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兵隊さんは何処かわかないとこで戦っていたんですか?戦うときは肩のワッペン見るんですか?
小野田少尉は盗み殺人を見つかるまで繰り返していたそうですが、アメリカ兵って何となくで攻撃していたんですか?
今日母親と話ししたら、おじいちゃんどこに派兵されたの?って言ったら
??
と言う感じでした。まぁ、敗戦後末っ子として生まれてるので知るはずないですが、興味すらないみたいです。
母親に戦争なって買い出しに行って何もなかったらどうしますか?ときいたら、
餓死しますと言ってきました。

A 回答 (5件)

まぁ祖父母は戦争経験者ですが、戦争の話は一切しませんでしたね。


※関東大震災も経験してます、、、こう考えると酷い時代だわ。

「満州」と「北海道」(対ロシア)へ行ってたそうです。
ただ、北海道へ行った祖父は今でいう従軍カメラマンみたいな感じで
記録を取る係だったようです。

いずれも戦死はせず生き延びました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!
歴史的瞬間のキャメラマンとは、大層な任務ですね。めずらしいですね。満洲と北海道ですか、意外と近いですね?船に乗ったらわからなくなりますよね。グアム島や、サイパンで見つかった横井さんたちはかなり遠くに行ってたんですね。
やはり長男は最前線に行かせなかったのでしょうか。
父方は長男で、母方は長男じゃないです。
どちらも戦死せず帰国後、結婚しています。
でも父親の長兄は、戦後すぐ生まれだから、
全面降伏する前に帰国してるみたいですね、なので
どのように軍隊を派遣していたのか些か疑問ですね。父方は多分、
船なので第二次世界大戦へ満洲?
中曽根康弘と同じ海兵部隊で料理番?をしていたそうです。父方は泳いでグアム島か北海道ですかね、やりかねません。どちらも大往生でしたが、。

お礼日時:2022/03/08 22:28

それぞれの兵士は地元で徴兵されて地元で編制された部隊に編入されてます。


次のサイトでおじいさまの出身地で編成されている師団を見つけてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5 …

例えば、東京出身なら、第一師団ですね。
次にその第一師団をクリックして見てください
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC1%E5%B8%A …
どんな地域に派遣されてどんな戦いをしていたのか、簡単に説明されてますよ。

ウチの祖父母が、大阪港の近くで広い家があった関係で、大阪港に立ち寄った兵士たちの休息所みたいになっていたそうです。兵士たちの話では、これから南方へ行く等の話を口にしていたそうなので、具体的な地名は知らないけど、台湾とか、ジャワ島など、大体の行く先は知っていたようですよ。
 兵隊さんたちの宿泊所だったんですが、兵士たちが訪ねてくるときは「お母さん、ただいま」と言ってやってきたそうですよ。故郷に帰る長い休暇などもらえないまま、立ち寄った民家の主婦に母親のイメージを重ねていたのかもしれませんね。切ない話ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。しかしながら、祖父たちの居住地の県の名前がありませんでした。近場の都道府県になるんでしょうか。

お礼日時:2022/03/09 22:46

お礼ありがとうございます。



多分、うちの祖父母は20歳ぐらい上ですね。

父方は満州に家族でうつり住んでました。
最初は貧乏人だったからと思いましたが、どうも違ったようです。
5人の子供を抱えて満州から逃げ帰ったそうです。

母方は北海道ですね。
調べると祖父母の実家が元々北海道にあったようです。

うちの親兄弟は、ガチな団塊世代です。
焼け野原でしたが、お手伝いさんも居たようで
その当時は恐らく珍しく、兄弟全員大学を出てます。

母方の兄弟もですね。

>中曽根康弘と同じ海兵部隊で料理番?をしていたそうです。

それはすごいですね。
って、中曽根康弘さんも戦争経験者なんですね。

自分は総理だったとき、地元に着たので目撃したことはあります。
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>兵隊さんは何処かわかないとこで戦っていたんですか?


兵隊さんというのは軍曹以下の下士官のことで「戦ってこい」と命令され、輸送されてそこで戦うのが任務です。場所は現地に着く直前に教えてもらえることが多かったでしょうが、どこまで教えてもらえたかは微妙で、それは捕虜などになったときに情報を漏らさないようにするためでした。

それより上の軍人は士官と言って「国家から戦争遂行の任務を与えられた人たち」で階級によって情報量は違いましたが、兵隊さんよりは情報を持っていました。

だから、祖父世代でも、兵隊(志願兵)兵隊(徴兵)、士官では全然立場が違ったのです。

>戦うときは肩のワッペン見るんですか?

戦うときは、相手の軍服を見ます。戦闘行為には軍服を着て参加すること、というのが国際条約として決められていて、もし戦闘服を着ないで戦闘行為をしていたら、スパイとして処刑してもよい、というぐらい厳しいものでした。

また当時は各国で兵器を作っていたので、日本軍が相手にしていたアメリカやイギリスなどの戦車やトラックは日本のモノと違うのですぐに攻撃対象になったわけです。

だからどちらかというと、ヨーロッパ戦線で英仏VSドイツのほうが見た目が同じ白人で、背格好も似ていて軍服や武器だけが違うというのが分かりにくかったでしょう。

今のウクライナ情勢も、見た目はロシア人もウクライナ人も同じですね。しかも、ウクライナの戦車などもロシアと同じものですから、見分けがつく憎く、ロシア軍は目印にZを書いているといわれています。

>小野田少尉は盗み殺人を見つかるまで繰り返していたそうですが、アメリカ兵って何となくで攻撃していたんですか?

小野田少尉はルバング島に派遣された指揮官レベルで「死ぬな、ずっと戦い続けろ」という命令を受けていたので、死なないようにしながら、アメリカ兵やアメリカ軍の基地をずっと攻撃していたわけです。

どんなレベルの攻撃でも、積み重ねれば軍事力を弱体化させますのでできる限りのことをしたのでしょう。
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戦死報告で、どこでお亡くなりになったか、証書(場所記名)が来るかも??(素人情報です)



私の祖父の兄弟は、ニューギニア、インド・インパール方面、沖縄で戦死。
(その内、一人だけ、重症で帰国し、数日以内に亡くなりました)

私は台湾海峡、輸送船沈没で帰国した祖父の子孫です。
(当時、18~25歳ぐらいだったとか?)

米軍の潜水艦に撃沈されましたが、軍艦(駆逐艦?)は数時間以上、現場海域で敵潜水艦と対峙し、救援は来れなかったそうです。

多くの方が、亡くなられていますね。

餓死ですか。
農家に行けば、運が良いと少し食料もらえたそうですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
いずれも戦死せず生き延びて帰ってきました。
多分20代ぐらいで徴兵です。戦士の服も多分曾祖母さんが大事に大事にアイロン掛けして桐の箱に、入ってました(死後整頓するときに、出てきました)農家だったので、帰ってきたときは万歳三唱で
すきやきをしたそうですね。なので、どこへ行ったのかは本人すら知らないかな。

お礼日時:2022/03/08 22:49

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