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無神論を信仰している私にわかるように教えて下さい。
※キリスト教などの他の宗教の考え方は聞いていませんので、回答しないでください。
※輪廻転生で生まれ変わるという考えの宗派について聞いていますので、そうでない宗派の考えは聞いていませんので、回答しないでください。

仏教では輪廻転生という考えがあり、死後六道の世界に生まれ変わります。
そして、現世で生前に悟りを開いた人のみが六道から抜け出せます。
https://www.isuzutenrei.com/article/detail.php/1 …

次の六道に生まれ変わるまでには49日かかります。
ということは、49日以降はどこかの世界に生まれ変わり、その世界の赤ちゃんの状態になるということです。

以上より、葬式や告別式、四十九日法要といった儀式には意味があると理解できるので、ここまでは納得できます。


ここから先が理解できません。
1周忌の時、故人は生まれ変わった世界の10ヶ月くらいの赤ちゃんの状態です。
3回忌の時、故人は生まれ変わった世界でもうすぐ3歳の幼児です。
23回忌にもなると、故人は生まれ変わった世界でもうすぐ22歳の成人です。
お盆にはご先祖様がナスやキュウリの牛や馬で帰ってくるとのことですが、上記の通り生まれ変わった世界の住人です。

やる理由が全く理解できませんが、なぜこのような行為を行うのでしょうか。


ここまで書いても理解できない方のために、もう少し具体的に書きます。

我々が生きているこの世も六道の一つです。
そして、この世に生まれたということは、解脱できなかったということで、前世で悟りを開けなかったということです。
つまり、あなたにも私にも前世があり、誰かに○回忌でお経を唱えられてるかもしれませんし、お盆になるとナスやキュウリが飾られているかもしれないのです。
しかし、私はお盆のたびに前世に行ったことはありませんし、前世に行くという人を見たこともありません。
また、誕生日の約2週間まえにお経が聞こえることもありませんし、お経の効果も感じたことはありません。

仏教のお盆、1周忌、3回忌等はなんのためにやるのでしょうか?

教えて!goo グレード

A 回答 (13件中1~10件)

お盆というのは元々インドでは雨季に当たり修行者がひと所に集まり、雨を凌いで修行をする期間でした。

これは実は長い日数掛かります。
その最後の日に食事を振舞う、これは生きている人にしますが同時にあの世の魂にも食事を振舞うことになり、施餓鬼(せがき:餓鬼に施す)と言って目連尊者の逸話に基づいて供養をすることになります。
これがのちに一般人が修行者を呼んで説法を聞き、仏法を学んで食事を振舞う行事になりました。別に死んだ人間が戻ってくるわけじゃない。たがいに食事を振舞い合うことが故人に対しても施しをすることになるんです。そして説法を聞くことは故人も仏法を学ぶことになるわけです。

中国に渡った仏教は十王説が生まれました。死んだ後10人の冥王の裁きを受けるという考えです。これは初七日から四十九日の7日毎。百ヶ日法要、一周忌、三回忌(2年目)の計10回になります。この時に縁者が集まり個人の弁護をするわけです。さらに読経をしてその功徳を個人に分け与えるわけです。このようにして故人が成仏することを祈るわけです。
これが日本に渡り、中陰と簡略化され、さばきをするのも閻魔大王ひとりとなりました。なので日本では四十九日で転生先が決まるとなったのです。

やがて仏の世界でもいきなり仏になるわけではなく、菩薩として修業を重ねてやっと仏(釈迦に敬意を表して釈迦以外の仏を如来と言います)になれると考えるようになりました。
年忌法要は一段階仏に近づいた・・いわば学校の進級祝いのようなものです。なので縁者が集まり、進級祝いを兼ねて仏法を学び、その功徳を個人にプレゼントするという意味合いがあります。
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お盆になると地獄の蓋が開いて古巣にやって来る食えないけどお供えをする、地獄の魂を お迎えする仏教行事、神道キリスト教やってない。

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どちらかといえば、こうした法要は生きている人間のために行うものでしょう。


故人が安らかであれ、と生きている人間が願って心中の平安を得るためのもので、それが故人に届いているかどうかはまた別の話です。
※葬儀屋云々と言い出すと、話が経営論(というより、営業か詐欺行為かという不毛な論争)になってしまうのでここでは触れません。

音信不通になっている自分の子供を心配する親の心境、が一番近いのではないでしょうか。
(子供からすると、親が自分を心配していると知った場合、ことと次第によってはウゼェ親が気持ち悪いことするな!と吐き捨てたくなるかもしれませんが)

