新生活を充実させるための「こだわり」を取材!!

高校生ですが、最近はどの物事に対しても気力を維持することが出来ずに、すぐに冷めてしまいます。恐らくその原因はどの物事を継続しても自分の想像を上回ることがないからです。なぜなら自分の想像の世界は現実よりも素晴らしく、また自分の都合の良い脚本しか存在しないため、わざわざ現実で想像以下の脚本を辛い思いをしてまで手に入れようとする必要がどこにあるのか理解しかねるからです。

また、自分は凡人であることを理解しており、才能に溢れる人との間にはどう足掻いても崩せない大きな壁が存在していることを認めれば、才能のある人を下から支えるような立場にしかなれない自分の無力さ凡庸さをあらためて実感し、無力感へとつながります。

以前は他人との比較が情動的なモチベーションとなっていましたが、今では他人との比較が全く意味をなさないと考えており、その理由は誰かより優れていても得れるのは周囲の羨望の眼差しや称賛だけで、それらによって自分が得れるのは高揚感以外に存在しないと考えるからです。ただ毎回ここの思考プロセスで自分が考えるのはどのようなものが自分の情動的なモチベーションを生み、活力のある毎日を送らせてくれるのかがわからないことです。少なくとも以前は高揚感を味わいたいという欲求が自分の情動的なモチベーションの根底に存在していましたが、それがまた刹那に失われてしまった要因はあくまで仮説ですが存在します。

(浅学のため、歴史に関しては自分の考えは的外れかもしれません。)それは、歴史を学ぶ毎に人々に非道だと酷評されるような歴史上の人物(スターリンやポル・ポト、元ルーマニアの大統領ニコラエなど)は、他人から評価されたいという欲求や誰かの思想に心酔することから、自分の思想に盲信的になり、周囲に敵を作った結果、地位の陥落を恐れて暴挙に出るパターンが多いことに気づき、その抽象化から自分が導き出した考えは、他人から評価されたいと思う欲求はいわば戦時下の日本で行われた金属類回収令によって梵鐘が悍ましい殺戮の道具である武器類に生まれ変わってしまうように、最初はかわいい物でも狂気に移ってしまう恐ろしい欲求だと考えたため、高揚感を味わいたい気持ちの一切を失ったのだと考えます。

またさらに最近は生きたいという気持ちを忘れました。理由は歴史から学べるが学べない人類の愚かさに絶望したからです。人生というのは、自分の力ではどうしようもできない要素が大部分を占めており、謂わばクソゲーです。社会環境に大きく左右され、未来は不安定です。そんな状況下で生きる気力が自分には存在しないのです。ただ一切の不安がない状況下が居心地がいいか言われたらそれも甚だ疑問ですが。

自分は最近他人とも上手く話せなくなりました。その理由は他人に興味がなくなってしまったからです。自分の頭の中に渦巻く思考を言語化するのは困難でしたが、解決策を教えてください。わかりにくい部分がありましたら補足します。まだ自分が何故この状態になってしまったのか理解しきれていないので。

教えて!goo グレード

A 回答 (10件)

高校生ぐらいだと色々と考える様になります。

それは、大変、良い事です。何も考えないでアホらアホらと毎日を過ごす愚かな高校生は沢山います。ジェイムズ・P・ホーガンの「創世記機械」「星を継ぐもの」「造物主の掟」、アーサー・C・クラークの「都市と星」「幼年期の終わり」「2001年 宇宙の旅」などを読む事を御勧めします。ローレンス クラウスの「宇宙が始まる前には何があったのか?」、中原 英臣/佐川 峻の「ウイルス進化論」も御勧めです。
 私は無知で、人間の多くは無知です。貴方も無知だと思います。良書を沢山読んで知識/見聞を広め、熟考して良く考察しましょう。脳が覚醒し知識欲への高揚感を感じ様になると思います。
 人間は、蛋白質など出来た非常に複雑で高性能の有機化合物の機械ですが、一方では、非常に単純な機械でもあります。ビタミンが不足するだけで体が怠くなり無気力になります。私は、「パンビタン ハイ」を毎日3錠飲んで、毎日、健康で快適に過ごしています。貴方にも御勧めします。

