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No.4
- 回答日時:
no3です。
英国と日本の植民地経営の違いを4000字で説明できませんが。産業革命により、国内生産力が高かったイギリス。植民地の富の収奪で産業革命を遂行しようとした日本と言う違いが一番大きかったと思います。祖の注かsンいドイツがあると思います。イギリスにとって最重要な植民地はインドであったことがそれを如実に示しています。地域的な広さでは、アメリカ大陸の植民地の方に力が入りそうですが、実際は「インド綿花」が最も重要だったと言うことです。従って、そこに切り込んだドイツをイギリスは許せなかったというのが第一次世界大戦の遠因です。その後も、英国はインドの支配層をある程度味方に付け植民地経営をしています。一方、日本は朝鮮から穀物を奪い、また壬午・甲申事件の結果、支配層と結ぶことにも失敗しています。台湾は後藤新平などによりインフラ整備がされ、ある程度支配層と友好関係も結びましたが、当時の日本にとって植民地としての台湾は余り価値が大きくはなかったということです。ただ、今、台湾が親日的な傾向にあることの一つの原因になっていると思います。
No.3
- 回答日時:
植民地経営は、帝国主義的経済体制が重要です。
つまり原材料を現地で奪い、国内で製品にして海外で売るという工業化システムがないと失敗します。スペイン・ポルトガルが植民地経営に失敗したのもそうした工業化を忘れた収奪システムであったからだと思います。逆に「オランダ」はスペインの支配地でありながら、ある程度成功したのも逆に工業化システムがあったという事情でしょう。日本は「朝鮮」や「台湾」から何の原材料を輸入し、何を製品化し、それをどこに売りつけたのか考えれば、日本が「帝国主義」的な国内産業が無かったことに気付かれると思います。製品を作って国内で消費するシステムは、植民地を単に収奪地とするだけです。つまり植民地経営は成功しないということです。明治政府は、欧米の真似をして植民地政策をしようと考えましたが、現実が伴っていない「猿真似」政策であったことは明確です。
朝鮮半島や満州に至っては「併合」したり「支配下」にして、日本の農民を移住させ食糧増産を狙ったのですから、足腰の弱い「帝国主義」であることは明確です。「五族協和」や「大東亜共栄圏」と言うまやかしで、実際は国内産業を豊かにする「貿易差額主義」といった産業構造からほど遠い「搾取体制」の植民地経営であったことが、日本の植民地経営の失敗の原因だと思います。
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自分でも色々調べましたが、やはり皇民化政策に原因があったように思いました。支配地の住民の言語や思想を日本式に改めさせ、彼等を日本人として対等に扱うという建前でしたが、実際には対等に扱っておらず、単に文化や伝統を破壊しただけでした。
ということで自己解決にします。