草枕に出てくる羊羹のくだりで、青磁のなかから今生まれた様な青い羊羹とは、どういう種類のものでしょうか?私は、単純に黒い小豆の羊羹だと思うのですが、主人は抹茶の羊羹だと言って譲りません。家庭内で長年物議をかもす原因になっています。どなたかぜひ回答をお教えください。

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A 回答 (9件)

漱石には全然詳しくないんですけど・・・。



羊羹の羹という字を、漢和辞典で調べてみてください。「あつもの」という読みが出てきませんか?スープという意味です。羊羹とは本来は中国で飲まれていた、羊のスープをさす言葉だったのです。何故か日本ではお菓子ですが。

下で回答が出ている通り、青い羊羹とは豆のスープという意味ではないかと思います。漱石は漢文に詳しかったそうですから、「スープ」などというハイカラな言葉ではなく漢語チックな「羊羹」と言う言葉をわざと使っていたのかもしれませんね。
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寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」と題する文章に、漱石は「草色の羊羹(ようかん)が好きであり、レストーランへいっしょに行くと、青豆のスープはあるかと聞くのが常であった。

」という一節があることに気付きました。

どうでしょう、これは長年の物議を決着に導く証言ではないでしょうか?

参考URLは青空文庫です。

参考URL:http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2472_ …
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漱石がふじむらの近くに下宿していた頃の作品のようです。

ふじむらは抹茶はなかったそうです。長いことふじむらとお付き合いのあった方の話です。

 羊羹の色が本当に違いました。時々水羊羹を作る時
白糖でなく和三盆を入れてみると(割合もありますが)羊羹色(薄いふじ色)になります。
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ふじむらやの羊羹のことみたいですね。

この羊羹やさんは本当に上品で美味しかったこと懐かしく思い出しました。羊羹色とはこんな色だったと意外な気が致しました。今はもうもう店もありませんが。キャンデ-ズの3人の今出演していない方の実家ですが。
 主人の大学時代の教授夫人が毎年お送り下しましたが突然届かなくなり他の品になりました。一度文京区西片のお宅に伺った折その三四郎の話から作品に出たふじむらの羊羹の店の場所を聞き閉店したことを知りました。あの色の羊羹にはもう何処の羊羹をみても似たものに出会えないのが残念です。
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#2です。



草枕の羊羹は谷崎が『陰翳礼讃』で引き合いに出してますが、やはり当たり前の赤黒い羊羹のことだと思いこんでいるんですよね。まああの人は俳味とはおよそ風馬牛だからしょうがないと言えばしょうがないですけど。

お気づきかどうか、草枕にはもう一度、羊羹が出てきます。大蜘蛛の硯のクヨクガンなるものの描写です「形容して見ると紫色の蒸羊羹の奥に、隠元豆を、透いて見えるほどの深さに嵌め込んだようなものである。」こっちははっきりと小豆に由来する色をしていることが明言されています。そしてこっちは蒸羊羹で、青磁の鉢に載せられていた練羊羹とは別物であることがさりげなく示されています。

あれほど力瘤を盛り上げてその美を説いた「青い羊羹」がこのちっぽけな比喩と読み手が連絡させてしまったら困る、ということでしょう。なにしろこの直前に、連想の糸を結ぶべき二つの《青いもの》が出てきていますから。「緑を含む琥珀色の玉液(玉露のことです)」と「青玉の菓子皿」ですね。この青い皿は画家が青磁を褒めたからこれをお目に掛ける、と那美の父親がはっきり述べています。

青磁というのは緑色をしていて当たり前ですが、この青玉なるものは、緑ではなくて晴れた空の青をしていたはずです。「すかして見ると春の日影は一面に射し込んで、射し込んだまま、逃がれ出ずる路を失ったような感じである。中には何も盛らぬがいい。」とありますから。不細工に言い換えれば、この器には空が溶け込んでいる、ってとこでしょう。ここにも下で述べた漱石の夢の断片が含まれています。

もう一つ、見落としてはならない《青いもの》があります。那美さんが嫁入りのときに乗った馬です。とうぜん「青馬」(るびは「あお」)です。こう呼ばれる馬の毛色は色々で特定するのは無理な相談ですが、これは何色かと言えばまずは純白と見るべきでしょう。白無垢姿との取り合わせですから。「白馬」と書いて「あお」と振り仮名を振ったほうがいいのかもしれない。でも大切なのは「青」という字です。実物がどんな色をしてるかは賞味の話、たいして重要ではないのかもしれません。空や海の色をした馬なんていませんから。これは最後の川下りと一対にするための工夫ですね。そして言うまでもなくオフィーリアの亡骸を載せて流れる川波の暗示でもある。

