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戦争裁判でなぜ昭和天皇は免罪になったのですか?。皆、語らないですよね。

A 回答 (14件中1~10件)

他の方の回答を拝見しましたが、基準点が整理されていないですね。



まず、次のような基準があることを念頭に置くべきです。
①日本国内法では天皇は内閣に輔弼される「天皇機関」であり、政治に対する具体的な権能を有さない

②世界の戦争の現実では「負けた側の責任者の首を変えるのは当たり前だった」こと
です。

日本人が「天皇に戦争責任があったのか?」と問うことは非常に有意義ですが、その問いに対しては「天皇機関説だから責任は無い」ということで答えが出ています。

そもそも、日本人のほとんどが「ポツダム宣言受け入れは天皇のご聖断」ということを知っているはずで「ご聖断」とは「本来なら政治的な口出しを一切しないはずの天皇が国家存続をかけて命令した」ということを言います。

戦争開始時には「ご聖断」していませんから、天皇に政治的な責任があるわけがないのです。

また、もし天皇に政治責任がある、というなら、当時の日本国民の責任もハッキリ定義する必要があります。宣戦布告の国会決議は、その前の衆議院選挙で議席を得た議員たちによって行われたものですから、今の日本の国会と何も違わない状態で、つまり「国会で議決されたということは主権者である日本国民の総意による戦争であった」ということを意味します。

質問者様は「なぜ語らないのか?」と言いますが、語るとこの「日本国民の責任」をクローズアップせざるを得ないから、しないのだと私は考えています。

で、連合国側にもいろいろな思惑がありました。ソ連や中国なんかは天皇を処刑したかったらしいですが、アメリカやイギリスの中枢部では「対共産主義として日本を左傾化すべきではない」という意見で一致していたといわれています。

実際、当時の共産化運動はすさまじく、天皇を処刑すると一気に日本が左傾化して共産主義日本が誕生する危険があったようです。

それ以前の連合軍側のスキームとしては
①昭和天皇は処刑するが、皇太子を天皇に即位させる
②昭和天皇は退位して、皇太子を天皇に即位させる
③昭和天皇をそのまま存続させる
の間で揺れていて、①はほぼ無いとはいえ②の可能性はかなり高かったようです。

で、これをひっくり返したのがたぶん、マッカーサーと昭和天皇との会談で、マッカーサーが「彼はすごい人物だ」と認識したわけですが、これにはマッカーサー自身の経験があったからです。

そもそも、アメリカ人は君主を持たない国家で、特に1次大戦前はヨーロッパも君主国がたくさんありました。
 
マッカーサーはまだ若い時に1次大戦のドイツの敗戦処理に行き、それまで「さぞ君主というのは立派な人物なんだろう」と思っていたようですが、ドイツ皇帝が「俺のせいじゃない!」という言い訳と命乞いを直接見聞きして心の底から「君主とはなんとつまらないものなのか」とがっかりしたのです。

ところが、日本の天皇と合ってみると「自分は処刑されてもいいから、国民に食料をくれ」というわけですから、最初の不遜な態度から180度転換したのは、よほど驚いたからだと言われています。

この結果、日本再興スキームは③にほぼ決まったと言ってよく「日本を共産主義の防波堤にする」という連合国の思惑に対して日本は信頼できる国家である、と連合国側が看做した瞬間だったといえます。

連合国側が天皇責任を問わなかったのは「日本を資本主義国として残し、共産主義化しないようにするため」であり、国内的な「天皇機関説」はあまり関係ないです。
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占領政策を遂行する上で昭和天皇を利用した方が良いと考えたからです。

マッカーサーが昭和天皇の人柄に惚れたということも関係あるかもしれません。それとマッカーサーは、自己顕示欲の強い人です。占領政策を成功させてアメリカ大統領になりたいという野心もあったと思います。そのためには、やはり昭和天皇を利用した方が良いと考えました。また、日本軍を武装解除するためには、天皇の命令でそうさせた方が米軍にとっても安全でした。
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結論はCHQの都合で責任を問わない方が有利と判断したと言う事でしょう。

