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元首相海部俊樹の死去で思い出しましたが、自民党の55年体制が崩壊した理由は、海部内閣、宮沢内閣で政治改革ができなかった、竹下派の分裂騒動が大きな理由でしたか?
海部俊樹は91年総裁選で竹下派の支持が選られずに退陣を余儀なくされましたが、海部再選で第二次海部内閣が出来ていたら、政治改革はどうなっていたでしょうか?

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A 回答 (2件)

「自民党55年体制」と言うものはありません。

 全ての政党を併せての「55年体制」です。 具体的には、与党第1党は自由民主党が占め政権を維持し、野党第1党日本社会党とその他非自社政党の合計で3分の1を占め、憲法改正を阻止していた、政界全体の体制の事を言います。 その体制は、93年7月の総選挙で自民党が下野したことによって崩壊したのです。
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55年体制とは、自民党が政権を維持、野党第1党社会党とその他非自社政党の合計で3分の1を占め、憲法改正を阻止していた体制。



社会党は途中から過半数の候補者を選挙に擁立せず、政権交代は狙わない万年野党に徹し憲法改正を発議させない3分の2の議席阻止のみを狙った。1955年(昭和30年)に自民党・社会党の2:1構図が成立したためこう呼ばれる。

ソ連崩壊を受け、社会主義・共産主義の危機喪失から、政権交代を狙えない野党社会党の存在も必要なくなり衰退、政権を狙うために非社会主義・非共産主義の新党乱立時代となった。その後、乱立した非自民・非共産政党が結集し、民主党政権が生まれた。
「自民党55年体制が崩壊した理由は…」の回答画像2
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