要するに漱石は《青い》なんとかと書くとき水をイメージして書いてるんだと思います。だからこそ「青い羊羹」が「青味を帯び」ているなんて異常な措辞が出てくるのではないですか。杓子定規に考えれば青いものが青味を帯びることなんてできないですから、これはよっぽど特殊な青さなんだろう、と誤読なさる方もいらっしゃるだろうと想像します。

そしてこれは決して筆が滑ったのではなくて、俺は羊羹を通じて水のことを書いてるんだからな、水は青かろ気付けよ読者、と注意を喚起してるんだと思いますね。確かにここは、え、え、え、どういうこと、何たくらんでる、と考え出すべきところだと思います。ほんとに羊羹は緑なのか、と。なにか大きなからくりが仕掛けられているんじゃないか、と。


さて、草枕の時代に抹茶羊羹があったかどうか、それは存じません。ちょっと調べてみましたが案の定わかりませんでした。ただ、羊羹の主原料はアンコであり、アンコをさまざまな色にするのは昔からの常套のはずですから、羊羹だけがストイックに単色だったとは考えられないと思いました。ただ着色に抹茶が使われたかというと、どうもこれは時代が下るような気がしたので、「緑の羊羹」としました。
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この回答へのお礼

たびたび丁寧な回答をいただき、本当にありがとうございます。かなり詳しい漱石に関する分析等、大変参考になりました。簡単に答えが出てくるところではない、というか、漱石の文章と言うのは、あらゆるところに深い意味があるからこそ、漱石であるとあらためて考えさせられました。そしてまた、いろいろな方の解釈をまだまだ聞いてみたいという気になりました。もう少し、締め切らずにご意見を伺っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

お礼日時:2005/03/20 00:41

私も普通の黒い小豆の羊羹だと思っています。


あの羊羹のテラテラ感を表現する為に「青い」といっているのだと思っているのですが。
抹茶の羊羹では「青く」見えません。
まったくの蛇足で申し訳ありませんが、いぜん髪を茶髪から「黒く」染めなおしたとき知人から「今度は髪色、青にしたの?」といわれました。
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なぜだれも指摘しないのだろう、と不思議なのですが、出ないのでわたしが書きます。



>青磁のなかから今生まれた様な青い羊羹

わざわざ「青い」とあるのですから「青い」のです(なお、日本語では「みどり」は「青」の一種と考えられています。「青葉」「青信号」などのように)。

それとは別に、羊羹色、という表現もあります。黒っぽい赤というんでしょうか、赤を含んだ黒というのでしょうか、まさに練り羊羹のそれです。
羊羹と聞けばふつうのひとはその色を連想する。そうではなくて、青いのだ、というために「青磁のなかから今生まれた様な青い」という比喩表現を使っているのです。

胃の調子が悪いので、羊羹という字面を見るだけで、不快になります。文面が不機嫌な調子でしたら、それが理由ですので、どうかご容赦のほど。
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これはどう見ても緑色の羊羹だと思います。

緑色ならいっさいの描写と整合するけど、小豆色を黒に近づくまでに濃くした普通の羊羹だと、徹底的に齟齬しますもん。

だけど普通の美意識から言えば、青磁と小豆羊羹の色ってとってもよく映えるように思えるんですよね。だけど違う。

なぜって漱石の好み(もしくは狙い)から言うとこれは同系色じゃなきゃいけないから。漱石が最も愛した言葉は何か。雲、もしくは白雲、です。漱石は輪郭があるようなないようなものが好きなんですよね。がんらい輪郭のないものがかりそめに、確固たる輪郭を持って目に映るものが。

那美さんは波さんだ、っていうのはどれほど認知されてるんでしょう? 日本文学史上最善最美の裸体描写はご承知の通りこれです。

「頸筋を軽く内輪に、双方から責めて、苦もなく肩の方へなだれ落ちた線が、豊かに、丸く折れて、流るる末は五本の指と分れるのであろう。ふっくらと浮く二つの乳の下には、しばし引く波が、また滑らかに盛り返して下腹の張りを安らかに見せる。張る勢を後ろへ抜いて、勢の尽くるあたりから、分れた肉が平衡を保つために少しく前に傾く。逆に受くる膝頭のこのたびは、立て直して、長きうねりの踵につく頃、平たき足が、すべての葛藤を、二枚の蹠に安々と始末する。世の中にこれほど錯雑した配合はない、これほど統一のある配合もない。これほど自然で、これほど柔らかで、これほど抵抗の少い、これほど苦にならぬ輪廓は決して見出せぬ。」

