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焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)とは、何でしょうか
わかりやすく教授頂けないでしょうか
よろしくお願いいたします。

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A 回答 (4件)

戦国時代の頃の中国7カ国は、基本的に儒教が優勢だった。

その中で秦は、多民族国家で価値観の違う諸民族の集合体だったために、「徳」など儒教的な情実的権威主義では国をまとめることが難しかった。

それで秦は儒家ではなく、法家による徹底した法治主義を採用。これが上手く機能し、国をまとめることに成功。始皇帝の時代に他の6国も征服して秦一国に統一した。具体的にはバラバラだった法律も秦の法律に一本化した。

それだけならまだよかったが、法の運用も戦国時代の秦と同じく厳格化した。つまり儒教的には「徳のある上の者」にも、下々と同じように情状酌量の余地なく法に触れたら厳しく、例外なく罰した。
これに異を唱えたのが、情実的権威主義だった儒家だ。

そして法家主義の始皇帝は、儒家を国家の根幹を揺るがす不届きものと断じ、儒家の書を燃やし、儒家を大穴に放り込んで生き埋めにして虐殺した。これを「焚書坑儒」という。
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この回答へのお礼

丁寧且つ詳細なご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2022/01/26 19:59

蓁が当時の中国を統一して、各地を統治する時に


それまでの封建制ではなく郡県制を導入しました。
これに儒家の論客が反対しました。
その反対意見を抑え込むべく、宰相の李斯が
体制批判をする勢力を弾圧するために
生活関係(医学・農業・占星)以外の本を
全て燃やして廃棄することを提案して導入されました。
これが焚書。

翌年、体制に異を唱えて始皇帝を独裁者という儒学者がいたため、
当時の首都、咸陽の儒学者を中心に数百人を生き埋めにしました。
これが坑儒。
ただし、儒学者だから全員生き埋めにしたという訳ではありません。
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この回答へのお礼

丁寧且つ詳細なご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2022/01/26 19:59

前の方の回答位ならネットに出てるけど、本当は知ってるのに質問してるのかな?

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この回答へのお礼

ありがとうございます。かみくだいてご教授頂きたく、質問しました。

お礼日時:2022/01/26 19:57

書物(儒学の)を燃やし、儒学者を生き埋めにしてしまうということ。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/01/26 19:56

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