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ナイフに対して銃を持ち出したら過剰防衛ですか?過剰防衛になるとしたら理由はなんですか?

非力な男と通常の男とのけんかで非力な男がナイフで対抗したら過剰防衛ですか?過剰防衛になるとしたら理由はなんですか?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    相手がナイフできてナイフで対抗してもこっちは死ぬ可能性があるのでは?)

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/01/22 04:00
  • どう思う?

    、ナイフ持ち出したから刺されると思って先にこっちが刺した。とかならアウトですね。


    アウトな理由はなんですか?

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/01/22 05:25
  • どう思う?

    刃物を持って追いかけ回され、
    それで猟銃で重症を負わせた事件で
    過剰防衛になるとした判例があります。



    過剰防衛になるとしたら理由はなんですか?
     ↑
    裁判所は、手段の相当性を
    逸脱しているから、と説明していますが



    これだけだと、は?なぜ?どこが手段の相当性を逸脱していると思いますが、判例はどの辺が手段の相当性を逸脱しているとしているのですか?

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/01/23 02:07
  • どう思う?

    それこそスペシウム光線を撃てる人だったとしても「死ぬ可能性がある」と言う事になります。

    何を言っているのかわかりませんが、私の意見はだからスペシウム光線を撃てばいいのでは?とおもいます。

    相手は悪いやつなわけで道理も通じるかわからないのに、なぜ、こっが歩み寄るというか、大人の対応というかわかりせんが、理性的に、対等でやらなきゃいけない意味がわかりません。
    そういう雰囲気が悪い奴の方が生きやすくする雰囲気を作っています。
    例えば殴り合いの喧嘩をしても大丈夫でしょ?とか。につながります。
    電車で正義感ある高校生が重症にあいました。
    悪いやついたらストレスを発散するための存在しているという(WINWInの関係 悪さもできる ストレス発散の相手にもなり凹される)空気があれば電車でたばこを吸えることもないでしょうね。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/01/26 04:50
  • どう思う?

    死ぬ可能性はありますは、可能性の話です。

    向こうが悪いわけですから、自分の身を守るために少しでもリスクをなくすのが筋道だと思います。

    何度も言いますが、向こうがわるいわけですから、対等ではないわけです。

    殴り合いのけんかする気もないのに、(格闘家でないにしろ喧嘩好きな場合準備をしている)こっちはそんなことを考えて生きていないわけです。しかも意表を突かれているわです。この時点ですでに平等じゃないわけです。

    勝手に土俵にあげさせれて、なんで武器対等にやらなきゃいけない理由がまったくわかりません。

    本当にあなたは勝手に絡まれ、ナイフで襲ってきて場合、決まりがなければ武器対等でやってやろうとその場で(そういう決まりですが)思いますか?

    馬鹿な法律をつくりやがってとは思うのでは?

    No.7の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/01/26 09:02
  • 自分の考え方に対してどんな異論があるか知りたい」あるいは「自分の考え方のどこが問題なのか知りたい」とあります。

    ただ、私の中では意見を見て(反論か一意見)言っている意味がわからないのと、納得できなかったので。
    わたしは、法律的にいうと(簡単なものを難しくいうのは嫌いですが)防衛者の利益が侵害者の利益に絶対的に優越すると思っています。理由はあいてが悪いわけですから。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/01/27 05:11
  • どう思う?

    過剰防衛が処罰される事に全く納得していないご様子ですが、前述のように「一般人も悪い人も同じ人間。何も変わりはない」と言う考え方を元にしているのは間違いないはずですから、まずは「自分と犯罪者は全く別の人間」と言う持論を一度忘れて「ひょっとしたら自分と犯罪者は何も変わりないのかも」と言う見方から見当されたならば、少しは得るものがあるかもしれないと思います。

    何が言いかはわかります。それは感じています。例えば、人生で長い物には巻かれる性格でもなく、例えばみんながやっているからやってもいい感覚はないです。感覚ですが例えばごみを捨てていない場所なのにみんながやっているからといって捨てる人がたくさいいるのも事実で、そういう人が多いと思っています。変な奴が多いとは常にかんじています。また、面倒くさいのがみんながやっているからという意識なので注意されてたらたいていの人は持ち帰ります

      補足日時:2022/01/27 05:18
  • どう思う?

