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ある研究で、赤ちゃんに人形劇を見せました。

人形Aが坂を登っ行きます。
人形Bが出てきて、登っていく人形Aを後ろから押すような様子です。

別な場面に変わります。
人形Aが坂を登って行きます。
人形Cが出てきて、登っていく人形Aを前から妨げる様子です。

この2回の人形劇の後に、赤ちゃんに人形BとCとを見せます。
赤ちゃんは人形Bに手を伸ばすのだそうです。

この人形劇で、赤ちゃんは道徳がわかっているのだ、という解釈が出ました。

ところで、次様な公準があります。
「ある活動がより低次の心的能力によるものと解釈することができるならば、
 その活動をより高次の心的能力によるものと解釈してはならない。」>と。

質問は、赤ちゃんは道徳という高次の心的能力を持っているのでなく、より低次の心的能力
が働いたと解釈できないでしょうか?
その低次の心的能力は何でしょうか?

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A 回答 (8件)

No.1の回答者です。

 追加質問に対しての回答です。

> イヌの論文をによると、<イヌは、直接自身の利益には関わらない場面で、第三者の感情的な評価をし、嫌な人物を避ける、という行動を示した>まとめられていました。ただし、それを誘引したものが何かが知りたいのです。道徳を身に付けていたのか。(たとえば、雨が何ミリ降っていただけではなく、前線が通過したため、とか)

確かに、<イヌは、直接自身の利益には関わらない場面で、第三者の感情的な評価をし、嫌な人物を避ける、という行動を示した>という記述はP3/5にありますが、記述の仕方がよくなくて誤解を招いているのだと思います。
その記述の下には次の記載が続いています。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こういった第三者的立場からの他者の評価は、ヒトの場合、その人物の評判を形成し、まわり回ってこうした向社会的行動をする人物の利益につながる(間接互恵性)。ヒトの社会は協力によって成り立っている。他者から協力が得られない人物は社会でうまくやっていけない。つまりこうした第三者的立場からの他者評価は、ヒトの協力社会を作り上げる重要な要素の1 つである。
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
A<イヌは、直接自身の利益には関わらない場面で、第三者の感情的な評価をし、嫌な人物を避ける、という行動を示した>
B<イヌは、直接自身の利益には関わらない場面で、第三者の立場でイヌ自身の感情的な評価をし、嫌な人物を避ける、という行動を示した>
AではなくBのように記述すると、飼い主・飼い主に協力を求められたのに協力しなかった人・その二人とはほとんど関係しない中立者の行動状況を、イヌが第三者で見ていて、イヌに生じた感情(非協力者に対する嫌悪)のことがハッキリします。

このイヌのように、自分自身の利害損得に関係のない(甲乙丙丁の間で生じている丙の非協力)を見て、丙をイヌが嫌悪するようなことは、野生で生き通常は協力活動をしないリスザルにもあることがわかっています。人に飼われているイヌだけでなく、野生のサルにも、自分には関わりがなく、自分は第三者であるにも関わらず、見ている中で非協力的行動、公平ではない扱いをするものには嫌悪を感じてしまうらしいです。
心理学で取り上げられる「心の理論」「誤信念課題」は、脳科学では脳機能・神経回路の生物学的問題、進化に関わる問題としても研究されています。
https://www.empatheticsystems.jp/

人でも、何か他人の行動や表情、反応などを観察していて、自分には直接関係ないにも関わらず、{楽しそう、面白そう、美味しそう、マズそう、怖そう、不満そう、悲しそう、つまらなそう、嬉しそうだと感じ取って}、{自分もやろうとしたり、自分はあれは避けようとしたり}します。 イヌネコだけでなく、ハト、カラス、サル、イノシシ、シカ、ウマ、ヒツジでも、他の個体や集団・群れの状況を見て、その後の(本人?の)行動が変わるのですから、他の個体や群れの観察の結果で(本人?の)情動・気分・感情が影響されることはほぼ間違いないでしょう。
自分にとっての利害・損得を考慮しているというよりも、見た⇒気分の情動に直接影響すると考えた方が、理解としては自然です。 テレビ、映画など、どう考えても、自分に影響など起きえない状況にあっても、怖い!、ステキ!、ヤナ奴!、むかつく!などとなるのは、「知的判断」の結果ではなく、「生理的反応」です。 飲食物や手触り・肌触りのように視覚からの直接反応です。
どうしてこのような反応が起きるようになっているのかは、神経生理、脳科学、遺伝子、進化の系統での変化など、今進められている研究が、何十年か後には、ある程度調べてくれるだろうと思います。