時間が無かったら,つまり,時刻も無い,瞬間も無い,時間的な幅が無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

空間が無かったら,つまり,点も線も面も体積も無い,空間的な大きさ広がりが無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

真空を「無(む)」だと言う人がいますが、超弦理論の弦/紐/膜やクォーク、素粒子、原子、物質、エルネギーの全てが無くても、真空には時間と空間はあります。従って、真空は、「無(む)」ではありません。

時間だけでも、空間だけでも、「存在」は、成立しません。この一方だけでは「存在」は成立しないのです。時間と空間の双方があって、初めて「存在」は、成立します。
宇宙は、なぜ存在している事が出来るのか? それは、「時間」が存在し、「空間」が存在しているからなのです。

 時間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  時間が無い状態から時間が始まった/初めた/流れを開始した状態をイメージ出来ますか?
空間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  空間が無い状態から空間が始まった/初めた/大きさ広がりを開始した状態をイメージ出来ますか?
出来ませんよね。と言う事は、時間の無い宇宙、空間の無い宇宙は、存在しない、ありえないと理解すべきと言う事なのです。
 ビッグバンで宇宙が誕生して、時間も空間も誕生したのなら、ビッグバンの「前」は、時間は? 空間は? どうなっていたのか?との疑問が湧きます。
「無限大の大きさ広がりを持つ空間的に無限大の空間と無限大の過去から存在し無限大の未来まで流れ続ける時間的に無限大の時間が無限大の過去から共に既に存在している」。この時空/宇宙を「母宇宙」と定義します。この母宇宙Aの時空の量子論的な揺らぎが、我々が存在しているこの宇宙Bのビッグバンを138億年前に引き起こし、Bは、Aの「子宇宙」として、Aの時空の中で誕生し、今もAの時空の中で加速膨張し続けていると解釈/理解すると、Bが誕生する「前」の「時間」は? 「空間」は? と言う問いに、Bが誕生する「前」は、Aの時間が流れ、Aの空間が広がっていたと答える事が出来ます。
 それぞれが無限大の大きさと広がりを持つ「子宇宙」を無数に無限大個、その時空の中に持っているのが「母宇宙」で、母宇宙の中では、常に無数の無限大個の子宇宙が誕生して、それぞれが母宇宙の時空の中で収縮/安定/定速膨張/加速膨張などの成長を続けているのかも?
こうした多数の宇宙が存在するとの考えを「マルチバース」と呼びます。
 母宇宙は、どのように始まった/誕生したのかは、母宇宙の「定義」から、
「母宇宙は無限大の過去から時間と空間と共に既に存在している」と回答する事になります。なので、母宇宙に始まり/初め/起源/誕生は無いのです。

 宇宙の加速膨張が観測され、ダークエネルギー/ダークマター/超弦理論/11次元のM理論などが議論され、これらは、物理学の一大飛躍の切っ掛けとなる予感がします。
 1900年にプランクが量子論を1905年にアインシュタインが相対論を創始して現代物理学が誕生し、それまでの物理学が古典物理学と呼ばれた様に、2021-2030年に掛けて生み出される物理学は、今の現代物理学を過去のものとする、全く新しい「真新物理学」を創始し、1900-1905年頃の人に量子コンピューターや相対論的GPSの時間補正と言っても理解できないのと同様に、2021年の我々が「局所空間の通常空間における波乗り効果」と聞いても理解できない全く新しい物理理論と技術を生み出し、任意の範囲の時空を通常空間の時空の中を波乗りをする様に滑らせ、何百万光年も離れた遥か彼方の銀河に極めて短時間で人や貨物を行き来させるかも?
 そうなれば、はくちょう座の方向の約600光年の彼方にある我々の太陽と良く似た恒星ケプラー22のハビタブルゾーンを公転する岩石惑星ケプラー22bに移民宇宙船が大挙して押し寄せ、ネオ日本/ネオアメリカ/ネオチャイナ/ネオロシアなどが建国されるかも?

