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No.10
- 回答日時:
キリスト教の教えに、自分が裁判官のように他者を裁いていいと書いてありますかね?(笑)
人は十人十色です。
神様をみる方向も十人十色です。
お忘れですか?
だから、宗教、宗派がたくさんできたのです。
善行を積みなさい。
No.9
- 回答日時:
キリスト教と云っても、仏教と云ってもその中身は表現の違いが有るにしても同じです。
キリスト教的な表現なら『命そのものの働き=神です。仏教なら仏性です。』神と和解するという意味は、脳内の脳梁の中で出会って神の後からついて行くという意味です。仏教では自分自身を知って、『苦しみの原因である、無明の闇を晴らす。』という意味です。どちらにした処でその内容そのものは同じです。
結婚をするという場合では、『この人と結婚をしたら幸せになれるのだろうか?』が誰の心の中を見ても本音としてあると思います。処が先の事など誰も知らない事です。
処が、幸福になる人も沢山います。幸福にならない場合もあります。その違いを探る時『神の導き』の本質が分かるかも知れません。
人間には心が二つある、或いは人格が二人存在すると書きました。それと関係があります。誰の心にも二つの人格が存在しています、動画に有る通りです。
二人の人間が出会う時、人格が4人で出会っています。分かり難いと思います。自意識が好きと感じていても、右脳の人格は全てを見通して教えています。
この人とは遊びだとか、この人と離れたくないとかをです。欲とか得とか見栄などもかなぐり捨てて、この人と何時も一緒に居たいと双方が思う時、会う回数が増える程,お互いが好きになったり、信頼が厚くなって行きます。
その反対の場合もあります、会う度に、信頼関係が揺らぐ関係です。貴方の場合では会う度に如何いう風に変化をしたのかを想い起こして見て下さい。
会う度に、段々深く信頼出来るようになるならそれこそが神の導きと思います。或いは会う度に信頼出来なくなっていたとしてもそれを無視するようなら、神を無視した事を意味します。
神とは、動画に有る様に『無意識の人格=右脳の人格』です。
先の事でも見通していて、全てお見通しの上で、自我意識に『言葉に拠らない感覚で教えています。』
納期が近づいた時などでは、じりじりする感覚と共に教えています。高い処に上がった場合では、一瞬にして全ての状況を教えています。
原罪と云う言葉があります、是は何処から押し寄せているのか分からない、自意識に掛かる圧迫感の事ですが、得体の知れない苦しみと言っても良いものです。
それは、納期が来た事を教えている者と同じ者が教えている事柄です。現実を捻じ曲げて見ている『自我意識』に間違いを教えていると云った内容です。
心を病むという場合の心の苦しさと同じ内容です。右脳の人格を仏教では『仏性』と云っています。その仏性が掛けてくる圧迫感を、生き難さ、或いは漠然とした不安と感じています。
大変な苦しみですが、それもその筈です。仏性とは『自身の生命の源です。』
自分自身の”命の源”と争っている事を意味しているからです。
苦しみの終焉を仏教的に表現するなら、『自分の苦しみの根源を知らないでいる事から、人間には苦しみが絶えない』この事を無明の闇の中で苦しむ、と表現するようです。
詰り、『心の矛盾とか、対立に苦しむ』という意味です。そうして脳梁の中での出会いを『自分自身を知る』=『見性』と云います。
キリスト者なら神と会って和解をするという程の意味です。
今までは神の存在すら分からないで、苦しんでいた者が、神との出会いに拠って、神の一歩後からついて行く事を意味します。神と争う事が無くなるという意味です。
確かに脳内には、自意識とは機能が違う存在がおります。心の矛盾が解消した心境は『心の中が静まり返っている様になっています。』
この静まり返った様を、仏教では涅槃と形容しています。釈迦の教えが究極的な『心の癒しの心理学』と云われる所以です。
宗教の究極的な目標は、例え今正に死のうとしていたとしても、永遠の命(仏性とか神)が自我意識を包み込んで、永遠の世界に導こうとする中に在ります。
命そのものは、生まれたわけでは無い事から死ぬ事さえも無い事を教えているからです。