道徳とか倫理とか、宗教の教えとかは、各個体が生得的に持ち育てる感性に任せているだけでは、危険で、社会集団の協調を充分には維持出来ない、もっと人為的に協調体制を強化し、異分子の出現を抑制しようとする作意や知恵の一つの表れでしょう。 だから、地域や時代、社会集団によって、道徳律、倫理、教えなどには、いろいろ違いがでて、社会状況が変われば、それにつれて変わるのでしょう。 生物としての人間に内在するものではないです。
あるもの・ある行為・ある状況に対する情動反応、理解、共感の状況は、個体によってかなりの違いがあります。 そのため、発達障害というハンデを負う人が出てきます。 そのような障害が発生する理由の大きな部分は、脳に関わる生理機能、神経回路、内分泌・神経伝達物質が影響していると考えられています。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

<他の個体や群れの観察の結果で(本人?の)情動・気分・感情が影響されることはほぼ間違いないでしょう。>ですね。
共感と呼ばれるものにより、本人の情動・気分・感情に影響するのですね。
このために、自分の情動を促進したり,回避したすることが発生する。これがいわゆる道徳の下位行為になる、ということに、私にはなりました。
道徳が、ヒトの場合、その人物の評判を形成し、まわり回ってこうした向社会的行動をする人物の利益につながる(間接互恵性)、ということですね。

お礼日時:2022/02/10 12:23

こんにちは、



赤ちゃん
興味深いですね。

生きる為の能力
本能ですかね
低次とは能力の根底のことでしょうか、

道徳とは後付けできますし
もって生まれた能力でしょうか?

BCの人形の容姿が気になりました。
全く同じ外見なのか
Bがあんパンの容姿でCがバイ菌マンの容姿だったら
Bを選ぶと思うのですが

Bがバイ菌マンCがあんパンマンの容姿でもBを選んだら
道徳的(高次)能力だと
言えると思いますが
どうでしょうか?
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。
考えることの多い興味深い実験ですね。
おそらくBCの人形は帽子を変えるとかしているのでしようね。
そして役割も変えるのでしょうね。
赤ちゃんや動物を対象にした実験では、彼らが何に注目しているかがわかりずいですね。

お礼日時:2022/02/20 11:07

道徳の本質は「他者への配慮-共感」です。

子供の、他者に譲る姿を何度も見掛けています。早いうちから人は、他者との関わりを通して、我々のうちに潜在する「社会的共感能力=他者への配慮」が芽生え、開花するのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2022/02/16 18:07

ひと言で云えば、生存本能でしょう。

No.3のtanzouさんも云ってます。
道徳心からとは思えないので、低次の心的能力と云う事になるでしょうか。

小さい子供は、靴を左右逆に履く事がよくあります。それは、靴を左右逆に揃えた時のつま先が“外向き”だから。
多分、開放感を感じるのだろうと思います。

日本と西洋の庭園を比較した学者がいましたが、子供なら間違いなく、明るくて開放的な西洋の庭園に向かって走りだすはずです。

また、生存本能には、障害となるような物事を避ける、と云う行動も有るように思います。

敢えてtanzouさんとは違った表現で云ってみます。

私の回答。
「この場合の低次の心的能力とは“生への衝動力”ですね」
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
低次とか高次とかは分かり難いですが、
<この場合の低次の心的能力とは“生への衝動力>なのですね。
生への衝動力とは、生きるために密接に・直接働かねばないもの、と解釈できますね。

