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江戸時代には和算が使われていたと思うんですが、化学とかで使う複雑な計算などはどうやってしていたんですか?その時はもう西洋数学を使っていましたか?

A 回答 (4件)

勘違いしている人が多いですね。



江戸時代の和算は、対数、指数は勿論
カテナリー曲線(懸垂線)などを
やっていました。

ちゃんとした城の石垣などは
カテナリー曲線を使っています。

この曲線が、上からの圧力に
理論上最も強いのです。

富士山の稜線なども、この線です。
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江戸時代は化学の計算はなかったので需要もなかった。



それに和算は現代でいう「数学」で主に活躍したのであって、「算数」なら寺子屋で習うそろばんで十分だった。

算額を見れば分かるが、和算がとくに活躍したのは幾何学においてだった。
円周率も高精度で求められたらしい。
西洋数学に何ら引けを取らなかったが、最終的に敗れ去ったのは
・秘密主義の門閥主義
・道具の高度な運用を必要とする
だったと思われる。
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計算尺が入ってきたのが明治時代なので、三角関数や立法根、対数などもこれで知ったのだと思います。


大工などは、差金に角目、丸目が彫ってあるので平方根や円周率が現寸として扱えました、さらには、神社やお寺の放物線(y=ax2乗)も糸を垂らして求めてました。
複雑な計算式が誕生したのは、西洋も日本も戦争で弾道計算や空力・水力を計算したり化学兵器を作ったりしたので一騎に進化したのです(ノーベル=ダイナマイト、アインシュタイン=原爆など)。
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たぶん当時のヨーロッパでは、今のような化学の複雑な計算自体がなかったように思います。

「元素」と言う言葉自体、18世紀後半になって使われたものだと思います。
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この回答へのお礼

そもそもなかったんですね、、!
わかりやすかったです!ありがとうございます‪♬︎♡

お礼日時:2022/02/15 00:20

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