 2045年にコンピューターの知能は,全世界の人間が束になって挑んても敵わなくなる,全人類の知能の総力を超える「技術的特異点/シンギュラリティ」に達するとの予測があります。殆ど、「神」と呼べるレベルの超知能/超知性の人工知能AIが誕生するかも?
 人間は脳にチップを埋め込み,スマホやPC,マウスやキーボードなどを使わず,脳の中に投影されるスクリーンの輝点を目で追うと,その脳の電気信号をチップが検出し,文字の入力やクリック/ドラッグ/ドロップなどが可能になり、人間は、常時、ネットにワイヤレスで接続し、超知能/超知性の人工知能AIと通信し、世界中の情報を操作/情報処理するかも?
 超知能/超知性の人工知能AIと連動した人型ロボットが、一般家庭で炊事/洗濯/掃除/育児/介護/買い出し/ゴミ出しなどを熟し、医療/法曹/建築/土木/生産/流通など全業種の全職場で働き、人間には、研究開発や芸術などの限られた仕事しか残らないかも?
 地球の隅々に広がり地球から溢れた人類は、無限のキャパシティを持つ最後のフロンティアである「宇宙」に向かうでしょう。それは「好奇心と拡散性」が人類の「性(さが)」だからです。

「宇宙塔マスドライバー」で人や資材を宇宙に送り、地球周回軌道や地球-月のラグランジュ点L₄,L₅に宇宙太陽光発電所を建設し、そこで発電した電力をマイクロ波に変換して地球に送信します。
http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …

 このマイクロ波を地球で受信して電力に戻して利用します。宇宙では何に遮られる事も吸収される事も無く、365日24時間、100パーセント太陽からの光が太陽電池パネルに当たります。この無限でクリーンな電力で地球の水(H₂O)を電気分解して、水素と酸素を作り、この水素で水素自動車(燃料電池自動車)を走らせます。宇宙の太陽からの光で大型トラック/バス/タクシー/マイカーなど全ての車が走行する「水素社会」が到来します。
https://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_an …

 知的生命体は人型で無いかも?
wikipedia日本語版の記事「ケイ素生命」の様に、ケイ素を主体とした生命体の可能性もある。核分裂物質が豊富な環境でケイ素生命体が誕生し、体内に核分裂物質を取り込み核分裂エネルギーで生命活動を維持するのかも?
 太陽の光を浴びて光合成の様にして生命活動に必要な物質やエネルギーを得るのかも?
 そうであれば地球の生命体の様に他の生命体を捕え/殺し/食べ/消化し/吸収し 生命活動を維持するエネルギーを得る必要は無いので、食べる「口(くち)」は無く、自己の体内から電磁波を発信し、外部の電磁波を受信し外部の情報を知覚し、他の個体とコミュニケーションするなら、目も耳も喋る「口(くち)」も無く、呼吸が不要なら鼻も無く、手足も無く、触手の様な体の器官で物を掴み、銀河間航行する宇宙船を組み立て、宇宙狭しと駆け巡り、壮大な宇宙文明を築いているのかも?

 宇宙人を「この宇宙に存在している知的生命体」とすると地球に住む人類も該当する。人類がいるのに人類の他には、この宇宙に宇宙人はいないと言う方が無理がある。天の川銀河(銀河系)には約1000億個の恒星があると考えられている。その中に地球人と言う知的生命体が発生していると言う実績/事実がある。

創世記では、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」とある。「はじめに」とは、時間を指す言葉だ。「やみが淵のおもてにあり」とは、「やみ」や「淵」が存在し、これらが存在できる「空間」がある事を意味する。つまり、神が天地創造を開始した時には、既に時間は存在して時間が流れており、空間も既に存在していたと述べている。神は、時間も空間も神自身もやみも淵も創ってはいない。これらは既に存在していたのだ。
では、これらを創ったのは何なのか? これらは何故、存在していたのか?
聖書は答えていない。

宇宙は、なぜ存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか?