これ流れるだの浮くだの水の隠喩の連鎖によってイメージを紡いでるのは誰の目にも明白ですよね。漱石が女を描くさい頻繁に水のイメージに頼ったことはたぶん周知でしょう。最後の明暗までそうだった。水にせよ雲にせよ、ほんらい形なんてないんですが、空の青を背景に、または器に従って変幻自在に姿を決めてゆく。

こういう場ですからあんまり長くなってもなんですから結論を急ぎますが、羊羹は食べ物で柔らかく、青磁は食器で堅い、でも色や質感に通い合うものがある、溶け合ったってよさそうなもんだ、だから逆に「生まれた」なんて表現が出てくるわけで。

漱石の畢生のテーマは三角関係でした。長篇にはすべてこれが出てくるし、短篇にも多い。三角関係って何かったら、一つの空間もしくは位置に二つのものが同居できない、溶け合いようがなくて争い合うってことですよね。だから初期漱石はこの真逆の、溶け合うことの幸福
や陶酔を描くものが多くて、これもその一つなんだと思います。皿と菓子は酷似していなくてはいかんのです。

蛇足ですが藤むらは緑色の羊羹は作ってなかったと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。漱石をこよなく愛しているお気持ちが、ひしひしと伝わってきて大変感動いたしました。ご意見を拝聴して、ではあの場合羊羹はやはり緑色?しかしそもそも明治時代に抹茶(あるいは緑色)の羊羹が存在したのか、という基本的な疑問さえ浮かんできてしまいました。ほんとうのところ、漱石の言うあの場合の羊羹は、何色だったのでしょうか?それとももっと観念的なものと考えるべきなのでしょうか?

お礼日時:2005/03/19 00:48

夏目漱石は、東京 本郷にある(あった?)『藤むら』の煉羊羹を


とりわけ好んで食べていたそうです。
『藤むら』の名前は吾輩は猫であるには登場していますが、
草枕ではお店の名前までは出ていませんね。

なので断言は出来ないのですが、「青い煉羊羹」は
やはり好物だった『藤むら』の煉羊羹と考えるのが
自然なのではないかと思います。

ただ、残念なことに『藤むら』は7~8年ほど前から
休業中だそうで、お店で買うことは出来ないようです。
(常連さんには電話注文で作って下さっているらしい
話を耳にしましたが、定かではありません)

参考URLで実物の写真が載せてありました。
黒い(?)小豆の羊羹のようですね。

参考URL:http://shinowazuri.cocolog-nifty.com/memo/2005/0 …
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Q柿羊羹

柿を沢山貰ったので、柿羊羹を作ろうと思うのですが、初心者にも簡単に作れる柿羊羹のレシピを教えて下さい。お願いします。

Aベストアンサー

・よく熟した柿 4こ(へたや種は除いておいて下さい)
・寒天     1本
・お砂糖    100g
・水      2カップ
・ブランデー  少々

(1)寒天1本は、分量の水につけ、戻したものを
 鍋に入れ、お砂糖とともに、よーく煮とかす。
 (戻し方は寒天を買ったとき、袋に説明があるとおもいます)
 
(2)柿の果実ををつぶす。
 ミキサーでペーストにしても。これはお好みで。
 そしてブランデー少々を加えます。

(3)(1)の鍋に(2)をいれ、よく混ぜて、型に流し込み、かためます。
 室温でも固まるのでそのまま冷ましておいておくだけでOK

ようかんの型に流し込んでも良いですが
市販の底が丸いゼリーの空容器に入れて固めて
できあがりをお皿に出すと、丸くて柿っぽくてカワイイですよー。
型は水でぬらしておくとはずしやすいです。
おためしください。

Q漱石の「草枕」で

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
(以上青空文庫より)


夏目漱石の「草枕」の有名な冒頭の文章ですよね。
しかしわたしには以下に続く文章がすごく気になります。

住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟(さと)った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
(以上青空文庫より)

