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「世に問う」と「質問する」とは、両立する行為ですか?

教えて!goo グレード

A 回答 (11件中1~10件)

行為自体派同じかもしれませんが、両立しません。


教えて!gooなような場所で世に問うような質問をしても、一部の人の答えであって、常識的な回答がついていたとしても、とても世の中全体の答えではないでしょう。
また世に問うというような場合は、意識改革というか、世間の人に考えさすというような、問題提起をすることであろうから、ただの質問とはわけが違うと思います。
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この回答へのお礼

早速にご回答ありがとうございます。
前者は、<意識改革というか、世間の人に考えさす>ですね。
後者は、<ただの質問>ですね。

お礼日時:2022/01/19 09:24

言葉を使う人の使い方しだいですね



言葉を受けとる側の考え方であるなら
受け取りにくい言葉の使い方でもありそうですけどね
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この回答へのお礼

御尤もです

お礼日時:2022/01/22 10:44

★ (№9お礼欄) ~~~~~~~~


・・・しかし使用する意図的なレベルでは、両者(☆ 「世に問う」と「質問する」)は同じになる場合がある、と思います。

例えばバカと言って軽蔑している場合もあれば、バカと言って親しみも込めている場合もありますように。
~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ この《バカという表現をする》場合とは 性格が違うと思います。

なぜなら 《バカ》という言葉の場合には:

・ ふつうに本来の用法では 《軽蔑している》のであり

・ 特殊に場合によっては 《親しみを込めている》

のだと考えられるからです。つまり ふたつの事例は 別々にあらわれるのであり 同時に共存するというのは 稀れです。


しかるに 《世に問う》と《質問する》とは いづれか一つの表現で規定したなら たいていの場合に もう一方の表現による意味合いを同時に帯びている。と見られる事例だと思います。

小室圭氏と眞子氏の表現行為の例を挙げました(№9)。両者の語例は 《問う》と《問》という同じ言葉が共通です。
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
ご指摘のように、バカという言葉による説明は取り下げたいと思います。
あげていただいた事例によっても、
両者は言葉本来のレベルでは(素朴なレベルでは)両立しない、と思います。しかし(状況により)使用する意図的なレベルでは、両者は同じになる場合がある(悪用しようと思えばできるので)と、思います。

お礼日時:2022/01/21 08:41

★ (№6お礼欄) ~~~~~~~~~~~


自己表現という意味で、「世に問う」と「質問」とはほぼ合一、ということですね。

ただし、英語分析家のご見解を引用すれば<批判混じり>と<ニュートラル>との断層があり、ほぼ同一ということは無理だと思いますが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ むろんふつう一般に別の表現であらわした二つの概念は それぞれの意味があります。

つまり 英語さんの区別が 出来ているのがふつうです。

しかもわたしは それと同時に《実質的には 同じ意味合いに成り得る》という見解をのべました(№5)。




☆ したがって 《ほぼ合一》とそして《概念として――あるいはニュアンスの点で――両者は 別》といったふたつの見方が 両立する。と考えます。


№5で例示したのは こうです。:

小室圭氏の提出した長い論文は まさに《世に問う》ものでしょう。

元婚約者からは贈与を受けたのであって これこれこういう事情と理由であるからそれは 借金をしたのではないということ このことを――けっきょくその説得に失敗しましたが――《世に問い》つつ 同時に特には元婚約者に向けて《質問》を投げかけている。・・・と言えるのではないですか?


小室眞子氏の記者会見での発言も 同じです。 

《圭氏の行動については すべて自分(=眞子氏)の指示によっています》ということを明らかにして まさにこのことを《世に問う》ています。

しかも 《それなのにみなさん(心無い国民の方々)は 圭氏が勝手に行動しているとそれこそ勝手な誹謗中傷をおこなっている。そうぢゃありませんか?》と言い添えたも同然ですから やはり《質問》しています。



☆ 《ほぼ同一》説に 無理はないと思いますが。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<☆ したがって 《ほぼ合一》とそして《概念として――あるいはニュアンスの点で――両者は 別》といったふたつの見方が 両立する。>のですね。
私が思うには、両者は言葉本来のレベルでは(素朴なレベルでは)両立しない、と思います、しかし使用する意図的なレベルでは、両者は同じになる場合がある、と思います。例えばバカと言って軽蔑している場合もあれば、バカと言って親しみも込めている場合もありますように。

お礼日時:2022/01/20 17:29

自分の考えを世に問う 即ち読み聞きするすべての人に質問している訳です



答えてくれのは多い方が更なる見極めも利くのではないでしょうか?

ですから質問の問は問うということなので 両立するのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

質問は、<自分の考えを世に問う 即ち読み聞きするすべての人に質問している>についての、<即ち>が成立しているのかを質問しているのです。

お礼日時:2022/01/20 11:53

世に開かれたコーナーで質問すれば、誰か答えてくれるかもしれない



このコーナーも世に開かれているのでしょう?

それとも制限された内々でやるクラブか何かでしょうか?
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この回答へのお礼

質問に沿った回答を

お礼日時:2022/01/19 16:18

★ (№5お礼欄) 


この質問は、普遍「世に問う」と普遍「質問」についてです。

☆ 普遍《自己表現》に 両者いづれとも 含まれます。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
自己表現という意味で、「世に問う」と「質問」とはほぼ合一、ということですね。
ただし、英語分析家のご見解を引用すれば<批判混じり>と<ニュートラル>との断層があり、ほぼ同一ということは無理だと思いますが。

お礼日時:2022/01/20 11:59

いや 《質問》にも批判を述べてこれをみんなに問うという要素がある(ありうる)のでは?




その要素だけで自己表現した場合は 《世に問う》となるのでしょうが そういう看板をかかげて じつは《質問》していることが ありますよ。(往々にして大した内容ではない場合など)。





自己表現は――つまり 文は・自己の判断をふくむゆえ―― つねに問いと答えとから成っています。

問うていなくても 批判を要請しているのと同様のはず。 

なぜなら 社会生活においての他者との共生が 大前提なのですから〔互いに自由に見解を寄せ合う〕。

質疑応答といった特定の場合にかぎらないでしょう。




★ 両立
☆ というより 実質的に見て 両者の中身はさほど変わらないと捉えます。――KK氏の論文 しかり。M子氏の発言 しかり。
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この回答へのお礼

この質問は、普遍「世に問う」と普遍「質問」についてです。
<世に問う>も<質問>も羊頭狗肉で悪用しようとすれば可能、ということですね。
ただ、(善意に解釈すれば)両者の区別を知らない?のか平気で乱用している輩もいますね。

お礼日時:2022/01/19 12:10

違うでしょうね。


「世に問う」はプロパガンダ的な印象を受けますね。
主義・主張、ある思想や考えの是非を広く一般に聞いてみたいということです。
「質問する」は個人間でも成り立つ行為です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
前者は、<広く一般に>で<プロパガンダ>であり
後者は、<個人間でも>なのですね。

お礼日時:2022/01/19 09:28

両立?


とりえあえず、両者違う意味になるかと思いますよ。
質問するとは、単に質問するという意味であり、
質問する相手、対象者が個人なのか複数なのかという決まりはありません。
ですので、質問した場合、個人にしたのか、複数にしたのか、
これによってかなり返ってくる答えが変わってきます。
一方、世に問うというのは、世ですから、この社会に問う、複数を対象としてますので、社会で問われた答えが返ってくるということかと思いますよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
一方は、相手/対象が複数かどうかには関係ない、であり
他方は、複数、との違いがあるのですね。

お礼日時:2022/01/19 09:17

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