プロが教えるわが家の防犯対策術!

移住した方の、現実の日常を知りたいです。
例えば、良かったこと、想像していたことと違っていたこと等、大変だったこと(苦労したこと)、何でもOKです。


移住経験者の方よろしくお願いします。
私も数年先、移住を検討していますので、参考にさせていただきたいです。

A 回答 (3件)

東京から長野に移住しました。

長野には幼い頃から何となくの憧れがあって来ましたが、ロクに下調べもせず来てしまい後悔しています。実家で家庭不和があり、妻子に危害が加わる可能性を示唆して逃げた経緯もあるので、純粋な移住とは言えないかもですが。

良かったことは、子供達を自然の中で遊ばせられらる事。山菜取りや渓流釣りのフィールドが多い事。

想像と違う点だらけです。東京にいる頃から「移住セミナー」等には参加していましたが、その頃に再三言われていた「楽しいことばかりではない!」を今痛感しています。まず人柄が悪い、陰険、東京から来たと言うのも災いしてか?敵視されている気もします。幼い頃から来ている土地なので「あれ?こんなだったかな?」とも思っています。下見に何度か来ましたが、宿泊施設等は一応接客業ですから、そこで現地の人柄など解りません。キャンプみたいなこともやり、地元のスーパー等で買い物してみての違和感とか凄く大事です!車の運転のクセとか違和感も大事です。(長野は横断歩道で停まる全国上位なんて言ってますが、信号無視やウインカー出さずに曲がる、進路変更するは当たり前!目の前で事故を何度も見ています)。思ったより低い土地を購入してしまい、2019年の台風19号で浸水被害に遭いました。

夢を壊すような話ばかりで申し訳ないですが、成功させてください。時間をかけて慎重に行き先を選ぶのがよいです。周囲の意見も意外と参考になります!(我々は長野移住は友人から猛反対されました。今思い出すと、こうなる事が解っていたのか?と思うほどです。)
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私はプロファイルに記したような年寄りです。


今まで、ずいぶんな回数の『異なる土地での暮らし』を経験してきました。

生まれ育ちは東北の山合の名もない寂れた寒村でした。
両親は家業が忙しかったので、子どもの頃は、夏冬春の休みになると、同じ東北内の他県にある祖父母の家や親戚の家に預けられていました。
大学で首都圏に出てきて、社会人になってからは、仕事で日本国内何か所かに暮らしました。

私の専門の分野のメッカはアメリカで、若いころはそこで仕事をしてみたいとあこがれたものです。
しかし、1970 年代と言えば、為替レートが1ドル 250 円前後、格安航空券とかビザなし渡航などはそんな言葉さえない時代でしたから、自力でアメリカに行くなど考えられない世界でした。
なので、『仕事でアメリカに派遣してくれる』というような会社を選び、10 年近い時間をかけ、転職などのいろいろな手を使ってそのチャンスをつかみ、この国に来ました。

アメリカに来た後、当地での実績が奏功し、こちらの機関から『日本の会社の顔色などは気にせず、好きなだけ居られるようにしてあげる』という褒美をもらい、結果として今で言うテレワークを組み入れた仕事の仕方ができるようになりました。

それを利用し、どこで生活するのが一番いいかをカミさんとともに探すこととし、いろいろなところに住んでみました。
それは、ニューヨークシティの都会、全米一貧しいミシシッピの小さな町、マサチューセッツの山の中、大平原のカンザス、テキサスの砂漠、極寒のアラスカ、豪雪の五大湖岸、ハリケーン銀座のルイジアナ、庭にワニの来るフロリダ、温暖なハワイ、若々しいカリフォルニア、歴史香るカロライナなどでした。
仕事で3~4か月滞在したところも入れれば、欧州数か国、シンガポール、香港、ニュージーランド、中南米も経験しました。

当地は人口流動性が高く、それに呼応するように、住宅の価格は手入れさえしっかりしていれば下がることはありません。
手入れや付加価値の付与次第、また、その地の成長具合が良ければ、価値を上げて値が上がることさえあります。
なので、移住は家を買い替えながらやってました。

また、当地では不動産の取引では、その土地の鑑定資格を持った人に念入りに評価してもらうのが普通です。
そういったことを通して、地域や物件の見方には結構ノウハウを貯めました。

