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哲学をやってると人に分かって貰えずに 難しいだけで役に立たないと言う目で見られます

じゃあ何か役に立ったかと言えば 自分が分かったでけで ここでも分かってもらえません

「存在主義です」と言っても「は?」 「存在することに意義がある」と言ったら「ええ?」

話になりません。

哲学やってなにか良い事がありましたか??

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A 回答 (13件中1~10件)

言い方が逆ですよ。

哲学いいな ! →哲学やる、です。哲学やる→哲学いいな、ではないです。HARUさん。認識遠近法が逆転してます。よ。
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多分私と同じで我流であるけど深く掘り下げて考える点は似ているのだと思う

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哲学する過程で思考力、批判力が鍛えられ、嘘や捏造に騙されにくくなった。

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哲学が役にたたないのではなく



他人に伝える能力が足りないから

「は?」とか「え?」とかになるんじゃないのでしょうか?

哲学が自分勝手な学問であるなら
とっくの昔に淘汰されてますよ

コミュニケーション能力と、哲学は別問題ではないでしょうか?

哲学やってて楽しいのは
人って、色んな角度から世の中や人の在り方を模索するんだなぁ~

とはとは感動させられてしまいますよ
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親が生きているとき、


お金になるかならぬかわからないことに
何でそんなに夢中に
なれるのと
よく言われました。

UFO/ピラミッド・超古代文明

こういうことに夢中になる
子を親は理解に苦しんでいた
みたいです。

哲学というのは
そういうわけのわからない
世界へのあこがれを説くものかもしれません。

心理学の世界に似ていませんか。
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いまの50代の人間にとって哲学者と言えばムーミンにでてきたじゃこうねずみです。

なにかにつけ「ムダじゃよ、ムダじゃよ」と、この世の全ては無駄だという偏屈さをみて哲学者はみんなああいう変人だという認識を植え付けられています。
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本来、哲学とは、ある特別な領域を形成している学問の一分野ではなく


人間が善く生きるためには誰しももたねばならぬものなのです
幅広く論ずれば、すべての土台に哲学が無くてはならないのです
ソクラテスは、このことを、文字通り死をもって後世に示しました

イギリスの哲学者ホワイトヘッドは
「ヨーロッパの哲学の伝統はプラトンに対する一連の脚注から
成り立っている」と言う。
そのプラトンは思想を書きとどめ、行動に移し、更に思索し
行動に移し、結果を残し、激浪の生涯を閉じました

そのことから、象牙の塔に閉じこもり、我得たり、と思い行動しない
哲学者気取りは、真実、知恵を愛していない輩と思われます
知(ソフィ)を愛(フィロ)の大きさ、ソクラテスやプラテンの
様には必ず勇気ある行動に写るはずです。

存在論が分かったならば、それで満足しているのであれば
分からないのと同じです

寝っ転がって思索するだけの輩の言葉等空しい
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no5の人の例を見ても分かるとおり、


当人の自己満足に最大の効果がありますね。
そういう見方もあります。
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私は絶対善を見つけましたので、その絶対善で日本を、ひいては世界を幸せにする法則が分かりました。


哲学ってあらゆる分野より価値あるものなのですよ^^
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ハルさん。


こんにちは。

私は、割りとこのカテが好きで、結構見ています。

8割は、意味を感じられず、2割は、「その点」に
ついて、自分なりに考えてみます。

ちょっと調べると、「哲学とは、知の学問」とか
「おしゃれ」に書いてあって、魅力的です。

しかし、ここでは「論の主張」、「論の戦い」のような
ことが、殆どです。

私は、哲学を勉強したことが無いので、他の方と
違うのかもしれませんが、「何か違う」としょっちゅう
思います。

哲学の目的は、「考えること」、「新しい視点をもつこと」、
であるとすれば、そのことは、「主張すること」や
「論を戦わせること」とは、違うのではないか、と思います。

自分の人生において、「考えること」、「別の視点で見直すこと」
は、非常に重要だし、意味があると思いますが、それは、
「他人様を説得」したり、「他人に解ってもらう事」とは、
関係がないのではないか、と思います。

「神がどうした」、「真理がどうした」と言ったところで、
それらは「論議する価値」があるのだろうか?

「自分で、そのように考えた」のであれば、それで十分で、
他人を説得したり、解ってもらう必要はないだろうと、
思います。

「存在主義」に於いても、それがハルさんの「知見」であれば、
それで十分だし、それを他人に解ってもらう必要は無い、
だろうと思います。

哲学とは「考えること」であるならば、そこには、
「価値を共有する。」とか「相手を説得する」といった
行為は、含まれていないのではないか?と思います。

良く、「○○を問う」方式の問いがありますが、
他人の「視点」を教えてもらうのは良いとして、
「説得を試みたり、論破を試みたり」するのは、
「それが哲学?」と違和感をもちます。

「存在主義」は、ハルさんにとって、充分に価値が
あるのだから、他人の「理解」なんかは、必要ないのでは
ないか、と思います。
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