プロが教えるわが家の防犯対策術!

鳥居をくぐると、俗界から神域へ入ったという改まった気分に変わります。

質問は、鳥居は中国の「華表」の訳だそうですが、古来「於上不葺御門(うえふかずのみかど)」があったにもかかわらず、「華表」も使わず、わざわざ日本独自に新たに「鳥」を入れたのはどういう理由ですか?

A 回答 (4件)

鳥居の由来や語源については諸説があります。

 中国の「 華表 」の訳を鳥居とすると言う説もありますが、一番有力な説は、天岩戸から天照大神を引きずり出すために岩戸の入り口で宿り木に乗せた「常世の長鳴鳥(鶏)」を鳴かしたという伝説によるものです。 鳥居は鳥の居場所という意味合いがあり、鳥居の原型はその宿り木の形からきているとされ、鳥居の内側に天岩戸に身を隠す天照大神が鎮座していたことから鳥居の内側は神が宿る神聖な場所とされるようになり、いつしか鳥居は神社の聖域を示す建造物になったと言う説です。

他にも神社に参拝する際に、その下を通って入る(とおりいる)ことから、語呂合わせで鳥居と呼ばれるようになったとの説などもあるようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<岩戸の入り口で宿り木に乗せた「常世の長鳴鳥(鶏)>からなのですね。
その伝説ができた当時はもともと「とりい」と呼んでいたのですね。その後漢字が伝来し、「於上不葺御門 」という説明的な言葉を作り、また中国の華表を訳し土着の「鳥居」としたのでしょうね。

お礼日時:2022/02/06 16:49

「鳥居の原型と冠木、唐居敷の変遷」という1953年の雑誌記事をPDFで探せます。

 https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijsaxxx/48 …
この方は、「鳥居」という用語の使用例で過去のものを探してもいます。

延喜式の大神宮式の中に、土居、鴨居という高欄に関わる説明があって、その鴨居の文字の「鴨」の脇に「鳥」の字を宛てて、「トリヰ」と読ませています。
 下の図を参照

延喜式巻一七「内匠寮」には、現代語訳で、次のような一節があるそうです。
腰輿条
天皇がお乗りになる腰輿一具〈桁の長さ一丈四尺、幅二尺九寸、脚の高さ五寸〉の製造に必要な物品は、桁・脚の製作に用いる四寸四方の角材二本、平帖・束柱の製作に用いる歩板一枚、鳥居・高欄の製作に用いる檜の材木一本、純度の高い銅大一斤一〇両、、、、
腰車条
腰車一具の製造に必要な物品は、屋形〈長さ六尺、幅五尺〉、障子六枚〈二枚はそれぞれ高さ二尺六寸、幅二尺、四枚はそれぞれ高さ二尺六寸、幅六寸五分〉の製作に用いる欅の材二四本〈四本はそれぞれ長さ八尺五寸、二寸五分四方、四本はそれぞれ長さ五尺、二寸五分四方、八本はそれぞれ長さ四尺五寸、一寸五分四方、二本はそれぞれ長さ五尺、幅一尺一寸、厚さ二寸五分、四本はそれぞれ長さ三尺五寸、二寸五分四方、二本はそれぞれ長さ二尺、径七寸〉、轅と車輪の製作に用いるイチイガシの材七二本、柱と高欄・鳥居の製作に用いる檜の材木二本、桁と垂木・箕形の製作に用いる歩板四枚、純度の高い銅大一一斤二両、、、

延喜式は平安時代10世紀の前半に作られていて、この頃は、木工の建具・調度の高欄の一部に使用されていた用語として「鴨居・鳥居」があったようで、どうも、《上にある横に渡す木》の部分の名前だったように見えます。
トリが住むとかトリが来て止まるとか、そういうことよりも、《上の方》というだけで、とにかく《トリヰ=トリイ》と呼び習わしている建築関係の用語使用が既にあって、《のちの時代に》《門(かど)・門口に建造する横木を上に渡す構築物》を、建築関係者が《トリヰ=トリイ・鳥居》と呼ぶので、寄進者も「"鳥居"ていうのか、あれは、、、」となったのではないでしょうか。