マッカーサー美談ありますが、判断にどの程度影響したかは不明。
(以下私見)
責任を問うと決定した場合には、極東国際軍事裁判へ出廷する事となります。当然に、日本国民の注目が物凄く集まり、その一語一語が国民の耳目の的となる事は、自明の理です。同時に、天皇を裁くと言う日本国民の琴線に触れる事で、憎悪の感情がGHQ側に向く事も確実です。
この裁判自体の有効性、公平性には非常に問題があり、戦後から今日に至るまで、非難されています。特に、弁護側と検察側との弁論内容に対する、裁判官の差別的な扱いは、酷いものがあります。これは、戦勝国が敗戦国を裁くという基本的な公平性の欠落と、日本人への差別的偏見によるものです。
この内容が詳細に国民に知られた場合には、裁判のいかさまがばれ、開戦の原因が米国にある事もばれてしまうかも知れません。結果、CHGQの統治自体が瓦解し、不可能になると恐れて判断した結果ではないでしょうか。
沖縄返還運動を見た事があるでしょうか。物凄い数の沖縄県民が、米軍基地を取り囲み抗議の声を上げました。米軍は「革命前夜の様だ」と報告しています。もしも、天皇陛下を法廷に出せば、この様な事態になる事は、容易に想像できます。結果、美辞麗句を並べて知らん降りをしました。
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議論はあったものの, 原則としてでいえばそもそも昭和天皇に責任はない.



もともと責任がないのだから, 「免罪」にもなりえない.
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諸外国では、「天皇は死刑」という声が大きかったのですが、アメリカの判断で日本統治に利用した方が価値があると言うことになり、いろいろ理屈をつけて、船犯にしなかったのです。

そののち「右翼」人達はいつの間にか「戦争責任はなかった」と言う議論のすり替えを行い、また「天皇の戦争犯罪」を言うと「街宣車」を動員して言論弾圧をしたというのが実態です。まるで、プーチンや習近平のようなやり方です。違うのはプーチンなどは政権を握っているのに対し日本の右翼は「政権から金銭をたかっている」ことくらいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2022/03/10 19:02

色々な理由が重なって免罪と


なったのです。

1,当初は責任をという話もあったのですが、
 天皇がいたほうが、日本国民を統治
 しやすい。

2,ソ連、中共などが勢力を増してきたので
 社会主義に対する防波堤として利用する。
 社会主義は、平等を旨とするので、天皇制を 
 維持するだけで、抑止効果があったのです。

3,米国は随分と酷いことをやってきました。
 東京大空襲、原爆と、民間人を大量虐殺
 しています。
 東京裁判では、米国に対する抗弁をしない
 代わりに、天皇の責任も追及しない、とする
 取引があった、という説があります。
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この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございました。

お礼日時:2022/03/10 19:03

NO.4と5の文章が酷似しているのは何故なの?


どちらも “知ったか” の為のパクリだと言うの?
だとしたら、もう少し加筆して、自分の文章に
して欲しかったわ。

なんか、余りにも惨めだわ…

因みに昭和天皇に戦争責任なんてないわ。
それをタブー視などと言う表現をする輩は在日
か反日極左の共産党かぶれだけよ。
ホントよ!!
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当時はまだ天皇を神に近い存在と思っていた国民が多かったので、天皇を罰するより許した方が統治しやすいという判断だったのでしょう。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2022/03/10 19:04

戦後40年近くたって詳細に語った人がいます。



1983年に東京裁判という長編ドキュメンタリー映画が公開されていますので、これを見たらわかると思います。
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>天皇自身も、「私はどうなってもいいけれど、国民は私(天皇)のことがとても好きだから、私がいなくなるとどうなるか分からない」とマッカーサーに言ったそうです。


本音では退位したかったらしですが。

No.4さんの、これは、かなり、虚実が混ざってますね。、

本当は、「私の身は、どうなっても良いので、日本国民を守ってほしい」

と仰られたのです。

マッカーサーは、日本の天皇も、他の国の元首と同じで、自分の命乞いに

来たんだろうと、テーブルに足を乗せて、横柄な態度で迎えたそうですが、

自分の命はどうなっても良い、日本国民の命を助けて欲しい、、という

昭和天皇のお言葉に、深い感銘を受けて「彼は神だ!!」と

この素晴らしい人に罪を被せていけない、、と、本国アメリカからの

要請を蹴って天皇の命を救われたのです。

また、天皇は、政府が決めた事に口出しはできませんでした。

今もそうですけど。

ご自分は、あくまで戦争は、最初から反対されてましたけど、

「君臨すれども統治せず」で、政治に口出しはできないのが

天皇というお立場でした。

ご自分は、開戦の命は出しておられないのに、

終戦時は、当時の政治家たちでは決める事が出来ずに

、にっちもさっちも行かなくなり

天皇にご意見を求められ終戦になったのは、良く知られてる事ですね。

もちろん、戦争で負けたとはいえ、日本は、小国なのに、非常に強かった。

日本国の命である天皇を処罰などすると、当時の日本人、また軍部が

どれほどの底力で、世界を相手にまた闘いを挑むかも分からない、、と

いう、恐怖が戦勝国にあったのですね。

そういうことから、天皇陛下への処罰は与えられなかったのです。
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