1周忌・3回忌あたりは完全に故人を偲ぶ会でしょう。まだ故人の記憶が鮮明に残っている人が大半です。
5回忌・7回忌くらいになるとそろそろ記憶が薄れ始める頃ですので、7回忌頃が故人の親族にとっても一つの区切りでしょう。これ以降、命日(あるいはその直近の土日)に開かねばならないということはなくなることが多いようです。
お盆(あるいはお彼岸)の法要や御墓参りは、言ってみれば以上の法要の簡略版です。お盆では土地によっては子供が行う行事や風習があることがあるのは、あなたにはこういうご先祖様がいたんだよ、と意識させることで家族親族の縁を意識させる効果があるのだと思われます。

13回忌くらいになれば、故人の親族にも新たな物故者が出ておかしくありません。17回忌ともなれば最早故人の配偶者や子供でも細かな記憶は薄れています。
33回忌で一応の区切り、というのは、そのあたりで故人の子供にも物故者が出始めることに由来するでしょう。平均余命の伸びた現代では、50回忌法要を薦めるところもあるとかないとか。

歴史上の有名人(徳川家康とか)ですと、子孫が集まって300回忌400回忌の法要を営むこともあるようです。これも、故人を偲ぶことができるくらいに子孫の間で故人の存在感や受け継がれた言い伝えによるイメージがあるが故のことです。

ついでに申し上げれば、日本仏教ですと浄土宗系の宗派では阿弥陀如来の御力により極楽浄土へ往生(転生)し、自動的に解脱することになっていますので、故人は輪廻転生の苦しみからは解放されるという考え方を採用していたかと。
その他の宗派でも、戒名を与えることで仏僧と同じくこの世のしがらみ(輪廻転生)から解き放たれたと考える宗派が多いようですので、故人が新たに誰か別の人間に転生することは、日本仏教では(俗説ではともかく)教理上まともに想定されていないのではないかと存じます。
(地獄に落ちるような悪人はまた別でしょうが、俗説では地獄は出られるまでに最短で1兆年以上かかる上、落ちていくだけで普通の人間の一生が終わるような時間がかかるところらしい)
・・・・・・無神論無宗教の人とは思えない質問だなぁ、と思いつつ(むしろ、**宗を信じたいけど効果や意味が感じられないのはなぜだ!ともがいている感が)。
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この回答へのお礼

生きている人のために行うのですね。
回答ありがとうございます。

> その他の宗派でも、戒名を与えることで仏僧と同じくこの世のしがらみ(輪廻転生)から解き放たれたと考える宗派が多いようですので、故人が新たに誰か別の人間に転生することは、日本仏教では(俗説ではともかく)教理上まともに想定されていないのではないかと存じます。

戒名にそんな意味があったんですね。
初耳でした。
仏教徒が、高い金払って戒名をつけてもらいたがるのに納得しました。
であれば、戒名付けなくても天国に行ける浄土宗系の宗派が1番良心的ですね

> ・・・・・・無神論無宗教の人とは思えない質問だなぁ、と思いつつ

私の会社の社長が稲森さんを信仰しているので、神だ仏だ宇宙の意思だなどと鬱陶しいので、ますます嫌いになることはあっても、好きになることはありません。
また、ブッダもキリストも元々信仰していた宗教をやめ、30代位のおっさんが「俺の母ちゃんは処女だ」とか「俺自力で悟り開いちゃったもんね」などと新興宗教を立ち上げて布教していたようですから、当時その場にいたらただの胡散臭いおっさんにしか見えなかった事は容易に想像できます。
これが大昔のおっさんの話だから許されているのだと思いますが、仏陀やキリストが生まれたのが現代だったらと想像してしまった私には、これらの宗教は受け入れられるものではありません。

お礼日時:2022/01/28 18:30

先の件ですが、葬儀屋は極めて悲観論者で


現実的な方で
骨になった人に来世があるはずないという考え方ですね。

まあご自分の家族の墓は一応、寺にあります。

周忌は33回と何度も行うと寺が喜ぶだけ。

だから、時が来れば、墓参りだけで省略になるのです。

信じるものは信じる。

歌で千の風になってとか、

閻魔大王の地獄の審判とか

まあ怖い描きもある。

遠い来世から見ている

墓の前で死者と思い出を求めて、話す。

ここまでは瞑想の世界。

葬儀屋が世話してくれた坊さんは凄く長い長いお経で
「南無法蓮華教」を何度も繰り返す方でした。
あれには根負けしたかなあ。
後でご本人に聞くといつもあのように丁寧に行うのが習慣に
なったと言ってました。
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この回答へのお礼

