泣きながら食べたご飯の思い出

アインシュタインとかジョブズが発達障害だった!みたいな事を公言してるアホ番組や記事が多いですが、普通に失礼の極みですよね?
そもそも発達障害は脳特性そのものじゃなくてそれによって生活に障害が出て困ってる人に与えられる診断名なので、仮にその様な特徴があったとしてもそれらを困難とせずに社会的成功を収めてる彼らは全く発達障害者ではないですよね?
発達障害の傾向があるだけの健常者なんか幾らでも存在しますし、その特性があったからといって第三者のメディアが直ぐに障害者だと決めつけるのは当事者に対しても偉人に対しても侮辱しているとしか思えないのですが、如何でしょうか?

A 回答 (2件)

「発達障害」を診断名以外の言葉としても使うことはあるのです。


文科省では、「学術的な発達障害と行政政策上の発達障害とは一致しない」と断っています。
厚労省でも、診断名としてではなく、もっと幅広い意味をもつ用語としても使用して、個人の特性の一側面のように扱っています。 もちろん、社会生活上の障害が大きいために、診断名が発達障害になるケースもあることを考えてのことですが、そうした確定診断にはならないような差し障りや特性も含めて扱うことが重要と考えているのです。 発達障害である/発達障害ではないと線引きをして、分けてはマズイことが世の中には多いのです。
https://www.gov-online.go.jp/featured/201104/ind …

「そもそも発達障害は脳特性そのものじゃなくて」を強調してしまうと、「それによって」が霞み薄れてしまい、それもヤバイことになります。
また、「それらを困難とせずに社会的成功を収めてる彼らは全く発達障害者ではない」となると、困難を乗り越え成功を目指す気概の有無とか、結果として社会的成功をしたかしないかが発達障害であるかないかを決めるような、支援・サポート・理解・受容という視点がどうでもいいことになって、それもヤバイことになりかねません。

本を書き出版するのは、ある種の読者に読んでもらいたいからです。この下の本の場合に、小児期に一風変わった傾向があり、ADHD、発達障害と思えても、育てる人が落ち込まないで、育児の指針や参考になることを期待しての記事なのでしょう。
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I03004899 …
https://www.gentosha.jp/article/13746/
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本の引用 【アスペルガー症候群】 幻冬舎新書 岡田尊司
ビル・ゲイッは、いかに育てられたか
マイクロソフトの創設者ビル・ゲイッは、周囲から見ると少し奇妙で、自分の世界に熱中するタイプの子どもだった。だが、後に彼は、技術者としてだけでなく、経営者としても一流の手腕を見せ、大成功を収めていく。いかなる養育や教育が、彼の知的能力だけでなく、社会的な能力を育てるのに役立ったのだろうか。
ビルは、三人兄弟の真ん中で、唯一の男の子だった。父親は検事補から弁護士になった人で、母親はボランティア活動にも熱心な教師だった。
父親によると、ビル少年は、将来の成功を思わせる、何ら特別な徴候を見せなかったばかりか、「当時は、あの子を頭痛の種だとしか考えていなかった」という。息子の頑固な傾向やぼんやりして一向に準備ができないこと、協調性に欠けた態度やいたずらばかりしている点は、父親の目から見ても、将来を約束するものというより、不安を抱かせるものと映ったのだろう。
だが、母親の見方はより肯定的で、その基本方針は、エジソンの母親と通じるものがある。
「わたしたちはどんなやり方にせよ、あの子の生活を縛りませんでした。ただ状況をしっかりと把握し、できるだけ影響を与えようとしただけです。でも、あの子は自分なりにきちんとやっていましたよ」
無論、ゲイッ家は、子どもたちを好きなようにさせていたわけではない。そこには、明白なルールがあり、それに従うことは、ごく自然なことだった。たとえば、ゲイッ家では、子どもがテレビを見るのは週末だけで、平日は見られなかった。その代わりに、母親は子どもたちに、よく本を読み聞かせた。その甲斐あって、ビルも本が大好きになり、数学や科学の本にも興味を示したが、児童向けの物語も夢中になって読んだ。
もう一つ特筆すべきは、ゲイッ一家が、よくトランプやボードゲームやジグソーパズルを一緒に楽しむのを習慣にしていたことである。知的な遊びを通して、競い合う楽しみやコミュニケーションしながら遊ぶ楽しみを味わっただろう。
オールAだった姉に比べれば、ビル少年の成績は、算数以外はやや見劣りがした。しかし、両親は、息子の成績を上げることにはさほど関心も力も注がなかった。むしろ、わが子の関心が、ともすると知的世界にばかり向かいがちなことを危倶し、ピルをグループ活動や屋外での活動にできるだけ参加させた。ボーイスカウトに入れたことは成功だった。ビルはそれに打ち込み、徒歩旅行や冒険を楽しんだ。楽しみばかりではない。仕事を与え、地方紙の配達を週三回やらせた。ピルの勤勉さは、そうした積み重ねによって培われていった。
夏は、水泳やダイビング、さらに大きくなってからは、ョツトで遊んでばかりいたが、それは望むところだった。友人一家とともに、入り江のほとりの丸太小屋に二週間滞在し、そこに集まる子どもたちは、一緒にチームを作り、森や海で遊び回ったり、集団ゲームやキャンプファイアーをしたりして過ごした。その体験はピルの心に残り、後に、彼の企業グループが毎年開催するイベントのモデルとなった。
  ( 中略 )
ビル・ゲイッの両親が、本人に社会的体験をさせる一貫として、地方新聞の配達と寄付金集めをやらせたように、このタイプの子の成長において、働いて報酬を得る体験をすることは、さまざまなことを学ばせるのに役立つ。百円のお金を稼ぐのも甘いことではないし、人に頭を下げ、やり方ややり取りを工夫しなければならない。報酬を得る喜びを味わうと同時に、地道な忍耐を学ぶことにもなる。
アスペルガー症候群の子は、自立が遅いと思われがちであるが、必ずしもそうではなく、そうなっている場合は、親や周囲がそう仕向けた結果であることも多い。小さい頃からしっかり学校や家庭で、学力と自立能力を伸ばすには自分の主張や意志をもっていることも多く、それを尊重して育てるならば、ゲイッやエジソンのように、独立心旺盛な人物に育っていく。
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優れた人は謙虚で下に見てもらいたい。

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