れて流した」履歴も記されているのですね。
でも、17間31mの材木を 本当に秘密を保って下に流すことができたのかどうか改めて驚きと疑問を禁じえません"(-""-)"
本当に品質を保って下流に流すことができたのでしょうか ( ..)φメモメモ

読み進むと、同書の中には「家康さまがその妙技を見て褒美を取らす」などという記述もあり私も苦笑してしまいました。
masa2211さんの洞察も見識もすごいですね。
こんな資料を読み解いていらっしゃるのですね!(^^)!

「2.平出より上流の木材も流送されていたか > 資料見つからないが、技術的な問題は見当たらないので、高い確率で はい」などの太鼓判。

まだ実感がわきませんが、この談義をした友達には
早速報告しておきました。友も喜んでいました、ありがとうございます
masa2211さんの、説得力のあるご指導に感服いたします<(_ _)>

また、「4.御柱の中古品は? 無駄にしたとは思えないので、たぶん、はい。出雲大社には使わず、別用途と思うが。」

➡ 天竜川の太平洋口の東岸にあたる森町には小國神社という出雲神話の大国主系の神社もあるので、この辺りはきっと諏訪大社の御下がりの木材を使ったのではないかと想像たくましく考えてしまいました。

 令和4年は7年ぶりに諏訪の御柱祭りが開催されると聞いております。
一度見てみたいなと思っておりましたが、材木が山を降り中流を下って天竜川を流れるなどという話はなんだかロマンがあって素晴らしいですね。
私も諏訪に行く時には masa2211さんのご見解を胸に諏訪湖から流れ落ちる天竜川と人智の交流に思いをはせてみたいと思います。

この度は貴重なご指導誠にありがとうございます。
令和3年の師走も大詰めですっかり寒くなってまいりましたが
masa2211さんの益々のご健勝とご多幸をお祈りしております
今後ともご指導のほどよろしくお願いします。
<(_ _)>

お礼日時:2021/12/27 00:14

国交省の河川伝統技術データベースには、「角倉了以が東大寺大仏殿改築に用いる木材の運搬のため、天竜川を浚渫し、信濃国平出(長野県辰野町)から遠江国掛塚(静岡県磐田市)まで通船」のようなのは見当たらないです。


https://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/kase …
「方広寺大仏殿再建にあたって、その用材を運搬するために角倉了以が高瀬川を開削したのは慶長13(1608)年である。高瀬川は五条までであったが、元和2(1616)年に鴨川の西を二条まで延長して、京都で消費する木炭、薪などの貨物輸送、稲荷参り等の水上交通機関として利用された。」という記載はあります。
慶長 11 (1606) 年,角倉了以が京都と淀川沿いの伏見との間に高瀬川を開削して高瀬船 (川船の一種) を就航させ,その後天竜川などで同型の高瀬船を使用した際,角倉了以の名にちなんで角倉船と呼んだもので,朱印船とはまったく別の小型の川船である。

川船(角倉船)は、静岡県浜松市天竜区船明で、上流から流されてくる木を水から引き上げ陸に揚げ山積みにしたり、下流に流すために筏に組んだりするのに、徴発された役船らしいです。
とにかく、急流なので、上流側は、木材を管流しという方法で流したようです。管流しは、木材をそのまま一本づつ川に流すので、管を流しているように見える方法です。
http://www.mis.janis.or.jp/~takao424/kureki/kure …
赤石山脈・伊那山脈・木曽山脈に近い伊那の村々が、規格のきまった榑木(くれき)を年貢米のかわりに出すようになったのは、寛文年間のことである。
榑木年貢を出すこれらの村を榑木成村といい、遠山六カ村(注)では、延宝五年(1677)から元禄五年(1692)の間が榑木成村であった。
遠山六カ村の榑木成が短期間であったのは、御役榑木が多かったことが一因である。
これは慶長年中に駿府普請のため、遠山六カ村へ榑木を一カ年に五万八、八一四挺を割り付けたのである。代米のない御役榑木は、領民の負担が大きかったが、さらに延宝五年から、御役榑木に御年貢榑木が重なった。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
> 茅野あたりの木材が諏訪湖を経由して天竜川を下り、
  太平洋に出て、出雲や鹿島に運ばれることは十分あると思うのだがどうだろう、

年貢米の代わりに、木材を徴発されたという事情からすると、「お上の命令でやっている」ので、請負人も自分の好き勝手は出来ないような気がします。
出雲大社、鹿島神宮などの用材は、それぞれ調達方法が決まっているでしょうし、茅野の木材を意図的に管流しするということもなさそうだと思います。
「諏訪湖流域の御柱は天竜川を下って太平洋に」の回答画像3
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この回答へのお礼

