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司馬遼太郎の日露戦争について説明から次を引用します。

<両国において清朝から予定戦場をーつまり土俵をー契約しての戦いで>と。

この文章は、文字通り事実だったのですか?
あるいは比喩だったのですか?

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A 回答 (3件)

満州は事実上ロシアが占拠しており、日本はそのロシアに宣戦布告しました。



とはいえ、名目上は清朝の領土だったので、当然日中間の協議は行われたでしょう。
いずれにしても、清朝はロシアを排除する力がなかったわけですし、そのロシアと戦う日本に我が国の領土に軍を入れさせない力もなかった。また国内が分裂しており、日中連合してロシアと戦う力もなかった。

そのような契約があったかどうかは知らないが、日本の目的は満州からロシアの影響力を排除することだから、元々その他の清朝の領土には関心がない。戦争が始まってからの日中間の協議では戦場が満州に限定されるという話があったことは間違いないだろう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
満州の覇権争いですね。<日本の目的は満州からロシアの影響力を排除することだから>戦場が満州に限定されますね。(あたかも双方が契約したように)。

お礼日時:2022/02/07 15:25

「司馬史観」と呼ばれる歴史観が、ある意味では作者の「先入観」になっており、若干偏った記述になっている箇所も多く見られます。

また、当時は見ることの出来なかった資料が後年になって発見され、そこから新事実が分かったということもありました。「坂の上の雲」はあくまでも小説です。「三国志」で言えば「三国志演技」のような位置付けであり、正確な歴史書「正史」では無いため、書かれていること全てを鵜呑みにすることは出来ないものです。

タイトルにわざわざ「坂の上の雲」と入れているような批判本は、後になって別の専門家から基本的な誤りを指摘されることが多く、その考証内容には問題があるようです。特に日露戦争100周年およびスペシャルドラマ放映に合わせて「新説」を打ち出してくるような便乗書籍については、その内容はあまり正確でないと思っておいた方がよいでしょう。
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この回答へのお礼

ご尤もです。

お礼日時:2022/02/07 15:26

言葉そのものは「比喩」ですが、清朝の意図したことを踏まえれば事実です。



日露戦争のそもそもの発端は「日本が清朝から租借したはずの遼東半島を慎清朝に返した結果、ロシアが鉄道をひくことを清朝が許可した」ということに始まります。

清朝は当時西洋列強に支配されていたとはいえ、日本を含めた強豪国が共倒れになってくれればそれだけ自分たちの力が回復するし、長く維持できると思っていました。
 実際孫氏の兵法にもそういう運用があります。

なので、清朝は遼東半島という日本の防衛にとって要である場所に、よりによってロシアに鉄道許可をだしたわけです。清朝に入り込んでいる西洋列強ならイギリスに敷設させてもドイツに敷設させてもよかったわけです。特にドイツは西側でロシアと対立していたわけですから、遼東半島から満州にかけて鉄道敷設できれば、有利になることは間違いなかったはずです。

でも清朝はロシアに許可を出しました。

要するに、清朝は「とりあえずロシアと日本は戦争してお互いに消耗してくれればよい。どちらかが徹底的に負ければ敵が一つ減るので損がない」ということで、日露戦争の舞台が満州から朝鮮国境、さらに日本海になったわけです。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
<言葉そのものは「比喩」>なのですね。
三国とも(あたかも契約したように)戦場を限定しよう、とした様子はうかがえませんね。

お礼日時:2022/02/07 15:20

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