この文章をどのように解釈されますでしょうか。
教えていただければ幸いです。

Aベストアンサー

#3です。
ほかの方のお礼欄を拝見して、ご質問の趣旨がわかりました。
この部分の解釈、というのは、字義通りの解釈、この部分に何が書いてあるかがお知りになりたいわけではなく、この部分の背後にどのような思想が込められているか、ということなんですね。

『草枕』が何を扱った作品であるかは、#3ですでに書きましたが、漱石はこのなかで、みずからの芸術観を声高に語ろうとはしない。
その姿勢は、第一章にすでにあきらかにされています。

「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である」

詩や絵画がそうしたところから「生まれる」のではなく、「写す」、つまり芸術家の目を持って写し出す、創造するのだ、と漱石が考えていたことがわかります。
『草枕』はそれを散文の世界でやろうとした。

漱石がこの世を住みにくいと感じていたのはなぜか。
『漱石とその時代 第三部』で江藤淳は、『草枕』の以下の部分を引いて、この背後に、ちょうどこの時期現れた養父塩原昌之助の存在があった、と推定します。

「世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。……五年も十年も人の臀に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。そうして人の前へ出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつ、ひったと頼みもせぬ事を教える」(11)

漱石は幼い時期に古道具屋に里子に出され、いったん生家に引き取られたものの、二歳から九歳までの七年間、塩原家に養子に出されます。その後、昌之助の離婚などがあって生家に帰るのですが、このとき漱石は生家に240円で買い戻された、といいます。
生家に帰った後も八年間ほど、塩原家に行き来することは続いたのですが、その間の養育費の問題をめぐって実父と塩原家は断絶、漱石自身も十七、八年、昌之助と顔を合わさずにいた。
ところが「ホトゝギス」に『吾輩は猫である』の連載が始まって、一躍漱石の文名があがったころ、ふたたび昌之助は漱石の下を訪れるのです(この経緯は『道草』のなかで漱石自身が書いています)。自分が養育費として受け取ったのは七年分でしかなく、八年分はまだ受け取っていない、といって。

一度は「親」であった相手から金をせびられる。「人の世」はそんな相手でも「親」として扱えという。
漱石はそんな「人の世」の塵外に去り、まったく別の世界、「難有い世界」を作品の中に創造しようとしたのではないか。

漱石は明治三十九年、『吾輩は猫である』を脱稿してから、わずか二週間ほどで『草枕』を書き上げています。
その背後には、そうした「人の世」に対する怒りが激しいエネルギーとしてあったのではないか、と江藤は推測しています。

ここからはあくまでもわたしの感想なのですが、漱石の芸術観というのは、きわめて具体的なものだったと思うのです。
哲学者のように「美」を観念的にとらえるのではなく(たとえば近代美学の祖といわれるカントは、現実の芸術に関しては、きわめて貧弱な趣味しか持ち合わせていなかったことが知られています)、具体的に、書画や詩、俳句を味わい、みずからのうちに取り込むことによって、芸術観を確立していった。
漱石は絵を描かせてもうまかったというし、以前『連句の楽しみ』という本の中で虚子と交わした連句を読んだことがあるのですが、これにしても、ほとんど虚子と較べても遜色ない(というか、個人的には一番好きだった)冴えを見せています。

「これがわかるためには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である」(1)

ある種苛酷な人間関係に翻弄されつつも、一方で「第三者」の地位に、おそらく相当早い時期から立つことを通して漱石は鑑賞眼を鍛えていったのではないか。
そうした漱石の「芸術活動」の系譜として、この『草枕』はあるのではないかと思います。
のちに、専業の作家となった漱石は、作品におけるこうした方向性を捨ててしまうのですが。

#3です。
ほかの方のお礼欄を拝見して、ご質問の趣旨がわかりました。
この部分の解釈、というのは、字義通りの解釈、この部分に何が書いてあるかがお知りになりたいわけではなく、この部分の背後にどのような思想が込められているか、ということなんですね。

『草枕』が何を扱った作品であるかは、#3ですでに書きましたが、漱石はこのなかで、みずからの芸術観を声高に語ろうとはしない。
その姿勢は、第一章にすでにあきらかにされています。

「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有い...続きを読む

Q羊羹命の方!!!