    これをどう捉えるかということだと思います。その感覚の差はやりとりしていてかんじています。
    ただ、自分と犯罪者は全く別の人間だと断言できます。

    例えば、サーフィンで海で用を足したいときでもできる限り自分はトイレいきます。遠いし、スーツ脱ぐのも大変だし。小だとないかもしれませんが、感覚としてたしかに、いきなりきてどうしても我慢できなくなったらして海でしてまうかもしれません。当然完璧ではなく、あえてあえていやあえていうとですよひょっとしたら自分と犯罪者は何も変わりないのかもというのはほんの少しですがあるかもしれませんが。

      補足日時:2022/01/27 05:43
  • どう思う?

    言っている意味がわかりません。(文章だけを見るといっていることはわかりますが)それをいったらきりがないですし、私がその時代の女だったら淫行はしていないと断言できます、今の警察官の感覚、刑法の決まりで自信もって処罰できます。これは結構な人ができると思います。うそをついたことが一度でもないというとするなら誰も処罰できないでしょうね。ただ一人身の女性が淫行してはいけない理由がわかりませんが。

    キリストはそれが仕事ですから。
    犯罪を犯した場合今だと刑務所で説法?すればいいのでは?イエスは理由もなく5人殺した奴の場合なんていうのですかね?これからは一生神に罪を許してくれと祈りをささげ、また善人になって正しい行いをすればいいというのですかね。
    まだ、キリストだから個人としてはまだ説得力がありますが。

    No.15の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/01/27 11:05
  • 例えば海で小をしたことがある人はけっこういるのでは?それだと多くの人ができないでしょう。
    その中でも最低端の方までいってしたとか、ひとがいないところまでいってしたという人は罰することはできる。今までその場でしてしまった人でも、そういうきまりにすれば結構な人は守れると思いますが。

    キリストの例えですが、感覚でいうなら、自分の息子が殺されていないのに死刑廃止と言っているのと同じです。
    説得力ないです。


    今回の過剰防衛の話は相手は悪vs正(今まで極悪人でも全く見知らずの奴にナイフで襲われても)です。

    色んな事情があると思うので過剰防衛でも免除ではなく、無罪も定めていれば筋は通るのですが。

      補足日時:2022/01/27 11:21
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A 回答 (19件中1~10件)

ところで最近気が付きましたが、もしも正当防衛を無制限に認めたとしたら、罪刑法定主義が崩壊する可能性があります。

例えば暴行罪の最高刑は懲役2年もしくは罰金30万円となっていますが、正当防衛を無制限に認められるのであれば極端な話ブチ殺しても無罪になります。つまり「裁判を受ければ懲役2年だが正当防衛では事実上死刑」と言う事になって、法律で刑を定める意味がなくなります。

それから正当防衛を無制限に認めた場合、気に入らない相手を殺したりボコボコにしたりと言った事が合法的にできる可能性があります。例えば口論になった相手が殴りかかって来た時、それに乗じて相手を殺したりボコボコにしたりしても正当防衛として無罪になる可能性があります。そればかりか相手をとっちめるためにわざと殴らせるような場合があるかもしれません。

もちろん「そうなっても構わない。やられたらボコボコにしたい」と言うならそれも一つの考え方ですが、善良な一般市民が住みよい世の中とは到底言えないと思います。
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この回答へのお礼

正当防衛を無制限に認められるのであれば極端な話ブチ殺しても無罪になります。つまり「裁判を受ければ懲役2年だが正当防衛では事実上死刑」と言う事になって、法律で刑を定める意味がなくなります。

