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普遍神って、何が普遍なのですか?

A 回答 (13件中1~10件)

思うんですが、「普遍神」というのは、


そんな上等な意味ではなくて、「何でもあり」に「神」を
付けてみた、と言う事ではないか?

曰く「有ると無いとの重ね合わせの状態」であらわれる、らしい。

「重ね合わせ状態」で、何故、「神」が現れる、
と言えるのか?非常に疑問だが、
そのように、説明がある。

要するに、「あっても、無くてもよい」、どうでも良い状態を、
「勝手に」、「神」と言っているだけではないのか?

一般には、「神」と言う言葉は、全く異なった意味で
用いられるが、ここでは、

人々が「神」と言う言葉を使って、連想する事柄を、
作為的に混同させ、「神」と言う言葉を、使用しているだけ。

信仰も不信仰も、人それぞれ。

しかし、その上に、「神」と言う造語をレッテル貼り
しているだけに思える。

別に、どうでも良いものなら「刺身のつま」でも、
「福神付け」でもいいはずだ。

どうして、「刺身のつま」を「神」と言い張るのか?
どうして「福神付け」と言わないのか?

「消防署の方から来ました」詐欺と、手法は同じだ。

「キリスト教の神」と日本人が考える「神」と、ここで
言及する「造語の神」は、全く違うものだろう。

どうでもいい状態、何にでも適応できる状態を
「普遍」と言い、それに「神」と言うレッテルを
貼った言葉。

哲学では、こういった作為的な、意味の混同は、
許されるのだろうか、と思う。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとがとうございます。
<どうでもいい状態、何にでも適応できる状態を
「普遍」と言い、それに「神」と言うレッテルを
貼った言葉。>
私も、二つの言葉のはっきりした意味を理解しておりません。

お礼日時:2022/03/16 16:45

★ (№12お礼欄)


哲学の進め方は、<想定(仮説法)をおこない その想定内容がデータや現実世界と不都合なところがないかを検証しそれとして論証した理論です。>によるのですね。
科学と比較し、ずいぶん余裕のある進め方ですね。

☆ 哲学が仮説法(アブダクション)を用いるのは 特に神といった非経験のものを扱うときだと思います。

いわゆる形而上学の場合です。仮説演繹法とも言います。

ざっくばらんに言えば 人知を超えているものについては 想定し仮説して取り扱う以外に方法は ないと思われます。

まづはこの確認まで。
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この回答へのお礼

度々のご回答ありがとうございます。
<人知を超えているものについては 想定し仮説して取り扱う以外に方法は ない>ですね。

お礼日時:2022/03/20 17:26

★ (№9お礼欄) 


ご説明を了解しました。
しかし、内心ではうまくごまかされているな、という思いです。

☆ うたがい続けてください。どんなことでも もの言いをつけてください。


  *


★ 窮極のところ、神が絶対だに行き当たります。
☆ というふうにも言えます。と同時に すでに初めから 《絶対性》ゆえに 神が神であるとして人びとは そう呼んだし持ち続けて来たとも考えられます。


★ 神が絶対だ、というのはいかに実証できたのですか? どうやって観測したのですか、が依然疑問として残ります。
☆ そのもの(神本体)が観測されたわけではありません。

観測し得たデータから 実証ではなく 想定(仮説法)をおこない その想定内容がデータや現実世界と不都合なところがないかを検証しそれとして論証した理論です。


① 神は 超自然ないし超経験――まとめて 非経験の場またはチカラ――のことです。

☆ この世界をたしかに観測した結果 自然現象を超えていて経験事象の相対性〔としての有る無しや因果関係〕から自由な場ないしチカラを 想定してみたのです。


② 非経験の場は 仮りの思考内容として《絶対性ないし無限》という概念で説明される。

☆ 必然的にこのように 相対性に対して絶対性 有限に対して無限 自然や経験に対して超自然・超経験といった場が想定され得ます。


③ 認識としては 経験事象が可知(既知および未知)や不可知(知り得ないと証明された未知)であるのに対して そうではなく 非経験の場ないしチカラは(つまり 神は) 非知です。《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ incomprehensible incomprehensibility 》です。



