義経に出てくる、「うつぼ」は実在した人物なのでしょうか?それとも、ドラマの中だけに出てくる登場人物なのでしょうか?
当時、あのように身分?が違うもの同士が恋仲になるなんてことありえたのかな~と思って・・・。

A 回答 (1件)

こんにちは。



うつぼは村上元三氏原作の『源義経』に登場する架空の人物です。30年前の大河ドラマ『源義経』は村上氏の小説が原作となっていて、それにもうつぼが登場していた様です。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4313751 …

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4313751 …
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。自分で質問を書き込んだ後、他のキーワードで検索したら、同じような質問を他の方がすでにされていました。roy_fockerさんありがとうございました。

お礼日時:2005/03/21 09:11

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Q現在でも源(みなもと)さんは居ますか?

天皇から賜わった姓としては「藤原」さんや、「橘」さんが現在でもわりと多いので有名だと思いますが、「源(みなもと)」さんや「平(たいら)」さんは現存しない姓なのでしょうか?
前者はよく聞く名前なのに、後者はほとんど、というか聞いたことないので不思議に思いました。

また、関連した質問として、上記の「藤原さん」たちは鎌足から脈々と続く藤原さんなのでしょうか?それともほとんど関係ないですか?
やはり藤原さんの中でも、教科書にでてくるような藤原氏の血筋の子孫は1%未満ですか?

Aベストアンサー

私の知人にも源さんがいます。その方の家の近くに源三位頼政に関する伝承地があり、
聞いてみたのですが、「先祖代々ここに住んでいる百姓だが、源頼政の子孫とかの言い
伝えもない」ということでした。

もともと、源平藤橘などの氏(姓)は、明治になって法的には廃止となっています。その
廃止になった時に、公家や武家などのそれなり以上の地位にあった家にはそれぞれ家名
(名字・苗字)がありました。明治以後はその名字が正式な名前となります。例えば
明治維新の時点での総本家は
源氏  徳川家(清和源氏)→久我家(村上源氏嫡流)
平氏  西洞院家(堂上平氏)
藤原氏 近衛家(摂関家筆頭・藤原氏嫡流)
橘氏  ※平安時代に没落
源氏と藤原氏は、細胞分裂のように数え切れないくらいの家に枝分かれしていること
はご承知のことと思います。源氏の足利・新田・武田・今川、平氏の北条・織田、
藤原氏の九条・西園寺などは有名ですね。明治維新の岩倉具視は村上源氏、三条実美
は西園寺の本家筋にあたります。

ですから、古代より脈々と続くこうした「お家柄」のご子孫たちは、上記の近衛・久我とか
九条・西園寺・岩倉・三条とかの家名を現在も名乗っておられますので、現在
藤原・源・平などを名字としている方々は、明治になってから名字としてそれらを
名乗るように決めた家ということですので、少なくとも「お家柄」の子孫ではない
と見るのが無難でしょう。
(だからといって、絶対に藤原・源・平氏の子孫ではない、とは断言できませんが)

なお、藤原道長とか藤原定家、源頼朝や平清盛などは、上記の家名がまだ無いか、
あっても定着していない時代の人物ですので、そのまま藤原・源・平を名乗っています。
藤原定家の子孫は、のちに冷泉家を名乗ります。

あと、橘さんはちょっと微妙ですね。橘氏は家名が成立する時代より前に没落して
しまっているので、家名を持たないまま橘氏のままで明治を迎え、そのまま名字を
橘にした、という地方の旧家があっても別に不思議ではありません。

私の知人にも源さんがいます。その方の家の近くに源三位頼政に関する伝承地があり、
聞いてみたのですが、「先祖代々ここに住んでいる百姓だが、源頼政の子孫とかの言い
伝えもない」ということでした。

もともと、源平藤橘などの氏(姓)は、明治になって法的には廃止となっています。その
廃止になった時に、公家や武家などのそれなり以上の地位にあった家にはそれぞれ家名
(名字・苗字)がありました。明治以後はその名字が正式な名前となります。例えば
明治維新の時点での総本家は
源氏  徳川家(清和...続きを読む

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
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Q足利尊氏と源頼朝の人気がないのは何故ですか?