メリークリスマス oniwabangairuさん
わかりやすいご回答、ありがとうございます

なんとびっくり「河川伝統技術データベース一覧」
16世紀前からのこのようなデータ記録があるんですね。たしかにここにはWikipedia「天竜川/歴史」に載っているような記載はないですね。
ここに、通船したとも記載があり、この急流を川上交通があったという想像はちょっと難しいですよね(^。^)y-.。o○

榑木の運搬方法
➡川に流して運搬する方法で、それにも筏や舟に積下す方法と、管流
といって榑木・材木をばらばらにして流し、川下に張った綱でせき止めて陸揚げする
方法があり、これが一番多かった。

➡天竜川の渡場からの川下げ(川下しともいう)は、榑木を一時に何十万挺も流すた
め、川岸・川瀬に懸かり流れないものもあるので、遠州「舟明まで」の両岸の村々から
人足を出し鳶口等ではずして流した。これを川狩といい、川沿いの村から義務的に
出ることを郷狩といった。管流しされた榑木は、舟明で陸揚げされ榑山に積み重ねられる。

とありますが、遠州船明までということは、その上流からということでしょうが、大体どの範囲なのか (^。^)y-.。o○!?
金原明善が治水工事と植林を行ったということは有名ですが、長野圏域までというのは聞いたことがないので、やはり現在の静岡県域というイメージは容易ですし、もちろん暴風雨時期に諏訪地方の雑木が流されることはあったと思いますが
はたして信濃山間部の用材を急流を下すというのは、やっぱり無理があるのでしょうね

出典を付けてのご指導ありがとうございます。

「出雲大社の用材を諏訪湖の貯木から運んだ」という仮説はやはり無理があると思いますが、 友人が熱弁を振ってくれたので( `ー´)ノ
もしかしたらと思って悩みましたが
質問してよかったです。

この度は親切なご回答誠にありがとうございます
今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします

お礼日時:2021/12/24 13:10

>天竜川を下って諏訪湖から巨木を太平洋に出すような試み~



何年か前に天竜川の上流をドライブしたことが有りますが、御柱の長さ(10m以上)を諏訪湖から運び出すって至難の業ですよ
湖上から川に入っても河川が急カーブの様に曲がり山間部ですから川の高低差のある場所も有るし、川幅が狭いと来たら数人で材木を運ぶってのは1日で何キロも流れないかと思います

主さんもその道を歩くかドライブしてみたら分かると思いますよ
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この回答へのお礼

この度は親切なご回答ありがとうございます
そうですよね
天竜川を下って秋葉神社のあたりから下流であれば材木も流れるかと思いますが
そこから上流の方は結構急流なので10 M 級の木材はなかなか難しいですよね
5 m 級の材木ならば下流に渡すことができるかもしれませんが
それだって結構傷ついてしまって用材として使う品質を保つというのは難しいような気もいたします。
現実的なご回答ありがとうございます
また私も機会を見つけて観察してみたいと思います

お礼日時:2021/12/26 23:27

天竜川を下って太平洋に出たとして、現代の様にタグボートも無い時代にどのように奈良や出雲まで運ぶかって事が難問ですね(筏では絶対無理)



奈良の場合は周りの山から持って来れると思うし、出雲地方でも山陽と山陰を隔てた山から持って来れると思いますが
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この回答へのお礼

本日は早速のご助言ありがとうございます

私もそんな話は無理ではないかと思っていますが
縄文時代の黒曜石などについての話題がよく聞かれますよね
それは、本州の人間がボートを作って神津島にわたって帰ってくるという航海をしたという ことではないでしょうか。
また、徐福が中国大陸から渡って日本を探索したこと
また神武天皇が瀬戸内海を航海したことなどを鑑みると

全く無理な話ではないのではないかと思いますが
いかがなものでしょうか
太平洋航海はまた別の問題としても
天竜川を下って諏訪湖から巨木を太平洋に出すような試みというものは
あったのではないかというように思えるようになっております

でも現実的には
どこのニーズで
わざわざそんな労力をかけるのか
というのはご指摘の通りだと思いますので

遠州地区にそうした経歴がないのであれば
やはり天竜川を降って巨木下ろしたということはないのかもしれないですね

本日は早速のご助言ありがとうございました
引き続きのご指導よろしくお願いいたします

お礼日時:2021/12/23 11:45

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