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旗本や幕府より土地を拝領した土地は、国への返還を余儀なくされましたが、寺社はその後どうなったのでしょうか?

A 回答 (3件)

> 寺社はその後どうなったのでしょうか?



潰れたり、解散した寺社は少ないようです。
廃仏毀釈・神仏分離という一連の政策や社会風潮で、僧侶が復職(僧侶を辞めてしまう)したり、寺や仏像・仏具が破壊されて廃れた寺は結構あったようです。

> 旗本や幕府より拝領した土地は、国への返還を余儀なくされましたが

国は返還を求めたというよりも、取り上げたのだと思います。
寺社が持っていた朱印状(所有権の根拠書状)を国(の機関)に提出するように求め、ついに明治4年1月「社寺上知令」(太政官布告第四)【社寺領現在ノ境内ヲ除クノ外上知被仰出土地ハ府県藩ニ管轄セシムルノ件】「諸国社寺由緒ノ有無ニ不拘朱印地除地等従前之通被下置候所各藩版籍奉還之末社寺ノミ土地人民私有ノ姿ニ相成不相当ノ事ニ付今般社寺領現在ノ境内ヲ除ク外一般上知被仰付追テ相当禄制相定更に蔵米ヲ以テ可下賜事」、明治7年11月「社寺領上地跡処分規則」(内務省達乙第七十二号)、明治8年6月「社寺境内外区画取調規則」(地租改正事務局達乙第四号)と命令や規則を出して、取り上げたのです。版籍奉還、扶持米・知行米を止めて秩禄処分したのと同じです。

土地にもいろいろあって、寺の建物のあるいわゆる境内、墓のある墓地、寺領の田畑で小作に耕作させたり、農家に貸している土地、家作などの土地として貸している土地、竹林や山林などの土地、面積で圧倒的に広いのは竹林や山林です。 ただし、江戸の寺地にあるような場所だと竹林山林はなくて、広いのは墓地です。 この墓地についても、国は取り上げたようです。

国は、街中の土地で取り上げたところは、公園や学校などにしたものも結構あるようです。 公営?の墓地にしたところもあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E4%B8%AD …

> その後どうなったのでしょうか?

寺と国とは、長い期間争っていたようです。 
どうも実態がはっきりしないですが、建前は国有、しかし寺社にも権利・権益を認めるという方式がしばらく続いたようです。 
社寺保管林制度で、無償で寺院に貸していたということもあるようです。
そして、昭和22年に「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」が施行されて、低額で寺社に買い戻してもらった土地もあるようです。
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC00 …
ただ、「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」による処分では、社寺保管林に設定されていた約2.6万町歩のうち、社寺に対する譲与が行われたのは約4千町歩に過ぎず、残りの約2.2万町歩の大部分は、現在でも、通常の国有林野だそうです。 
寺にとって、寺院補修や新造の木材が確保できれば、山林そのものの所有権を失っても、寺がダメになるということはないでしょう。 
神社でも、大部分が国有林になっても、手入れも国がするならそれで良いということではないでしょうか。
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上地令ではなく上知令が正しいようです。



上知令ですが、分からないので検索して調べて見た所、江戸や
大阪などの大名や旗本に領地の約50万石を返上させて、代わ
りに付近の土地を支給すると言う法令を上知令と言うようです。

明治4年に寺社領地の没収令が出され、各藩が版籍奉還をした
のに寺社だけが私有地を保有するのは不相当と言い、境内以外
の土地を上知すると命じたのが明治の上知令のようです。
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埼玉県大宮公園は、もともと氷川神社の敷地です。

それはほんの一例で全部が公園になった訳ではないが、明治時代に寺社の敷地は整理されています。
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