 私は、歴史上の人物の中でも、特に足利尊氏と源頼朝が好きなのですが、それぞれ室町幕府、鎌倉幕府を開いた人物であるにもかかわらず、世間一般からの人気が全くないような気がするのはなぜでしょうか?
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 あと、私以外にも尊氏か頼朝が好きな人は結構いるのでしょうか?

Aベストアンサー

No.2の回答者です。

>戦前に足利尊氏が好きといったら、大逆罪とは言えなくとも非国民扱いされたのでしょうか?

「土を喰う日々」(水上 勉 著)[新潮社版]
と言う本に、著者の水上 勉さん本人が書かれてます。
水上さんは、戦時中、足利尊氏の菩提寺で、住職さんの世話役のような仕事をされていたそうなのです。

以下は、本からの抜粋です。

>等持院は、当時大変な貧乏寺だった。
>足利尊氏の菩提寺だし、室町時代の宝物も有ったが、戦争中のこととて、国賊の菩提寺などへ観光に来る人は一人もいなかった
(中略)
>国家も、尊氏の事を逆臣と言っていた。

蛇足ながら、戦前の教育を受けている私の母親も、NHKの大河ドラマ「太平記」を見る時は、
「足利尊氏は、悪い奴だと教えられたけど、どうして悪い奴が主役なんだろ???」
と、言ってましたっけ・・・。
(^^;
いや、「教育」ってモノは、ある面、恐ろしいですネ。

Q清盛はなぜ頼朝、義経を殺さなかったのか?

こんにちは。

結局この二人に一族を絶滅させられた清盛です。
義経に引導を渡されその後は頼朝の追討により根絶やしです。

その前の戦(保元の乱?)の戦後処理でなぜこの二人を殺さなかったのか?
なぜ生かしておいたのか? 
その時期に清盛にはそう言う力が無かったのか?
でもその後でいくらでも出来たはず赤子の手を捻るがごとく。
頼朝のやり方と比較するとあまりにも寛容すぎてバカみたいです。

最高権力を握るほどの人なんだから女(常盤御前)の理由とも想えません。
それとも当時はそのぐらいが普通で頼朝がやり過ぎなのか?

では宜しくお願い致します

Aベストアンサー

 他の方の回答にもありますが,平安時代の日本では長らく死刑が行われておらず,保元の乱で平忠正(清盛の叔父)や源為義(頼朝や義経の祖父)が処刑されたこと自体が,当時の法慣習としてはかなり異例の措置であり,貴族層からも相当の反発があったようです。もっとも,死刑が行われなかったというのは朝廷がやらなかったというだけで,武士団などによる処刑は平然と行われていましたが。
 清盛が,仮に頼朝や義経を始末するとすれば,両人の父・義朝は保元の乱当時清盛の味方だったので,それに続く平治の乱のときということになるでしょうが,幼年期に父親が処刑され,後に子供が成人して力を付けて親の仇を討つというのは,日本の歴史上は源頼朝や義経がまさにリーディングケースであり,清盛としてはそのような事態は想像もできなかったでしょうし,また謀反人の息子とはいえ幼い子供まで殺すというのは,武士の死刑自体にも世論の反発が強かった当時ではさすがに難しかったでしょう。
 もっとも,源平合戦の時代以降,日本では全国各地で武士同士の抗争が続き,成長した子供が親の仇を討つなどというのは珍しいことでもなくなりましたが,それでも子供まで平気で殺すという措置を取るには,あまりにも残虐だという非難を覚悟しなければなりませんでした。
 織田信長のように,残虐だと言われても一切気にしないような人物は,歴史上の人物の中でもかなり稀ですが,その残虐さで知られる織田信長でさえ,敵や謀反人の子供でもさしたる脅威にならないと判断した場合は殺していません。信長の弟・信勝は,二度も謀反を繰り返し最後には謀殺されましたが,その子・信澄は信長に育てられて成人し,明智光秀の娘を娶っています。
 戦国時代の価値観に慣れてしまうと,平清盛の措置は寛容すぎるとも感じられるかもしれませんが,平清盛については,逆に死刑を復活させてライバルの源氏を叩きすぎたため,後に源氏側の怒りを買って平氏の完全滅亡を招いたという見方も存在します。本来は,敵の一族は子供まで皆殺しというやり方自体が異常なのですよ。

 他の方の回答にもありますが,平安時代の日本では長らく死刑が行われておらず,保元の乱で平忠正(清盛の叔父)や源為義(頼朝や義経の祖父)が処刑されたこと自体が,当時の法慣習としてはかなり異例の措置であり,貴族層からも相当の反発があったようです。もっとも,死刑が行われなかったというのは朝廷がやらなかったというだけで,武士団などによる処刑は平然と行われていましたが。
 清盛が,仮に頼朝や義経を始末するとすれば,両人の父・義朝は保元の乱当時清盛の味方だったので,それに続く平治の乱の...続きを読む

Q源 義経に子孫は居たか?