お礼日時:2022/02/09 12:08

モーガンの公準とは、「低次の心的な能力によって説明可能なことは、高次の心的な能力によって解釈してはならない」という比較心理学における原則のこと。

ロイド・モーガン(英語版)によって提唱された。これのこと。

精神の進化や発達のスケールにおいて、より低次の心的過程によって理解されるのであるならば、より高次の心的過程によって説明されるような動物の行動というものはありえない。

チャールズ・ダーウィンの進化論に刺激をうけて、ジョージ・ロマネスは心理面についても進化の観点から動物と人間を比較研究する比較心理学を立ち上げた。ロマネスは各地の動物民話をとりあげ人間と動物の心的能力の差異を検討した結果、そこに大きな差異がないとし人間と動物との連続性を主張した。しかしモーガンはその解釈を過剰な擬人主義であると批判し、モーガンの公準を打ち立てた。

この節約の原理によって、動物も心的体験を持つのではないか、動物は自身の行動の結果についての推論が可能である、という解釈に対し否定的な議論が長らく学会において支配的で、生理的な説明だけが科学的であるとされてきた。この風潮に対する批判としては、「そもそも低級であるとか高級であるとかについての客観的な基準がない」(Adams 1928)といった批判があった。

現在では賢馬ハンスのような過剰な心的能力の主張に対する批判として理解されている。よって赤ちゃんは道徳という高次の心的能力を持っているのでなく、より低次の心的能力が働いたと解釈できない。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<赤ちゃんは道徳という高次の心的能力を持っているのでなく、より低次の心的能力が働いたと解釈できない。>のですね。
そうすると、赤ちゃんは道徳という高次の心的能力を持っている、と解釈する(できる)のですか?

お礼日時:2022/02/09 12:03

有名な心理学実験ですね。



赤ちゃんは、生後六ヶ月ぐらい
でしたか。

そういう道徳観が、先天的なモノなのか
六ヶ月の間に、親などの仕草から
教育を受けたモノなのかについては
判らない、と言う奴ですね。



赤ちゃんは道徳という高次の心的能力を
持っているのでなく、より低次の心的能力
が働いたと解釈できないでしょうか?
 ↑
出来ると思います。
心理学者は、その辺りを詰めて
いないようです。
どうしてなんだろう?
実証が難しいのでしょう。



その低次の心的能力は何でしょうか?
  ↑
何でしょうね。
生存本能かしら。
それが実証出来れば、学者になれるかも。

ワタシは犬を飼っているのですが、
犬は凄いですよ。

小さい犬には優先して、水や御飯を
食べさせます。

ワタシが、小さい犬を叱ろうとすると、
止めに入ります。

落ち込んでいると、慰めに
来ます。

3歳の犬です。

まさか、犬に道徳があるとは思えません。

群れで行動する習性がなせる技、と
言われています。

つまり、本能なんでしょう。

社会的動物といわれる人間にも
そうした本能、つまり、
脳に予めプログラミングされている
のかもしれません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
難しい問題を臆面もなく提示しました。
<まさか、犬に道徳があるとは思えません。
群れで行動する習性がなせる技>なのですね。
赤ちゃんに、<まさか>道徳があるとは思えません、と言えるのでしょうか、否でしょうか?
人には<脳に予めプログラミングされている>のでしょうが、それは道徳レベルなのか、もっと低次のレベルなのか、研究の進捗が待たれますね。

お礼日時:2022/02/09 09:55

高次とか低次心理とか


わからないけれど
死んだらあの世に戻り
天国から来たばかりの存在だから
愛が完璧に近いんじゃないかな。
肉体をもって肉体の不便さと欲望と共に
生きていくと、優先されるのは欲求なのかもしれない。
欲求のコントロール、ルールを学んで大人になるイメージ。

