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昭和天皇は、なぜ、アメリカとの戦争に勝てると思い込んでしまったのですか?

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A 回答 (17件中1~10件)

早期講和論というのがあって、それを行えば「勝てる」というか「日本に有利な状況で講和できる」と日本政府や天皇、そして軍部まで信じていた、という考え方があります。



その講和の方法は「真珠湾攻撃から有利に戦線を展開し、ソ連に仲介してもらって2年以内に講和する」というものです。

だから「勝てる」見込みがまったくなかったわけではないし、日露戦争の経緯を考えれば当然の着地点だったといえます。

しかし、ここに3つ大きな誤算が入ります。
・真珠湾攻撃で大した成果があがらなかったことと、宣戦布告が遅れて「リメンバーパールハーバー」という復讐心を米国人にもたらしたこと
・ミッドウエイ海戦で大敗北したこと
・ソ連は日ソ中立条約を破って日本侵攻する気があり、講和の仲介をする気がなかったこと
です。

これによって日本は「有利な状況で早期に講和する」という交渉能力も、交渉するためのチャンネルも失ってしまい、その後ずるずると負け戦を継続することになったのです。

日本の太平洋戦争論で注意が必要なのは「アメリカとの戦争に勝てる、というのはどういう意味なのか?」について注意が払われていないことです。

当然ながら日本軍がアメリカ本土に侵攻し、ワシントンを陥落させて占領するなんて絶対にありえません。国力だけでなく輸送手段などを含めても不可能だからです。

となると「アメリカに勝つ」というのは「海戦でアメリカに大きな打撃を与え、その間に陸軍はアジア方面を占拠して有利な状況で講和する」ということになるはずで、実際陸軍はアジア方面をほぼ占領していたし、海軍もミッドウエイまでは善戦していたわけです。

なので戦争に勝つという考え方は当時不可能ではなかったのですが、見込みが甘すぎたのは事実です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

お礼日時:2022/01/08 23:46

天皇は戦争反対派、ただ、軍部の要求を制御できず。


天皇は軍部の力をそこまで見ていない。
終戦に努力。
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昭和天皇は世界を見ていないので日本の国力を知りません。


全て戦争推進派の言いなりです。
特に陸軍を信頼していました。

この先のコメントは回答ではありませんが、天皇が戦争推進派の言いなりになっていたのは戦争開始前~戦争前半までです。
それ以降は言い分と現実との差が余りにも大きい事に気付き、徐々に疑問を抱くようになり、信頼してた陸軍を信用しなくなったのは戦争末期の沖縄陥落後です。
しかし、陸軍の懸命の説得であった本土決戦の決裁は躊躇っていた。
天皇は本土の陸軍を視察、実は天皇自ら出向いた訳ではなく、従事者に視察の代行をさせていた。
太平洋に面した九十九里浜の陸軍の様子を従事者ら一向は視察代行を努め、陸軍は「何もしていない」と天皇に報告しました。
つまり、一兵たりとも誰も着剣をしておらず、軍も本土決戦の準備を何一つしていなかった(部外では婦女らが竹槍訓練していると言うのに!)と天皇は認識し、陸軍の嘘が確実となって、降伏の思いが強くなり、陸軍の嘘を知りながら、知らないふりをして陸軍の言い分を一応耳を傾ける日々を過ごしていたが、ポツダム宣言受理後、陸軍の言い分を撥ね付け、その言い分(戦争継続)を全面否定し、あまりにも陸軍のひつこさに激怒し、その間に2度の原爆投下もあって降伏の旨を伝えた訳です。
ポツダム宣言の前から天皇は、陸軍不信となり、降伏を視野に入れていた事は、当時の従事者の手記によって詳細に記され、明らかにされています。
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天皇は勝てるなんて微塵も思ってませんでした。

むしろ戦争回避を望んてたのです。阻止できなかったのは、軍部の力が強く、言うなれば天皇は傀儡的な立場だったんです。軍関係者で反対だったのは、海軍の山本五十六をはじめとした、ごく一部の人達でした。それは、自国と諸外国の国力を比較したら、容易に出る答えです。当時はアメリカとイギリスが日本に対し経済封鎖を実行しました。戦闘艦の保有数で、不公平な条件を提示した為です。現在は核の保有について、北朝鮮やイラクに対し同じ事をやってます。北朝鮮は日本と言う反面教師を見てるので自ら、戦争を起こす事はありません。
話しを戻しますが、戦争に突き進んだのは陸軍の若い将校達を中心とした人達です。彼らは日清、日露の勝利で甘く見てました。日清はともかく、日露の勝利はタナボタのようなものだったんです。それは、ロシアの国事情です。私の祖父は当時、皇居の騎馬警護隊に所属してました。祖父の話しでは、侍従長がよく、ぼやいてたのは陛下は戦争に関しては非常に、危惧されており、軍部の考えを回避できる人物を模索してたので、私の祖父の耳に入ったらしいです。前置きが、少し長くなりましたが、天皇は戦争反対だったんです。
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誰も、勝てるとは、思っていなかった。



米国から、圧力を受けて、追い詰められていた。

だから、苦し紛れに、緒戦、優位に立って、
停戦に持ち込もうとしたが、上手くいかなかった。

それだけ。
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思ってないよ



( ̄~ ̄;)

昭和天皇はなるべく開戦を避けてたからね
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歴史を勉強しろ。

天皇は戦争反対で、国とは別に、交渉団を送り込んで、戦争回避に努めていた。陸軍の満州部隊、つまり関東軍が強硬に戦争を遂行するよう進言した!天皇は戦争を2つ抱えて勝てる自信はなかった。
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勝てると信じていた人間は、政府筋にも軍部にもいない。


もちろん天皇も。

陸軍でさえ「二年で終わらせられなければ負け」という認識で一致していた。
単純な話、石油の備蓄量である。
石油がなければ近代軍隊は機能しない。
この「2年」は動かしがたい。

近衛首相に戦争の見通しを聞かれた山本五十六はこう答えた。
「やれといわれれば、最初の半年や1年はずいぶん暴れて御覧に入れます。しかし2年3年となれば全く確信が持てません」
だから短期にケリをつけ、あとは日露戦闘のようにさっさと講和に持ち込め、という意図だった。

しかしこれは取りようによっては「1年2年でアメリカを壊滅してしまおう」という曲解につながる。
最後の海軍大将井上成美は
「あの発言は黒星です。山本さんのために惜しみます」
と批判している。
日独伊三国同盟の締結問題で日本がもめたとき、米内海相ははっきりと
「勝てる見込みはありません。だいたい日本の海軍は英米と戦うように建造されておりません」
と言い切った。

こういう曲解は侍従武官や首相などにも蔓延し、天皇の判断も狂わせた。
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軍部が、「絶対に勝ってみせます」と断言したから、「素人の自分よりも軍が言う方が正しいのであろう」と判断されたのです。

だから、敗色濃厚となった時に、軍部は「負けるかもしれません」とは言いだせなくなってしまったのです。
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勝てるのでなく、停戦できると考えていたのでしょう。

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