④ なお 絶対性を 擬人化して絶対者と言う場合があります。

⑤ あるいは この絶対者は その全知全能のチカラによって相対的な経験世界をつくった創造主であると言う場合もあります。物語化です。

⑥ 有る無しを超えているので じっさいには具体的に 有る神と無い神との二つの姿があり得ます。

⑦ 成り立ちとして ①②③が 基礎であり基本です。
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この回答へのお礼

寛容な御回答ありがとうございました。
哲学の進め方は、<想定(仮説法)をおこない その想定内容がデータや現実世界と不都合なところがないかを検証しそれとして論証した理論です。>によるのですね。
科学と比較し、ずいぶん余裕のある進め方ですね。

ヒックス粒子の存在により、科学者ヒックスは2013年に物理学ノーベル賞を(やっとでしょう)受賞しました。彼は1964年に理論を提唱しました。この理論は(曖昧な言語でなく、厳密な物理・数学にのっています)。その当時から、理論は間違いないと思われていましたが、ノーベル賞はおあずけ。2012~3年に観測データが揃って、13年やっとノーベルの受賞。49年後の実証・観測が決め手でした。

お礼日時:2022/03/19 16:34

普遍神の作者の頭の中に普遍神が常に記憶保持されているので、普遍神が普遍に存在していかつそのキャラ付けが常に一定なので作者の頭の中の

普遍神は絶対なんですね
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<頭の中の普遍神は絶対なんですね>ですね。
理解できぬバカな人をぬきにして、作者の頭の中では、普遍なのですね。

お礼日時:2022/03/18 13:29

通り一遍ではないと言うか

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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<通り一遍ではない>ですね。
どこが頭で、どこが尻尾なのかのせいで、捕まえられません。

お礼日時:2022/03/18 13:26

★ (№7お礼欄) ・・・すなわち、神およびその類が変わっていても、信仰の対象の部分が普遍神ということですね。


☆ はい。そうです。


★ 普遍紳は、一つではないのですね。
☆ 名前が 一つではないということです。みな 普遍神です。

絶対性が 別々に二つも三つもあっては 困ります。ひとつに決まっています。


★ (AよりIまでの)信仰の対象により複数の普遍紳があるのですね。
☆ 同じ一つの普遍神です。民族〔ごとの言語〕により名前が異なっているだけです。


★ あるいは、信仰の対象が複数でも、普遍紳は何かしら抽出されたものから構成されている一つなのですか?(その抽出されたものが肝要だとおもいます)
☆ たしかに民族ごとの神の名前をズラッと並べて分析するに みな超経験なる神であることが共通である。ゆえに その共通要素で普遍性を捉え その中核を普遍神とする。・・・といった帰納法の捉え方も出来ます。出来ますが すでに初めから 絶対性なる神はひとつとして 演繹法で捉えても 問題は変わらないと思います。


共通の要素を抽出する前に すでに神は神であるといった事態が そのまま現実であると見ていいと思います。

《神》という言葉が 誰がネツゾウしたというのでもなく すでにどの言語にも持たれてふつうに使われています。


           *


◆ (№8) 客観的、物理的に存在する神なら
普遍神と言えるでしょう。
☆ その普遍性は 相対世界における一般的な共通性――つまりそこには 例外がある――というに過ぎません。

