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▲ (ソクラテス:吾輩はアブである) ~~~~~~~~~~

吾輩はアブ( ミュオープス:social gadfly )である。

私は馬を目覚めさせようと、馬の周りをブンブン飛び、
馬の背中や鼻の先やときにはしっぽにくっついて、
くすぐったり、チクチク刺すなど、いろいろとやってみたのだ。

だが、寝込むところを邪魔され、怒り狂った馬は、
『邪魔なアブ』を一口で飲み殺そうと企む。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ご見解をどうぞ。

A 回答 (9件)

中世ヨーロッパ哲学のlumen naturale やlumen gratiaeが僕にはしっくり来るんです。

笑。あるいはスピノザの真理は向こうから語りかける、という向かいかたですね。
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この回答へのお礼

あぁ それなら(その光なら) ぎゃくの順序で

ヒラメキ / 良心 → 直観・恥ぢの意識 / 直感・ヤマシサ反応

といった峻別に対応していますね。




スピノザは 神からヒトへのハタラキカケを 思いっきりあらゆる領域にまでひろげましたね。神即自然 deus sive natura 。

お礼日時:2021/12/29 08:24

仰るように、改めて西欧の真理論は「主観と客観の一致論」ですね。

僕にとって真理とはマインド=思考の領域ではなく、ある意味危険な「直観、心を揺さぶるもの」なんですよね。現代のエビデンス主義、西欧の真理論の劣化ヴァージョンですね。残念
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この回答へのお礼

わたしは 経験事象と非経験の場ないしチカラとを はっきり分けています。


○ ひとの自然本性(身と心)および霊我のハタラキについて
 
霊我:信じる:《非思考の庭》:クレド: ヒラメキ;良心
                    ↓    ↓
------------------------------
精神:考える:《思考の緑野》:コギト: 直観;恥ぢの意識
身体:感じる:《感性の原野》:共通感覚*:直感;ヤマシサ反応

      * センスス・コムニス

お礼日時:2021/12/29 08:19

真実に近づくのに、現象学が認識論で終わってるのが残念です。

あるいはガダマーのような解釈学になるのも残念です。ニーチェが彼らのお仕事すでにしてますから。けれど現象学の「事象へどうしたら近づけるか」という考え方。「物事の真実へいかにして切り込めるか?」という問いと違わないと思います。彼らの仕事は現代の哲学に関わるものなら、常にぶち当たる問いなのだと思ってます。
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この回答へのお礼

★ 真実に近づくのに、現象学が認識論で終わってるのが残念です。
☆ ええっと フッサールなら 《生活世界》に落ち着いたかと思いますが。


★ あるいはガダマーのような解釈学になるのも残念です。
☆ ガダマーは ざんねんながら 分かりませんけども。


★ ニーチェが彼らのお仕事すでにしてますから。
☆ そうなんですか。


★ けれど現象学の「事象へどうしたら近づけるか」という考え方。「物事の真実へいかにして切り込めるか?」という問いと違わないと思います。彼らの仕事は現代の哲学に関わるものなら、常にぶち当たる問いなのだと思ってます。
☆ そうですね。

次のような批判をしたことがあります。

【Q:ヨーロッパ人の真理論は成っていない】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8825760.html

☆ 欧米の真理説は けっきょく事物および現象というまとめて経験事象についての認識としての主観真実をあつかっていると思います。

たとえば 《事象と認識内容との対応》説があると思います。

お礼日時:2021/12/29 05:38

哲学に価値を感じていない人たちからすれば、「哲学をやっている」となると、たしかに「うぜえ」と思う人たちもいるかも知れません。

扱いずらそうだという理由で・・・

ですが、ここは哲学カテであるので、そういう人は少ないのではないでしょうか?