解答?ありがとうございます。

私は死後があるとは思いませんが、もしあったとしたら以下のような状況が考えられます。

1 正解の宗教以外を信仰した者は全て地獄という概念の世界に落ち、不正解を選んだ大多数の人類が後悔する
2 全ての宗教の考える死後の世界が用意されており、それぞれの宗教の基準で裁かれる(無神論者は選択制、新興宗教の考える世界はその都度造られる)
3 宗教関係なく、皆が同じ世界に移動する。


まあ、私は死後の世界など無いと確信しているのでどうでもいい話ですが。

お礼日時:2022/01/22 21:17

> 無神論を信仰している私



これまでの経験ではみたことのない表現です。 
すべての信仰を根拠のないとととみなすのが無神論ではないでしょうか。
「神ではなく、仏を信仰している。神は存在しない」「神は存在しないが、霊魂はある」というのは、無神論ではないでしょう。 
予定調和、自然の摂理、人間性の神聖性、科学や△◇主義を信奉する、運命を信じるなどは、無神論とは言えない気がします。 ある種の主義-制度-仕組みを絶対的なものであると思っている時点で、「神」という語を使用してはいないが、神的なものを根本に抱いているのでしょう。

> 仏教のお盆、1周忌、3回忌等はなんのためにやるのでしょうか?

多くの場合、単一で明確な理由や目的があるということはないです。
社会習慣、身内の思いへの配慮、世間体、葬儀屋の勧め、お寺からの問い合わせに対応、自分自身の文化意識などでが絡み合うのでしょう。
身内に死者がでた家族や子、兄弟姉妹は、「やっぱり、やらないとまずいかな」と思って、三回忌まではやろうとすることが多いです。 
「お盆をやる」人は激減していると思います。
https://www.jalan.net/news/article/459976/
そもそも仏壇のない家は増えていますし、精霊棚、迎え火、送り火をしたことのない人が多いでしょう。

> 仏教では輪廻転生という考えがあり、死後六道の世界に生まれ変わります。 そして、現世で生前に悟りを開いた人のみが六道から抜け出せます。
https://www.isuzutenrei.com/article/detail.php/1 …
https://www.houyugroup.co.jp/topic/topic_haka/ri …
https://www.famille-kazokusou.com/magazine/manne …

お気づきかもしれませんが、輪廻転生や49日、年忌法要を説明しているのは、葬儀屋などそれを営業としているところの、市場対策・マーケティングの一部です。 No.8やNo.7の回答にあるように、その社会の人々にあった営業で売り込んで、《事業を継続するために、輪廻転生や49日、年忌法要を説明している》のであって、仏教の経典や仏教に昔から内在する思想などから引き出したものではないです。  
昔のインドで、輪廻転生という考えがあったにしても、それは、今、江戸時代以降の日本での輪廻転生でもないし、死後六道の世界に生まれ変わりとはかなり違う内容です。
輪廻転生も、死後に49日をはるかに過ぎた、2、3年後にということもあるという説明をしていることもあります。
https://www.tibethouse.jp/dalai_lama/reincarnati …
ダライラマ13世は1933年12月17日に死亡し、生まれ変わりのダライラマ14世ラモ少年は1935年7月6日に生まれています。

> 1周忌の時、故人は生まれ変わった世界の10ヶ月くらいの赤ちゃんの状態です。 3回忌の時、故人は生まれ変わった世界でもうすぐ3歳の幼児です。 23回忌にもなると、故人は生まれ変わった世界でもうすぐ22歳の成人です。

死後に7日ごとのイベントがあり、七七の日に判定があるという説の場合でも、生まれ変わった先で赤ちゃん状態であるというような説明を見たことも、聞いたこともないです。 転生先が、地獄、修羅、天上であれば、どのようなイメージになると思いますか。 この種の輪廻転生の説では、成長、成人、加齢のようなことを想定していないのです。 そもそも輪廻転生には、ある程度の内容が明確なものが、主張者間で近似しているということが少ないです。

> あなたにも私にも前世があり、誰かに○回忌でお経を唱えられてるかもしれませんし、お盆になるとナスやキュウリが飾られているかもしれないのです。 しかし、私はお盆のたびに前世に行ったことはありませんし、前世に行くという人を見たこともありません。