神は絶対性なる普遍性です。

何が普遍的か? って 神であることがです。



◆ ~~~~~~~~~~
それとも、教えが普遍的なのか。

汝、殺すなかれ、てのはいつでも何処でも
通用するから普遍である。
~~~~~~~~~~~~
☆ これも オシへは人間の言葉で表現した思想であり 人間の知性のおよぶ経験思想であり そのような相対的な内容が 人びと一般に共通であるといった事例です。

《不殺生戒》には 例外がないかも知れませんが あくまで相対的な意味内容であるにとどまります。

議論のあるところですが 戦争や死刑制度は この律法の例外かも知れません。


《汝、殺すなかれ》は 神がそうであるような絶対性としての普遍性ではあないと思います。
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この回答へのお礼

再三のご回答ありがとうございました。
ご説明を了解しました。
しかし、内心ではうまくごまかされているな、という思いです。

窮極のところ、神が絶対だに行き当たります。
神が絶対だ、というのはいかに実証できたのですか?どうやって観測したのですか、が依然疑問として残ります。

お礼日時:2022/03/18 13:24

存在が普遍だ、という意味かも。



神なんて俺は信じない。
私は信じる。
で、人それぞれでは、普遍的存在とは
言えません。
客観的、物理的に存在する神なら
普遍神と言えるでしょう。



それとも、教えが普遍的なのか。

汝、殺すなかれ、てのはいつでも何処でも
通用するから普遍である。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
神について<存在が普遍だ、という意味>ですね。
人それぞれに神の有無の考えをもっていますので、
<客観的、物理的に存在する神なら
普遍神と言えるでしょう。>になるわけですね。
あくまでも、客観的、物理的に存在する神なら普遍紳としてもよい、ということですね。
あるいは、<汝、殺すなかれ>のように<教えが普遍的>なのかもしれませんね。

お礼日時:2022/03/16 18:13

№3です。

具体例でしめします。

次のように信仰の対象と主体とを二段ごとに図解したばあい その上段(つまり 信仰の対象)がそれぞれ普遍神のことです。

呼び名は それぞれまちまちですが みな同じひとつの普遍神をあらわしています。


 A. ブラフマニズム:梵我一如
  梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
  我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

 B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論)
  無梵:シューニャター(空)・ゼロ
  無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

 C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
  仏:アミターバ・ブッダ(阿弥陀如来)
      / マハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来)
  仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

 D. クリスチアニズム:霊霊一如
  霊:神・聖霊(真理・生命・道)
  霊:《神の宮なるわれ》

 E. (プラトン?):霊霊一如
  霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
  霊:《われ》

 F. 《もののあはれを知る》:霊霊一如
  霊:かみ(超自然およびその依り代としての自然)
  霊:われ(自然本性+α)

 G. ユダヤイズム:霊霊一如
  霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
  霊:われ

 H. イスラーム:霊霊一如
  霊:アッラーフ(イラーハ=神)
  霊:われ

 I. タオイズム:道人一如
  道:タオ
  人:われ
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございます。
<その上段(つまり 信仰の対象)がそれぞれ普遍神のことです。>
すなわち、神およびその類が変わっていても、信仰の対象の部分が普遍神ということですね。
普遍紳は、一つではないのですね。(AよりIまでの)信仰の対象により複数の普遍紳があるのですね。
あるいは、信仰の対象が複数でも、普遍紳は何かしら抽出されたものから構成されている一つなのですか?(その抽出されたものが肝要だとおもいます)

お礼日時:2022/03/16 17:02

普遍神の作者であるbragellone氏の頭の中で常に記憶保持されていることから上記作者の頭の中で普遍だということです

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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
私(<普遍神の作者>)の頭の中で普遍だ、分からんかな、とぼやいているのでしょうね。

お礼日時:2022/03/16 16:48

基本的に普遍とは時代を超え民族国家を超えていることだ。

しかしそれは絶対ではない。絶対とは時代を超え、民族国家を超え、あらゆる場合であっても変わらないものを言う。一切の条件でも変わらないのが絶対だ。しかし普遍神と言うならば普遍=絶対と言うことなのだろうよ。言葉使いが曖昧だな。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<普遍とは時代を超え民族国家を超えている>のですね。
ただし、<絶対>は<一切の条件でも変わらない>のですね。
したがって、絶対と普遍とは一致するものではないのですね。

お礼日時:2022/03/16 16:38

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