子供の頃のとある日祖母が「あなたは源氏の末裔で義経の子孫なの」と言い家計図のような物を見せてきたが、そもそも義経に子息は居たのか?(色々と説はあるが・・・) 個人的には源姓が欲しくて先祖の誰かが大金でも積んで加わらせて貰ったのだろうと考えているが・・・
日本人は源氏か平氏しか居ないなんて言う人も居るがどうなのでしょう?

Aベストアンサー

…別に難癖をつけるつもりはありませんが、可能性を100%否定することもないと思います。ご存知かもしれませんが、その昔は性に対する倫理も現代ほど厳しいものではなく、祭りの日でもあれば(言い方は非常に悪いものですが)フリーセックスの行為もあったといいます。あるいは閉鎖性の強い地域であるならば宿を借りた旅人に村の娘を差し出すことも珍しくありませんでした(そうやって“血”が濃くなりすぎることを未然に防いだ)。家康の先祖だってそのような事柄がきっかけで三河に定着するようになったという説があります。

また“逆賊”視された平将門の子孫だって、義経の叔父である源行家の子孫だって、一見“皆殺し・根絶やし”にされて存在しないようにも思えますが、実は生き残って後世に名を残しました(豪族が便宜上“私は○○○○の子孫、末裔である”勝手に名乗っている例も多々含まれますが…苦笑)。

名もない旅商人に対してですら“娘を差し出される”ようなことがあったのですから正統な清和源氏の後継者の一人である義経に地方豪族などがその娘を喜んで差し出したり、あるいは遊女などの妻妾の一人がこっそりと子供を残したとしても、それは(正式な)「歴史書」に残されていないだけで、可能性としては全くないとはいえないのではないでしょうか。

…別に難癖をつけるつもりはありませんが、可能性を100%否定することもないと思います。ご存知かもしれませんが、その昔は性に対する倫理も現代ほど厳しいものではなく、祭りの日でもあれば(言い方は非常に悪いものですが)フリーセックスの行為もあったといいます。あるいは閉鎖性の強い地域であるならば宿を借りた旅人に村の娘を差し出すことも珍しくありませんでした(そうやって“血”が濃くなりすぎることを未然に防いだ)。家康の先祖だってそのような事柄がきっかけで三河に定着するようになったという説...続きを読む

Q頼朝が義経を嫌ったのはどうしてですか?

義経は平家追討の功労者だったのに、平家滅亡後まもなく仲たがいをしてしまいました。
実の兄弟なので多少の行き違いがあっても話せばなんとかなるとおもうのですが、両者の関係が決定的に悪くなった原因はなんでしょうか?
人間性によるところが大きいのでしょうか、それとも政治的なものでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

判官贔屓のせいか、江戸時代以降現代に至るまで義経に人気があり、頼朝はあまり好かれていないようです。このため、ほとんど歴史ドラマのごとき論がでてくるわけですが。

根本的にめざしているものが違う以上、「実の兄弟なので多少の行き違いがあっても話せばなんとかなる」という事にならないと思います。平安時代史を調べると(たとえば岩波新書「平安王朝」)兄弟で政治的に敵であった例はもう山ほどあるわけで。とりわけ新興武士階級の場合、それまでの朝廷の官位の権威ではなくずばり武力をもって支配を行う以上、対立はすぐさま暴力的になります。

また、#2さんなども書いておられますが、その背景とする勢力が頼朝と義経では違います。頼朝のうしろだては関東の武士団で、その中には実は清盛流以外の桓武平氏も多々ありました(とりわけ北条氏)。またこの時点で頼朝が源氏の棟梁であった、というのは正しくありません。清和源氏の嫡流ではあっても清和源氏そのものが諸源氏のなかでは地位が低く、むしろ清盛一党と対立して敗れた義朝の嫡男としての位置がここでは重要でしょう。そういうものとして関東の平氏や源氏をふくむ武士団の共立する将に選ばれたのだと思います。