いろいろの説はあるのでしょうが、お盆に帰ってくるのは、餓鬼界で苦しみ飢えていると、人間界で招いて食事を供してもらえる、お盆で供養されて、天上界に行けるという説があります。
https://true-buddhism.com/founder/moggallana/#ch08
http://kusyami.com/gyozi/obon.html
人間界に転生したものが盆に帰ってくる、天上界に転生したものが盆に帰ってくる、浄土教などで成仏してしまったものが盆に帰ってくるという説は、見聞きしたことがないです。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
信心する、信仰するなどのことは別にして、仏教のことを知りたいのであれば、ネットでも、本でも、そこそこに調べるといいです。 葬儀屋の宣伝だけをコアにして想像を膨らませても、《見当違いの思い込みを信じている》という事態になりかねません。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。

>これまでの経験ではみたことのない表現です。

ただ無神論と書くと神がいるとかいないとか、あなたのようなどうしようもない解答が来るだろうからと、信仰と書いたのです。
私はあなたの信仰を否定していないのだから、私の信仰も否定するな!

>多くの場合、単一で明確な理由や目的があるということはないです。

仏教の考え方を聞いています。
ナンチャッテ仏教徒の考えや行動原理なんて聞いていません。

>お気づきかもしれませんが、輪廻転生や49日、年忌法要を説明しているのは、葬儀屋などそれを営業としているところの、市場対策・マーケティングの一部です。

お気づきで無いようなので教えてあげますが、それにお経を唱えるのは各宗派の坊主です。
意味が無いのであれば、信者にそれを教えるべき立場である坊主がお経を唱えるのです。

>死後に7日ごとのイベントがあり、七七の日に判定があるという説の場合でも、生まれ変わった先で赤ちゃん状態であるというような説明を見たことも、聞いたこともないです。

質問者であり、仏教に疎い事が容易に推測できる無神論を信仰している私にそんなことを聞いてどうするんですか?
あなたの知ってる宗派ではどうなのか、あなたが記載すべきではありませんか?
私にとって、仏教の経典は全ておとぎ話と変わりありません。
そんなものは存在しないよ!頭おかしいの?と書い欲しいですか?

ちなみに、転生には「生まれ変わる」と言う意味があるようです。
“ 生まれ”変わるのですから、当然赤ちゃんであるべきです。
地獄に生まれた赤子がどのような状態になるかなど、仏教が考えるべきことです。
私は、「やはり嘘なんだな」としか感じません。

>いろいろの説はあるのでしょうが、お盆に帰ってくるのは、餓鬼界で苦しみ飢えていると

なるほど。
仏教というのは、死者は地獄に落ちるという考えがデフォルトなんですね。


>葬儀屋の宣伝だけをコアにして想像を膨らませても、《見当違いの思い込みを信じている》という事態になりかねません。

ネットにも本にも書いてあるのは私の疑問に対する回答ではなく、信者を納得させるための空想だけです。
だから、この場で質問しているのです。
解答を他に丸投げするのなら、ここに書くのではなく、チラシに書けば良いのではありませんか?

お礼日時:2022/01/22 20:29

私が過去に述べた回答は実は故人の遺言でもあり、何周忌であろうと、やが


て寺に設けられるだけで本当に供養とはならないという可能性もあるという
事です。

 だから家の仏壇で拜むか墓参り、たまの御塔婆奉納祈祷要請程度で終わりにしているという意味です。

 それゆえ、時がたてば、無視の傾向が強いという事を申し述べただけです。

前世がどうなっていたかというのは多くは作り話多し。

来世も皆お坊さんの作った作り話と葬式屋さんが申していました。

お寺の金もうけ

だからほどほどに。
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この回答へのお礼

>前世がどうなっていたかというのは多くは作り話多し。
>
>来世も皆お坊さんの作った作り話と葬式屋さんが申していました。

解答ありがとうございます。
葬儀屋の話ですか。
であれば、その葬儀屋は無神論者または、他の宗教を信仰してたのではないでしょうか。
参考にはさせていただきます。

お礼日時:2022/01/22 20:35

> 悟りを開くための教科書を毎日読んでいるのに、いい歳して悟りも開けない坊主が多いことの方が問題ではありませんか?(仏陀は教科書もないのに35で自力で悟った)



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%9B%A3
阿難は、釈迦仏の元に赴き仏弟子となった。時に釈迦が55歳、阿難が25歳といわれる(もしくは8歳で沙彌=年少の修行者となったという説もある)
阿難は、志操堅固にして身を護り修行を全うした。また智慧多くして諸経を持誦していたが、心を摂する点に欠け、定と慧が均等でなく、漏尽通を起くことができず、仏の入滅時には未だ有学の人で阿羅漢果を得ていなかった
阿難は、出家後、釈迦が死ぬまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていた。そのため釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれ、第1回の仏典結集には彼の参加が望まれたが、当時結集への参加資格であった阿羅漢果を未だ得ていなかったので、釈迦の後継者であった摩訶迦葉(まかかしょう)は、阿難の参加を認めなかった。そのため彼は熱誠を込めて瞑想修行を続け、あるときその疲れから寝具に倒れ込んだ拍子に忽然と悟り、ついに阿羅漢果に達したという