これは、罪刑法定主義の問題とならないです。
正当防衛の要件で処理できます。正当防衛であればですよ。正当防衛が認められればですよ。

わざと殴らせるような場合があるかもしれません。これは別に刑法の論理があります。今回は触れません。

ここからは私の個人的な考えですが
急に襲われてたときにのときを考えてください。すごい簡単にいうと手加減できるかという話なのと、襲う奴が悪いという話です。

口論になった相手が殴りかかって来た時のケースは、それに乗じて相手を殺したりボコボコにしたりしても正当防衛として無罪になる可能性があります。正当防衛として無罪になる可能性があります。いいじゃないですか、そもそも暴力はだめなので。
それがどのくらい抑止力につながるのかわかりませんが。
普通に生きていればそんなに問題ないルールだと思いますが。


善良な一般市民が住みよい世の中とは到底言えないと思います。
は一理あるとは思います。

そもそも普通に生きていればそんなにない話なのと、暴力をふるう奴、悪い奴にこっちがなぜ、我慢しないといけない(例えば、力を加減しないといけないとか)合わせないといけないのかがわからんということです。
悪い奴はすごい生きずらい雰囲気としたいわけです。とりあえず電車の事件とかは私の考えだと今よりは間違いなくやりずらいかなと。
実証してみないと今がいいのかわかりませんが、ただ、急に襲われたときは子どう考えてもこっちの法益が大事なのでやりすぎはなくしてもらいたいですね。

お礼日時:2022/02/03 20:10

本題からは外れますが、その回答をした人に対するメッセージは基本的にはお礼の方に書くのが筋だと思います。

その回答をした人だけでなく質問文に追加する内容としてみんなに読んでもらいたい内容なら補足でいいと思いますが。
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全然気が付いておられないようなのでもう一度書くと、補足にあった「防衛者の利益が侵害者の利益に絶対に優越する。

理由は相手が悪いから」と言うのは全然理由になっていません。なぜだか分かりますか。

ヒント:「相手が悪い」と言っている理由を考えれば分かるはずです。
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新約聖書の逸話を紹介した意味が全然分かっておられないようですね。

最初と最後の方に書いたように引用したエピソードは「犯罪者とそうでない人の間に本当に違いはあるのか(たまたま犯罪を行わなかっただけであって何も違わないのでは)」と言った事を考えていただくために紹介したものです。質問者様だけでなく私自身もイエス当時の時代の女性に生まれていたとしても恐らくは淫行はしなかったと思いますが、けれどもそれで「自分には罪がない(淫行を行った女と自分は違う)」と本当に自信を持って言えるのか、と言う事です。

現実の世の中を考えてみても、大部分の人が警察のお世話になるような事はしないで「善良な一般市民」として一生を終えるでしょうが、だからと言って「その人達と犯罪者は全く違う人間と言えるのか」「たまたま具体的な犯罪を行わなかっただけであって内面は犯罪者のそれと変わりないのでは」と言う疑問が出て来るはずです。

引用した新約聖書のエピソードに出て来た「罪がないならこの女に石を投げなさい」と言われた人達は「自分はそんな立派な人間ではない(この女と同じ犯罪者である)」と思って石を投げずにその場を去って行ったわけですが、もしも「私には罪は何もない(こんな犯罪者の女とは違う)」と本気で言える人がいたとさたら、聖人クラスの人格者か、あるいは自分の事を何も分かっていない(or考えた事がない)かのどちらかだと思います。

(もう少し砕けた言い方をすると「アンタそんなに立派な人なの?」と言う事です)

PS:「一人身の女性が淫行してはいけない」は現在の日本も同じです。もちろんイエス時代のユダヤ社会のように石打ちの刑にされる事はありませんが「不倫したら社会的に非難される」と言うのは変わりありませんし、石打ちの刑の代わりに賠償責任を受けます。
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少し切り口は変わりますが「犯罪者とそうでない人は本質的に何も変わりはない(のでは?)」と言う事を考えさせられる逸話を紹介させていただきます。