一方義経はその最大の庇護者は奥州藤原氏で、これは関東とはまたちがった政治勢力でした。

さらに打倒された勢力の「平家」とされているのは6流ある桓武平氏のうち平高望の流れのなかのいわゆる伊勢平氏のうちの清盛に近い一党なのであって、たとえば北条氏と清盛では6代前が同じ、というこの当時としてはほとんど別の一族です。
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/011/01100.htm
こういうことを考えてみても、小さい頃から一緒に育ったわけでもない、違う勢力の代表である兄弟はもともと潜在敵であったわけです。
つまり、奥州勢力と関東勢力の連合がが西国中心の平氏清盛流と争った、というのが事の真相であり、その際、関東の求めたものはいってみれば関東の独立(というと言い過ぎでしょうが)でしょう。この場合、あくまで敵を倒すための連合ですから、その後は一方が完全に屈服しない限り対立は続きます。北の勢力は関東にとっては放置するには大きすぎる勢力ですから。

というわけで、もともと対立する可能性の方がずっと大きかったので、その通りになっただけでしょう。

判官贔屓のせいか、江戸時代以降現代に至るまで義経に人気があり、頼朝はあまり好かれていないようです。このため、ほとんど歴史ドラマのごとき論がでてくるわけですが。

根本的にめざしているものが違う以上、「実の兄弟なので多少の行き違いがあっても話せばなんとかなる」という事にならないと思います。平安時代史を調べると(たとえば岩波新書「平安王朝」)兄弟で政治的に敵であった例はもう山ほどあるわけで。とりわけ新興武士階級の場合、それまでの朝廷の官位の権威ではなくずばり武力をもって支配を...続きを読む

Q義経VS頼朝で、なぜ義経に加勢する武将が少なかったのでしょうか

義経は1185年3月に壇ノ浦の戦いで勝利し、平家滅亡の立役者
となったが、兄弟共通の敵がいなくなったために兄弟の対立が

表面化、義経は頼朝に恭順するかそれとも敵対するかの選択を
迫られました。

義経は頼朝とならぶ清和源氏の主流であり、後白河法皇の支持
を受けていたし、実際に法皇から頼朝追悼の院旨も受けていた。

一方、頼朝は平家を滅亡させて源氏の世の中になったとは言え、
まだまだ日本の中心は京であり、東国の田舎でようやく地盤を
固めたに過ぎず、東北には藤原氏が依然として勢力を保持して
いた。徳川家康のような、その力を誰もが認めるような存在で
はまだなかったと思います。また家康のような力を持ってい
ても、関ヶ原では西軍側にも拮抗した軍勢が集まっています。

このような状況で、義経が反旗をひるがえした後、義経に味方
する軍勢はほとんど集まらず、最後は後白河からも見放され、
あっという間に転落してしまいました。

私としては、なぜ義経がかくも短期間でヒーローからあまりにも
みじめな最後をとげることにnってしまったのかがどうしても分か
りませんし、そこの ところをうまく説明した、解説本も知りません。

1. 義経に人徳がなかったのでしょうか(人徳でいえばむしろ頼朝の
方が冷徹であったといわれています)
2. 周囲の大半の勢力は冷静に頼朝と義経の力量を計算して頼朝を
選んだのでしょうか(しかし戦でいえば義経の評判が高かった
わけだし、強い方に加勢する心理が働いてもおかしくなかったのでは)
3. 源平の合戦が続いて、世間に厭戦気分が強く、また日本を二分する
ような戦を誰も望まなかったので、既に地盤を固めている頼朝を支持
したのでしょうか

それとも、他に何か理由があるのでしょうか?