とても熱心であり、修行に努めていても、悟るまでは容易ではないことが示されているのでしょう。 「いい歳して悟りも開けない坊主が多い」のは想定の範囲でしょう。
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この回答へのお礼

(笑)
仏陀に直接指導された優秀な弟子ですら悟りを開くのが難しいのなら、なんちゃって仏教徒は信仰する意味が無い宗教ということですね。

仏陀としては想定内だとしても、坊主ですらまともに天国に行けないような宗教というのは、私は問題だと思いますよ。

さて、話がそれましたが、故人は死んだ状態のまま何十年も生まれ変わることも無く、死後の世界をさまようというのがあなたの考える仏教の考えなので、お盆には暇を持て余した故人が帰ってくるということでよろしいでしょうか?
違うのであれば、そこの説明をお願いできますか?

お礼日時:2022/01/21 20:12

内は家で拜むだけ。



どこへも頼まぬ。

故人の遺言

寺が喜ぶだけ、

無視
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この回答へのお礼

質問はタイトルにも本文にも書いていますが、回答はどこでしょう?

お礼日時:2022/01/21 07:34

> 一方では49日で輪廻転生する、もう一方で毎年お盆に帰ってくるから墓参りが必要というのは、いくらなんでもお粗末すぎます。



「49日で輪廻転生する」のではないでしょう。 四十九日は、輪廻転生の中で、人間の死後のスケジュール上、「次の生はどんな姿でどのくらいの寿命を決定する日」ということでしょう。 
「毎年お盆に帰ってくる」という計画?も、"地元を出たが、毎年正月には帰ってくる"のと似たものと思えばいいでしょう。盆や正月が過ぎれば、"また帰ってしまう"のでしょう。 
米国に行って永住したが毎年2週間ほど帰ってくるのと同じであれば、お粗末と思うか、それも一つのスタイルと思うかでしょう。 

> もしかして、仏教徒はその程度の矛盾にも気づけない愚か者の集まりであると言いたいのでしょうか?

仏教徒というように自分のことを思う、あるいは「我が家は仏教徒で」と思う人は日本では少ないでしょう。 ポピュラーには、「うちは天台」、「私は真言(真宗、浄土、etc)」のように宗派の一つを思っているパターンでしょう。 
また、どの宗派だと自分を認識しようとも、仏教徒だと認識しようが、飲食し、睡眠し、農耕事務加工運搬家事などをし、車を運転し金銭を管理し、結婚したり、子育てをしたりや経済のことも勉強し、遊んだりもします。その社会で一般的な通過儀礼、就学、就職、人付き合い、祭礼、結婚、葬儀などのスタイルにも合わせたやり方をします。時期と場所と相手に合わせた挨拶などもします。喪中に新年の挨拶をしない、クリスマスやハロウィンに参加するのも同じです。星座や吉凶占い、厄払い、縁起担ぎにも適当に合わせるし、ムスリム、ユダヤ教徒、新興宗教の方にも、キリスト教式の聖書や神に誓う式の結婚式をやる方々にも、適当に合わせる必要はあるのです。観光ツアーで神社に行けばそのマナーに合わせて自分をコントロールしなくてはならないです。

行事や風俗、習慣、文化に合わせて自分の行動、発言、振る舞いをコトンロールすることは、大事なことであって、「その程度の矛盾にも気づけない愚か者」などではないのです。

> 仏教のお盆、1周忌、3回忌等はなんのためにやるのでしょうか?

例えば、浄土宗の場合、阿弥陀仏の本願力によって浄土往生してしまえば、もう輪廻しないという道もあることを説いています。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
法然は『無量寿経釈』において「往生浄土の法門は、いまだ煩悩の迷を断ぜずといえども、弥陀の願力によりて極楽に生ずる者は、永く三界を離れて、六道生死を出ず。故に知りぬ。往生浄土の法門は、これいまだ惑を断ぜず三界を出過するの法なり」(昭法全六八)と述べ、煩悩の迷いを断つことができない凡夫であっても、阿弥陀仏の本願力によって浄土往生した者は、三界を離れ六道輪廻から解脱することを明らかにし、往生浄土の法門が惑を断ぜずに三界を出過する法であるとしている。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日蓮宗でも、輪廻しない方法が説かれています。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
寿量文底下種の御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えることにより煩悩を菩提と開き、六道に輪廻するこなく、九界即仏界に入る
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
このような場合には、もう、四十九日も裁きとは関係のない宗教儀礼ということになります。年忌法要や盆も、現在生きている人たちが故人を偲ぶという習俗を大事にしているのことです。
「亡くなった方のために行う、行っている」という法事法要を営んだり、墓や仏壇などを清め亡くなった方を思う人の気・情などへの配慮が、重点であって、もう輪廻とか、故人の現況(?)とかには関係がないのでしょう。
https://myousenji.com/pages/14/
https://www.nichiren.or.jp/qa/funeral/