知人から甘さをかなり押さえた羊羹があると聞きちょっと気になっています。
どこの店かはもう忘れてしまったので、皆さんがご存知の「これは上品な甘さだ!」という羊羹がありましたら、詳細を教えて下さい。
ちなみに東京羊羹の羊羹を一口食べた事がありますが、私にとっては甘過ぎで一口が精一杯でした。。。

羊羹の種類は普通のあん??のようなタイプでお願いします。

Aベストアンサー

ご友人のおっしゃられる品そのものとは違っていると思いますが、私が好んで食べる北海道の羊羹を2点ご紹介します。

1:道南・江差町(えさしちょう)の「五勝手屋羊羹」(ごかってやようかん)
  参考URL ⇒ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8B%9D%E6%89%8B%E5%B1%8B%E7%BE%8A%E7%BE%B9

2:道東・標津町(しべつちょう)の「標津羊羹」(しべつようかん)
  参考URL ⇒ http://www.yac-net.co.jp/hasegawa/okashi.html#Anchor-36876

  
どちらも数ある北海道銘菓の中ではマイナーな存在ですが、パッケージ・口当たりともに素朴かつ上品です。
人それぞれ好みもあるかと思いますが、羊羹好きな方で機会がありましたら一度お試しいただくことをおすすめします。

Q夏目漱石の草枕(新潮文庫)を読んでいますが、注釈を読みながらでないと非

夏目漱石の草枕(新潮文庫)を読んでいますが、注釈を読みながらでないと非常に読みにくいです。

読みやすくしているバージョンはないですか?

Aベストアンサー

私も「草枕」を読んだことがありますが、読みづらかったです。
訳の分からない語句がやたらとたくさん挿入されていましたよね。

しかし、冷静になってよく見てみると、
読み流せる部分の比重が高いことに気づきます。
難しい語句のほとんどがムダ知識であり、筋書きに絡まないからです。

質問者様の場合、まずざっくりと最後まで読み通した上で、
分からない部分のみ後から読み直してみては如何でしょう。
律儀に注釈を引きながら読み進めるのもアリだとは思いますが、辛いです。
一読で理解する義務なんて無い訳ですし。

Qプリンと水羊羹との違いは?

こんにちは、昨日親戚から、贈り物を頂きました。中は栗羊羹のようなもの、チョコレート、芋の入ったもの、カスタードプリン、抹茶のそれでした。良くお土産等で売っているカップに入っているものです。
 そして問題なのは父親はそれを全てプリンと呼んでいます。ですが母親は水羊羹と呼んでいます。
 そこで入っていた箱を調べようと思ったのですが、捨ててしまい分かりません。
 この場合、総称してなんと呼ぶのでしょうか。
 栗が入った羊羹のようなものは水羊羹、芋が入ったようなそれも水羊羹って感じです。
 そしてプリンはカスタードプリンで水羊羹ではないと思うし、抹茶も抹茶プリンと呼ぶものもありますよね。ですが、結構食感は全てしっとりしていて水羊羹という感じなのですが、これらは総称して何と呼べばいいのでしょうか。
 私自身はどちらでも良いのですが・・・。

 宜しくお願いします。

Aベストアンサー

水羊羹、栗羊羹、何でもですが日本の羊羹は「語源」の時点ではともかく「一切蛋白質を使わないもの」と云えると思います。

  1)ゲル化剤で固めてプリンの食感を出したものとか、2)ゼラチン、寒天などで“チュルリン”とした食感を出した物は
   確かに美味しいとは思いますが、正統派の意味での[Pudding]とは違う物で、後で開発された和菓子の拡大解釈でしょう。


> 栗が入った羊羹のようなものは水羊羹、芋が入ったようなそれも水羊羹って感じです。

栗が入っているのは水羊羹ではなく練羊羹か蒸し羊羹で、芋が入った物はほとんど蒸し羊羹ばかりな筈です。。。


しかし一番最初に書かれているような[詰め合わせセット]的ものが現実にあるとしたら

1)の[ゲル-プリン] か 2)の[ゼラチン-寒天]系のプリンと言う事になるでしょう。


*『プリンはカスタードプリン』で水羊羹でない・・・これこそが正解なので、解釈を変えるから混乱が起きるのだと思います。

それと[Pudding:プディン(グ)]が[プリン]と別物だと誤解される方もいらっしゃるようですから。。。

水羊羹、栗羊羹、何でもですが日本の羊羹は「語源」の時点ではともかく「一切蛋白質を使わないもの」と云えると思います。

  1)ゲル化剤で固めてプリンの食感を出したものとか、2)ゼラチン、寒天などで“チュルリン”とした食感を出した物は
   確かに美味しいとは思いますが、正統派の意味での[Pudding]とは違う物で、後で開発された和菓子の拡大解釈でしょう。


