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百姓から関白にまで成りあがった豊臣秀吉が、ヒトラーや毛沢東、スターリンやプーチンのように権力に狂って民間人を虐殺するような独裁者とならなかったのは、軍事力を持った武将が周りに大勢いたからでしょうか?

A 回答 (7件)

九戸城を攻めあぐねた秀吉は、命の保証と引き換えに開城させた。


しかしその約束は反故にされ、城内にいた将兵は皆殺しにされた。
足軽には農民ももちろんいたはず。

表には出てこないが、秀吉は信長の作戦に従事しその過程で大勢の女子供を殺している。

秀吉は信長に劣らぬ残虐な一面があった。

当時の日本では、民間人は国力を生み出す貴重な存在。
「生かさぬように殺さぬように」など講談の作り話で、実際はほとんどの大名は庶民を領内に繋ぎ止めようと様々なアメを使った。

小牧合戦や災害で国内がボロボロになった家康は、領民を逃散させないため、復興目的で税率を上げる代わりにかつて追い出した一向系の寺を呼び戻したりしている。
当時の一向系の寺とは、庶民の拠り所的な存在である。

そういう領民を虐殺するとは、自分の足元を崩す愚行である。
それがたとえ他国で行ったことだとしても噂はあっという間に全国に広がり、自国の領民にも「あの殿で大丈夫か?」という思いを抱かせる。
もちろん他国の有力大名はそこに付け込む。

領民のそういう反抗が不可能になったのは、明治維新によって中央集権化し国家権力が大いに増大してからである。
ヒトラーや毛沢東、スターリンも、はてはナポレオンも、中央集権の強大な権力があって初めて大勢の国民を意のままに操れたのである。
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秀吉は、トップに立った途端


秀次を始め、秀次の遺児(4男1女)
及び側室・侍女らおよそ29名を
処刑しています。

朝鮮出兵は、第三の元寇阻止の為
でしたから、問題ありません。



民間人を虐殺するような独裁者とならなかったのは、
軍事力を持った武将が周りに大勢いたからでしょうか?
  ↑
日本人は島国の人間で、農耕民族
ですから、比較的温厚なのです。

しかも、異民族との抗争が
少なく、皆殺し、なんてのも
あまりありませんでした。

墓を掘り起こし、遺体を引きづりだし
辱めを加える、なんて
中国人や西洋人のような血なまぐさいことは
あまりやってこなかったのです。
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豊臣秀吉は晩年気が狂って、大明帝国を征服しようと、朝鮮半島に出兵して民間人も殺しまくったことを知らないの? 中学の歴史で習うことだけどね。

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戦国武将は、『偉人』などではありませんよ。


 同じです。権力欲が異常に肥大したキチ〇イどもに、戦闘力が劣る者、戦闘を放棄した者(一般人は概ねこういうヒト達)が『虫ケラを踏み潰す様に』殺されるのが、『戦争の真実』です。

>権力に狂って民間人を虐殺するような独裁者とならなかった

 そう見えないのは、殺した数が『歴史書に出てこないほど』少ないからで、それは専ら大量殺戮兵器が無かったから、に過ぎません。

 剣道や弓道などの武術をやるとなんとなく理解出来ますが・・・切ったり刺したりしてヒトを殺すのは、とんでもない体力と集中力が必要で、一人が1回の戦闘で何十人も殺すことは極めて困難です。
 しかし現代では、エアコンが効いたコントロールルームで、コーヒーを飲みながら巡行ミサイルの発射ボタンをポチポチっと押しまくれば、100人ぐらいは軽く殺せるでしょう。

 農家からムリヤリ徴兵された雑兵が、槍や刀でなく自動小銃と手りゅう弾を持ち、馬ではなく戦車や戦略爆撃機に乗っていたら、日本の人口が激減するほどの内戦になっていたでしょうね。
 それが戦国時代です。
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豊臣秀吉も同じだよ


共通する事は、宗教を信じない

イスラム過激派、オームのサリン等は
宗教を利用しているだけ
経典には、大量殺戮を容認していない
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戦国時代の偉い人はだいたい殺しまくりです



乱世だよ?
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朝鮮出兵って、めっちゃ今のプーチンのウクライナ侵攻と被った愚行じゃん。

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