歴史を遡れば、多くの宗祖のような方は、法要のようなのは僧には関係がないと考えていたようです。
親鸞:親齋は父母の孝養のためとて一返にても念仏まうしたることいまださふらはず。そのゆへは一切の有情はみなもて世友生友の父母兄弟なり。いづれもいづれもこの順次生仏になりてたすけさふらふべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはぱこそや念仏を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たご自力をすてていそぎ浄土のさとりをひらきなぱ六道四生のあひだいづれの業苦にしづめりとも神通方便をもてまづ有縁を度すべきなりと、
道元:忌日の追善中陰の作善なんどは皆在家に用ふる所ろなり。衲子は父母の恩の深きことをぱ実の如くしるべし。余の一切も亦かくの如しと知るべし。別して一日を占てことに善を修し別して一人を分て廻向するは仏意にあらざるか

何で、それが、僧侶が法要をするようになったのか。 
次のような説もあります。

①鎌倉時代以降に新仏教が、僧侶の収入を民間の人々に期待する事態になったここと ②直截的な怨敵退散や病気平癒などの直截的な現世利益を密教の祈祷や呪術でねらうのでもなく、(今を平穏に)という現世利益を説く浄土教の僧としては、死に関係して謝礼を受ける黒衣の僧として役割を果たすことが重要な収入源とみなされた ③修行や禅などを説くよりは、浄土往生や輪廻を説くことは、四十九日や忌、年忌法要の発想との親和性が高く、浄土系の信徒・檀家で、法要に黒衣僧・念仏僧を呼ぶことが流行した ④浄土宗、真宗以外の禅寺でも、坐禅道場から祈祷所へ、菩提所・法要を営む場へと変わった、天台や真言でも貴族の経済的地位の低下や武士による攻撃で収入が減り葬儀や追善法要にも手を広げて経済基盤を確保せざるをえなくなった
⇒ これらのことがあいまって、近世の封建制が樹立するまでに、宗派や教義に関わらず、大部分の寺は死者儀礼と追善法要に収入の大部分を依存することになった

 「仏教のお盆、1周忌、3回忌等はなんのためにやるのでしょうか?」
 A:昔からの仕来り、親に対する思慕のような思い、
 B:人を導くという使命や思想信条を果たす僧や寺にしても、みすぼらしく威厳や威光も感じられない状態ではなく、威容のある建物で、荘厳な仏像と装飾の中で厳かな僧衣を着用する方が教説を説き信仰を集める効果が高いとわかれば、Aの状況を市場の需要とみて、法要の重要性や子孫の勤めを説き、根拠に輪廻や各種図絵を示し、一度で終わりではなく、継続・反復することの大事さを述べ、実行者を褒めるのです。
近世、江戸時代には、住民を把握し、政情不安や社会不安の要因を減らす目的もあって、寺請制度を作りました。 このときに、菩提寺がキーになり、一般に葬儀や埋葬の文化広がり、先祖だけでなく、有縁無縁三界万霊供養のようなものにまで広がります。 
政治や庶民の生活状況、宗教団体側の事情、いろいろ関係して、文化習慣は形成されるのです。 ある教理だけを根拠にして広がるようなことは、まずないです。

教育産業、学校、塾、教師が、学習や教育の重要性を説けば、市中で親も親ではない人も、それを重要だという思想を持つようになるのです。
自分にとって、勉強のほとんどは役に立ってないということだけで、勉強についての考察をするのは適切ではないです。

「私はお盆のたびに前世に行ったことはありませんし、前世に行くという人を見たこともありません。また、誕生日の約2週間まえにお経が聞こえることもありませんし、お経の効果も感じたことはありません。」

もっと、多方面から考察してください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 「49日で輪廻転生する」のではないでしょう。 四十九日は、輪廻転生の中で、人間の死後のスケジュール上、「次の生はどんな姿でどのくらいの寿命を決定する日」ということでしょう。

