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信仰――すなわち神とわれとのカカハリ――は われなる受け容れる器(ミクロコスモス)とその対象(または非対象:マクロコスモス)との一体性として示される。

このかたちは 類型として梵我一如である。または 霊霊一如であって ほかにない。――この仮説を批判してください。

この類型は 次のように名前の呼び方が違っているに過ぎない。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来)
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊(真理・道・生命)
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》:霊霊一如
   霊:かみ(超自然およびその依り代としての自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

  I. タオイズム:道人一如
   道:かみ(法?)
   人:われ

A 回答 (2件)

神を感じ、身と気が引き締まる。

繋がってるからでしょう。子供の頃、神社参拝はいつもこんな感じでした。自分とは違う「異次元の他者」に見られてる、そんな感じでした。箱根芦ノ湖の箱根神社の階段上がった入り口付近で遊んでいると、夕日を背景に「じっ」と見られてる感じが、印象的です。その近所に修験道の山の入り口があり、30歳の頃、歩いていると空から、見えない落雷を落とされました。身体が一瞬麻痺しました。まさしく身を引き締められました。笑。事例挙げればきりがないので、この辺で。
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この回答へのお礼

★ 神を感じ、身と気が引き締まる。繋がってるからでしょう。
☆ 派生します。たしかに。


★ 子供の頃、神社参拝はいつもこんな感じでした。自分とは違う「異次元の他者」に見られてる、そんな感じでした。
☆ 母の実家のいくらか(市街からさほど離れていない)田舎に行ったとき そこで神社にも行きました。ちょっとした墓地(さんまいと呼んでいました)も近くにあるのですが わたしは――小学生でしたが―― 神社の後ろにある杜が こわかったです。

こうごうしいといった感じも交じっていましたが。

手洗い場を横に入っていく参道やその空間は ここちよいものでした。


いまも自転車で散歩しているとき 町や村の神社があると立ち寄って休んでいます。




★ 箱根芦ノ湖の箱根神社の階段上がった入り口付近で遊んでいると、夕日を背景に「じっ」と見られてる感じが、印象的です。その近所に修験道の山の入り口があり、30歳の頃、歩いていると空から、見えない落雷を落とされました。身体が一瞬麻痺しました。まさしく身を引き締められました。笑。事例挙げればきりがないので、この辺で。
☆ いろんな土地や場所をおとづれているのですね。

お礼日時:2022/02/25 05:39

先生。

お早うございます。第一パラグラフ。その通りだと思います。religionの素晴らしい定義ですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


☆☆ 信仰――すなわち神とわれとのカカハリ――は われなる受け容れる器(ミクロコスモス)とその対象(または非対象:マクロコスモス)との一体性として示される。

☆ ここから ひとつに 神は 普遍神であるとみちびけます。

マクロコスモスたる信仰の対象は――絶対性ゆえ認知を超えているからには 認識しうる対象であるかどうかが人間には決められない したがって――《非対象》です。認識にとって《非知》です。

すなわちこの・神は非知ないし非対象だという定義が一義的に決まります。

取りも直さず 神は 普遍神であると帰結されます。



ひとつに 神とわれとのカカハリなる信仰が 普遍神として確認されたマクロコスモスと おのおのわれたるミクロコスモスとの一体性であるとするならば  そのカカハリのかたちは 唯だ一つの類型におさまるはずである。

ミクロコスモスを具体的に呼んだ名の一つであるアートマンは 《息》のことであり 《息をする・生きるおのれ》としての《われ》ですから これもすべてのミクロコスモスに共通である。と捉えられます。



こうして 普遍神とアートマンたるわれとのカカハリは・つまり信仰は 同じひとつの類型におさまります。呼び名が違うだけだとなります。







★ religion
☆ この語源は E.バンヴニストによると 《 ligare (つなぐ)》からではなく 《 legere (集める・読む)》からだと言われています。

《意識を集める・気を引き締める⇒ 襟を正す・おごそかになる》から来ているとか。

《神からいちど離れたたましいが ふたたびつながれる》という語源説は クリスチアニズムの影響を受けたあと――分かりやすいこともあって―― 普及したらしい。

▲  Émile Benveniste: Le vocabulaire des institutions indo-européennes, (2 vols., Paris, 1969)
『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集』 前田耕作監修・蔵持不三也ほか訳、言叢社(全2巻), 1986-1987年

お礼日時:2022/02/25 04:44

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