新約聖書に書かれてあるイエス・キリストのエピソードです。

イエス・キリストの時代のユダヤ社会では「淫行を犯した女は石打ちの刑」とされていたそうです。そしてある時淫行を行った女がみんなの前に引きずり出されて石打ちの刑にされようとしている場に居合わせたイエスに「この女を石打ちの刑にしてもいいですよね。淫行を犯したわけですから」と言った人物がいました。するとしばらく考え事をしていたイエスはやがて石を手に取って「あなた方の中で罪のないものがこの女に石を投げるがよい」と言うと、その場から一人去り二人去りして、結局誰も石を投げる人がいませんでした。そしてイエスも石を投げる事はなく、その女に「私もあなたを裁かない。これからは罪を犯さないように」と言ったそうです。

このエピソードが史実かどうかは私は知りませんが、犯罪者とそうでない人の間に本質的な違いはあるのかを考えさせられる話ではあると思います。

ちなみにイエス以外の人が「女をどう裁くか」を考えていたのに対して、イエスは「女をどう救うか」を考えていたためにこのような行動になったと言われているそうです。

PS:この場合の「救う」とは単に刑罰を免れさせると言う意味ではなく、罪を犯すような状態からどのように脱してあげられるかと言うものです。
この回答への補足あり
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ところでよく考えれば「相手が悪い」と言うのは「防衛者の利益が侵害者の利益に絶対に優越する」と言う理由の説明には全くなっていません。

「なぜ悪いと言えるのか」と言う理由を考えれば分かるはずだと思います。

これに限らず質問者様の言説はよく見ると「相手が悪いから」と言う感情論一点張りでしかなく、論理的な裏付けが全くできていないように思います。そう言う姿勢は法律を勉強する上では「百害あって一利なし」と言わざるを得ないでしょう。法律を有効に運用する事ができなくなるわけですから。
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なんだ、自分の主張に賛同して欲しいだけのタダの承認欲求バカか、相手して損したな。


撤収!
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追記ですが、度々書いたように法律は「善悪」の判断はしませんし、またできないと考えています。

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「相手が悪いから防衛者の利益が侵害者の利益に優先」と言う所が根本的に間違っていると思います。

それだと前述の「防衛者も侵害者も同じ人間。何も変わりはない」と言う考え方と完全に反するわけなので。
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回答に対する質問者様の反応を見る限りではどうやら「自分の考え方に対してどんな異論があるか知りたい」あるいは「自分の考え方のどこが問題なのか知りたい」と言ったものではなくて「自分の考え方は間違いなく正しい事を自分に賛同する回答を読んで確認したい」と言うだけのようですね。

それならこんな所で質問する事はお互いにとって何の意味もありません。たまに現れるかもしれない「取り巻き」の回答を読んで自己満足するだけです。

こう言った話題を持ち出されると言う事は、質問者様は法学部の学生として法律を勉強している人か、または仕事上の必要性その他の理由から自分で法律を勉強している方だと思われますが、こう言った「自分は絶対に正しい! 法律の方が間違っている!」と言ったスタンスでは法律を勉強する意味はないと思います。

法律を勉強して行くと一見日常的な感覚と乖離しているかのような制度や考え方に出くわす事があります。例えば黙秘権の事を初めて知った時には「悪者をかばってどうする?」と思ったものですし、国会議員の不逮捕特権の事を知った時には「国会議員は悪い事をしてもおとがめなしなのか?」と怪訝に思ったものでした。しかしながらそれぞれの主旨や由来を知って行くと「たとえ悪い人をかばう結果になる事があったとしても、私達一般人のためにも絶対必要な制度なんだろうなあ」とも考えるようになりました。

過剰防衛が処罰される事に全く納得していないご様子ですが、前述のように「一般人も悪い人も同じ人間。何も変わりはない」と言う考え方を元にしているのは間違いないはずですから、まずは「自分と犯罪者は全く別の人間」と言う持論を一度忘れて「ひょっとしたら自分と犯罪者は何も変わりないのかも」と言う見方から見当されたならば、少しは得るものがあるかもしれないと思います。
この回答への補足あり
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