たぶん、平安中期までにも実態として門か異界との境界を仕切る構築物などは、なんとなく、あるいはどこかで見たことのあるのをこしらえてはいたでしょうけれど、名前・一般名詞はなかったのだと思います。
寺でも、宮殿でも、「立派なのを作れ」のような発意と命令だけで充分で、あとは土木建築の専門の人まかせでしょう。 利用するにも、一般名称など知る必要もなかった、そういう時代だったのでしょう。

別件ですが、
> 古来「於上不葺御門(うえふかずのみかど)」があったにもかかわらず

「御門」が、門(扉や敷地出入口の構造物)でなく、「一門」の中にあると考えられる一族のことでもなく、象徴的に「朝廷・王権」をさすのでもなく、「帝」の個人だったり、実に、言葉は多様に使われます。
「於上不葺御門」というのは、伊勢神宮の「皇太神宮儀式帳」のP6~7に記載の大宮壹院の仕様についての「御門11間」について「於葺御門3間 各長1丈5尺○1丈高さ9尺」「於不葺御門8間 各長1丈3尺高9尺」との記載のことでしょう。 「於葺」は「ふてる」、「於不葺」は「ふかざる」と、皇太神宮儀式帳には読みが付記されています。 橋や宿衛屋、玉垣などと御門も列記してサイズを書いているので、工事人?から聞き取って書いているのでしょう。 皇太神宮儀式帳の儀式の記載では、「御門」とだけでてきます。
「於不葺御門」と「於上不葺御門」は違うのかもしれませんが、古来「於上不葺御門」という用語を一般名詞のように使用している例があるとは思えません。
「「鳥居」に、わざわざ日本独自に新たに「鳥」の回答画像4
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<《上の方》というだけで、とにかく《トリヰ=トリイ》と呼び習わしている建築関係の用語使用が>既にあったのですね。おそらく、あとから、トリ伝説が補強するように付け加えられたのでしょうね。

お礼日時:2022/02/10 12:33

鳥居と華表のどこに共通点がありますか?アレどう見たってトーテムポールでしょ。

於上不葺御門にしたって笠木というものがありますからね。屋根を葺いていないとも限りません。一部の鳥居だけを見ている人が勝手に思い込んでいるだけです。
鳥居についてはいまだに諸説あり、どれが正しいわけでもありません。鳥居の原型は大神神社の三ツ鳥居だとする説もあります。さらに鳥居という字からアマテラスが岩戸に隠れた時に長鳴き鳥を止めた柱が起源だとする説があり、それで「鳥が居る」というのだという説もあるんです。
また東南アジアなどに見られる村の入り口の門だという説もあります。

時代が下って伊勢の神宮などでは実は今の松阪のあたりから鳥居は立っており、単なる道標でした。結界だという考えもありますが決めつけているのは街中の小さな神社しか知らない人たちですよ。そして伊勢の神宮の森は一時期丸裸になったほど荒れたんですからね。だから今でも「神宮の森の木で社殿を建てたい」という願いは叶っていないんです。
実際の結界としての門は神宮では皆さんが普通に参拝している前にある玉垣御門であり、街の神社でも本殿を囲む玉垣門だけです。本来はそこに鳥居が立ちこれを垣鳥居と呼びました。これがまさに玄関。神社境内の入り口にある鳥居は大門です。

ネット情報の多くは誰かが良さげなものをコピペしているだけです。
日本中の神社を知らないと一部だけが適合して例外が多いのにそれだけが真実であるかの様に流れていますが、実際にはまだ検証を終えてはいません。
神職の中にも不勉強で世間の噂に流されているものが近年多くなっているので困ったものです。
華表が起源だなんて言ってるのは「なんでも中国・韓国起源」を信じ込んでいるかそうさせたい御用学者レベルなんでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

<鳥居についてはいまだに諸説あり、どれが正しいわけでもありません。>ですね。

お礼日時:2022/02/07 15:31

神聖とされている場所に、


とり込む為。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
神様は語呂合わせが好きなようですね。

お礼日時:2022/02/06 16:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!