なるほど。
つまり、死んだ状態のまま何十年も生まれ変わることも無く、死後の世界をさまようというのがあなたの考える仏教の考え方なのですね。

> 米国に行って永住したが毎年2週間ほど帰ってくるのと同じであれば、お粗末と思うか、それも一つのスタイルと思うかでしょう。

何十年も転生できないのであれば、それもありですね。
私は49日で生まれ変わると思っていたので、お粗末だと書きました。
もし輪廻転生後のあなたが前世に帰省した事があるというのなら、私の考えが浅はかで間違えていたということです。

> 例えば、浄土宗の場合、阿弥陀仏の本願力によって浄土往生してしまえば、もう輪廻しないという道もあることを説いています。

(極楽)浄土とは悟りを開いた人が行く世界です。
宗派関係なく、そもそも仏教が輪廻の輪から抜け出すために、悟りを開く方法を説いたものなので、そのような考えの宗派ができることは何ら不思議ではありません。
むしろ、悟りを開くための教科書を毎日読んでいるのに、いい歳して悟りも開けない坊主が多いことの方が問題ではありませんか?(仏陀は教科書もないのに35で自力で悟った)

> もっと、多方面から考察してください。

「ここまで書いても理解できない方」のための部分を引用したんですね。
これは、あなたのような理解力のない人のためにもわかるように誇張して書いたものです。
神や死後の世界を信じていない私は、宗教問わず死後の世界について真面目に語る人達に同様の感想を抱いています。

お礼日時:2022/01/21 07:31

コピペですが、、、、



四十九日と輪廻 (理解済みだそうですが、詳しい感じもあるので)
https://www.lonite.jp/edu/reincarnation-buddhism …
このようにして、故人は死後の世界から輪廻転生していきます。
この裁きの日、つまり四十九日に、親族が法要を行うことは、裁きに、つまり輪廻転生にプラスとして働きかけるのです。その働きかけは、僧侶の読経によって行われます。
そのため、故人が浄土に行けますようにとお願いするのが、四十九日法要の目的です。現代で言えば、嘆願書を裁判長に提出するイメージかもしれません。四十九日法要を死後49日が過ぎる前に行われるのは、こうした理由からなのです。

三回忌
https://jodo.or.jp/tips/sankaiki/
ここでは年忌法要の成り立ちと目的について少し説明したいと思います。
インドでは、人間が生まれ変わり死に変わりするという「輪廻転生(りんねてんしょう)」が信じられてきました。死後、次の生をうけるまで四十九日間あるとされ、この間を「中陰(ちゅういん)」あるいは「中有(ちゅうう)」といいます。その間、遺族は7日ごとに供養をして、死者が少しでも良いところに生まれ変われるように願うのです。このことから、日本では、初七日より七七日(四十九日、満中陰(まんちゅういん))までがつとめられるようになったと考えられます。
中国では、儒教の『礼記(らいき)』に「卒哭忌(そつこくき)」(士は三ケ月にして痛哭し卒わる)という行事があり、仏教ではこれをとりいれ、百という満数にして百ケ日の法要を行うようになったと考えられます。さらに『礼記』に「小祥忌(しょうじょうき)」「大祥忌(だいじょうき)」(親亡くして十三ケ月、二十五ケ月の祀(まつ)り)があります。これらが仏教の一周忌、三回忌となったと考えられます。なお、一周忌は人がなくなって丸1年をまわった日をいい(一回忌とはいいません)、丸2年をまわった日を三回忌といいます。これは、亡くなった日が1回目の忌日、丸1年目が2回目の忌日、丸2年目が3回目の忌日であることによります。
三回忌までの法要はインド、中国の習慣を取り入れたもので、それ以降の年忌法要は日本で生まれたものです。七回忌以降の年忌の数え方として色々な説がありますが、そのうちの2つを紹介します。
1つ目は、中陰の7という数字による説です。つまり七、十七、二十七、三十七回忌を行い、これらの年を含めて7年目に営む法要を十三、二十三、三十三回忌といいます。
2つ目は、十二支による説です。亡くなった年の干支を含めて十二支が半周回った翌年を七回忌といい、十二支が1回まわって2回目にあたる年を十三回忌、2回まわって3回目を二十五回忌、3回まわって4回目を三十七回忌といいます。
いずれにしても、年忌の根拠は仏教、儒教、それにわが国の習俗も加わって歴史的に成立したもので、鎌倉、室町 時代には今のような年忌法要が営まれるに至ったのです。

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「仏教のしきたりがわかる本」 ひろ さちや P70~p73

  法事の考え方営み方ー霊魂が「ホトケ」から「カミ」になるに三十三年!?