神が創ったのなら、

_神は、なぜ存在し、_神は、どうしてどのようにして始まったのか?

こう記述すると、宇宙と神は同じです。
「最近全く人生が楽しくなく無気力です」の回答画像10
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元は高校生でした。

 遙かに昔のことです。 たぶん、高校生くらいの年齢だと、この50年間くらいは、自分の状況や生きていく価値やこれから真剣に取り組むべきことに悩んでしまう人が、20~30%近くでる状況になっているのだと思います。 もっと昔になると、そういう状況になる人の割合はずーっと少なかったのだろうと思います。 社会の文化規範のようなものが、幼児期から高齢期まで「コウすべき、こうでなくてはならない」とハッキリしていて、その文化で育つからだと思います。 でも、もうそういう文化は過去に消えて、損や得、勝ちや負けなど功利的な視点で考えるのが普通になってしまったために、「当然、当為」ではなく、頭と欲と金と地位や評判を直感や言語論理、数字で選ぶことになって、10%以上の人がブレーキがかかった状況になるのだと思います。 この社会的背景は大きな原因です。 でも、この背景は個人で改変することはできません。 しかし、おそらく60%以上の人はこうした社会的背景にあっても、ブレーキが懸からなかったり、迷い戸惑ったりは少なくて済んで、やっているので、展望が開けずに迷い悩んで困ってしまっている人にも、なにかの上手く切り抜ける方法はあるはずです。

> 自分の頭の中に渦巻く思考を言語化するのは困難でした

そういうものだと思います。キレイに渦を巻いているのであれば観察をしっかりすれば整理がつき言語かもある程度出来ますが、錯綜し浮かんでは消え乱雑に急増する状況では、本筋と副を分けることも出来ないです。 その状況がある程度続けば、検討するのにも疲れ、気力も湧かなくなります。 モチベーションもバイタリティも失われ、無気力や虚無感、絶望が時々表れても不思議ではないです。 以前に感じられた昂揚感が起こることをやる気力さえも失われます。

> 以前は高揚感を味わいたいという欲求が自分の情動的なモチベーションの根底に存在していましたが、それがまた刹那に失われてしまった要因はあくまで仮説ですが存在します。(その後に、有名人物が高揚感や権威固執で残虐無道の行為に及んだと考え、高揚感や有能感・効力感を重視する志向は危険だという仮説も持つ)

スポーツ選手、音楽家、俳優、ダンサー、事業家、営業員、建築家、服飾デザイナー、理化学や歴史考古の研究者、小説家や歌手、料理人、医師、美容師、教師、弁護士、家事コンサルタント、ゲーマー、ツイッターなどでも、達成感・自己効力感・勝利の満足などでモチベーションが上がったり、褒められたり、感謝の言葉を受けたりして安心と幸福感を共有して、さらにモチベーションを上げることはありますが、そうしたことで狂気に走るというのはとても少ないです。 多くのケースは、穏やかで他人にも優しい人格の形成に資するようです。
「ありがとうございました」と頻繁に言うことは、表面的には相手への感謝や相手の下に自分を置く言葉ですが、実は、言っている当人の精神から敵意やうつ・ネガティブな感情を排除して、ポジティブな開放性や外向性・協調性を高め明るいアクティブな行動傾向を高める効果をもたらすのです。 高揚感を直接高める効果はないのかもしれませんが、「ありがとうございました」と実際に言ったり、心の中で「ありがとうございます」としっかり感謝の念を、親や教師、先輩、店の人、同級生にも常日頃思っていると、自分自身がアクティブ&ポジティブ&外向的&協調的&開放的になって、「モチべーションが上がらない」などということにはならなくなる可能性は高いです。