No.7
- 回答日時:
神は各々の人、或いは全ての人に授けられた生きて行くための、機能の事です。
只分かり難いために、信じられない場合が大部分だと思います。簡単に言うなら、肌や髪の色が違うとしても人間は皆同じに作られています。生まれた瞬間、或いは命として働き始めた瞬間(受胎した瞬間)から働き始めている機能の事です。
その機能とは、命を誕生させている機能と云っても良いかも知れません、そうして受精後、細胞分裂の(順番)仕方をとっても、間違う事はありません。
誕生後では、呼吸する事も泣く事も笑う事さえも全て知っていて、状況に合わせて安心したり、怖がったりして環境に会わせる機能を持っています。
その機能は『人間の意思』とは違って、髪の毛を黒くしたり赤くしたり、白くさえもできる様です。
生命が誕生した後では、生命維持機能を働かせるために、24時間人間を助けています、そうして死ぬまで働き続けて呉れています。心臓もホルモンを適宜に作って人間の助けになっています。
脈拍でも、消化機能でも、発汗作用でも、皮膚の収縮作用であっても、生まれて来てからの学びは何もなくとも、全て承知をして働かせています。
禅などでは、『命の働き』と云ったり、『それ』と云ったりして出会う為の工夫を教えているようです。
道元が『生まれながらに持っている、と云われていながら、如何して修行をしないと体感出来ないのだろうか?』が仏門に入った動機と云われています。
人間の心が、自意識と無意識と云う風に二つある事がそのヒントになっています。また人間の心が『自意識』と『無意識』という風に交替制になっている事を、現代の精神医学でも教えて呉れる事が無いようです。
悟りを開くと、悩みとか苦しみが消えてしまうと云った、究極的な悩みの解消方法を、釈迦が開発したにも関わらず、2,500年経った今であっても、そう云った科学的な解明は進んでいないように見受けられます。
人間の究極的な悩みとか、苦しみとは死に対する不安とか恐怖感が、その大元を成しています。仏教で悟りを開く一番の近道は『死を身近に感じて行く修行』が大事と云われているようです。
道元が、悟りを開いた瞬間に感じた事柄は『心身脱落、脱落心身』でした。
この現象は、道元の脳内或いは心の中には、死に対する恐怖が満ち満ちていたと考えると、合点が行きます。死に恐怖を感じていたために全身に力が入り過ぎていたと言う訳です。
死刑囚が死刑執行の日を恐れおののいている、と云った心境という意味です。”命の働”きは人間の心に『感情を湧き上がらせる機能で出来ています。』赤ん坊が安心する事も、恐怖する事も知っている事で理解出来ます。
不安障害とか恐怖症と云ったものが存在していますが、その正体とは『感情を湧き上がらせている働きと、その沸き上がった感情』に対して不安や恐怖を感じる現象です。
そうしてその働きは、永遠という機能から成り立っています。この意味は自意識が、言葉で考えて、言葉で記憶する事、詰り割り切れる事柄がその機能という意味ですが、割り切れるという別の意味は『有限』という意味に当たります。割り切れる機能では永遠を理解する機能が無い事を意味します。
自意識には『有限と云う機能しか持たされていない事が』人間が宗教文化を有難がって、保存して大きく発展させる原動力になって来たと云えます。
有限の自我意識が、永遠を希求している理由は、無意識の中の機能『命の働き』が、永遠からやって来ていて、永遠を希求させているから事に関係しています。
自意識と無意識が交替する時、稀に刹那的な出会いがある様です。この瞬間が『自分自身を知る事=悟りを開く』という様です。
苦しみの真っ最中ならば、苦しませている者と苦しんでいる者との出会いです。
死を恐怖している自我が、死を恐れていない機能(永遠で出来ている存在)と出会う事によって、自分自身の中に永遠の存在が内包されていた事を自覚します。
言い方を替えるなら、死を怖がっていた自意識が、永遠の存在の情報とその存在自身の救いの手を『さえぎっていた事が』恐怖症の正体であった事を知る瞬間です。』
この出会い以後、不安障害とか恐怖症とか強迫観念と云った心疾患は全く消えています。釈迦の教えが究極的な心の癒しの心理学、と云われるゆえんです。