そんなことから我々がとったやり方は、ネットなどで情報を集めて吟味して選んだ場所については、必ずその地へ行き、季節・曜日・時間帯・天候などのいろいろな場面で状態を確認するというものでした。

具体的に言えば、少なくとも一回は1週間滞在してと言う具合です。
物件についても、我々は我々独自の評価ポイントリストを作り、評価してきました。
そのリストは、新しい土地・物件に住んでみて実際にどうだったかによって、毎回更新してきました。

そんな経験を積んだのち、遅い子供を持った時、最終的にどこで暮らすのがいいかを話し合い、今暮らす地域を選びました。

しかし、州と地域としては選んだところは正解でしたが、住んで実際に生活してみると、子どもの教育や医療、公共福祉サービスなどの様々な点で、ライフステージが変わると変えたほうが良い要素があることがわかり、実際には、町を変え、同じ町の中でも住む地域を変えたりしました。

この州に来てからは、最初に住んだ町と今の街、今の町の中でも今暮らしているのは3か所目です。

【よかったこと】
結果として、今暮らしている州・町・地域・物件は、今々の私とカミさんのライフステージに対しては最適なものになっていると思います。
そのライフステージとは、『余生を送る』というものです。

この『移住先を探すための移住をした』と言う経験からは、『それをしなければ今暮らす場所の良さはわからなかっただろう』
ということが言えます。

また、経験を積んだから言えることとして、確信の持てる『安全・安心』が得られたと思っています。

『ライフステージに合わせて』住替えてきたのもよかったことと思います。
『子どもたちにいい成長・教育環境を提供できた』ので。

『孟母三遷の教え』にあるように、いい環境に置くと子供はそれなりのものを吸収して育ちます。
おかげで5か国語を話し、この町の大学でいい勉強ができ、いい伴侶にも巡り合え、人生のいいスタートを切らせることができたと思っています。

【想像と違ったところ】
ひとつあります。
思った以上に地域が発展しているという点です。
地域の発展・成長は悪いことではないのですが、私たちとしては、あまり急な発展ではなく、緩やかに発展するぐらいが良いと考えていました。

ここは、天然の森に覆われた丘がちな広大な平野の真ん中にある、人口わずか5万ちょっとの小さな町です。
どちらの方向にも隣町までは50キロ以上あって、そこまでの地域には誰も住んでいない、ポツンとある町です。

その町は3万人の学生・研究者を抱えた州立大のマンモス旗艦校を中心にしたところで、残りの住民もほとんどが大学関係者かその家族と言う文字通りの学研都市です。

大学の世界ランキングで東大と比肩し、現役のノーベル賞学者もいるところなので、世界中から優秀な学生・研究者・教員があつまり、日本ならば差し詰め過疎の町となりそうなド田舎の町ですが、ここばかりは若々しく活気にあふれています。

とくに有名なのは医歯薬・生物・化学・バイオ系で、離れた隣町にある、これまた同じ分野では世界的にも有名な私立大学と良い意味での競争関係にあることから、町の周辺には、それらの活動から得られる研究成果や人材を確保しようと、世界中から企業が研究施設を開いたりしているのです。
そのため、町の人口は爆発的に増えているのです。

これは住宅不足を招いています。
その結果、住宅価格が高騰しています。
築数年の物件を買った我が家ですが、いままで10 年ほど住みましたが、それでも買ったときに比べて 50% ほど上がっています。

価値が上がるのも見方によれば考えものです。
例えば固定資産税が上がりますから。

【大変だったこと】
経験を積む過程でしょうか。
ただ、それをやっていたころは夢中でしたからそうは思ってなかった。
これは今思い返してと言う感想ですね。
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暑いのや寒いのは大嫌いで、一年中冷暖房の必要ない場所に住みたいと。



実際に候補地に何度にも足を延ばして、できる限り長期で滞在してみるを繰り返し。住んでいる住民が、陽気で親切、食事や酒がうまい。物価が安い。町のインフラが整っている。愛想のいい美人さやんや可愛い子がたくさん住んでいる。

とか、勝手気ままな条件を出したり。

でも、最終決定は、子供が「お父ちゃん、ここ良さそうや。ここで住みたい!」となったところです。実際に暮らしてみると、あまりに居心地がいいので、32年目になってしまいました。ここで、一生を終わらせる気持ちです。とにかく、相性があっています。
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