> 人生というのは、自分の力ではどうしようもできない要素が大部分を占めており、謂わばクソゲーです。社会環境に大きく左右され、未来は不安定です。

そりゃその通りです。 お釈迦さんも、人生四苦八苦で自分ではどうしようもないと思ったそうです。 バブル時代、氷河期、戦時体制、格差、メリトクラシー、自分で出来る要素なんて小さいです。 でも、自分だって、その住んでいる地域の数万分の一、通っている学校の千分の一程度です。 そんなのが世の大勢に大きく影響出来る方がヤバイでしょう。 飼い猫・飼い犬でも、夫婦の間でも、自分の身の丈でのことで、充分に満足は得られます。 2022年2月3日に学校で理科の知識を活かした爆破大量殺人が起こされる可能性だって皆無ではないです。 未来などだれにもわからないのですから、不安定だとネガティブ・虚無・無力感で考える方がおかしいです。 60~70%の高率で起きうる範囲で、自分の出来ることのわずかな選択肢で考える方がまともです。 中学でも確率論とか、論理的検討と選択のことは習っているでしょう。

> そんな状況下で生きる気力が自分には存在しないのです。

昨日屋外のコンクリートを水で洗っていたら、真っ白な長さ7cmほどのヤモリがでてきました。 結構寒いし、夜は冷たい石のところでよく生きているものだとへんに感心してしまいました。
https://animalbattles.wealthyblogs.com/?p=17216
気力があるとかないとか、生きて行く上ではさほど問題なことではないです。 ヤモリと人間は違います。 ネコやイヌでも、人間との関係を断つよりは人間との関係を適度に保った方が生きて行くのに好都合です。 人間であれば、親兄弟だけでなく、いろいろの人といろいろのつながり・関係を保って、融和的・開放的・協力的・協調的に感謝を基本に生きていった方がいいです。 びくびく生きたり、不安におののいたり、妬みや恨み(ルサンチマン)を抱いたりしながら閉鎖的になるのは、イイとは思えないです。 そもそも快適の反対でしかなくなります。
気力のことを気にするよりも、融和的・開放的・協力的・協調的に感謝を基本に生きてみた方がいいです。 出来ることは、体力・知力・経験・気力で自ずから制約があるに決まっています。 出来る範囲で充分です。

> ただ一切の不安がない状況下が居心地がいいか言われたらそれも甚だ疑問ですが。

私はスポーツ、芸術系は、平均レベルには全く及ばない下の下でしたが、長距離走や山登りのような長い時間同じようなことを淡々とやり続けるしかないようなのをやっている最中には、もう他のことは考えたり思ったりしないで(というより、余裕もなくて)ハアハアと呼吸をすること、脚を運ぶことだけに気を向けていました。 呼吸は苦しいし、その状況で続けられる時間も限られてはいますが、《不安もなく、居心地がよい》というのにも近いような気がします。 テレビ、映画、小説などで、家族ドラマの半分くらいは、「なんだかんだの問題は起きても、まあ大事には至らずに、登場人物が生き生きして、融和的・開放的・協力的・協調的で、それが良いじゃない」というもののように思います。 インドに観光で行ったとき、市中の映画館に入ったのですが、もう観客は映画が始まる前から喚声で、シーン毎に大喜びで、、、もちろん言葉はヒンズー語で聞き取れない映画ですが、人々が映画をこれほど楽しく観ているなんて、実に驚きでした。 人々の生活は苦しく、古くからの因習や新しい生活苦などあっても、人生は謳歌出来るんだと、本当に思いました。 日本の江戸時代、化政町民文化の時代は、天明の飢饉と天保の飢饉の間にあって小氷期ではあったけれども若干気候がゆるんで米の収量が増えた時期です。 食い物がなんとかなれば、それだけで居心地よく、生活を楽しむことは出来るんです。 社会の制約だとかそういうことは決定的な要素ではないです。 漢文で、日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田食 帝力何有於我哉というのを習った記憶があります。 社会的、自然環境的、政治的、軍事的にみれば、不安要因が沢山あったとしても、人は楽しく居心地よくいられるものです。

> 自分が何故この状態になってしまったのか理解しきれていないので

個人差や個人的なイベントが原因の一つになっている可能性は結構あるでしょうが、身心の発達段階で起こるバランス失調という時期的な問題、言語的発達が情的発達に先行しているのに知的処理をするのに必要な知識情報が乏しく言語処理が空回りし、情的不安定さを一層不安定にしてしまうなども影響しているのでしょう。