> 栗が入った羊羹のようなものは水羊羹、芋が入ったようなそれも水羊羹って感じです。

栗が入っているのは水羊羹ではなく練羊...続きを読む

Q★夏目漱石 草枕について★

★夏目漱石 草枕について★

最近夏目漱石の著書を読むことにはまっていて
その中のひとつ、「草枕」について
疑問がわきました。
人の世が住みにくいことをうたっていますが
なぜ主人公を”画家”に設定したのでしょうか。
例えば、作家にしたほうがもっと書きやすかったのではないでしょうか。
分かりやすい解説・意見お願いいたします。

Aベストアンサー

漱石の一愛読者です。

>なぜ主人公を”画家”に設定したのでしょうか。
>例えば、作家にしたほうがもっと書きやすかったのではないでしょうか。

小説中に小説家が登場したり、主人公が小説家(芸術家)だったりする小説が一般化したのは、もう少し後の時代になってからでして、「草枕」などはその先駆と評し得るかもしれませんね。
明治期では谷崎潤一郎の「刺青」の刺青師、大正期になると芥川龍之介の「地獄変」の絵師、「戯作三昧」の馬琴などが比較的有名な例かと思います。
昭和になると、中島敦、太宰治、三島由紀夫等がわりと好んで小説家(詩人、芸術家等)を登場させたがったと言えるかもしれません。

こうして並べてみると、いずれも素直な?ひねくれ者ばかりというのが面白いですよね。
思うに、より古い小説家たちほど、もっぱら「何を書くのか?」に興味・関心を示したがったとすれば、より新しい小説家たちほど、本当に大切なのは《何を》ではなく、「《なぜ》書くのか?」という、実に厄介な、しかしより根本的な難問と向き合わざるを得なくなったのではないでしょうか。
こうした事情については、西洋でも同じでして、フロベール以降20世紀初頭にかけ、小説家を主人公にした小説が多く輩出されるようになりました。

以上を踏まえた上で「主人公を”画家”に設定した」理由について考えてみますと、美が「人情」と「非人情」との中間にしか存し得ない以上、漱石としては、あくまでも那美さんとの間に常に適切な距離を挟み、ひたすら那美さんを眺めることに徹する視点(観察主体)を設定する必要があったはずです。

その際、対象との関係という点では、特に美人の那美さんが相手となると、「人情」(色恋)に溺れがちな「作家」よりも、職業上「非人情」に徹しやすい「画工」の方が対象をより沈着冷静に観察、凝視させやすいと考えたのではないでしょうか。

漱石の一愛読者です。

>なぜ主人公を”画家”に設定したのでしょうか。
>例えば、作家にしたほうがもっと書きやすかったのではないでしょうか。

小説中に小説家が登場したり、主人公が小説家(芸術家)だったりする小説が一般化したのは、もう少し後の時代になってからでして、「草枕」などはその先駆と評し得るかもしれませんね。
明治期では谷崎潤一郎の「刺青」の刺青師、大正期になると芥川龍之介の「地獄変」の絵師、「戯作三昧」の馬琴などが比較的有名な例かと思います。
昭和になると、中島敦、太宰治、...続きを読む

Qおせちに羊羹を入れる意味は?

たとえば「黒豆はまめまめしく働くように」など、おせちってそれぞれ由来がありますよね。羊羹の場合は何なのでしょうか? 羊羹はおせちに入れるものだと思っていましたが、出身地の違う友人は皆「羊羹なんか入れない」というので、羊羹を入れる意義を疑い始めました…。

ちなみに、自分の出身地では普通の羊羹でなく、白あんみたいのに赤や緑の斜線が入っているものを食しておりました。この色にも意味が??

Aベストアンサー

昔の人は結婚式の引き出物に砂糖で味付けされた甘い料理(羊羹、錦卵、白いんげん甘煮など)を引き出物に出していたそうです。
昔の日本料理は味も地味なものが多く、こういった甘いものは特に女の人が喜んだそうです。
だから結婚式なんかのおめでたいときは甘いものを送ったのでしょうね。

それに羊羹は日持ちします。
日持ち+おめでたいってことでおせちに入れたりする家庭もあったということではないですか?