赤ちゃんは受けとる愛、与える愛
両方もっているイメージ。
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この回答へのお礼

ご尤も

お礼日時:2022/02/09 09:47

> 道徳という高次の心的能力



道徳という語は、能力の一種に使うものではなくて、習慣や規律への親和性のある種のパターンについて使う語ではないでしょうか。

行動研究で、サルの協力行動はいろいろされています。
https://www.riken.jp/press/2013/20130128_1/index …

https://www.kyoto-u.ac.jp/static/ja/news_data/h/ …
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~
サルは公平な交換を拒絶する人物をより回避しました。これらから、フサオマキザルは、第三者間の、サル自身にとって無価値な物体のやり取りから得た情報に基づいて、当該人物に対する好みを形成し、他者の「値踏み」のような行動を示すことが明らかになり、ヒト同様の複雑な感情機能を持つことがわかりました。

https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/em …
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~
イヌが、自身の利益には直接関係しない場面で、他者をどのように評価するのかを調べた。イヌの前で3人の人物が演技をした。中央に座る飼い主は、イヌにとって価値のない物体を入れた透明の箱のフタを開けようとした。なかなか開けることができず、一方の端に座る人物(応答者)に箱を差し出して援助を求めた。援助条件では、応答者は箱を支えて援助し、その結果飼い主はフタを開けて物体を取り出すことができた。援助拒否条件では、応答者は顔をそむけて援助を拒否した。飼い主はフタを開けることができなかった。統制条件では、飼い主は援助を求めることはせず、しばらく手を止めた。その間応答者は理由もなく顔をそむけた。飼い主はこの場合にもフタを開けることはできなかった。いずれの場合にも反対側に座っている人物(中立者)は何もしなかった。演技終了後、応答者と中立者は手のひらにおやつを載せてイヌに差し出した。援助条件と統制条件ではイヌはでたらめに人物を選んだが、援助拒否条件では、高頻度に応答者を避けて中立者からおやつを取った。つまりイヌは、飼い主とのやり取りをする他者の値踏みをして、協力的でない場合にはその人物を避けることがわかった。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/janip/59/1/ …
上のPDFの後半部に次の記載があります。(もっと前から読むといいです)
  ~~~~~~~~~~~~~~~~~
フサオマキザルは明らかに他者の福祉に感受性を持ち,相手が誰か,相手が見えるかなどの状況に応じて,「優しい」反応から「意地悪な」反応までの多彩な行動の調節をおこなうことが明らかになった。このような分化した反応は,おそらくこのサルの複雑な高次感情の存在とその実際的機能を示すものであろう。
 特に,ここで見られた他者への「優しさ」は特筆に値する。こうした行動は,進化論的見地からは相互的利他行動として理解されてきたものであるが,そうであるならば,むしろ順位の高い個体に対してそれをおこなった方が,分配者の利益につながるように思われる。

> この人形劇で、赤ちゃんは道徳がわかっているのだ、という解釈が出ました。

解釈は人それぞれでしょうが、「道徳」というのが、社会と無関係に最初からあるものだとするのは、いかがなものだろうと思います。

また、「道徳が分かる/よく分からない」の場合と、「能力が分かる/よく分からない」とは、「分かる/よく分からない」の意味が違うように私は思います。

> 高次の心的能力を持っているのでなく、より低次の心的能力が働いた

心的能力の高次、低次をどのような視点で考えておられるのかも、わかりにくいです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
引用していただいた論文などを興味深く読みました。
<道徳という語は、能力の一種に使う>はご尤もです。
<心的能力の高次、低次をどのような視点>は私にわかりません。
イヌの論文をによると、
<イヌは、直接自身の利益には関わらない場面で、第三者の感情的な評価をし、嫌な人物を避ける、という行動を示した>まとめられていました。ただし、それを誘引したものが何かが知りたいのです。道徳を身に付けていたのか。(たとえば、雨が何ミリ降っていただけではなく、前線が通過したため、とか)

お礼日時:2022/02/09 09:46

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