知的処理をするには、その処理技術をピュアに磨き上げることを目指すよりも、多種多様な検討を、例えば、文学、音楽、美術、天文気象、水利地勢経済、社会政治、発達心理学、社会心理学、脳科学、情報工学などいろいろのことで試すことです。
また、グループ・集団活動やアルバイトやボランティアなどをするのも、身心と感性・情動の安定、コミュ力向上に役立ちます。
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高校生ぐらいの時は世の中の面白さも怖さも知らないから、


無気力無関心になるものもお多い。

社会に出て10年〜15年ぐらいで世の中の面白さや、怖さがわかる様になってくると、毎日がワクワク、同時にビクビクして、飽きることが無い様になるかもね。
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少しを求めて、得られたら休憩をして、また、少しを求める。

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他人と自己を比較してばかりいると陥りがちな虚無感でしょうか。



心的には、自分を好きになることですが、ご質問者の場合、その第一歩は体を動かすことかと思われます。
心と身体は一緒です。10代で考え込んでばかりで身体を鍛えることを怠ると、思考能力も停滞しマイナス指向に陥りがちです。身体を鍛えることは脳の活性化を促します。

自律的に運動がやりにくいのであれば、スポーツ関係の部活なりサークル活動に身を置き、他律的・強制的に激しく体を動かすことをお薦めします。
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高校生ですが、


 ↑
高校生でこれだけの文章を書けるのは
凄いと思います。
厭世的にならないで、勉強を続け
是非、社会に貢献出来る人間になって
欲しいです。



また、自分は凡人であることを理解しており、
才能に溢れる人との間にはどう足掻いても
崩せない大きな壁が存在していることを認めれば、
 ↑
高校生でしょう。
凡人か否かなんて、とことん頑張って
みないと判らないでしょうに。
何十年もとことん頑張ったけど、ダメだった、
となって始めて才能が無い、と
判るものです。



才能のある人を下から支えるような立場にしかなれない
自分の無力さ凡庸さをあらためて実感し、無力感へとつながります。
 ↑
頭の良い人にありがちな考え方ですね。
実際に試みてもいないのに、脳内シュミュレーショ
だけで行き詰まってしまう。
それを「頭でっかち」といいます。



他人との比較が全く意味をなさないと考えており、
 ↑
他人と比較することにより、始めて
自分が解ります。
背が高いのか低いのか、頭が良いのか
悪いのか。
他人と比較しないと判りません。
心理学ではこれを「相対的剥奪原理」
といいます。



その理由は誰かより優れていても得れるのは周囲の
羨望の眼差しや称賛だけで、
  ↑
マズローの欲求段階説、というのがあります。

これによると、人間はまず、食欲性欲などを
満たしたいという欲求があります。
これが満たされると、次は安全安心な生活を
したい、という安全欲求が出てきます。
この「安全欲求」が満たされると、次の階層である
「社会的欲求(帰属欲求)」(集団に属したり、仲間が欲しくなったり)を
求めるようにます。この欲求が満たされない時、
人は孤独感や社会的不安を感じやすくなると言われます。

「社会的欲求」の次に芽生える欲求は、第四階層である
「尊厳欲求(承認欲求)」(他者から認められたい、尊敬されたい)
です。
そしてその「尊厳欲求」が満たされると、「自己実現欲求」
(自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど)が生まれます。
他者に何かを求めるというより、
自分の活動や成長に強い関心を持つようになります。

さらにもう一つの段階があります。
それは「自己超越」という段階。
「目的の遂行・達成『だけ』を純粋に求める」という領域で、
見返りも求めずエゴもなく、自我を忘れてただ目的のみに没頭し、
何かの課題や使命、職業や大切な仕事に貢献している状態です。
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解決策は自己承認と、他者関係から喜びを得ることです。