じつは、ここには、仏教・儒教・神道の三つの宗教の考え方が混滑しているのである。
仏教は……四十九日間(七七日忌)の法事をいう。
儒教は……満二年(三回忌)の法事をいう。
神道は……三十三年間(三十三回忌)の法事をいう。

最初に、仏教でいう四十九日間(七七日忌)の法事 …… 。
わたしはつい先ほど、本来のインドの仏教においては、霊魂を安定させるための法事はなかった、と述べた。ところが、七七日忌の法事は、古代インドにおいて行われていた形跡がある。言っていることに矛盾がありそうに思われるかもしれないが、この七七日忌の法事は、本来は霊鎮めの法事ではなかった。
インド人は輪廻転生を信じており、人間はこの世で死ねば、四十九日ののち
天界:人間界:修羅界(魔類の世界):畜生界:餓鬼界(飢えの世界):地獄界のいずれかに生まれる。したがって、四十九日という期間は、その死者が来世にどの世界に生まれるかを決める審判の期間である。この期間に、死者の生前の罪の大小が裁かれるわけだ。罪の重い者は地獄に堕とされ、罪の軽い者は天界や人間界に生まれることができる。インド人はそう考えていたのである。

つぎに、仏教が中国に伝えられて、満二年(三回忌)の法事ができた。
中国人は「孝」を重んずる。儒教において重んぜられるのは、親への孝である。
この点は、日本人と大きくちがっている。日本人は、「忠ならんとすれば孝ならず、孝ならんとすれば忠ならず」と言って、忠と孝とが両立しないとき、どちらを選ぶかに迷う。そして、たいていの場合、忠のほうを優先させるが、中国人はそのような選択をしない。忠と孝とが衝突すれば、ためらわずに孝を優先させるのが中国人であり、儒教の教えである。 
そのような中国人からすれば、父母が死んだときに五十日(四十九日)程度で法事を終えてしまうのは、親不孝のように感じられた。そこで、「喪に服する」といった考えを導入して、七七日忌のあとに百か日忌、一周忌、三回忌を追加したわけである。三回忌は死後満二年目に行われる。二年間も喪に服せば、それで充分と考えられた。実際、「服喪」の意味であれば、これで充分だと思う。
ところが、日本人にとっては、それでは不充分である。
なぜなら、日本人の宗教感情~~それを「神道」とよびたい~~では、死んだばかりの霊魂は非常に不安定であって、これを安定させるためには子孫が祀りをせねばならないとされているからである。そして、祀りを行うことによって霊魂が安定する時期も、だいたいが死後三十三年から五十年とされていた。非常に長期にわたる法事(霊鎮めの儀式)を必要としたのだ。
そこで、このような神道の考え方に影響されて、仏教は法事の機会をふやしていった。
中国仏教の段階では三回忌までしかなかったものを、日本ではそのあとに、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌。
を追加した。ただし、二十三回忌と二十七回忌をまとめて二十五回忌とする場合もある。
もっとも、仏教は日本に来て、いきなりこのように年回法要をふやしたわけではない。時代の経過とともに法要の回数はふえてきたのである。現在もふえつづけており、三十三回忌ののちに五十回忌が行われることが多くなった。五十回忌が言われるようになったのは、昭和三十年ごろより以降のことである。
それはともかく、三十三回忌(ないしは五十回忌)を迎えるまでの霊魂は不安定で、この不安定な霊魂を「ホトケ」とよぶ。三十三回忌(五十回忌)が終わると霊魂は安定し、その安定した霊魂は「カミ」とよばれる。霊魂が「ホトケ」である期間は仏教の領分であって、仏教的な法事が行われる。霊魂が「カミ」になると、あとは神道の領分である。
したがって、法事はときに「仏事」とよばれるように、「ホトケ」を祀って「カミ」にするための儀式である。日本仏教は、このように、神道とうまく組み合わされているのである。
神道を抜きにしては、日本仏教の法事は成り立たない。それが日本の「しきたり」なのである。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

仏教に神道や儒教が混ざっているというのは、わたし的にはご自由にどうぞです。
私が知りたいのは、輪廻転生とどのように両立させているのかです。

一方では49日で輪廻転生する、もう一方で毎年お盆に帰ってくるから墓参りが必要というのは、いくらなんでもお粗末すぎます。

もしかして、仏教徒はその程度の矛盾にも気づけない愚か者の集まりであると言いたいのでしょうか?

お礼日時:2022/01/20 08:55

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