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韓国から米が伝わる前、日本人は何を食べてますか?

A 回答 (2件)

クルミ、栗、ドングリなどの大木が有り、その付近に集落があったようです。


クルミと栗が主食。

狩りはイノシシ。その他。

昆布、ワカメ。
そのためでしょう。世界の中でも唯一日本人は、海藻類の分解能力を持つとされた。(その後、韓国やその他の民族にも、10%−15%は、分解遺伝子を持つことが判明)
その遺伝子がないと、ヨードなど栄養を分解して吸収できないようだ。

海辺に行って、貝類。四国などでは。
ハマグリはおそらく、大量に。
その時期には、1−2ヶ月浜辺で生活。保存食を。

魚は海川で素潜りで。
もともと、アジア人は、現在のインドネシア付近にあった大陸、スンダランド付近で、素潜りの海洋民族でもあった。
その後北上して、中国で稲作。

イモ類も豊富にあったでしょうね。

しかし、それ以前の、今から1万年前から4000年前の、シベリアからは、氷の陸続きだったことから、樺太、北海道にかけて、マンモスを追って狩りを。
B C 2600年頃の礼文島などには、住み着いてアザラシなども食べていたでしょう。
北海道内陸では、鹿、鮭が主食。
 彼らは肉食であり、タンパク質が豊富な食事から、白人のような彫りの深い顔つき。
 そのため、アイヌの人たちは、大陸から渡ってきた白人ではないかと言われていたようだ。
もちろん、現在ではアジア人、モンゴロイドだが。


人口が増えるにつれ、ぶんどりが始まる筋書きに。

詳しい人がいっぱいいるでしょう。

検索は。
スンダランドとは
アイヌとは
アイヌの歴史
姶良カルデラ 3万年前  
鬼界カルデラ 7300年前。
  九州付近〜四国にかけての縄文人の絶滅
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前提として、本格的な水稲耕作は朝鮮半島よりも日本のほうが先。

そのために日本で先に人口爆発が始まり、日本人が半島南部に水稲耕作を伝えている。

ゆえに長江流域を出自とする弥生人によってもたらされた水稲耕作以前の食料としては、陸稲の他に、例えば三大丸山遺跡からは、栗(あわ)、クリ、クルミ、トチ、エゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメなどが栽培されていたことが分かっている。
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