自己承認が不足するとルサンチマンが増え、充足すると減ります。マインドフルネスが有効です。

他者関係は自己への配慮を交換する承認のゲームで、言葉を用い、生きる意味や暫定的正しさがそこから生まれます。つまり質問文のようなことを語り合う友人を持つことです。
(竹田青嗣『哲学ってなんだ 自分と社会を知る』参考)
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理屈で考えず、感覚を大事にされたらどうでしょうか。



私はずっと虚無感に悩まされていました。
理屈で考えるとこの世は虚無であるという結論にしかなりませんでしたから(それは今も変わりません)。

しかし、人間は感覚次第で同じ状況・条件であっても幸福にも不幸にもなれます。

感覚を幸福にする方法は色々あるかと思います。
必ずしもオススメはしませんが私の場合は病的だったので薬に頼りました。

薬で抑うつを防いでも人生の無意味さは変わりません。
しかし、幸福感を得られれば活力が出てきます。

ご参考までに。
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理想と言うか 夢とか憧れるような自分になりたいようなものがあると



現実は全く それこそ下水工事をしてるようなもので

実際私も新幹線の空調掃除を随分やりました。

でも楽しかったですよ。身分が低かったから差別されましたし

仕事もきついばかりで同じことの繰り返しでした。

でも生きていた。生きていたから今があるのです。

私は昼休みに生物関係のブルーバックスを読んでいて

へ~~~ひょっとして 自分らを存在させているのはこれら数多の性質のおかげなんだなあ

と思ったものです。

旅行に行ったと思って下さい。旅行はバスツアーなら楽ですが 自転車とか歩きで電車乗り継いたり

暑い思いや寒い思いや、仲間との友情や一人でも孤独とか けしてワクワクするばかりじゃないかもしれません

電車で立ってたり重い荷物を持ったり 登山する人とか戦場カメラマンとか

ただ思いだけで旅行する人もいます。命からがら山で怪我したり、戦場で拘束されたり

けして楽しくはないでしょう。

それでも何かを求めていくのが人間で 異土の牢い(かたい・囚われの身)となろうとも 帰る所にあるまじき

つまり今はどうか分かりませんが どうにかして生きていかないと

ますます惨めな身の上になっていくわけです。水を泳いでるようなもので

努力をしないと溺れて死んでしまいます

死にたくはないのでしょう?

僕も20代は暗黒の時代でしたが 仕事もし東京にも行って病気になって

入院しました。

今はどうか 傍目から見たら惨めな境遇かもしれませんが

自分では大学をやめた時点で底辺だったので 底辺生活に馴染んで

好きな事を書いています。

もうすぐ60才ですが 人生は無駄ではなかったと思います

もうこれ以上何を出来るか分かりませんが、やりたい事をやれるのですから

僕らの高校時代に流行ってたニヒリズム(虚無主義)が懐かしいです

結果としては良かったのかもしれませんが ドストエフスキーの「悪霊」がいいとか太宰治も教科書に載ってたような気が

今も載ってるんですかねえ?何だか人生が0になるような マイナスに成るような

そんな小説から学んでいました。「二重人格」がいいとか言われました。

芥川はいいですねえ 子供の頃読みましたが 杜子春とか芋粥とか

ああいうのは読みましたか?