白あん~については分かりませんが、
白、赤、緑っていう色合いも綺麗だし似たような意味だと思います、たぶん。

Q袖擦り合うも他生の縁とよく似たくだり

「袖擦り合うも他生の縁」という諺がありますが,
それによく似た内容で、
”川の上流の水を飲む人と下流の水を飲む人は
何かの縁がある”という文章が
書かれてある文学名(たぶん古文?)を
ご存知の方、教えていただけませんか?

Aベストアンサー

 成句としては「一樹の陰、一河の流れも、他生の縁」でしょうか。

 出典は、説法明眼論(円通述)という仏典の「或は一国に生まれ、或は一郡に住み・・・一樹の下に宿り、一河の流れを汲み・・・同畳同坐、同牀一臥、軽重異るあるも、親疎別あるも、皆是れ先世の結縁なり」です。

 日本文学の古い用例で有名なのは、平家物語(巻十)のいわゆる「千手前」の段における「一樹の陰に宿りあひ、同じ流れをむすぶも、みな是先世のちぎり」という部分でしょうか。源平盛衰記にも同様の場面があります。そして、この話をもとにした謡曲の「千手」にも、同旨の謡いがあります。

 平家物語には、他にも巻一の「祗王」にもでてきますし、源平盛衰記でも、他に数ヶ所の場面で引用されます。
 謡曲では、いわば決り文句になっていて、「千手」のほかにも、「大江山」「箙」「錦木」「合甫」「紅葉狩」「山姥」などと多用されます。

 その他にも、「御伽草子(浦嶋太郎)」、「義経記」、「玉三(玉藻前旭袂三段目)」など、他にも色々あります。

Q結婚挨拶、手土産に羊羹はNG?

結婚することになったので
今週末、彼の実家に挨拶に行きます。

手土産はベタに「とらやの羊羹」と思っていたのですが
【羊羹は「切る」ので結婚挨拶の手土産としてふさわしくない】と
何かで聞いたのを思い出しました。(何で聞いたかは忘れました)

でも、このサイトでみると、手土産を羊羹にした方が結構いらっしゃるようです。

羊羹はNGですか?
水羊羹のように「切らないタイプ」ならよいのでしょうか?

Aベストアンサー

「切るお菓子」は確かにふさわしくないですね。
しかし多くの方が持っていっているのも事実です。
あまり気になるようであれば、仰るとおり「切らないタイプ」のを持って行った方が良いと思います。

http://www.marriage-with.com/houkoku/index.html

Q浦島太郎の玉手箱のくだりはいけません

浦島太郎の物語とその歌は最高に素晴らしい。
ただし、一つ例外があります。
それは玉手箱の話である。
浦島太郎が助けた亀に連れられて竜宮城に行き、そこでひと時の極楽を楽しんだあと、故郷の村に帰ると自分の家は無くなっており、村人たちは見知らぬ人ばかりであった。
そして自分が故郷の村を離れて竜宮城に行った時から数百年の歳月が経過したことを知ったのであった。
ここまではなかなかよく出来た面白い話である。
しかし絶対に開けてはなりませんと言われた玉手箱を開けると中から白い煙が出てきて浦島太郎は一瞬のうちに白髪の老人になったというくだりはいただけません。
なぜならこの部分の話は時間が一度未来から過去へと逆戻りしたことを含んでおり、これは因果律に反することで絶対にあってはならないことだからです。
浦島太郎の物語は玉手箱のくだりでそのクオリティを大いに下げてしまったのではないかと思うのですが、皆さんも同感でしょうか。

Aベストアンサー

「鶴は千年、亀は万年」と云う長寿を寿ぐ言葉があります。
さて、浦島太郎の物語では白髪の老人の姿となった浦島太郎が鶴に乗って天上の世界に飛び立つと云う落ちを持つものもあるそうです。
つまり、竜宮城の乙姫は龍王の娘である仙女ですから、その仙人界の竜宮城から人界に戻って来た浦島太郎が、すべてを悟って、もう、ここは己の住む世界では無いとして、乙姫からの玉手箱を開けて仙人に遷化し人界から仙人界に飛び去ったと云う伝承もあるのです。中国古典などの建前では鶴は仙女のかりそめの姿で、その鶴が人から仙人へとなった者を仙人界にいざなうとします。
「鶴は千年、亀は万年」と云う言葉はこのような仙人道の背景を持った言葉です。このため、説話「浦島太郎の物語」と童話「浦島太郎」とでは、ちょっとだけ、落ちが違うのです。


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