気になさらなくてご自由に真実を問い求めて良いのでは?また、哲学カテとはそういう場なのだと思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 哲学に価値を感じていない人たちからすれば、「哲学をやっている」となると、たしかに「うぜえ」と思う人たちもいるかも知れません。扱いずらそうだという理由で・・・
☆ そうですかねぇ。


★ ですが、ここは哲学カテであるので、そういう人は少ないのではないでしょうか?
☆ ええ。そうなります。


★ 気になさらなくてご自由に真実を問い求めて良いのでは?また、哲学カテとはそういう場なのだと思いますが。
☆ あぁ。単純なことでしたか。何も問題ないですね こういうことで。ふむ ふむ。ですね。




☆ いやぁ ちょっと待ってください。

つまり その哲学カテで おかしな現象が見られるんです。

真実が得られるもんかとか 正解を書いてはいけないとか。正解や真実は 言われた相手にしたら 不都合なことになったりすることが多い だから そういうことは慎むべきだ・・・なあんて。


ふーう。どうなってるんでしょう。

お礼日時:2021/12/26 20:26

子曰く、「良薬は口に苦けれども病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり」


信玄も「分別あるものを悪人と見ること」をトップが陥りやすい悪しき行動のひとつにあげていますね。

真実を問い続けることは苦難の道ですが、だからこそ重要ということだろうと思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 子曰く、「良薬は口に苦けれども病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり」
☆ 言えてますね。ただ このカテで これを拳拳服膺する人が何人いるかですね。



★ 信玄も「分別あるものを悪人と見ること」をトップが陥りやすい悪しき行動のひとつにあげていますね。
☆ あっ これは知りませんでした。わたしだけかも知れませんが 隙を突いたようなことわざのようです。

内容よりも 分別のほうが目立ってしまうかたちで上の者が受け留めるということですね。


★ 真実を問い続けることは苦難の道ですが、だからこそ重要ということだろうと思います。
☆ たしかに 下手をすると 苦難の道になるようですね。むつかしいですね。

お礼日時:2021/12/26 12:14

全然知らなかったのですが、


新庄剛志監督はビッグボスで、
地方競馬の馬主で、
苦労してるそうですね。
なかなかの苦労人の湯です。
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この回答へのお礼

馬主は知りませんでした。何かと話題の多いひとですね。

お礼日時:2021/12/25 22:48

面白かったです

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


あぁ ソクラテスの言葉がですね。・・・どうもそのようなのです。けっこうのっぴきならない事態でもあるようです。



マコムロ問題では 多くの国民が虻になりましたけどね。

お礼日時:2021/12/25 08:53

私は人生の暇つぶしに哲学をやっています。



カッコいい言い方をすれば、命を削ってやっているということでしょうか。

ですが、それによって誰かに食べられる危険があるならそこまでして哲学はやりません。

やはりそうなると私にとって哲学は暇つぶしに過ぎないのかもしれません。
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この回答へのお礼

★ 私は人生の暇つぶしに哲学をやっています。
☆ あぁ それはいいですね。

わたしは 宗教批判が 親の仇討ちなほどにまとわりついているので 余裕はなかったですね。


★ カッコいい言い方をすれば、命を削ってやっているということでしょうか。
☆ えっ? いや 暇つぶしという言葉とは ちょっとなじまないかも・・・と思いました。

(でも 哲学の性格から行けば そういうことになっておかしくないとなるでしょうね)。」



★ ですが、それによって誰かに食べられる危険があるならそこまでして哲学はやりません。
☆ ははは。そうですか。わたしは 組織宗教をにっくき敵としています。



★ やはりそうなると私にとって哲学は暇つぶしに過ぎないのかもしれません。
☆ 分かりました。それはそれで了解しました。

お礼日時:2021/12/25 08:50

危険を孕むので馬に攻めていく虻のようなものかもしれませんね。



ウゼエーとも思われるでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 危険を孕むので
☆ この条件節つまり理由の説明は いいですね。

★ 馬に攻めていく
☆ つまり 社会の弱点や 学問の権威と目されている人の学説について 批判をおこなう。

このことの必要性・重要性が みなで共有されているなら よいと思います。


多少は:
★ ウゼエーとも思われる
☆ としても。


〇 虻の効用
☆ へと潮目が変わって欲しいものです。

お礼日時:2021/12/25 06:47

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