脳卒中のために自意識と無意識が出会いをしている動画です。
参考になるなら有り難い事です。
No.6
- 回答日時:
キリスト教では、神は人間の自由意志を認めたから。
自由意志を認めるのだから失敗する自由もあるし、失敗することもある。失敗しないように人間の自由を認めずにすべてを決定することもできた。しかし、神は人間に自由を与えることを選択された。
No.5
- 回答日時:
> 結局誰にも導き、とか分からないのが、真実だと思います。
「神の導きがあった」と感じたり、思ったりする人は、昔からたくさんいます。 そういう人が多いから、「神の導き」で生きたい、「神が導いてくださるのを求める」という人もでてくるのです。
「神の導きはあったけれども、どれが導きなのか分からない」などということは、まあ、あまりないでしょう。
「導き」というのを観じたときには、「進むべき方向はこれだ」と分かるのです。
感じていない人に分からないのは、当たり前でしょう。
「神の導きは何だろう……?」、「私、どうすればいいの?」、「付き合うのは、Aさん、Bさん、Cさん、 それとも、どれも止めて別の人に会うのを待つの、神の導きは?」などのようなのは、単なる迷いとか、ためらいなので、占いやおみくじだはないので、「神の導き」とは関係が無いでしょう。
「いつも神の導きと計画を尋ねて祈り考えています」というのは、祈りのときの気分、心のことを言っているに過ぎなくて、具体的な内容を有する神の導きではないです。 言葉を替えて言えば、「私が道を誤ることがないように、どううぞ、私をお導きください」と祈願しているだけです。
そのように祈願したりする人は、自分の過去や現在の状況を、「これが、神のお導きだったのだ」と思ったりすることもあるようです。
「"導き"などわからない。 分かりっこない」と思うのは、思い違いです。
人が、悲しんだり、喜んだり、憂いたり、恨んだり、希望を持ったり、現象や理論・メカニズムなどを理解することがあるのと同様に、「神に導かれた」と分かることはあるのです。
No.4
- 回答日時:
人間の言葉は。
。。どんなに偉大な人間でも。。。時が経つうちに、時代遅れになります。だから、影響は受けても、人間の言葉を信仰してはいけない。ヒルティの言葉に疑問を持つことは、とても大切なことだし、ヒルティを聖書の上に掲げてはいけません。彼の主張に疑問を持つことはとても大切です。
ただ、長く生きてゆくうちに、神の導きとしか思えないような事態に直面することがあります。自分の思っていない方向に、追い込まれてゆくような感じです。その時は、ジタバタしない、ぐらいの、心構えで良いと思います。
No.3
- 回答日時:
神の声とは突き詰めればモーゼの十戒のことで、その第一項は
「人を殺めるなかれ」
是非の判断をするまでもないことである。
しかし人は切所に至って往々にしてそれを忘れてしまう。
だから公共の平和のために、それを強烈に思い出させ自省させる何かが必要なのである。
キリスト教では「それ」は「神の導き」だった。
それだけの話である。
仏教では仏の言葉はないから自灯明法灯明となる。
いずれにしても
「自らの欲するところに従って然も規を超えず」
になれればよいのであって、それができるなら神の言葉だろうと自灯明だろうと問題ではない。
No.1
- 回答日時:
カトリックも神を語るでしょ。
その解釈だって勝手にそう思っているだけでは?キリスト教に限らず、神を崇拝するすべての宗教がそうですが。ヒンズー教の神は人間なんて気にせず気の赴くままに力を振るうようなので、ヒンズー教にはそのような問題はないかも知れません。
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ありがとうございます。苦しんでいます。私の過去の問いもご覧下さい。ヒルティを信じて、自分のタイプでない人と結婚離婚しました。以来神を信じられなくなり苦しんでいます。人との出会いは導き、とあったので、、信じてしまいました。どうしたらこの苦しみから抜けられるのでしょう涙 神は私に何を求めているのでしょう。何故結婚させて離婚させたか、意味がわかりません
メモに気持ちを書いていたら、ふと閃きました。
導きをもっと慎重に考えなさい、と言う事かなあ