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朝鮮通信使はあったようですが、
逆に日本通信使って朝鮮に訪問は
なんで無かったのですかね?

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A 回答 (3件)

朝鮮通信使は「江戸幕府のつい良い要望」でじつげんしました。

家康は「室町時代」の日朝交流を目指したようです。通信使は「将軍の交代」ごとに幕府に送られ逆に答礼使は対馬藩が代行したようです。朝鮮には大きな倭館がありそこでも日朝が交流していたようです。ただ日朝どちらが優位なのかと言う問題はある程度ファジーにされており、新井白石などがそうした問題を指摘して、外交がこじれたことがあります。日本は「朝鮮の儒教」の教えを取り入れようとして、多くの学者が通信使とともに来日した朝鮮の学者と交流しましたが、朝鮮は交流よりは「良い待遇を受ける使者」と言う意識であったようです。つまり、日本から学ぶという意識は最初からなかったようで、時代が進むに従って、日本側もそうした朝鮮使節の形式的交流のために支払う費用に(日本に来てからの費用は幕府が全て支払った)幕府は頭を悩ませていたようです。
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>朝鮮通信使はあったようですが、


豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶した外交関係を修復する為に、徳川家康が
招待したのが朝鮮通信使です。
朝鮮には攻め入りません、城や船などは、壊しましたので、どうぞ
確認して下さいとして、招待したのです。
御招待ですから、経費は日本側で全部、負担しました。
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世の中は、部下が上司を表敬訪問するものと決まっている。

また朝鮮通信使は、朝鮮にとって秀吉の朝鮮出兵の時代に日本に帰化した朝鮮人を取り戻す意味もあった。しかし日本に帰化した朝鮮人が、朝鮮通信使に見つからないように逃げ回る様を見て諦めることになったが。また朝鮮通信使には、日本が朝鮮出兵を再度企む気配がないかを探る意味もあった。また朝鮮通信使には朝鮮の高級官僚にとって歓待を受ける特権でもあった。また朝鮮通信使には日本の進んだ文化を取り入れる意味もあった。このどれも日本側から朝鮮を訪問する理由としては成立しないものであった。また朝鮮が日本人の訪問を望まなかった事情もある。対馬藩の商人が釜山への出入りを許されただけであった。それには秀吉の朝鮮出兵を思い出したくないという事情もあっただろうし日本人から病気・悪習を移されたくないという事情もあっただろう。
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