よろしくお願いいたします

義経は1185年3月に壇ノ浦の戦いで勝利し、平家滅亡の立役者
となったが、兄弟共通の敵がいなくなったために兄弟の対立が

表面化、義経は頼朝に恭順するかそれとも敵対するかの選択を
迫られました。

義経は頼朝とならぶ清和源氏の主流であり、後白河法皇の支持
を受けていたし、実際に法皇から頼朝追悼の院旨も受けていた。

一方、頼朝は平家を滅亡させて源氏の世の中になったとは言え、
まだまだ日本の中心は京であり、東国の田舎でようやく地盤を
固めたに過ぎず、東北には藤原氏が依然として...続きを読む

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当時の武士というのは、読んで字の如くの戦闘員・戦いのプロというより、普段は自分の土地を家来や領民に耕させ、米など農作物で生活する人々。当然武士の関心事は田畑にあるわけです。

当たり前ですが武士も人間なので子が生まれやがて死にます。

となると気になるのは土地を誰が相続するのか?長男?それとも親に可愛がられた次男?子供たちは若すぎるから叔父さん?とその土地を誰が継ぐの?系の問題が鎌倉幕府開設前からありました。鎌倉開府前には藤原氏や院、時にはお寺。誰々の土地だからその土地の持ち主が決める。けど時代の流れでもって藤原氏が強かったり院が強かったりで誰に相続されるかが安定せず、またその主に気に入られた三男が継ぐことになったり、と安定しないわけです。

こんな不安定な制度は誰でも嫌なもの。公平な相続お裁きをしてくれる機関が欲しく、そのボスには高貴な血筋の人間を据えて説得力を増したい。そんなわけで清和源氏ブランドのボス・源頼朝に白羽の矢が立ち、鎌倉開府となったわけです。



さてこの裁定機関が二つあったらどうでしょう?二つとはもちろんご質問の頼朝と義経です。例えばあの土地について頼朝は長男が継げと言い、義経は次男が継げと言い…武士達にとっては裁定機関は一つでよく、彼ら目線で支離滅裂になっては困るのです。源氏の長者は一人でよく、二人も要らんのです。

また頼朝は源義仲や平氏追討は義経らに丸投げし、自分は関東に残っています。頼朝は別に関東で酒池肉林のドンチャン騒ぎで遊んでいたわけではなく、裁定機関の準備を進めるわけです。源義仲や平氏が滅んだ頃には準備がかなり進んでいたでしょう。周りの武士たちにしてみれば、これで俺達の裁定機関ができるぞって時期に、頼朝の指示を聞かない義経くん。彼は頼朝=裁定機関=武士達の指示を聞かないわけです。

武士たちにとって邪魔ですよね?義経くん。

頼朝と義経各個人の人徳や力量比較は(どちらかというと)武士達にはどうでもよく、例え頼朝の弟と言えど裁定機関の指示に従ってもらわなければ困るんです。折角、平和な世の中に向かっているというのに、いわばKYな義経くん…困りますよね?

戦場での奇想天外な発想…というより、誰が見ても無理そうな課題を発想力で解決する能力は、頼朝よりも…というより日本史上最高の武将でしょう義経は。中でも騎馬による奇襲など戦闘指揮官としては義経の才能は、世界に誇ってもいいくらい。

ですがそんなものは武士たちの土地相続問題には要らない才能。武士達の希望は公平なお裁き、公平な論功行賞。それらに戦闘指揮官の才能は不要です。もっと言えば冷徹にどちらが正しいか判断してくれる人や機関の方が必要なのです。

ご質問には記載はありませんが、範頼も義経に似たような雰囲気を醸しています。紆余曲折の末、源実朝を最後に清和源氏の嫡流は滅んでいます。にもかかわらず、裁定機関の鎌倉幕府はその後も続いています。武士たちにとって源氏が大事だったのではなく、裁定機関が公平に活動してくれればそれで良かったのです。



と長文で申し訳ありませんが、回答としては次のようになります。

4. KYな義経くんは鎌倉幕府=武士達の指示に従わなかったから、もしくは要らない子だったから。

当時の武士というのは、読んで字の如くの戦闘員・戦いのプロというより、普段は自分の土地を家来や領民に耕させ、米など農作物で生活する人々。当然武士の関心事は田畑にあるわけです。

当たり前ですが武士も人間なので子が生まれやがて死にます。

となると気になるのは土地を誰が相続するのか?長男?それとも親に可愛がられた次男?子供たちは若すぎるから叔父さん?とその土地を誰が継ぐの?系の問題が鎌倉幕府開設前からありました。鎌倉開府前には藤原氏や院、時にはお寺。誰々の土地だからその土地の持ち...続きを読む


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