アニメや映画の主人公は大概傷だらけになっても窮地から戦い逃れるのでしょうけど

現実はそう簡単には逃れられないです。そして現実にこそ真実・真理は在るのです。

自分のリアルと空想やアニメやっ小説の主人公が一種になる必要はないのです。

無駄な周り道をしてもいいけど 回り道せずに先人の小説や映画アニメを見て そうなった気になって 「成る程」

と思えればいいのです。

空想も楽しいと思いますよ。高校生なら進路が気になるかもしれません

我々の頃は学歴主義で いい大学に入らないといい人生は送れないと思ってましたが

実際にはそうではありませんでした。

上に行きすぎると競争が激し過ぎて、技術者とかならいいでしょうけど

営業や職場でも派閥があったり能力の差があったり、大変です

下に落ち過ぎると給料が少なかったり、失業したりやりたくない事をやらされて

嫌な思いもします。人間が下に見られますから。

しかしこの国では人生をどう生きるかは自由ということになっています。

自分で決めなければならないのです。自由は実存主義では、あれかこれか

自分で選ばないと選択を迷っていたらタイミングを逸して不本意な境遇に成るかもしれません

車を運転していてもそうです何処に行くのも自由です。法律を破れば捕まるかもしれません。

目的地が在れば今は画面の地図を見ながら行けばいいですが 前は人に道を聞いて少ない知識でたどり着くしかありませんでした

事故れば保険に入ってないとお金を大量に払わなければなりません

保険も今はネット保険が多いですが 兎に角人と衝突するとお互いに損をします

他所の国では小さな子供でもゴミを漁ってカネになるような物や残飯を

拾って何とか生きていくしかないのです。

生きている以上 自分の行動は自分で決めたいものです。時には不本意なことも多いです。

私の高校の先生は「テレンパレンしよるというと やおいかんめいが そろそろ分かってきた頃と思うぞ~~教は何ページ?何ページ!?」

と言ってました。この世はテレレンパレンしてるというと大変なことになります。

自由が利くのも学生までです。学生やめたら土方でも銀行でも公務員でも何でもやって食べていかなければなりません

可能性があるという事はうらやましいです。

人生は筋書き通りには行きません。大谷翔平も池江璃花子?も必死で努力して大病したり、手術を受けたりしてやっと名誉ある地位を得たのです

親がいたら甘えてしまいますが 私も大学をやめてすぐ家を出てアルバイトで食ってました。

試されたり騙されたり失敗も多かったです。

生きにくい時代かもしれませんが 自分の人生に悔いなき様に

歌は「青春時代」とか聴いて、精一杯頑張って下さい

そうでないと日本に安く商品を売ってる外国の皆さんに申し訳ないです。

あなたは自由なのです まだ。

「天は自らを助ける者を救う」今まで生きて来れておめでとう。

自分で自分の人生を現実に成功させて下さい。

私も頑張ります。
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健康に問題がないのでしたら、「サウナ」に入ってみてはいかがでしょうか。




ご質問文にあるお話では、他者からの評価などは全部他者の感じたことなので、ご自身が感じることに意識が集中すると違った景色が見えるのではと思うのですが。自分が感じることとは別の話だから、どんなに他者から称賛されても、何を言われてもされても、自分の実感にならないのだと思います。



いかに「自分が感じることに集中するか」の方が大切では。



私は45歳男性です。よく回答に「サウナ」と書くことがあるのですが、頭に情報が集まりすぎて、嫌なことや不満、考え事や他人のことなどがいっぱいになった「思考の世界」にいると、何も感じられなくなるのではないかと思います。


先日のアメトーークで「サウナ芸人」が放送されていましたが、私も今年になって「サ道2021」というドラマにはまり、「サウナ」を利用することで、【感覚の世界】に自分を移すことの有効性を感じ始めました。


ご質問文を拝読していると、言語化とか「考えていること」が多く見受けられますが、それらは全部「思考の世界の話」という感じがします。


ちょっと頭の中をスッキリさせて雑念を無くすために、体や肌で感じることを生活に取り入れてみると良いと思います。その一例が「サウナ」なのですが。


全身をよく洗ってからサウナに入り、汗をきれいに流してから水風呂に入り、ベンチなどで休憩しながら「外気浴」で【ととのう】と、体で感じる熱さ、冷たさから始まる多幸感があるとのことです。


今年放送されていた「サ道2021」というドラマの第二話で、サウナに入ることで雑念が消えるのはなぜかという話題が描かれていました。普段、仕事や私生活で「思考の世界」にいる状態から、サウナによって「感覚の世界」に意識が移ることで雑念が消えるという話で。




他には、美しい音楽を聴く、いい景色を観る、美味しいものを食べる、スポーツをする…など、【感じること】に意識を向けてみると、頭の中もスッキリして、体の中から吐き出されるものがあると思います。



そういう状態になってから、落ち着いて状況を整理して考え直してみると、いろいろと発見することがあると思います。


まずは、「体感すること」を試してみると良いと思います。
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